3人のおかしなお客様
「ニコさんって、ニコチン切れるとおっかないんだな」
『………』
「ずっとイライラしてるかと思いきや急に悟りひらいて無言になるし、でもやっぱり耐え切れなくなって暴れ出して……俺、大人になってもタバコは絶対やらないって誓うよ」
『………』
「そうそう。ザクロさんっていうキッチン担当の人がいるんだけどさ。ここだけの話、その人ニコさんに気が合って。今日はちょっとだけ進展あったんだよな〜。ザクロさんがタバコ恵んであげてさ、ニコさんが『惚れた』なんて言うもんだから大変なことにーーーー」
『ねえ』
うらかが不機嫌そうに言う。
『その話、長い?』
「いや。止めてくれるのを待ってた」
時刻は午後の11時になる。
明日が休みとはいえ、いい時間だ。
『悩みを聞いてほしいっていうから電話に出てあげたんだけど』
「男が『相談』を称して近づいてきたら絶対信用しないことだ。そんなものは建前。本当は下心があるだけだぞ。俺は違うが」
『そう。勉強になったわ』
ブチッと無慈悲に通話が切れた。もっかいコール。
『なんなの』
「本題はここからなんだ。今日バイト中におかしな客が3人いた。いや、あれは客って言っていいのか……」
『興味ない』
「なんかあったら頼れって、うらかが言ったんだぞ」
『そんな言い方はしてない』
「ぐすっ、あのときのうらかは優しかったのに……」
『鬱陶しい泣き真似ね』
重たい溜め息がこぼれる。が、通話は切れなかった。
『手短にお願い』
「その心は?」
『お風呂あがりだから』
「えっっっっ」
声が上擦った。
「もしかして今バスタオル一枚だけ巻いた姿だったりする?」
『きっっっっしょ。なにバカなこと想像してんの』
全力の拒否反応でさすがに反省した。
◆
自転車を洗ってララコと合流した俺は、予定通り洋食屋ほんわかでバイトに興じていた。
いつもより力があふれてくる気がする。頭がよく働く。身体は軽くてどんなに動いても疲れない。数時間たっても調子は全然落ちない。
「パイセンずっとゴキゲンっす。なんかイイことありました?」
「えぇ? いやあ、ははっ、そんなこともないけどぉ??」
「嬉しさが滲み出てるっす!」
ないない。別に嬉しいとかではない。
うらかとのやり取りを思い出してニヤけるなんて、全然ない。
「パイセン、アタシちょっくらゴミ出ししてくるっす」
「いってら」
ララコが一旦バックヤードに戻っていく。
これでフロアにいる従業員は俺だけになったが、夕方は客人が多くないので1人だけでも充分回せる。え? ニコさんはどこにいるかって? 知らんけど、多分どっかでニコチンを摂取してる。
「おい!」
適当にフロアを回っていると、男が店に入ってきたところだった。
そう、こいつが1人目の『おかしな客』だった。
体躯は中々立派だがそんなに気圧されることはなかったのは、普段からオヤカタやガンテツと接しているからだ。なによりそいつは結衣山高校の制服を着ていた。顔を知らないってことで、消去法的に1年生とわかる。
オラオラ系1年坊主は吼えた。
「なに無視してんだよ。テメーに言ってんだ。とっととこい!」
とっととこ〜走るよキヨ太郎〜。
それとも流行り的にはえっほえっほの方か?
「1名様でしょうか」
「俺が客に見えんのか? おめでたいパイセンだな」
見えるよ。客を想定してたよ。
あと俺をパイセン呼びするってことは、向こうは俺のことを知ってるって意味になるな。
どこで悪目立ちしたんだろ、と考えてすぐやめた。心当たりが多いわ。
「ララコに近づいてんじゃねえよ」
「おおん?」
予想外すぎるセリフが飛び出してきた。
えっ、ララコの知り合い? マジ?
「あー。おトモダチ?」
「んなのじゃねえ。あいつは俺の女だ。俺の許可なく付きまとってんじゃねえ」
「………」
どうしよう。どこからツッコミをいれたら。
まずララコに特定の相手がいたなんて知らなかったし、失礼ながら目の前の男がララコと恋人関係には思えない。あと付きまとってないし、そんなに気に入らないなら数日待ってほしい。自転車代を弁償したらララコとの関係は断たれるから。
みたいな言い訳が浮かんだけど、なんで初対面のやつに下から行かなきゃならんのだとバカらしくなった。俺は扉を指し示した。
「お帰りはあちらです」
「ふざけてんのか」
「客人じゃないんでしょ。仕事中だから相手してられない」
「痛い目みねえとわからねえか?」
1年坊主の腕がのびてくる。それを払いのけようとしたときだった。
「パイセーン! 戻ったっすー!」
元気な声でララコが戻ってきた。
その瞬間、1年坊主は慌てて踵を返していった。
「お、覚えとけよ!」
「そんな小物みたいな捨てゼリフ……」
乱暴に叩きつけられたドアを見て、ララコが小首を傾げた。
「なんすか? 誰か来てたっすか」
「なあ、念の為きくんだけど。コウハイは誰か付き合ってる人いるっけ」
「えっ! なんすかパイセン〜恋バナっすか!?」
「そうだよ。教えろ」
「んー。憧れる気持ちはあるんすけどね。今は残念ながらお相手がいませんっす」
「そうか」
なんか安心した。
「それとコウハイ。悪いけど、俺をパイセンって呼んでみてくれ」
「パイセン」
「もっと」
「……パイセン。パイセン? パイセーン!」
「ありがとう。ととのった」
「なにが!?」
やっぱりパイセン呼びはララコにだけされたい。
2人目の『おかしな客』はディナータイムに現れた。
この時間の飲食店はやはり混む。横綱食堂ほど激務ではないけど、昔馴染みの常連を名乗る客人が多く来店してくる。ただ、そういう人たちほど静かに過ごしてくれるから接客としては楽だった。
「ふむ。この芳醇な香り……さすがはマスターだね。現代社会に疲れた私を癒してくれる。良い仕事ぶりだと礼を伝えてくれたまえ」
「かしこまりました」
一部、ちょい面倒な知識人さんもいらっしゃる。
この人ホント毎日いるな。あと淹れたのは店長じゃない。俺だ。
「あ、あの、パイセン……」
ララコが小声で話しかけてきた。お腹の少し下を押さえている。
そして恥ずかしそうに頬を染めて告げる。
「に、2番いってくるっす」
俺の返事を待たず、ぴゅーんと足早に駆けていくララコ。
ここでいう『2番』とはお手洗いのことだ。従業員同士で使う隠語である。
それはいいんだけど、そこまで我慢しなくていいのでは? と毎度思ってる。身体に悪いし、なにより聞かされる俺も心臓に悪い。性癖歪みそうで。
ドアベルが鳴る。頭を切り替えて俺は客人を出迎えにいく。
さて、ここでようやく登場したのが2人目だ。どうして1人目のときといい、ララコがいないタイミングでの来店なのだろうか。とても間が悪い。
一目見た瞬間から警戒心が跳ね上がる。結衣山の制服姿の女子がそこにいた。
「1人だけど」
ぞんざいな口調で告げられるが、前回と違ってちゃんとお客様のようだ。
俺は入り口からすぐの席に案内する。そして下がろうとした瞬間、「ねえ」と呼び止められた。
「ご注文はお決まりですか」
「アンタ、ララコと付き合ってんの」
あー、もう、はいはい。
今日はそういう日って受け入れるわ。
「『アンタララコトツキアッテンノ』ってなんでしょうか」
「どうなのよ」
「ララコさんがどこの誰だか知らないけど、俺に彼女はいない」
「ぷっ」
その笑い方には明らかな嘲りがあった。
「だと思った。釣り合ってねえし」
「………」
「耳貸しなよ」
とてつもなく嫌な予感がしているが、俺は少しだけ屈んでみせた。
女子生徒の口元は醜く歪んでいた。
「あいつ、誰とでも寝るヤリ◯ンだけど。知ってた?」
おいおいそれはマジで駄目だろ。
ちんちんとかおっぱいとかは下ネタとしてソフトな部類だから許すけど。
ヤリ◯ンはダメですわ。伏せ字とさせていただく。
「気をつけないと性病うつされるかもね」
「その下品な口、なんとかならない?」
「はあ?」
俺は注文用のバインダーを強く叩きつけた。
びくっ、と女子生徒の顔がひきつった。
「追い出される前に出てけっての」
「……っ、うざいんだけど」
女子生徒はカバンを乱暴につかむと、俺を押しのけて店を出ていった。
張り詰めてた糸が緩まるのを感じる。こういうのは疲れるし、気分も良くない。
訝しげに視線を向けていた客人たちに一礼する。興味を失ったみたいに、皆自分の食事に戻っていった。
「パイセーン! 戻ったっすー!」
そしてララコも帰還。
「なあ、念の為きくんだけど。コウハイってヤリ……」
「やり?」
「いや。忘れてくれ」
聞けるわけねえわ。
◇
『ちょっと待ちなさいよ』
話を聞き終えたうらかが口を挟んだ。
『3人って言わなかった?』
「ああ、今からその話をする。その3人目はな、正確には店の中には入ってこなかった。だけど2人目の『おかしな客』を相手にした直後くらいからかな。気付いたら外からじーっと俺のこと見てたんだよ」
『ちょっ……やめてよ。急に怖い話をするの』
「でも結局閉店するまで何事もなかったんだよな。そのあとララコと一緒に結衣山まで戻るときにはいなくなってて。あれはなんだったんだろうなーって思ってたんだけど……」
『ちなみにそいつ、どんな格好のやつよ』
「ん? えーっと」
俺は振り返りながら言った。
「上下ともダボっとした黒い服だけど、メガネとマスクのせいで顔がわからないな」
『完全に不審者ね』
「あ、やっぱり?」
『でも気のせいってことも考えられるわね。もしかしたら透真くんじゃなくて別のものをみてた可能性もあるし。普通にお店に入りたいけど勇気が出なかっただけの人かも』
「んー。残念だけど俺が狙いなのはほぼ確かな」
『どういうこと』
「だってそいつ、今も俺を尾けてきてるから」
『………は』
うらかの喉が、ヒュッと鳴った。
もう一度俺は背後を振り返る。
やはりその男はいた。洋食屋ほんわかで見たまんま背格好だ。隣町の安芸葉町からこの結衣山まで、そして駅から自宅に向かうこの道を歩くあいだ、ずっとこの距離感を保っている。
白状しよう。めちゃくちゃ怖い。
「ははっ、どうしよう、これ」
『あんた今どこにいんのかさっさと教えなさいよーーーっ!!!!』
10分後、うらかは自転車を爆速で走らせて現れた。濡れた髪のままで。
結衣山高校で落ち合った瞬間、俺の口から無限に弱音が出た。
「ごめんな。俺が弱いせいで」
「こういうのに強いも弱いも関係ないからね!?」
「手、握ってもいい?」
「今日だけね! っていうか私も怖いんだけど!!」
うらかと2人、手を取り合う。なんなら肩を組んだ。
「ねえ、そいつまだいる!?」
「今は……いないかな」
「じゃあ帰ろう!!」
「不安だからなんか歌ってくれない?」
「あ、る、こー! あ、る、こー! わたしは、げんきー!」
俺もあとに続いた。
あるくの、だいすきー! どんどんゆこう〜!




