同じこと考えてた
カラカラカラ…と車輪の回る音が虚しく響く。
ひどい汚れがついたままの自転車を押していく。そんな俺のすぐ後ろを、うらかが無言でついてきている。
校舎を出るときの、他の生徒たちの反応が忘れられない。仲睦まじいカップルを見るような目を一瞬だけ向けて、早々に全員が顔を伏せた。俺も顔を上げられなくて足の爪先だけを見つめて歩いている。
うらかの表情を、どう形容しようか。
たとえば教師が生徒のカンニングを監視するような。
あるいは警察がスピード違反の車両をチェックするような。
もしくは母親が出来の悪い子供の宿題を見てやるような。
とにかく、そんな感じだ。
「……うらか」
「なに」
「怒ってる?」
「怒ってないわよ」
絶対ウソだよ。超ブチギレだよ。
「いや怒ってるよ。鏡みてきなよ」
「怒ってないわよ。怒ってはないけど、透真くんをバカだと思ってるだけ」
「なんで」
「服が濡れたのを誤魔化すためにプールに飛び込むとか、正気で思いつかないでしょ」
諭されるように言われると本当にその通りだ。でもあのときは動揺しちゃったんだから仕方ないだろ。
それに、うらかに言われるのなんか悔しいな。絶対俺よりカッとしやすい性格のくせに。
「キズナ先生は知ってるの?」
「いや。話してないから。今説明したって先生も困るでしょ。誰がやってるかもわからないのに」
「そういう問題じゃないんだけど」
言い終えた瞬間、ガンッ! とすごい勢いで石ころが前方を転がっていた。振り返るまでもなく、うらかが蹴飛ばしたモノだとわかる。
「イライラする」
「いやあ、もう、ほんと謝るから許して」
「透真くんにじゃない。キミにこんなひどい仕打ちをした連中に怒ってるの」
その言葉に、俺は足を止めてしまう。
振り返ってまじまじと同級生の顔を見つめてしまう。
「なによ」
「なーんか、ううん。慣れない」
「は?」
守りたいって言ってくれたり、俺のことで俺以上に怒ってくれているところとかが。
そういう風にされた経験が少ないせいで、嬉しさを表現する方法がわからない。両腕を広げて抱きつきたいけど、たぶん返り討ちにあう。
「そんな騒ぐことでもない」
「どこが? トイレ中に水かけられて靴には画鋲入れられて、そのうえ自転車をこんな風にされてるのに? こんなの立派なイジメ…っていうより暴力でしょ」
「暴力か」
いつだったか、昔見たドラマのセリフを思い出す。
イジメは『イジメ』と称している限りなくならない。
イジメは暴行傷害恐喝罪である。
「でも慣れっこなんだ」
「うそつき」
「ホントだって。人に話したことないけど、昔から定期的にこういうのあった」
「は?」
あ、やばい。
うらかの顔面から温度が消えた。
「それ、みんなは知ってるの」
「だから……話してない」
「な・ん・で!」
鼓膜が破けそうな怒声だ。
「いらない心配させたくない」
「じゃあ、オヤカタくんやヨウキャくんが同じ目に遭ってたら? さきなは? キミの知らないところで皆ひどく傷ついてて、でもそれを隠して頼ってくれなかったらどう思うの」
「ふざけんなって思う」
「いま私も同じ話をしてるんだよ!」
ぐっ…!? なんか今日のうらか強い。
「みんなはダメだけど、俺はいいんだよ」
「自惚れるな!」
うらかが駆け出す気配があった。あ、ボコられる。
俺は反射的に自転車に飛び乗ってペダルを漕いだ。必死に足を動かして坂を駆け上がり、下り坂になったところで一息ついた。
さすがに逃げ方が全力すぎたか? 振り返ってうらかの位置を確認しようとして。
目前を指先がかすめていった。バトル漫画だったら頬に傷をつけられてる。
「怖い怖い! 追いかけてくんな!」
「じゃあ逃げんな!」
「それ無理〜〜!!」
というか、なんでこの速度についてこれるんだよ。うらかといい速水といい、俺のまわりは人間離れしたやつが多すぎる。
「あっ、うらか! パンツ見えそう!」
「好きに見ればいい!」
「開き直ってんじゃねえ! もっと恥ずかしがれ! 可愛いリアクション求む!」
実際に見る余裕なんてないけど。ためらいゼロとか本当に女か?
「透真くんが何も言わないのってさあ!」
うらかの声はほぼ真後ろから聞こえてきた。
「みんなのことが頼りないからってこと!?」
「は?」
急ブレーキをかける。急停止したタイヤが地面との摩擦で火花を散らした。
うらかは面食らうこともなく、跳び箱を越える動作で容易く俺との接触を回避した。空を飛ぶみたいな軽やかな跳躍のあと、あざやかな着地が決まった。
うらかと俺の視線がぶつかった。
「私に話しづらいとかなら、全然いいよ。わかる。透真くんと私は、し、親友だけど。まだ出逢ってから3か月しかないから。でもずっと一緒にいた皆にまで隠すなんて、透真くんは……」
「取り消してくれ」
自然と固い声が出る。
「俺は、みんなのことをそんな風に思わない。オヤカタもヨウキャも、ムラサキだって」
「わかってるわよ。ごめんね、いじわるなこと言って」
一歩、また一歩とうらかが距離を詰めてくる。俺とうらかの影が重なる。
うらかの瞳で太陽が煌めいていた。この眼差しの前では、口を噤むのは許されない気がした。
「でもやっぱり、知られたくないよ」
「うん。どうして?」
純粋な疑問として、うらかは問いかけてくる。
俺は、すぐに答えを出せなかった。そんなことは疑問に思うまでもなく当たり前のことだった。きっと小学生のころから。
今日みたいなことが初めて起きた日、俺は何を考えたんだっけ。
そう、確か……。
「強いところだけ見せていたい」
「………」
「悩みなんてこれっぽちもない、つまらない冗談で笑ったり笑わせたりする、ブレない人間でいたいんだよ。俺が崩れたら、それは良くないことだから」
自分のことなのに、俺ってそんなこと考えてたのかっ、と他人事みたい考えた。
いや、まてまて。本心がこの通りなのか、もうちょっと考えたいーーーーー。
「って、おい! 先に行くなよ!」
物思いに耽っていたら、うらかはいつの間にかだいぶ先を歩いていた。
慌ててその背中を追いかける。
「ちょっと。なんか言ってくれよ」
「べーつにぃ??」
「せっかく話したのにそれかよ」
「だって言ってることわかんなかったんだもん」
「おい」
「でも、言いたいことわかった」
どっちだよ。
「オトコノコの意地ってことで納得してあげる」
「なんかムカつく言い方」
「でも私の前では強がらなくていいよ」
腰に手を当てたうらかが高らかに宣言する。
「だって私の方が強いから!」
「……ははっ、それは確かに」
◇
自宅に到着。俺たちはそのまま庭の方へ直行した。
うらかは物珍しそうにあたりを見回した。
「へえ。けっこう良い家ね」
「そう? このへんだと普通だけど」
「いいなあ、庭付きでこんな大きいおウチ。東京じゃこんなところ住めないわよ」
「そりゃあ都心と比べたらね」
会話もそこそこに、俺は帰り道で購入したものを広げた。
噴霧器、中性洗剤、フィルター、薄い手袋。洗車グッズたちである。
何を隠そう、この清浦透真、自転車の手入れなどしたことない。
やり方も知らんのでググったうえでYoutubeの動画を開いた。短い動画だが数分おきに広告が入ってくるせいで説明が全然頭に入らない。逸る気持ちでスマホを睨んでいると、視界に別のスマホが現れた。今見ているのと同じ動画だったが、広告が入る気配がない。
「私はプレミアム勢」
「うわー、リッチ」
うらかにスマホを見せてもらいながら噴霧器をカスタムしていく。こういう器用さを求められる作業は昔から得意だった。テキパキと作業を進めていくあいだ、うらかは目を大きく見開いていた。見るからに不器用そうだものね、うらかちゃん?
洗剤を入れたうえで噴射していく。真っ白な泡がすごい勢いで自転車を覆っていく。
2人して「うおお〜〜!」と歓声を上げた。
「私にも貸して!」
「じゃあ、今のうちにホースとってくるかな」
蛇口にホースを取り付けている間、うらかは無意味に泡を出しまくっていた。数十分前までゴミまみれだった自転車が今では泡まみれだ。
「透真くんも洗ってあげる」
「やめーや」
蛇口をひねり、ホースから噴き出した水を自転車に向ける。ちょっとうらかの方にも向けてみると、勘の良いうらかは素早く身を捻ってかわし、泡噴射で反撃してきた。目が、目がぁ!!
1回洗い流してみたが、それでもニオイとヌメリが残ったのでテイク2へ。もう一度泡で覆ったあと、風呂場から持ってきたスポンジで軽くこすってみた。手応えアリ。よごれが明らかに落ちる。
泡を洗い流したあと動画だとブローをかけていたが、さすがに用意できなかった。なんとかドライヤーで代用できないか試そうとして、そもそも電源が届かないし風の力も弱い。おとなしく2人で雑巾がけすることになった。
こうしていると思い出すことがあった。
「春先も、似たようなことしたよな」
うらかと共に、ムラサキの家を掃除したのは4月のこと。
家主は不在だったが、あまりの惨状に耐えられず小1時間くらい格闘した。あのときは大変だった。
うらかは気が抜けたように小さくは笑った。
「同じこと考えてた。一緒だね」
つられて俺は笑った。
なに可愛いことをほざいてんだ。は? 本当に可愛いな。
くっそ、もうちょっとこの雰囲気を堪能したかった。
俺は時計を見てつぶやいた。
「そろそろ学校戻らないと。後輩を待たせてる」
「ねえ、心当たりとかないの。さっきよくあることだって言ってたけど」
うらかの言葉に俺は頷いた。
「ズバリ、嫉妬だと思う」
「嫉妬?」
「俺がムラサキと一緒にいると、それが気に入らないってのが一定数いる」
こういう裏で嫌がらせをするパターンは昔からよくあった。
正体を突き止めてみると普段はおとなしい、もしくは気が弱いってタイプが多かった。あと、絶対単独ではなく集団だな。水かけてきたときも複数人だったはず。
「それとまったく同じニオイがする」
「……さきなが知ったら絶対黙ってないわよ」
「釘を刺しておくけど、絶対ムラサキに言うなよ。フリじゃないぞ、相手が死ぬまでボコるからな?」
これ以上、ムラサキに変な処分がおりてほしくない。
不服そうだったけど、うらかは了承してくれた。
「何かあったら言うのよ」
「おっけ。んじゃ、いってくるわ」
軽い調子で家を出る。
「うん、いってらっしゃ……」
不自然にうらかの言葉が途切れた。
何事かと思いきや、こんなこと言ってのけた。
「新婚夫婦みたいなやり取りでイヤ。私も出る」
「あー、おっしぃ!!」




