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空を飛んで……

「あ、あれ……?」


 先ほどまで寝そべったままの《(ふう)(じん)も、いつの間にか立っているような姿勢で宙に浮いて、……いや、これは浮いているという高さなのだろうか。


「俺、空……」


 飛んでいる、と思った瞬間、白の皇帝はあわてて《風》神に抱きついてきた。

 急なしぐさに、どうした? と《風》神がまばたくと、


「あ、足もと、何もなさすぎて、こ、怖いッ」


 言って、いまも片方だけにぎり合っている手に白の皇帝が力をこめて、


「《風》神、高すぎて怖いよッ、落ちたらどうしようッ? 手、離さないでッ」


 半ば叫ぶように言ってくる。


 ――そうか?


 たしかに、浮遊大陸にある森の木々の背丈もすでに眼下だ。

 どちらの視界も背景は空の色しかない。

 けれども普段どおりに白の皇帝を抱いて飛べば、このような高さなど《風》神にとっては低空でしかないし、それに白の皇帝が怯えたことはない。


「だ、だって、いつもは《風》神がしっかり抱いていてくれるから、俺、安心できているし……」

「なるほど。最高の誉め言葉だ」


 はは、と笑いながら《風》神はゆっくりと降下をはじめる。

 風に白の皇帝の長い髪がなびくが、それさえも少年は怖がっているようだった。


「ほら、俺にしがみつくのは夜のときでいいから、もう片方の手を俺から離して、俺と手をつないで」


 さらりと言ってみたが、これに即座に反応ができるほど白の皇帝に知識はなかった。

 いつかは好みの返答ができるように調教でもするかな、と《風》神は半ば本気でほくそ笑む。

 ただ、物事には何事も優先順位というものがある。


 ――それはいま、白の皇帝が自分で描いていたように空を飛ぶこと、だ。


 大丈夫だから、と言っても、しがみつく安定感から離れるのが怖いのか、白の皇帝はなかなか《風》神の身体から手を離そうとしない。


「ほら」

「え……ッ、わッ」


 くっくっ、と笑う《風》神は、空いているほうの手で自分にしがみついている白の皇帝の手を離し、もう片方と同様に手と手を合わせ、指を絡めながらにぎり直す。


「大丈夫、離さないから――」

「《風》神……」

「離さないから、自分がこうやって飛んでみたいと思ったそれを思い浮かべて」


 そうしたら、そのように飛べるから、と安心できるように補足すると、《風》神の手をにぎる白の皇帝の力が、ぴく、とわずかに動く。

 この高さなら怖くない、という合図なのか。

 白の皇帝は「怖い」と口に出さなくなり、自分なりに落ち着こうとして深呼吸のようなものをはじめる。

 ちらり、と足もとを見やると、森のなかでいちばんの背丈がある木の頂上付近で、《風》神がその気になれば靴の裏で葉先をくすぐれるほどの位置だった。

 なるほど、と地上までの距離感を何となくつかむ。


「で、どうだ?」


 飛べそうかな? と尋ねると、白の皇帝は周囲を見やりながら、ようやくいつもの表情に戻り、


「お、俺ね、さっきまで鳥さんのように飛んでみたいと思っていたけれど、いまははじめてだから、精霊みたいに飛んでみたい」

「せい……?」

「あのね、俺の手のひらよりも小さくて、自然のエネルギーとヒトのかたちを半分だけした種族のことを精霊っていうの」


 背には鳥ではなく、蝶のような独特の丸みがある羽を持つのがほとんどで、それこそ彼らは自由自在に宙を舞うことができる。

 それは、ハイエルフ族にはできない踊りのようでもあった。

 思い出しながら白の皇帝が語る。


「へぇ、きみよりもさらに小さな種族がいるのか。おもしろいな」

「うん、可愛いんだよ。言葉は話せないけど、しぐさとかで通じ合えるんだ」

「じゃあ、――俺に見せてくれる? きみの舞を」


 ゆっくりと目を細めると、白の皇帝が「できるかな……」とつぶやきながら、あのね、と語りをつづけた。

 ようやく怖さや意気消沈から解放されたのか、白の皇帝は楽しげに「精霊はこうやって飛ぶの」と言って、それに近しい体勢を取る。

 それは意識していなくても、自然に垂直から平行するように身体の向きが変わる。どんな体勢になっても《風》神がしっかりと両手をにぎっているので、不安はない。「飛ぶ」というよりは、ふんわりとした「散歩」のような速度だったが、白の皇帝からは笑みがこぼれる。

 すこしだけ高低差をつけてみたり、先ほど見た湖の上を飛んでみたり、と。

 陽光に煌めく水面を、上から覗きこむのがおもしろかった。


「魚は……いなそうだね」


 湖水の色は空に近かった。

 覗きこむ自分たちの姿が鏡写しになっている。

 じっと見ると、水深はそこまで深そうではないようだった。

 ほんのすこしだけ足を伸ばし、つま先を水面につける。途端にひやりとした湖水の冷たさが気持ちよく、あっという間に広がる波紋が美しくて、白の皇帝は《風》神の手をにぎりながら波紋の終わりまで追いかける。


「飛ぶことができるって、こういうことなんだね」


 手のひらに伝わるのは、《風》神が優しく見守ってくれている証のぬくもり。

 先ほどまで宙に浮くのが困難だったバランスの悪さがうそのように、白の皇帝の身体は清楚なようすで飛んでいく。


「鳥さんは……いないね」


 周囲を見渡しながら、ぽつり、と問うてくるので、


「この高度の浮遊大陸だと、大地に近い存在は草木がほとんどかな。雲の下まで行けば鳥もいるだろうけど、その位置に浮遊大陸はないな」

「何で?」

「低いとすぐに流れる雲に呑まれる。すぐに視界が真っ白になるから、いやなんだ」

「そうかな? おもしろそうだと思うけど」


 自然豊かな浮遊大陸でも、これは大地の領域ではない。

 なので、大地でよく見る動物や鳥、虫の一切はここには存在しないのだ。

 そう《風》神は説明する。

 ふむふむ、と白の皇帝は学ぶようにうなずく。

 けれどもすぐに、両の手をつないでいる《風》神が何となくおもしろがって、自身を軸に白の皇帝で大きく円を描くように回してくるものだから、笑みもはしゃぐ声に変わっていった。


「あはは、《風》神ったら、目が回っちゃうよ」

「たまにはいいだろ、こういう遊びも」

「遊びじゃないよ、お空を飛んでいるの!」

「あ~、はいはい」

「……もう」


 ただ抱き上げられて身体を回されているとはちがう、不思議な感覚。


 ――ああ、俺……。


 やっと、空を飛ぶことができたんだぁ、と白の皇帝は心中で満足げに思う。

 自分を空まで上げてくれたのは、ずっと会いたくてたまらなかった《(かぜ)》の神さまとはちがう、《風》の神さまだけど。


 ――でも俺、《風》の神さまにお会いすることができたんだ……。

 ――《風》の神さま……。


 ようやくのことで、おもいきって旅をはじめた本懐を遂げたのだ、と身体中に実感が走る。


「そういえば俺、竜の神さまにお会いすることができたのなら、言いたいことがあったんだ」


 はた、と思い出すが、さらによくよく考えてみると、いまが本来の目的だったかもしれない竜の神さまにお会いする、という事柄には当たらない。

 すでに「(りゅう)五神(ごしん)」たちとは会っているし、そのときはこの創世期の時代に迷い込んだことで不安しかなかったし、その不安も払拭するほどこちらで保護される生活にも慣れた。

 その間、この気持ちのことはすっかり忘れていたし、目の前の《風》神は自分が想い描いていた《風》の神さまともちがうので、いまの《風》神に会えたときに伝える感謝を口にしていいものかと白の皇帝は迷ったが、


「あ、あのね、《風》神……、お願いがあるんだけど」

「ん?」


 しっかり手をにぎったままの白の皇帝の目線が、自分よりどんどんと低くなっていく。

 地面に下りたいと思っているのだろうか、白の皇帝の身体が降下をはじめたので、《風》神もそれにならう。

 すとん、とつま先から下りて直截草花を足に感じると、ああ、あれほど飛びたかった空にいるときよりも、こうして大地に――実際は浮遊大陸の地面ではあるが――足をつけてしまうと、やっぱり大地にこの身体を立たせる安定感より心地よいものはないな、と白の皇帝は思ってしまい、くす、と笑ってしまうが、


「あのね、《風》神。いまだけあなたを竜の神さまって呼んでもいい?」

「?」


 何だろうと思いつつも、名称が変わったところで自分は竜の神さまでもある。

 違和感はないが、さて、何をはじめる気だろうか。

 はて、と《風》神は思ったが、


「あのね、俺。旅をはじめるときに竜の神さまにお会いすることができたら、言いたいことがたくさんあったの。いま思い出したから、それを言ってもいい?」


 自分でもいまさら、と思っているのか、白の皇帝はどこか気恥ずかしそうにもじもじと身体を揺らしてくるが、この少年のやりたいことをさせるのが自分の喜びでもある、そう思っている《風》神は深く尋ねることもなく、ただ、


「好きなように呼んでかまわないし、言いたいことがあれば何でも聞く」


 と言って、


「つぎはどんな望みを叶えてほしい? 俺にできる範囲なら、何でも聞くぞ?」


 そう言って、互いに足を地面につけたいま、ふたたび生まれた身長差で《風》神は下を見やり、白の皇帝は顔を上げる。

 白の皇帝はお願いを聞いてほしいのとはちょっとちがうのだけれどな、と思いつつも、やっぱりお願いごとにはいるのかな、と思い、


「あ、あのね……、竜の神さま」


 ほんのすこしだけ戸惑いながら、目を閉じて深呼吸をし、もう一度《風》神を見上げる。

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