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「ごっこ」の儀式、そして悲鳴

「竜の神さま、俺ね、ずっと竜の神さまにお会いしたくて旅をはじめてきました。ひとりで何かをするのがはじめてだったんです。だから……」

「だから?」

「そ、その……よくがんばったねって、褒めていただいてもいいですか?」


 口に出して実際に言ってみると、これはかなり気恥ずかしかった。

 それでも会えたのなら言ってみたかったのだから、と思い、そのまま頭をすこしだけ突き出す。頭を撫でてほしいと、そういうふうに読み取れたので、《(ふう)(じん)も小さく微笑み、


「汝か、我ら竜族の末裔は。――()()()()()より遠路はるばる我らのもとに参じてくれたこと、喜ばしく思う。道中、苦難もあっただろうが、ようがんばった」


 言い慣れぬ文言ではあったが、《風》神は普段よりも怜悧な気配を漂わせて、そっと手を伸ばす。


「名を、白の皇帝と言ったか? 我らが一族の残し御影を末々敬いたるは感謝極み。(りゅう)五神(ごしん)を代表し、この《風》の神、そなたに礼を申す」


 言って、頭を撫でると、白の皇帝は念願のぬくもりを得たかのように感激し、「ああ……」と小さくつぶやいて、嬉しそうな笑みをこぼす。


「白の皇帝、まだ帰るには及ばぬ。こちらの時代をよう見聞し、ゆるりと過ごすがよい。我ら一族、存分にもてなそう」

「ありがとうございます」


 ――そう、帰るには及ばない。


《風》神は、この何か儀式めいた「ごっこ」を終えてしまったら、それで白の皇帝が満足してしまったら、――ひょっとして、この愛しい少年は消えてしまうのではないかと恐怖にも似た不安に駆られ、咄嗟に言葉で縛ってしまう。

 効果があるかなど、そもそもそのような力が自分にあるわけではないのだが、言わずにはいられなかった。

 言い終えて心底安堵したのは、まだ目の前に白の皇帝がいてくれたからだ。

 咄嗟の寸劇にもかかわらず、喜んでくれたようすの白の皇帝にほっとし、今度はいつもの《風》神として、すこしだけ乱暴に頭を撫でる。


「わッ」

「――ずっとここにいてもかまわないから」


 ――そう、ずっと……。


 俺のそばに、俺だけのそばにいてくれたら、俺はそれで……。

 それを言葉にしようとした瞬間、白の皇帝はまだ何かをつづけるようすで言葉を発する。


「あとね、竜の神さま……《(かぜ)》の神さま。俺ね、俺――ずっとあなたにお会いしたかったんです。俺、ずっとあのお姿を残された竜の神さまは《風》の神さまだと思って、だから、あなたにお会いしたくてここまで来ました」

「我に会って、何と?」


《風》神もつづけて問うと、白の皇帝がまっすぐな瞳を向けてくる。


「俺、あなたにお会いしたらお願いしたいことがありました」


 ――どうか俺を、空に飛ばせてください、と。


「俺、ずっと空に飛びたくて、でも……できなくて。あなたが持っていたとても大きな翼に憧れて、もし《風》の神さまさえよろしければ、俺を空に飛ばせてくれないかなぁって、ずっと思っていたんです」


 そして、それを叶えてくれた、もうひとりの《風》の神さま。――《風》神。


「今日、その夢を叶えていただき、ありがとうございました。俺、とっても嬉しかったです」

「……何。そなたさえよければ、いつでもともに空を舞おう。好きなときに、我の手を取るがよい」

「ほんとう……?」

「この《風》の神に二言はない。誓おう」


 てっきりこのお願いは、今日だけのことだと思われた。

 それが、いつでも叶えてやる、と言われたので、白の皇帝は表情に嬉々を浮かべる。


「ありがとう、《風》神!」

「――何の!」


 最後に、にかっ、といつものようすで笑ってやると、白の皇帝もやりたかったこと、言いたかったことを終えたのか、大きく息を吐いて、ほっと胸を撫で下ろしたようだった。


「ああ、《風》神。俺ね、今日で全部やりたかったことできちゃった。ほんとうにありがとう」


 そう喜んで無邪気に抱きついてきたので、《風》神も白の皇帝を抱きしめる。

 最初は嫌な思い出が先行して、あまり乗り気ではなかったが、こんなふうに楽しんでもらえたのなら最初から素直に連れ出してやればよかったと、内心で反省する。


「ま、今日で終わったように言われると、お兄さんはちょっと寂しいな。また遊ぼうねって、誘ってくれないと」

「えへへ」


 いつものように笑う白の皇帝の髪を梳いてやると、思いのほか汗をかいていたようで、額や耳のそばには短めの髪が貼りついていた。それを指先で払い、《風》神はふと、この浮遊大陸には水浴びをするぶんには充分な湖があったことを思い出す。

 白の皇帝を抱き上げて、さっさと天空宮に戻って女官たちに世話をさせながら少年の身体をきれいに拭わせるのもよかったが、せっかく外に出ているのだから、かるく汗を落としてから戻るのも悪くはない。

 最初からそれも視野に入れていたので、今度はふたりで泳ぎの競争でもするか、と思い、ふたりとも大した泳ぎの格好にもなっていないんだろうなと想像してしまい、《風》神は苦笑してしまう。


 ――そういえば俺、泳げたっけ?


 などと、根本的な疑問を浮かべつつも、何とかなるだろうと思い、このさいだ、体力の限界まで遊んでやるか、と、このあとのことを考えていたときのことだった。

 ふと、自分の腕のなかにいたはずの白の皇帝の姿が消えていたことに気がついた。


「あれ? 白の皇帝?」


 いつの間に、どこかへ行ったのだろうか。

 通常であれば、「つぎは何に目移りしたのだ」と、目に入ればすぐにそちらに向かってしまう白の皇帝の好奇心旺盛に辟易もしたが、《風》神の心情が、ぞわり、と震えたのは、日ごろの彼の好奇心ではなく、先ほどまでしていた「ごっこ」に対して白の皇帝が大変満足してしまったからだ。


 ――もしかすると白の皇帝は……。


 それを果たすためにこちらの時代――この世界創世期の時代へと迷い込んだのではないのだろうか。


 ――だとしたら、満足した以上、ここに留まる必要はない。


 もしかすると、また不可思議な力がはたらいて、白の皇帝をもと居た時代に返してしまったのかもしれない。

 他人の気配に聡い自分が、いつの間にか自分の腕から消えている白の皇帝にすぐに気づくことができなかった。


 ――それが最悪な現実として、別れだとしたら……。


 脳裏にそれが浮かんだ瞬間、《風》神は顔面を蒼白させたが、すぐにそれ以上の最悪な事柄が、さほど遠くもない方角から突如として聞こえた。

 刹那、恐怖に近い何かで全身の肌が泡立った。


「きゃあああッ!」


 耳に届いたのは、甲高い子どもの、少年の悲鳴。

 はッ、とするや否や《風》神は悲鳴の方向に顔を向け、同時に表情険しい疾風となった。


「白の皇帝ッ!」


 聞こえたのは、先ほどまで自分の腕のなかにいたはずの少年……白の皇帝の悲鳴だった。

 それもかなりの痛みを伴うような、救いを求めるような――。

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