洋食屋ほんわか
隣町の安芸葉までは1時間弱かかった。隣町とは??
ちなみに安芸葉の読み方はアキバだ。アキバと言っても東京にあるオタクの聖地とは全然違う。当然だけど。いつかそっちのアキバにも行ってみたい。ヨウキャを連れて。
「パイセンはアキバよくきます?」
「前にきたのは親友4号の合コンを邪魔してやったときかな」
「親友さん可哀想っすね」
後輩のバ先は駅からすぐの場所にあった。
なんなら、そこは俺の知っている店だった。
「へえ。マジでここ? 子どもの頃は何度か来てたよ」
洋食屋ほんわか。
ナポリタンが美味かったのを覚えている。幼い頃、両親に連れてきてもらったときはそればかり食べていた。
10年近い歳月のせいか、記憶にある姿よりくたびれた外観だが……。
今の今まで、この店の存在をすっかり忘れていた。
どうして来なくなったんだろう。その理由を思い出せない。
「時給1500円!? たっけ!」
「てんちょーが『時給が高けりゃバカみたいに人が集まるんだ!』って」
「そりゃそうだ」
「でも『ホントにバカばっかりだな!』ってぼやいてたっす」
「そりゃそうだ」
金額に釣られたおバカは多そうだ。
結衣山やその周辺の最低賃金なんてたかが知れてる。その中で1500円は破格の条件だった。内容がただの飲食店の給仕って意味でも。
「後輩も釣られたクチか」
「そっすね!」
「清々しいお返事。嫌いじゃない」
でもこれなら禊は早く終わりそうだ。単純計算で35時間働けば5万に届く。今日みたいな学校帰りは稼ぎづらいが、休日めいっぱいシフト入ればすぐだ。
「って、おい。入らないのか」
「裏口あるんでそっち使いましょ。『客と間違えたら面倒だろうが』って言われたんで」
「そうか」
俺は確信した。
その店長とやら、優しいってことは絶対にない。
どうしよう。カンジの悪い人だったら。逃げ出してしまうかもしれない。
裏口から店へ入る。
バックヤードというんだろうか。狭くてモノが多くて通りづらい。誰も整理整頓をする人間がいないのが一目でわかる。薄暗いので電気を点けようとしたら電球が割れていた。最悪だ。耐えがたい。
スパイ映画の要領でモノの隙間を縫って奥へ進む。
人が忙しなく動き回っている厨房に出た。が、そういえば先導していたはずの後輩がいない。振り返るとまだ入り口付近でモタモタしていた。
「あ~、ま、まってほしいっす」
何をチンタラしてんだと言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。
おっぱいが引っかかっていた。
「………」
狭い通路を強引に通るものだから、段ボールにぶつかって中身がひっくり返る。調理器具だった。で、散らばったそれらにつまずいて「ふにゃっ!」とコケていた。おもいっきり。なんか転校直後のうらかを思い出す。
「まったく」
ドジな後輩に手を差し出す。
「えへへ。すみませんっす」
「顔とか打ってない?」
「平気っす!」
確かに怪我はしてなさそう。
運がいい。俺はどうしても鼻血を垂らしたうらかを思い出してしまう。
「おっぱい大きいんで!」
「………は?」
「おっぱい大きいんで、クッション的な感じっす!」
「………」
「おっぱ————」
「3度も言わんでいい」
あんまり男子の前でおっぱい連呼しない方がいいと思う。
目の前の巨乳を絶対に見ちゃうのが男子高校生だから。
この後輩ガードがだいぶ緩いんだよなあ……。
「あ、てんちょー! おはーっす!!」
後輩がそう言ったとき、俺たちの前を横切ろうとしていたのはパンチパーマのおばちゃんだった。本当、どこにでもいそうな何の変哲もないTheパートさんって感じの。
「え?」
だから、その人が店長さんってことに驚いた。
「やっと来たかい小娘。3日もどこほっつき歩いてたんだい」
「てんちょーが新しいバイト欲しいって言ってたんで、確保してきたっす!」
「え?」
あれ。俺は自転車を弁償するために来たんだけど。
5万稼いだらトンズラこくつもりだったんだけど。
なんか固定で働く人員としてカウントされてない?
すぐに訂正しようとしたが、その前に店長がすごい眼光で睨んでくるものだから思わず黙っちまった。頭の先から足の先まで値踏みされている。
「あんた。バイト経験は」
「え。ええっと」
オヤカタの仕事を手伝った経験ならある。ここと同じ飲食だから勝手が違い過ぎるということはないはずだ。でも身内の話だからな……オヤカタの親御さん、昔からの付き合いだから俺に甘い部分もあるだろうし。
「ないです」
「はあーっ!? ララコ! あたし使えるやつ連れてこいって言ったよなあ!?」
「だいじょうぶっすよ、てんちょ。この看板娘、ララコちゃんが教えるんで。一夜で立派なバイト戦士っすよ」
いや、いい。いいです、バイト戦士とか。
そんな命懸けなモチベーションで来てないので。
「ふん。まあなんだっていいワ。あんた。若いんだから馬車馬の如く働くんだよ」
ほらな。俺の予想通り。
やべーところに捕まっちまったみたいだ。
「やっぱり働きたくないでござる」
「今更逃げようとすんじゃないよぉ!!!」
バァン! と床のタイルがはじけた。
「男ならつまらないことで一々逃げようとするんじゃなぁい!!」
「淡水魚が海で生きられないのと同じで、俺もこんなパワハラブラック臭い職場で生きられなくてもいいと思ってるんすよね」
「そんなんじゃこれから先やっていけないよぉ!」
「俺は令和の時代を生きてるんで。店長さんみたいな昭和生まれと違って」
「あたしゃ平成生まれだよ!」
意外と若いな。30ちょい過ぎってこと?
失礼ながら全然そうは見えないな。
「でも————」
「つべこべ言うんじゃないよおおぉぉおお!!!」
鼓膜が破れるかと思った。
「やるんだよ新入りぃぃいいいいいい!!」
問答無用。容赦ない腹パンが炸裂。
誤解のないようにもう一度言っておくな?
店長さんの、容赦ない腹パンが俺に炸裂した。
「おらぁ、おらぁ、オラァ!」
「ぐふっ、ごほっ、かはっ……!」
息ができなくなってうずくまる。
パワハラどころかシンプルに暴力なのやめろ。
店長さんは俺に一瞥もくれず仕事に戻っていった。
心配そうな後輩の声が降ってくる。
「パイセン大丈夫っすか」
「なんだったんだ今のは」
「てんちょー怒ると怖いから気を付けた方がいいっすよ」
「そういう話かこれは」
まだ腹がズキズキと痛む。いいパンチだった。
「吐く? 吐くっすか?」
「いいや。吐かない。この程度で」
「パイセンって意外とタフなんすね。前にてんちょーの腹パン喰らった人は2秒で吐いてたっす」
「可哀想に」
過去の被害者に同情する。
だが俺はこの程度では折れない。これならクズからの嫌がらせの方がよっぽど理不尽で堪えた。
身体的ダメージについても、ムラサキの方がよっぽど強烈だ。あいつからまともに喰らったら多分吐くどころか死んでる。
「………」
全然嬉しくないが、俺は頑丈なカラダになってしまったのか。
「え。こわ。なんで笑ってるんすか」
「いろいろ思い出してな」
ふつふつと湧き上がる怒りのパワーと一緒に。
このまま、おめおめと帰ってはならないと感情が叫んでいる。
「なんかパイセンって変わってますね」
「後輩や店長さんには負けるよ」
「えー、そっすかあ。えへ、えへへ」
上機嫌になってる。俺の皮肉が通じてない。雰囲気で会話してる。
「というか後輩」
「はいっす」
「名前、ララコっていうのか」
「はいっす」
「可愛い名前だな」
「もう~! さっきから褒めすぎっすよ!」
バンバンと肩を叩いてくる後輩。あらためララコ。
でもなんだか物足りなさを感じる。うらかやムラサキはもっと強い力で叩いてくるんだ。こんなときなのに急に寂しくなってしまった。ムラサキ、今なにしてるかな。ごはんちゃんと食べてるかな。
「さ、さ! 早速オシゴトに取り掛かるっすよ。困ったことがあったら何でもきいてほしいっす。このベテランのララコちゃんにお任せ!」
「わー、頼りになるな~」
「まずは着替えないとっすね。あ、覗いちゃダメっすよ」
「覗くもなにも更衣室は別でしょうが」
「ん? 更衣室とかないっすよ。みんな事務所で着替えるんで。うっかり見ちゃっても不可抗力ってルールっす」
「オケ。俺は部屋の外で着替えるわ」
数分後。
あとから来たお姉さんバイトに着替えを見られた。
変質者扱いされた。




