下野うらかは絶賛暴走中
放課後、なぜか俺は担任に呼び出されていた。
しかも生徒指導室に。ここに来るのは2回目だ。
「キズナ先生。俺、またなんかやっちゃいました?」
「なんだ、そのおちょくった顔は」
「ヨウキャの好きな異世界漫画にあった」
「知らん」
まったくノリを合わせてこない。今日の先生は冷たい。
冷酷非道な指先がなにかのプリントをつまんでいる。
俺は反射的にのけぞった。
「その物騒なものをしまってもらおうか!」
「まだ見せてないんだが」
「どうせ入部届だろう!? でも忌々しいあのルールは撤廃されたはずだ! 俺は結衣山生を代表して断固として戦う!」
「盛り上がってるところ悪いが、よく見てくれ」
「なにぃ?」
あやしがりて、よりてみる。
「進路調査表だ」
「いいかげん出してもらおうか」
はて。
こんなもの渡されただろうか。
「誰かさんがサッカーに夢中になっていた頃に配ったぞ」
「ははーん。わかりましたよ、先生」
「なにがだ」
「机の奥でくしゃくしゃになってる」
「だろうな。だから新しいの用意した。書け」
ペンと一緒に渡される。
書けと申されましても……。
当方としてはすぐに結論を出しかねますが。
「先生。まだ将来とか決められないです。俺たち」
「俺たち」
「みんなで話し合ってから出そうと思います!」
新しい進路表をカバンに押し込む。一瞬でくしゃくしゃになった。
キズナ先生は嫌味な口調で言い放った。
「清浦だけだから。出してないの」
「へっ?」
「お前さんの愉快な仲間たちは全員出してる」
「えええええええええええええええええ!?」
今回は本気で驚いた。
「オヤカタとヨウキャが!?」
「うん」
「ムラサキもですか!?」
「うん。御杖村さんも」
「先生! 2人はともかくムラサキは絶対何も考えてないですよ! どうせ適当に書いたに決まってます! あいつがそんな真っ当な学生なわけない!」
「お前、本当に彼女の親友か?」
「おうよ!」
自信満々にキメてみた。
先生は鬱陶しそうに手で払ってくる。
「何度か面談してみたけど彼女は真剣だよ。一番、覚悟が据わってる」
「………」
「逆に。いっっっちばん、なんにも考えてなさそうなのが清浦だ」
「だって実際なにも考えてないですからね」
「どうなりたいか希望くらいあるだろう」
「普通の高校生がこの時期に将来なんて思い描いているはずないでしょ!」
「高校2年の夏だぞ」
「ハア、ハアッ……!!」
正論はやめてくれ。
具合悪くなってきた。過呼吸になりそうだ。
「進学か就職かくらいなら決められるんじゃないのか」
「いや。全然」
結衣山には大学も専門学校もない。
進学を希望することはすなわち、この土地から離れることを意味する。
生まれ育った故郷から出ていくイメージは、俺のなかに全然なかった。
じゃあ結衣山で職に就くかって、それはそれで難しい。
大卒と高卒じゃ生涯年収に差があると聞くし、まともなアルバイト経験すらない俺がいきなり就職を決断するのも覚悟がいる。
「……みんな、マジでどこに行く気なんですか」
「先生の口からは言えない」
「それもそうですよね~」
「直接聞いてみたらいい」
「………」
どうしてだろう。
俺はそれが怖かった。
「清浦はもっと色々と知見を増やした方がいい」
「進学しろってこと?」
キズナ先生は頷かなかった。
自分で言いながらも、きっとそうじゃないとわかっていた。
そんな単純な助言では、決してないんだ。
「自分の中で答えを出し過ぎている」
「そうかなあ」
「そのせいで下野さんが転校するなんて思い込みをしただろ」
「本当にお騒がせしました」
平謝りである。
「お前、落ち着いているように見えて全然そんなこともないな」
「ええ~、傷つく」
「夏休みにバイトでもしてみたらどうだ。人生観変わるぞ」
「うわっ、出た」
「なんだよ」
「人をこき使いたい大人の常套句」
「ぶっ飛ばすぞ」
「すんません」
◇
「進路。進路かあ」
真っ白な調査表を眺めながら昇降口へ向かう。
第一希望から第三希望まで、学校名や就職先を書く欄があるだけ。ただそれだけのシンプルな紙切れなのに忌々しくてしかたない。
別にこんなもの適当に埋めたっていい。
考え込んだって納得いく答えなんて捻りだせないから。
けどそうやってその場しのぎや先延ばしをしていると、後悔する予感があった。経験則とも言える。
というか。
俺は地味にショックだった。
オヤカタもヨウキャも、あのムラサキでさえ。
自分たちの進路をもう決めてるって? そんなの一言も言ってなかったくせに。いつ決めたんだよ。
「………。いや、最初からなのかもな」
思い返してみれば。
3人ともこういう風に生きたいっていう望みを昔から決めていた気がする。
不器用なくせに……だからこそ迷いがないのかもな。将来の姿が容易に想像できる。
「……あれ?」
昇降口に着いた俺はそこで立ち止まった。
3枚目の進路調査表がくしゃくしゃになる。
「………」
なんか不審者がいる。
そいつは俺の靴箱を覗き込んでは離れ、また覗き込んでを繰り返している。
少し苛立った様子で爪先を鳴らすその姿は————
「なにしてんの、うらか」
「わあっ!?」
長く艶やかな黒髪が広がる。顔に当たった。
下野うらかは恨めしそうに人差し指を突き付けてきた。
「おそい!」
「はあ」
「今までどこにいたのよ!」
なんだこいつ。彼女か?
「ずっと待ってたのに!」
やっぱり彼女かもしれない。
念願の初彼女だ。超嬉しい。
「そんなに俺に会いたかったのか。告白でもしてくれるの?」
「は??」
「で、なに」
プロレスに付き合わず用件をきく。
何気ないやり取りのつもりだった。
でも、うらかは何故かぐっと言葉を詰まらせた。
突きつけていたはずの指が引っ込んでしまう。
「うらか?」
口元を引き結んで顔を俯かせている。
え、なになに。どうした。急におとなしくなりやがって。なんか選択肢的なモノを間違えてしまったんだろうか。
「透真くんが冷たい……」
これまた意外なことを。
そんなことは全然ないけど。
「私がちょっと避けちゃったから?」
「おん?」
「で、でも、あれは透真くんが不注意だったっていうか。まあ、私もいきなり入ったのは悪かったけど……」
あ、例の一件の話か。
そういえばずっとギクシャクしてたままだった。
つい昼頃まで俺自身気にしてた話題だったくせに、新しい悩みのせいでどうでもよくなっていた。だいたい男の局部を目撃したくらいでいつまで引きずってんじゃねえよ。逆ならまだしも。うらかの裸みせろや(暴論)。
という言葉を飲み込んで。
「お目汚し申し訳ない」
「いえ。いえいえ。だから、あれよ。これでこの話はおしまい」
うらかが手を差し出してきた。
よくわからなかったが俺もそれに倣ってみる。うらかは両手で俺の右手を包み込むと、ぶんぶんと上下に勢いよく振った。痛い。もげる。
「よし!!」
憑き物が落ちたみたいなスッキリした顔だ。
勝手に離れて勝手に納得して忙しいやつだ。
「透真くん随分遅かったね。なにしてたの?」
「進路相談的なこと」
「あー、あれか。まだ出してなかったんだ」
うらかですら提出済みだったか。
あれ。そういえば、うらかの進路って……?
「うらかは、卒業したらどうする気」
「決まってるでしょ。東京の大学に進むわよ」
「だよな」
意外性なんて欠片もない。
住み慣れた東京に帰りたい。前々からずっと言っていることだ。
でも。こいつ……。
「へえ。ふーん?」
「なによ。ニヤニヤして気持ち悪い」
「そんなに東京に行きたいくせに、結衣山に残ってくれるんだよな」
「そ、それは……」
うらかは東京への転校が決まりかけていた。
東京へ戻る唯一のチャンスだったのに、それを棒に振ってまでここにいるのを選んでくれた。
「嬉しいなあ~」
頬の緩みがとまらない。
今更ながら、この結果が奇跡みたいに思えてきた。
ふいに、うらかが顔をあげた。
浮かべていたのは不敵な笑みだった。
「そうね。誰かさんが必死になって止めてきたみたいだから」
「………」
「雨のなか必死に自転車走らせて」
「………」
「そこまでされちゃあ、ねえ? 卒業までいてあげてもいいかなあって思わなくもないわけですよ。ハァ~~~~モテる女って罪ね」
「………」
「どう、嬉しい? 私がいてくれて嬉しい??」
うぜえ。
藪蛇だったわ。
「黙っちゃって可愛い。今日はこのくらいにしておいてあげるわ」
「決めた。二度とうらかの勉強みてやんない」
「なっ、それはライン越えよ」
「勉強って本来ひとりでやるものだし」
「む、無理よ。透真くんがいてくれないとダメなの」
どうやって大学受かるつもりなんだよ……。
呆れて踵を返したとき、俺は外から聞こえてくる雨音に気付いた。
「あっ」
ポツポツとまばらだった雨粒は、やがて叩きつけるような勢いになっていく。
「ええ、うっそー。傘なんて持ってきてないのに」
じとーっとした視線が刺さる。
「透真くんがいつまでも待たせるから」
勝手に待ったのはうらかなんだけどな。
しかし、そういうことなら。
「わかった。お詫びに相合傘をしていこう」
「やだ」
「言うと思った」
「だいたい傘なんて持ってないじゃない」
「ふふん。それはどうかな」
折りたたみ傘の一つや二つ、忍ばせておくのがデキる男ってもんよ。
鞄の奥底からブツを引っ張り出す。特に珍しいデザインでもない、無骨で黒いワンタッチ式のもの。
それを構えた瞬間のことだった。
「きゃあっ!?」
「!?」
突如、うらかが悲鳴をあげた。
怯えるような視線を向けている。
「え、なに。なに?」
「ち……」
「ち?」
「ちんちんかと思った」
ピシッと。
ガラスにヒビが入る音がきこえた。
「なんて???」
聞き間違いかな。
この子とんでもないこと言い出さなかった?
「だから、ち〇ちんかと」
「いや、聞こえなかったわけじゃねえから。伏字にしても手遅れ」
「こ、こんな人の多いところでナニを……ちんち〇なんて出してんのよ。は、はやくしまわないと見られてしまうわ」
「頼むから落ち着いて?? こんな往来で〇んちん連呼しないで??」
近くを通りがかった生徒がチラチラ見ている。
ひそひそと話しながら遠ざかっていく。
「あっ……!」
うらかの頬に赤みがさす。
やっと自分の暴走を自覚してくれたか。
キッと、何故か睨まれた。
「女の子にナニ言わせるのよ!」
「え!? 俺が悪いの!?」
「そんな下腹部で黒い棒状のものを構えるのが悪いわ!」
「言いがかりにもほどが……あっ」
手が滑ってボタンを押してしまう。
ボン、と傘が勢い開かれた。
「ひいいいいっ!?」
腰を抜かし、うらかは尻餅をついた。
「ひ、開いたっ!?」
「傘なんだから普通に開くだろ!」
「お、男の人のちんちんも、そんな風になるのかしら。く、孔雀の羽みたいに」
「そんな愉快な機能はねえよ!」
「で、でもこの前のは————」
ナニを思い出しているのか。
これ以上ないくらい真っ赤な顔でうらかは叫んだ。
「このヘンタイ!」
「どっちかっていうとお前だろ!」
捨て台詞を残してうらかは走り去っていった。
傘も差さずに消えていった友人に手を合わせる。
風邪を引きませんように。まあバカは風邪を引かないというし大丈夫だろう。
「俺も帰るか……」
「ちょーっと待ったっす!」
今度はなんだよ。
傘を構えたまま、俺は固まった。
「やっと見つけたっす!」
目の前に女の子がいた。まったく身に覚えがないやつだ。
真横をスルーしようとしたら、その女子は身体を大の字にして道を塞いできた。
「逃がさないっす!」
「………」
今日はホント、色々と絡まれるな。
退屈しない学校生活でなによりだよ。




