ララコお姉ちゃん
普段と違うことするとリズムが崩れる。
横綱食堂以外での初めてのバイトで、予想より疲れていたみたいだ。
朝になり、薄目を開けたらすぐ傍らにマッマが立っていた。いつもより起床の遅い俺を心配してくれたらしい。
でもさ、マッマ。起こすなら起こすで揺すってくれていいんだよ。
棒立ち+無表情で見下ろされたら心臓止まるわ。
少しだけ慌ただしく着替えて、自転車に飛び乗った。
あくびが止まらないってほどではないが、頭がぼんやりとする。
家に帰りつくのが遅かったのも原因のひとつだ。
昨日、ララコを連れ立って結衣山まで戻ってきたまでは良かったが、そこで問題発生。なんとお互いの家が逆方向だというではないですか。
「だいじょーぶっすよ! ここまでで! パイセンも気を付けて!」
なんて後輩は言う。言うのだが……。
基準よりやや短いスカートと無駄にでかい胸元を見ていると、悪い想像が止まらなかった。なんだろう。この子の狙われやすそう感。ここで一人にしてはいけない気がした。
「俺もそっちだよ」
「……っす? え、あれ?」
無理やり家の近くまで送って、そこから引き返して自宅へ。
もろもろ済ませて寝床に入る頃にはとっくに日付が変わっていた。
今日は学校終わったら即帰って寝たい。……いや、だめだ、バイトだった。流されず断っておけばよかった。そもそも後輩のチャリを壊してなければ……。
遅刻しかけた昨日とほぼ同時刻に学校に到着。
ただ、今回は全力で走らなくても間に合いそうだ。
内履きに足を突っこみながら昇降口を抜ける。不安定な姿勢のまま、踵を整えようとしたそのとき、元気な声が俺の耳に届いた。
「どーん!」
「!?」
掛け声とともにタックル。バランスが悪かったのもあってまともな受け身を取れないで床に倒された。顔面をしたたかに打った。
「おはっす、パイセン!」
ララコだ。俺に覆いかぶさってきた後輩は、昔近所にいた大型犬を想起させる。今も元気にしているだろうか。
「いきなりなんだ。何か用?」
「いえ全然!」
「そうか。どけ」
「わひゃ」
うっかり触っちゃいけないところに手を出さないよう、肩を狙って押す。
さほど強い力ではなかったのに、あっさりと体勢が逆転する。大型犬ではなく、やっぱり普通の女子なんだと思わされる。
「いたいっすよ~」
「こっちのセリフだ。いや、こんなところで何をしてんだ。もうチャイム鳴るぞ」
「あ、ほんとっすね! んじゃパイセン! またバイトで!」
本当になんだったんだ。
あ、ちなみに今日もキズナ先生に遅刻扱いされた。2連続だ。スリーアウトは阻止したいところだ。
◇
相変わらずムラサキには微妙に避けられたまま迎えた放課後。
いそいそと俺は帰り支度を整えていた。いつもなら誰かしらと駄弁ってから帰るところだが、しばらくはそうはいかない。これからバイトにいかなきゃいけない。そんで、後輩のチャリを弁償しているなんて情けない話、親友たちはもとより知り合いにだって聞かれたくない。
誰の目にも捕まらないタイミングを見計らう。
チャンスはすぐに訪れた。隙を逃さない。足音を立てないようにして俺は席を立った。
「なにコソコソしてんだ、トウマ」
一瞬でムラサキにバレた。なんでだよ。
お前の視界に映っているはずないのに。イーグルアイかよ。
「え、あれ。透真くん?」
と、今度はうらかにまで声をかけられる。
一番捕まりたくなかった組み合わせだよ。
「さきな。どうしたの」
「なんかトウマが不審だったから」
「へえ。ふーん」
2人は何も言わないまま、にじり寄ってくる。
こっちから話しかけようとしたら逃げるくせに、放っておいてほしいときに限って近づいてくるんだな。
「別に。帰るだけだから」
「……? 一言もなく黙って? 透真くんって絶対そういうのしないじゃん」
「そう、だっけ。そんなこともないんじゃない」
「う~ん……?」
うらかがジト目になっていく。
まずい。このおバカちゃんすら誤魔化せていない。
喋るほどボロが出る。そう悟った俺は回れ右をした。
これが良くなかった。
2人の怪力に捕まる。チカラつよい。
「トウマ。何か隠してる」
「だね。白状してもらおうよ」
見ようによっては両手に花なんだけど、掴まれた俺の腕はミシミシと嫌な音を立てている。多分、人体から鳴っちゃいけない類いのものだ。あと、一応は女子2人の胸が当たっているはずなのに固い感触しか返ってこない。嗚呼、悲しき格差よ。
「おい。なんとか言えよ」
「この貧乳ども」
「は?」
◇
約10分後。
学校の駐輪場で、俺はララコと落ち合った。
「あーっ、もう! パイセン遅いっすよ。どれだけ待たせ……って、うお~っ!?」
後輩は俺を見るなり悲鳴を上げた。
「うるさいぞ後輩」
「いやすげーズタボロなんすけど!? どうしたんすか!?」
「別に。女子2人がかりでボコられただけ」
「パイセンよわっ!」
心外だ。あの脳筋転校生と猛獣系幼馴染のタッグに敵う人間なんざこの世にいねえよ。あんなのは人外のカテゴリだろ。
「しょうがないにゃあ。ほらほらパイセン、こっちおいで」
「なんだ」
自前の絆創膏でひっかき傷を隠していると、なにやら後輩が手招きしてきた。
近くの段差に無理やり座らされる。
「ありゃりゃ。せっかくの男前が台無しっすよ」
「やっぱり俺って男前なのか!」
「ごめん。普通かも」
「からかうな。遊ぶな」
「いひひひ」
後輩の手がのびてくる。腕力系女子3人目か!? と咄嗟に身構えそうになったが、狙いは俺の顔面じゃなく、頭だったらしい。
なんだなんだと思っていたら、その指先が俺の髪を梳いてきた。
たったそれだけの動作だった。たったそれだけなのに、俺の身体に駆け巡ったのは得も言われぬ心地よさだった。
「………」
「ふふっ。ぼさぼさっす」
丁寧で優しい手つきに抗えず、俺は幼子のようにじっとしてしまう。
こんな風に頭を撫でられるのは、それこそ子どもだったとき以来だ。お風呂上りに髪を拭いてくれた母を思い出す。あの手も優しくてあたたかった。
段々とまぶたが下りそうになったところで、不意にその指が離れた。
「あっ」
「んーっ?」
ララコは目を細めて微笑んでいる。
こちらの内心を見透かしているのかいないのか。たぶん、何も考えてはないんだろうけど。そんな目で見られるのは気恥ずかしい。
名残惜しさを感じるまもなく、ララコが俺のシャツを整え始めた。着崩れをテキパキと直して最後にはネクタイを結んでくれる。
「……上手いな」
息苦しくない、丁度いい力加減だ。
人の首にネクタイを巻くのなんて、俺には出来ない。ましてやララコは女子。そもそも慣れていないはずなのに。
「弟もお父ちゃんもヘタなんすよ~。だから覚えちゃったっす」
「しっかり者のお姉さんだな」
「なんせ5人兄弟姉妹の長女っすから」
「多いな」
その調子で少子高齢化社会に立ち向かってほしい。
「ありがとう。ララコお姉ちゃん」
「なんかその呼ばれ方キモいっすね。やめてくれます?」
「うっす」
「ところでパイセン」
「なんぞ」
「昨日の帰り道と逆方向から登校してきましたね。今日」
「………」
この後輩、やっぱりか。
朝に遭遇したのは偶然じゃないな。
「なんのことかね」
「あー、しらばっくれる!」
せっかく整えてもらったネクタイを引っ張られた。
「ララコちゃんにはお見通しっすよ」
「わかった。嘘を認めよう」
「急に素直っす」
「本当は可愛い後輩女子ともう少しいたかっただけだよ」
「………ぷっ。アハハハ!」
ララコが腹を抱えて吹き出す。
その笑い声は、夏の青空に遠く響き渡っていく。
「パイセンやさし~っす!」
「そろそろ行かないか」
この後輩は危険だ。
手玉に取られる。ペースが崩される。悔しい。
でも悪くないかもしれん……。




