Hの施錠
「おいしいご飯が食べたい」
長らく新しいジュエルドに熱中してしまった。いつから部屋の外に出ていなかっただろう。食事や睡眠を疎かにしても平気な自作の魔法は大層便利だが、時間の概念を忘れてしまうのが難点だ。
「イース、いないの?」
味を忘れた舌が寂しい。おいしいご飯を求めて出向いた妹の部屋には誰もいなかった。いつもなら出かけるときは律儀に声をかけていくのに、珍しいこともあるものだ。
ふと、展開されたままのジオラマが目に入って部屋に踏み込む。中を覗いてみると、自分が放棄したときよりも格段に安定した世界ができていた。これはもう完成していると言っていいだろう。さすがは細やかな気配りができる妹だ。面白みはないが、実に快適そうな世界に仕上がっている。
試作ジュエルドは、現在手がけているジュエルドよりずっと調整が難しかったはずだ。何せハーガルが好き放題に弄り回して中途半端に壊れているし、何より管理者が曲者だ。下手に意思を持たせてしまったせいで、ハーガルの改造を受けつけなくなってしまった。本当は色々できるように創ったのに。
反省を生かし、新しいジュエルドの管理者には意思を持たせていない。ウィルドの外観は気に入っていたから、見た目だけそのまま流用した。
特に気に入っているのはあの薄紅色だ。ハーガルは水色の髪と目を持っているが、落ち着いた色が似合わないとよく言われており、髪や目の色が赤色ならよかったと思っていた。己の理想の薄い赤色に設定してから、しかしこの管理者は別にハーガルのように温度の高い性格ではないのだよなと思い直し、愛する妹、イースの黒を差した。
ハーガルの性根とやらかしのせいで性格はかなり捻じ曲がってしまっていたが、まあイースなら大丈夫だろう。真っ直ぐな子だからか、捻じ曲がった人間には好かれがちなのだ。
「おっと、いけない」
参考になるなと配分を探っていると、夢中になり過ぎたのか、ふわふわと漂う己の魔力が干渉しそうになっていた。うっかり壊してしまったら、きっと物凄く怒られる。ああ見えて、あの子は本気で怒ると怖いのだ。
慌ててジオラマを閉じて宝石の中に収納する。宝石の状態にしておけば、管理権限を得ているイース以外には誰もジュエルドを操作できない。管理権限を手放した、創造主であるハーガルですら。
ちなみに初めてのジュエルドということで張り切って、やり過ぎなほど丈夫に創ったので、現存するあらゆる魔法をぶつけても平気なくらいの耐久度がある。自由に中を弄り過ぎて半壊しかけたものの、今ではヒビも消えているし、恐らく制作時の耐久力を取り戻しているだろう。
しかし、妹がどこへ行ったのかはわからないが不用心なことをしたものだ。家の中には使い魔がいる。うっかりとジオラマに触れてしまうこともあるだろうに、世界を展開したまま離席するなど。
「……そういえば仕様とか取り扱いについて、聞かれたこと以外はあんまり教えてなかったっけ。一段落したらマニュアルでも作ろうかなあ」
何が必要だろうか。時間が異なることとか、小さな世界として確立しているから、内部の生命体に嘘を吐いてはいけないだとか……まあジュエルドを一から創れるような魔法使いなら、その辺りは書かずとも注意するはずだが。
書類仕事は苦手なので、イースが帰ってきたら相談してみよう。
これまたつけっ放しだった灯りを消した。暗い部屋で虹色に光る宝石は美しい。次のジュエルドはまた虹色の宝石で創ろうかな。
部屋を出て、ドアノブを握る。
小さな軋みを響かせて、扉はゆっくりと閉ざされた。
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