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血だけは勘弁……

(ふう)(じん)が自身の居宮である天空宮に足をつけたのは、白の皇帝を助けてからわずかの時間だった。

 それよりも一足先に吹き抜けた風が、


 ――白の皇帝が怪我を負った。すぐに手当ての準備を。


 と、《風》神の言葉を乗せて天空宮に届いていたので、怪我のていどは見なければわからぬが、どのような処置でも迅速可能に……と、多くの《(かぜ)》族の女官たちが用意を整えていた。

 風が通り抜けるや否や、《風》神が白の皇帝を抱きかかえて天空宮に戻り、そのまま居宮にある広間のひとつに下りる。

 女官たちは深々と礼を取るのも忘れて、ぎょっとした。


 ――族長が大切にしている白の皇帝は、風が伝えた伝令以上に酷い怪我を負っている。


 とくにしなやかな肢体の露出が多い、丈の短めな衣装を着ている白の皇帝は擦り傷、切り傷が顕著で、目に見えての痛々しさに女官たちは小さく悲鳴を上げて、さらに腰まで届く水色の長い髪が不揃いに肩もとしか流れていないことに動揺が隠せなかった。

 何より、先ほどまで喚いていた悲鳴や「助けて」「離して」と叫ぶパニックこそ落ち着いたようすだったが、ひたすら「痛いよぉ」と言って、現状もまだ理解が追いつかず、わぁわぁ、と泣いている姿に、見ている女官たちもおなじように理解が追いつけずにいた。

 いったい、何があったというのだ?


「ご安心くださいませ、白の皇帝」

「もう大丈夫です。私どももついております」

「よくがんばりましたわ、すぐにきれいにいたしますから」


 女官たちは口々に言って、とにかくここにはもう不安も恐怖もないことを言外に含ませ、白の皇帝を安堵させようと努める。


「族長、――いったい何事ですか?」


 女官のひとりが尋ねるも、


「とにかく、白の皇帝の傷の手当てを急げ。頭髪部分にも傷がある、確実見分しろ!」


 ほとんど血相を変えている《風》神に――《風》族の族長が当然ながら手際を優先にしろと命令が下されしまえば、いまは口を控えて治療に専念するしかなかった。

 白の皇帝が負った傷は、見た目、肌が露出している部分のほとんどに複数の傷があって、手当の最中も傷に障るのか、「痛いよぉ」と言って泣いてしまう。


「白の皇帝、もう大丈夫だから」


 言って、《風》神が手を伸ばして宥めようとしたが、白の皇帝ばかりを向いていた女官たちの幾人かが振り返り、その手を「恐れながら」といって制してくる。


「――恐れながら、傷の具合で物申せば、族長のほうがはるかに深手を負っております。族長もこのまま手当てをお受けくださいませ」

「俺はいい、何事もあの子を優先しろ」

「ですが……」


 族長は気がついていないのだろうか。本人も相当な怪我をしているというのに。

《風》神は気遣う女官たちが伸ばしてくる手をかるく払うが、普段は竜族の各部族のなかでは格段に陽気な女官たちも、いまは表情険しく、


「族長が負われた怪我……、まだ流血しておいでです」

「白の皇帝を案じられるお気持ちはよくわかりますが、そのお怪我のまま白の皇帝にお触りになっては、かえって落ち着くことができません」

「族長、お手当てをお許しください」


 女官たちがそう、口々に詰め寄ってくる。

 女官たちは何事にも従順であるが、ときどき自らの族長に対して遠慮がないときもある。それはどの部族よりも主従の信頼関係が近しい証でもあるが、一度開けば口やかましい。


「頬と腕の傷。竜の五神ともあろうお方が、なぜそのような深手を負われたのですか?」


 もし、外敵があって、《風》族族長が白の皇帝の護衛が手いっぱいで、その隙に怪我でも負わされたのだとしたら、一族総出で「お礼参り」に伺いますわ……、と女官たちは眼だけを異様に光らせ、「おほほほ」と笑って見せる。

 族長が軽口を叩くのが得意とくれば、それに仕える女官たちの口も陽気でよく回る。

 早く事と次第を口にしなければ、かえって部族の女官も竜騎士や竜騎兵は大げさに動くぞ、と含んだ笑いを向けられては、《風》神も降参するしかなかった。

 観念してその場に、どかり、と座ってあぐらをかき、深いため息を吐く。

 その間に、白の皇帝の痛がる声がしだいに弱まってきた。

 ようやくのことで、自分がどこにいるのか理解できるようになってきたのだろうか。それとも、女官たちの柔らかな声にかこまれて、パニックだった心情が落ち着いてきたのだろうか。女官たちがかわりに傷のない箇所を撫でて、「よくがんばりましたね」と労わる。それに応えるように、白の皇帝は「うん」とうなずくものを見せてきた。

 まだ手当の最中ではあるが、女官同士が目配せし合い、深刻な状況をつながる傷はないと了解し合い、それを族長に告げる。

 それでようやく、《風》神はほっとすることができた。


「端的に言う。――俺が浮力を与えたせいで、白の皇帝は木の枝に髪を取られて宙づりになったんだ」

「まぁ……」

「落下こそ免れたが、なまじ浮いている状態で暴れたから、木の枝にそこらじゅうを掻かれて」

「それで、あの傷の数なのですね。理解いたしました」


 ――枝に絡む髪があまりにも複雑になったので、やむを得ず切る決断をした。


 その弾みで枝が大きく揺れた……、と説明する。

 実際、《風》神も必死だったので、それが正しい事の顛末だったのかはもう覚えていないが、自分にも傷があると言われて、頬と腕、と的確な個所を言われて、


「そういえば……、いまも痛いような……?」


 腕は白の皇帝を抱いているときには気づきもしなかったが、ようやく落ち着いたころ合いで、ズキズキ、と痛むものを感じていた。

 痛い、と言えば、口を開くたびに頬もとにひびくものがあって、度合いでいえばこちらのほうがはるかに痛い。

 何気なく頬もとを触り、その手を見て《風》神はぎょっとする。


「!」


 指や手のひらにべっとりと付いたのは、まだ流血がつづいている証の血糊だった。


 ――目に見えての鮮血。


「血……ッ」


《風》神はそれを見るなり、ぐらり、と自身の視界が歪むのを感じてしまい、


「血……」


 ――ほんとうに、これだけはダメなんだ……。


 心のなかで何かをつぶやくや否や、《風》神は眼を回すように勢いよくその場に倒れこんでしまう。


「族長ッ」

「いかがされましたかッ」


 いきなり《風》神が卒倒したので、周囲の女官たちはそれこそ驚愕し、悲鳴を上げる。口々に声をかけるが、返答がない。

 ご無礼を、と言ってひとりが傷を負っていないもう片方の頬に指先をそっと当てるが、他人の気配に聡い族長は、ピクリ、ともしない。

 幸い、絨毯の上であぐらをかいている姿勢のまま倒れたので、頭を強く打つという危険は回避できたが、他人が触れても反応がないとは……。


「族長ッ?」

「――意識を失っておいでですわ」

「ま、まあッ」


 もしかして、何事もなかったと装って、じつは何かの瘴気にでも当たったのだろうか。だとしたら、それこそ族長に害を与えた相手に一族総出で報復せねば……と、物騒な決意が随処で沸いたが、それは寸前のところで回避された。

 白の皇帝の腕に包帯を巻いていた女官のひとりが、ふと、口にしたのだ。


「そう言えば、族長……血を見るのが大変苦手だとお聞きしたことがあります」

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