服を着たままプールに飛び込むのは最高に青春っぽい
さっそくだがやらねばならないことがある。
校舎を飛び出した俺は、朝練をしているだろう奴の姿を探した。
「いたいた。おう、速水ー! ちょっと顔貸せやーい!」
知り合い以上友達未満、陸上部の速水に声をかける。
やつは不躾な視線を俺に向けてきた。あからさまに不審そうだった。
「すごい汗の量だな」
「ちょいちょい。そんなわけあるかーい!」
「お前そんなノリノリな奴だったか」
「身内ノリですまんなぁ! ちょっと動揺を隠しきれないものでねぇ!」
頭から爪先までびしょ濡れのまま、俺は切り出した。
「速水。この前のトライアスロンの話あったろう。受けてやってもいいぜ」
「なに!? 本当か!」
一発で釣れた。話が早くて助かる。
「早速練習すっぞ。俺スイムパート受け持つわ。よし、行くか!」
「どこに」
「プールに決まってるだろ! さあ、時間は待ってくれないぞ! 大会の日時しらんけど!」
「本気なんだな、清浦。わかった、付き合おう」
俺たちにそれ以上の言葉は必要ない。踵を返し校舎へ舞い戻る。
速水は無駄に綺麗なフォームで走り抜け、追従した俺は水飛沫をまき散らす。
そうしてプールへとやってきて、朝練の水泳部員たちを押しのけ水面にダイブした。
服を着たまま水に飛び込むとか、青春ド真ん中みたいなイベントだったけど、俺は一切興奮していなかった。むしろ今後のことを考えると、頭の中は冷たくなっていった。
◇
「え。わかんない。何度きいても意味がわからない」
生徒指導室にて。俺はキズナ先生から呼び出しを受けていた。
当然である。はっきり言って俺のやったことは頭がおかしい。
「え、え、もっかい聞くけど。速水くんとトライアスロンに出る約束をして?」
「はい」
「その場のテンションで2人で盛り上がっちゃって?」
「はい」
「それで着の身着のままプールに飛び込んだと?」
「はい」
「なんで???」
キズナ先生は全然怒っていなかった。
むしろ得体の知れないものを相手取るような、腰の引けた態度だった。
「え。なに。こわい。若者の奇行むり」
むり、やばい、マジ、と国語教師とは思えないくらい貧弱な語彙が続く。ひとしきり不満を吐いてようやく落ち着いたのか、キズナ先生は一回深呼吸をした。
「なにか悩みがあるなら聞こうか? それともお医者さんいく?」
いつもなら心配風の罵倒が飛んでくるはずが、今はガチで気遣われているのがわかる。
「むしろ先生が行けば? 顔ひきつってるけど」
「俺は今初めてお前が怖くて」
ムラサキとさえ普通に接する教師が、こんな平々凡々な生徒捕まえて何か言ってやがる。
「あ、そうだ先生。もし良かったら今日の俺の騒動を面白おかしく喧伝してくれない?」
「もしかして武勇伝にしようとしてる!?」
「そのほうが都合がよくて」
「『頭おかしい』とか『イカれてる』を褒め言葉として受け取るタイプ!?」
キズナ先生のリアクションは終始いつもより大袈裟だった。
不測の事態やアドリブに弱い先生に悪いことしちゃったなーと思いました。
◇
「バッカじゃないの…?」
生徒指導室から解放されて2限目から教室へ。
いつも俺への当たりが強いうらかも、今日に限ってはキレが悪い。俺がやったことってガチめにやばいんだなって改めて思い知らされた気分になった。
「制服着たままプールに飛び込んだってきいたけど……」
「夏だし。暑いし。青春っぽいかなって」
「………」
ああ、うらかが! うらかがすごい顔に!
無言で後ろ歩きに距離を取られるのショックなんだけど!
「あとさ、いい加減服着替えてくれない?」
俺はいまだ濡れた制服姿のままだった。
ちなみに生徒指導室でもこの格好のまま説教を受けていた。テーブルとかソファとか濡らしてしまって申し訳ない。掃除はキズナ先生にやらせた。
「うす」
ためらいなく服に手をかけたところで、うらかが怒鳴ってきた。
「いきなり脱ぐな!」
「いいかげん風邪引きそうなんだ」
「奇行のお次は露出趣味に目覚めたわけ?」
ギャーギャー騒ぎ続けるうらかだったが、俺が構わずシャツとズボンを脱ぎ捨てたところで慌てて両目を覆ってしゃがみこんでしまった。テレサみたいで可愛かった。
このとき、教室にはクラスメイトの女子が大勢いたが、ほとんどが俺の着替えなど意に介してなかった。
夏になるとパンツ一丁の男がそこらへんにいるような町だからね。見慣れている人がほとんどだよね。東京出身のうらかだけが逆に耐性ないの……なんかイイっすね。
「もういい?」
「まーだだよ!」
「かくれんぼじゃないんだけど!」
うらかの隣をすり抜けて、ロッカーを開ける。中に異常がないことを確認してから体操着を手に取る。こちらも大丈夫そうだ。素早く着替えを済ませる。
「もういいーよ」
「ふう。やっと終わ……って!?」
なにやら驚いた様子のうらかを振り返る。
制服を干している最中なので静かにしてもらいたい。
「なんでそんなところに干してるのよ! 日当たり最悪なんだけど!」
「夏の直射日光を受けたいの? むしろ配慮だよ。ハイリョ」
軽口で受け流しつつ、俺は自分の机に触れる。しまっていた教科書も無事だ。
わかっていたことだけど、ウチのクラスメイトは関係なさそうだ。
◇
内心の落ち着かなさを抱えながら土曜授業が終わった。
親友たちとの挨拶もそこそこに教室を飛び出す。うらかに呼ばれた気がするけど無視した。
今日もララコと待ち合わせてバイトに向かう約束だ。駐輪場で落ち合うために靴を履き替えようとして、俺は下駄箱前で固まることになった。
「うわーっ、古典的な手を……」
靴の中に大量の画鋲が入っていた。
ひょっとして今朝の出来事は白昼夢かなと思い込もうとしてたのに、一気に現実味が返ってきた。明確に俺を攻撃する存在が確定してしまった。
靴を逆さにして画鋲を取り出し、おそるおそる履き替える。そのままシューズボックスに内履きをしまおうとして、手が止まった。少し考えてから下駄箱の上に置き直す。手を伸ばさないと届かない高さだから誰の目にもとまらないはずだ。
人目を気にしながら駐輪場に出て、今度はさすがに冷静ではいられなかった。
「ライン越えでしょコレ!?」
ひどい有様だった。どこから持ってきたのか……いや多分ゴミ捨て場だろう、生ゴミが容赦なく俺の自転車に覆い被さっていた。たえがたい悪臭に鼻をつまむ。
えーっ、ええ?? ここまでする? 俺そんな恨み買ったかねー?
頭がグルグルする。つられて無意味に自転車のまわりでグルグルした。そうしていれば自転車が綺麗になるわけでも、時間が巻き戻るわけでもないのに。
とりあえずララコに電話した。
『あっ、パイセンっすか! お疲れっす!』
なんでかわからんけどララコの声をきいた瞬間、沈んでいた気持ちが少し上を向いた。底抜けな明るさがそうさせたのか。
俺は用意していたセリフを口にする。
「今日は電車使って行こう」
『ええーっ! また2人乗りしましょうよ〜』
「危ないし重いし疲れるから俺は嫌なんだよ」
『でもお金もったいないっす』
「俺がララコの分も払うって。ところで今どこ? もうすぐ来れそう?」
この惨状をララコには見せられない。集合場所を変えなくては。
だが、ララコから予想外の言葉が飛び出した。
『アタシまだ授業あるっすけど』
「え? 土曜は午前授業だけでしょ」
『それ、パイセンたちだけっすよ。今年から1年生は5限授業っす』
「そうだったのか……」
なんだろう、時間に猶予ができたのは嬉しいんだけど……俺たちって本当に学校での扱いが違うな。ごめんな、年上のくせに楽ばっかりしてて。
『パイセン先に行っててもいいっすよ?』
「いやあ、まあ。だったら待ってるよ。1時間くらいすぐでしょ」
『ほほう。さてはパイセン、アタシのこと好きっすね?』
「はいはい。そうですよ。んじゃ、5限終わったらな」
『りょっす』
通話を切り、ふうーっと息を吐き出した。
改めて自転車に向き直る。1時間もあれば色々できるな。こいつを一旦持ち帰ってから手入れをして、それからララコと落ち合うことにしよう。うん、そうしよう。
行動の指針を決めて、なにげなく正門前に振り返った瞬間。
「ねえ。これなに」
うらかの顔が目の前にあった。
「うおおっとい!?」
近すぎてびびった。そのまま尻餅をつきそうになって、パシッとうらかに片腕で掴まれた。
「あ、ありがとう」
「ねえ。これ、なに」
間髪入れずに同じことを聞いてくる。うらかの視線は、当然ながら汚物まみれの俺の自転車に注がれていた。
「え、えっと。これはだな」
「うん」
「自転車を買い直すって話、昨日したじゃん?」
「うん」
「だからもう、この自転車いらないかなって。それでゴミに出したんだけど、あれだ。自転車って勝手にそのへんに捨てちゃいけないんだよな。だからちょっときたないけど、今回収したところで」
「透真くん」
うらかが有無を言わせず告げてきた。
「殴るよ?」
「殴るよ!?」
本当に拳を高く掲げてきたので、俺は即座に降参の姿勢をとった。具体的には土下座だった。このためらいのなさ、自分でも情けなくなってくる。
「すみません、どうか、どうか顔だけは……」
「じゃあ股間潰すね」
「もっとやめて!!」
必死に股間を隠す俺。端から見たらだいぶ面白い絵面だろうけど、残念なことに目撃者などいない。いや、残念か? 誰もうらかの暴挙を止められないってことだぞ。
うらかに胸ぐらを掴まれ、強制的に立たされる。目をぎゅっとつむり、衝撃に備える。が、やってきたのはペシペシと頬を叩く軽い感触だった。
「う、うらか?」
「透真くんってさ、本当に、全然、何も言わないんだね。そういうとこマジで嫌い」
嫌い、というワードにすごく傷ついた自分がいた。
「ご、ごめんなさい」
「何があったか正直に話して」
そう言われて、抵抗したい気持ちがわいてくる。知られたくないという感情がどうしても抑えられない。
でも俺を口を閉ざそうとした途端、うらかが再び俺の頬に触れた。
そして、ここまでとは一転して、優しい声音で言葉を紡ぐ。
「お願い。キミのことを守りたいから」
ず、ずるい。
こう言われてオチないやつ存在しなくね?




