可愛いって自覚のある女
おはようございます。彼女いない歴=0日の清浦透真です。
仮とはいえ、彼女が出来たらもう少し感慨深いと思ってたんだけど、そんなこともなかった。普通に爆睡して普通に寝坊気味だった。
「………」
「おはようマッマ」
マッマはまたしても、起きてすぐの真横に立っていた。
無言怖い。顔が怒ってないのも逆に怖い。寝坊なんだから起こしてほしかった。
「ご飯できてる? すぐ食べたいんだけど――――」
寝巻きのまま飛び起きて、リビングに向かおうとしたタイミングだった。
ピンポーン、とインターホンが鳴った。
マッマと目を合わせる。困り果てた、世界の終わりみたいな絶望ぶりだった。マッマは常にこんな状態なので来客対応は基本俺の役目だった。
「こんな朝っぱらから何かね」
中途半端に着替え途中なまま玄関に向かう。
そのまま何の気なしにドアノブに手をかけて、ふと学校で受けたくだらない嫌がらせの数々を思い出す。念の為チェーンをかけて、ゆっくりと扉を押した。
狭まった隙間から見えたのは、鮮やかなくるくる赤髪と屈託ない笑顔だった。
「おはーっす。とうま先輩」
「………」
一度扉をしめてチェーンを外す。再び開けてみる。
見間違いでもなく、後輩の、そして俺の彼女であるラッコが立っていた。
「なんでいる?」
「彼女らしく迎えにきたっす」
「住所教えてないが」
「てんちょーに聞いたっす」
「個人情報保護は……?」
まあ別にいいけど。
あのチンピラ店長に常識を求めるほうが失礼だ。
「こんな朝早くに……遠かっただろ。何時起き?」
「5時っす」
「はやっ!」
「普段と変わらないっすよ。まあ今日はチビたちの面倒見なくていい日だったから来れたんすけど」
「チビ?」
「弟妹父たちっすね」
「ああ、そういう……。なんか1つおかしくなかった?」
「お父ちゃんが1番だらしないので」
「……そうか。まあ、立ち話もなんだし入りなよ」
「おじゃましまっす!」
元気でよく響く声だ。
寝起きの頭にガンガンする。
どこで待ってもらおうかな。リビングに通すと母さんと鉢合わせちゃうし、かといって俺の部屋に通すのもなあ。
「とうま先輩。ひょっとして起きたばっかりすか?」
「なんと。よくわかったな。さすがラッコ。さすラコ」
「あきらかパジャマで寝癖もすごいっすから……さすラコ?」
「はいはい、わかったわかった。直してくるから待ってろ」
「りょっす」
ラッコを引き連れたまま洗面台へ移動する。
蛇口から勢いよく水を出して、バシャバシャと顔を洗う。垂れてきた水滴を頭からかけ直す。
鏡を見つめ、俺は満足して頷く。
「よし」
「よしくねっす」
ラッコは呆れ顔だった。
「目ヤニついてる」
「うわほんとだ」
「髪もまだボサボサ」
「いいよこれくらい」
「イヤっす。隣歩きたくないっす」
厳しい評価だった。地味に傷つく。
ラッコは小さな座椅子をひきよせて、そこに俺を座らせた。
「おい、なにを」
「ララコお姉ちゃんにまかせるっすよ〜」
いつのまにか取り出したヘアバンドで俺の髪はまとめ上げてくる。温水のほうの蛇口をひねって、ラッコはそこにタオルを浸した。
「お顔失礼しまーす」
柔らかく、そしてあたたかみのある布を押し当てられる。目元を中心に、やがて顔全体を擦ってくる。
痛みは全くといっていいほどなかった。むしろ心地よいとさえ思う。普段から慣れてる所作なのが伝わる。俺はちょっとした感動を覚えた。
「次は髪っすね。そこのワックスは普段使ってるやつっすか?」
「そんな毎回セットするわけでもないけど……え、まさか」
と、固まってるうちにラッコの手は動き始めている。しっかりワックスを握って。
またまたどこからか出した櫛で髪を梳いてくる。何回か繰り返して、もう寝癖ないしこのままで全然オーケーなんだけど、ラッコは止まらない。
女子なのにワックスのやり方わかるの? って心配は杞憂だった。指先のクリームを手のひらに薄く馴染ませてから、俺の後頭部に触れてくる。この段階で、俺は目を閉じた。
髪を切るときは昔馴染みの床屋に行ってばかりだからよくわかんないけど、都会の美容院ってこんな感じだったりするのかな。
「完成っす。どっすか」
俺は目を開いた。
いつもと違う髪型の俺がそこにいた。俺とラッコでセットのやり方が違うのだから当然なんだけど、不満などあろうはずもない。
人にやってもらうのって、いいものだな。
「最高だよ」
「よかったっす〜」
「こんなに面倒見のいい『彼女』がいたら毎日幸せだろうな〜」
「その『彼女』、目の前にいますけど?」
「うわっ、ほんとじゃん! 付き合っててよかった〜」
「とうま先輩ってバカっすねー」
ひとしきり2人で笑い合う。
でも俺にはまだ言いたいことがあった。
「いやでも、ほんと。なんかラッコってすごいな」
「っす?」
「学校に通って毎日バイトして遅くまで勉強して、家族の面倒みながら家事までこなしてる。ここまで努力家で働き者な人間を俺は知らないよ。本当に偉いと思う」
「………」
「ラッコ?」
「な、なんすか。急に」
ラッコは珍しくたじろいだ。
鏡の中で、ラッコの頬がどんどん赤くなっていく。視線がぶつかって、恥ずかしそうに顔を隠されてしまった。
「あ、あれっすか。『彼女』だからっすか」
「ん?」
「そういう褒め殺しは『彼氏』としてのテクニックっすか。サービス精神過剰っすよ」
「いや。純粋に本音」
「うっ…」
パタパタと自分の頬に風を送ってなんとか熱を逃がそうとするラッコが、なんだか可愛く見える。
「すみません。もっと勉強してくるっす」
「なにを?」
「『彼氏』を喜ばせるテクニック的なことを」
「………」
めっちゃエロい欲望が湧き上がってきた。
「じゃあ早速……」
手をわきわきさせながらラッコに迫ろうとして、俺は愕然とした。
マッマが見ていた。
わずかな隙間から顔をのぞかせている。
我が息子ながら怖くなるくらいの真顔だ。
その口が3回、それぞれ別の形を作る。
う、あ、い?
「………」
浮気ってか?
◇
「とうま先輩、歩きスマホは危ないっすよ」
「すまん、これだけ。スーパー言い訳タイムなんだ」
「まったくもうっす。……すーぱー言い訳たいむ?」
ラッコとともに学校への道を征く。
なんだか手を引かれているような気がするが、俺の意識は完全にスマホへ全集中だった。
ちなみに言い訳の相手は我らがマッマである。
『ちがうんだって、母さん! 別に浮気とかじゃないし! そもそもムラサキと付き合ってもないんだから浮気も何もないでしょ!?』
『透真ちゃん。何日か前のお母さんがいない日に別の女の子を連れ込んだこと、しっかり気付いていますからね。しかもそのときと今日とでちがう女の子ですね』
マジ!?
心当たりはある。うらかのことだ。
確かにマッマに言ってなかったけど……。
『なんなんですか。透真ちゃんモテ期なんですか』
『そんな自覚ないですけども』
『お母さんはムラサキちゃん推しなので解釈ちがいです』
それから何度もラインの応酬が繰り広げられたが、マッマはお怒りが鎮まることはなかった。晩御飯抜きという宣告を受けたところで俺はついに諦めた。
「あ、すーぱー言い訳たいむ終わりました?」
「終わりました。ついでに俺の晩御飯も終わりました」
スマホをポケットにしまったところで、俺は左手の感触に気付いた。
「なんで手ぇ握ってんの?」
「だって危ないから」
と、小さい子供から目を離せないお母さんみたいなことを言われる。
失礼な、とツッコミたいところだったが、ラッコの言い分のほうが圧倒的に正しかった。よい子の皆さんは歩きスマホはやめましょう。
「………」
「………」
2人、手を繋いだまま無言で歩く。
いつもより足取りがゆっくりになる。ラッコに合わせているからだ。
なんだかむずかゆい。
「いつまでこうしてるんだ」
「んー。学校に着くまでっすかね」
「マジか!」
「どうかしたっすか」
「ちょっと恥ずかしゅうございます」
特に必要もないのに手を握っているとか。
こんなのどこからどう見てもバカップルだ。
「っす?」
「うわ、ピンときてなさそう」
「だって、手つなぐなんて、ふつーのことじゃないっすか。チビたち相手なら必ずそうしますよ?」
「俺は弟じゃねえ。『彼氏』だ。そんでラッコは『彼女』だ。付き合ってる男女が手を繋いでたら意味が変わってくるんだよ」
「………」
ラッコの視線が下がる。
じーっと、お互いの手を眺め続けて数秒。
何事もなかったように手を引かれる。
「結局このままかよ」
「だって好都合じゃないっすか」
「おん?」
「こうしていたら勝手に噂が広まっていくんすよね。とうま先輩を守る上で手っ取り早いと思うっす」
「………」
そうだった。
ラッコはこういうスタンスだった。
やっぱりまだ落ち着かないものを感じる。
「それ、どうするつもりなんだ」
「っす?」
「まさか俺に嫌がらせしてきた奴らを見つけ出して、もうやめてくれって直接言うわけじゃないだろ」
そんなことしようとしてたら全力で止める。
「もちろんっす。危ないことはしないっす」
「じゃあどうやって?」
「女の武器を使うっす」
「女の武器」
ついその豊満な胸を見つめてしまう。
けど多分それのことじゃないよな。
「泣き落としでもするのか」
「アタシ、人からどういう風に見られているか自覚ある女なので。こういうの、なんとか出来ちゃう自信しかないっす」
「ほう……」
つい黙っちゃう。
高校生にもなって純真無垢な女子なんていない、というのが俺の持論だが、いざ堂々と宣言されるとそれはそれで悲しいものがある。今日はヨウキャとラブコメアニメでも見たいな。
「ちなみに自分の可愛さにも自覚あるっす!!」
「声でかい」
左手が塞がれているので鼓膜に大ダメージ。
「じゃあアレか。普段のおっぱい発言もわざとか」
「っす?」
「よく言ってるだろ。おっぱいがクッションになったとか、おっぱい当たっちゃいましたとか。アレも男からどう思われるかわかった上でやってたんだろ。悪い女だな」
あれ?
でもそんなことしてこいつに何の得があるんだろう。
それで男をたぶらかすとかなら効果的だけど、そんな風にしているの見たことないし。え、でも待って。この場合俺が引っ掛かったことになるのか。
俺が勝手に混乱しているその横で、ラッコは自身の胸を見つめていた。
そしてあろうことか、空いている片手で制服の上からおっぱいを鷲掴みにする。
すごい光景だった。ぐにゅん、って感じで。
ラッコは顔をあげ、困ったように言う。
「……そんなこと言いましたっけ」
「やっぱり自覚まだ足りないんじゃない?」




