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Hi,close World  作者: 飛鳥
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5.世界の中のI

 そういう話をしてから、ウィルドが考えに耽る時間が増えた。


「ウィルド。ウィルド、次は何が必要?」

「……ああ、すみません。次は――」


 イースの作業は遅い。何度も同じことを繰り返せば効率は上がったが、それでも目に見えた速度で世界の修復が進むことはなかった。

 だが、よく見れば宝石のヒビは数を減らし、くすんだ面が輝きを増している。

 ウィルドが言うには、天変地異の数こそまだ多いものの、規模は小さくなったそうだ。地割れが起きずに揺れるだけなら安全な場所に避難ができる。水辺だけで洪水が起きるなら人の手で対策ができる。

 異常のたびに家が倒壊しなくなったから、街の建物は少しずつ大きくなっていった。安定は発展を助ける。文化レベルが上がって、食べ物に困る人が減った。新しいものが増えた。余裕から生まれるつまらない諍いはやや増えたように思うが、その分大きな激突は減り、つまらない諍いを止めるルールもできていった。


「皆は幸せに暮らしている?」

「ええ、私の女神。幸せですよ。あなたに見守られているから」


 肩にちょんと乗ったウィルドから甘い声が響く。

 彼から見て、イースは巨人だ。そこに男女という概念はないだろうし、イースを人間という目で見ているかさえ怪しいが、少なくともイースは人間だしウィルドを人間として見ているので、この至近距離は少々恥ずかしい。

 長い髪はジオラマを見下ろすのに邪魔になるから縛っているが、さすがにそこまで近いと絡みつくのではないだろうか。


「……ねえ、髪が邪魔じゃない?」

「いいえ。あなたの近くにいると実感できて、とてもいい場所ですよ」

「そう……」


 ウィルドは様々な能力を得た。イースが決めたものもあれば、魔力だけ預けて自由に決めて貰ったこともある。

 その内のひとつが、球体の結界をなくしてジュエルドの外に出る術である。本人はついでにサイズもどうにかしたかったようだが、魔力の不足でそこまでには至らなかった。

 申し訳ないとは思いつつ、イースは胸中で安堵した。ジュエルドの中の生命だからこそ禁忌に触れていないが、在りようがヒトに近づけば判定を覆すかもしれない。万が一ウィルドを消滅させろと命令が下ったら、ハーガルは容赦なく消すだろう。イースは姉に勝てない。例え命を引き換えにしようとも。


「そうだ、イース様。また新しい力を得たのです。実験につき合ってください」

「いいわよ。なあに?」


 この間は攻撃魔法の実験だった。人のいない場所でイースが結界を張って、ウィルドが様々な使い方を披露した。規模こそ違うもののイースより魔力の取り回しがうまくて、実はひっそりと落ち込んだ。その前は空を飛ぶ練習。その前は人の声をイースに繋ぐ実験。これは少し聞こえたものの、結局失敗したのだったか。

 彼の提案には慣れていたから、二つ返事で頷いた。精悍な顔を喜色に崩し、内緒話をするように身を寄せる。そっと首筋に添えられた小さな手がくすぐったくて、気恥ずかしい。


「イース様をジュエルドの中に、適切なサイズで顕現させる力です」


 これには声を上げて驚いた。低くとろけるような声もあり、思わず肩を跳ねさせてしまって、転がり落ちたウィルドを慌てて両手ですくう。

 体勢を崩したまま手のひらに乗った彼は、大変機嫌がよさそうに笑っていた。


「この前の実験で、あなたに人の声を届けられなかったでしょう。私は内外の中間に属する存在だからどちらの声も聞こえますが、あなたは外の方なので内の声は聞こえないのだと思うんです。だから、あなたが私と同じところに属すれば、彼らとおしゃべりができるのではないかと」

「それは、魅力的だけれど」


 いいのだろうか、とさすがに迷う。

 欲を言うなら喋ってみたい。ジュエルドの人々は皆イースに友好的だ。顔を出せば大きく手を振って挨拶をしてくれる。子供たちは跳ねながら何かを訴えていて、声が聞こえないことを残念に思っていた。だから確かにその実験では落胆を隠せなかった。


「存在の階層を変える、ということでしょう。大丈夫かしら」

「変えるのではなく、存在する階層を増やすのです」


 なるほど、階層を増やす。そう考えるとそこまで問題はないように思えた。自分が手塩にかけたジュエルドの世界に入るという大きな誘惑には勝てず、イースはぎこちなく了承する。

 何よりすでに実験につき合うことに頷いているのだ。今更嫌だというのは嘘になる。ウィルドはイースに誠実だと言うけれど、返事をした時点で力を行使せずにこうして説明をしてくれるのだから、彼の方こそ誠実だ。


「今からよろしいですか?」

「ええ、いいわ」

「では、こう唱えてください。私はジュエルドの中に行きたい」

「私はジュエルドの中に行きたい」


 魔法はまず自分が何をしたいかを明確にするところから始まる。

 ウィルドの力の行使を助けるように、イースは彼の力に願いを添わせた。世界の境界を曖昧にするため目を閉じる。

 全身を包み込む魔力。これはイースがウィルドに譲渡したもので、体を巡る魔力と同じもののはずなのに、なんだか随分と色が違う。ウィルドの意志に染まったのかと思ったが、探ってみると、どうやら姉の魔力が混ざっているようだった。

 勝手なことに、僅かながらムッとした。ウィルドはイースの神官なのに、根幹はまだ姉が形成しているのかと。

 いらぬ独占欲を抱いているなと反省しながら、魔力の中を揺蕩った。


「いいですよ、目を開けて」


 気づけば体を物理的に包まれて、背を硬いもので支えられていた。

 目を開けた瞬間はわからなかった。視線を上げて仰天する。

 見慣れた精悍な顔が、適切なサイズになってこちらを見下ろしていた。いつもは小さくてわかりにくい表情がよく見える。柔らかく下がる目尻が赤く染まり、くすんだ薄紅の目はまるで愛しいものを見るようにうっとりと輝いていた。

 小さな小さな手だったものが、しっかりと背を支えている。人差し指ほどだった身が、イースの体を抱き締めている。


「せ、せ、成功したのね、ありがとう!」

「ありがとう、ですか。おめでとうではなく」

「ありがとうでいいでしょう。私が来たかったんだもの、嬉しいわ」


 等身大のウィルドを認識した瞬間、鼓動が慌ただしくテンポを上げた。反射的に突っ張った腕は力強い手を振り切れず、嫌がる猫のような姿を晒しただけに終わる。

 熱い顔を伏せ、早口に謝辞を述べるイースを不審に思ったのだろう。ウィルドはしばらくイースを抱えたままでこちらをうかがいつつ沈黙していたが、さしたる異常はないと判断したようだ。するりと背を撫でて腕の檻から解放してくれた。

 イースはあまり他人と接しないので、異性への耐性がない。高鳴る心臓を落ち着けるにはウィルドに視線を置くわけにはいかなくて、誤魔化すように目をさまよわせた。

 そうして気づく。そこは数多の魔法陣に囲まれた部屋だった。


「これは……姉の魔法?」

「そうです。ここは交神の間。あちらとこちらの繋ぎ口ですね」


 落ちこぼれとて魔法使いであるから、見たことのない魔法陣には好奇心を刺激された。

 魔法陣は古来、陣の外を守るための結界であったが、今となっては用途は多岐に渡る。召喚、魔力の備蓄、魔法の持続的な行使辺りが一般的だろうか。


「さあ、外へ行きましょう」

「え、ま、待って、ちょっとだけ」


 宙に浮かぶ魔法陣へと身を乗り出したイースを、ウィルドは早々に外へと運び出した。


「一回切りの魔法ではないのですから、また来ればよろしい」

「また来れるなら、今見せてくれたって」

「では、皆に会うのを後回しに?」


 口を閉ざして大人しく従う。物言わぬ魔法陣と慕ってくれる人々なら、当然人を優先すべきだ。魔法使いは目先の欲に弱いので、少しくらいの目移りは許して欲しい。

 よく言えばすっきりとした、悪く言えば飾り気のない神殿を出ると、清涼な空気が鼻を擽った。


 何度も空から見下ろした小さな街は、こうして己の足で立つと随分と大きく見える。広い通りに、並ぶ家。同じ建物にいくつもの家族が住めるようになっていて、開いた窓のそこかしこから人が暮らす音が聞こえてくる。

 新鮮な景色に頬が紅潮した。魔法使いの暮らす場所は、ひとつひとつの建物が堅牢で、家族ごとに隔絶されている。異なる魔力が狭い空間で混ざると、何が起きるかわからないからだ。

 家族であっても魔力相性が悪ければ別居は当然。魔力が混ざるのは基本的に不愉快に感じがちだから、相性如何に関わらず一人でいることを好む者が多い。人同士の関りが極端に薄いのが魔法使いである。

 しかし、今目に映る景色は違う。駆けて行く子供の元気な姿。道で物を売る人々の活気。物語の世界のような熱気に、イースは見る間に夢中になって目を輝かせた。

 ふと、頭上で吐息を漏らす音がした。ウィルドの微笑ましそうな顔に迎えられて、今にも近場の店に突撃しそうだった己を自覚する。

 目を閉じて深呼吸。満たされた肺の空気を絞り出して止め、ゆっくりと息を吸う。およそ平静を取り戻したところでそっと目を開き――いつの間にか下から覗き込んでいた子供たちと目が合った。


「女神様だ!」


 ワッと湧いたその瞬間から、街はお祭り騒ぎに包まれた。

 あっという間に囲まれて、女神様女神様と声が飛ぶ。皆興奮し切っていて洗濯物のように揉みくちゃにされたものの、幸い怪我人は出なかった。それはイースを再び腕に囲ったウィルドが注意を飛ばしたおかげでもあるが、何より輪から追い出された子供たちが結託して泣き喚いたおかげである。

 女神様と遊びたいと、地面を転げ回って盛大に駄々をこねる姿はこの上なく愛らしかった。同じ駄々でも姉とは大違いだ。


「またね!」

「ええ、また」


 楽しい時間は瞬く間に過ぎる。ウィルドに促され、別れを惜しむ子供たちと、また来訪する約束をした。絶対だよと手を伸ばすから、小さな小指に指を絡ませる。

 魔法使いの儀式がこんなところで飛び出すのは、この世界を創ったのが姉だからだろう。口約束が淡い契約となるのを感知する。ときに命すらかけられるのに、可愛い契約があったものだと笑みが込み上げた。


「あなたの世界はいかがでしたか、私の女神」

「楽しかったわ。とっても!」


 次の機会が楽しみだった。ジュエルドを閉じてベッドに入っても、今日という日を何度も何度も回想するほどに。

 興奮が冷めずにゴソゴソと起き出して、机の上に置いた宝石を手に握る。少々後ろめたい思いを抱きながら再びベッドに潜り込んだ。この外殻は大層硬いので、一緒に寝たって平気なのだ。

 子供の頃、初めて貰った魔法の本を抱いて寝たことがある。あのときと同じような心地だった。その本を開いて魔法を使う日が楽しみで楽しみで、けれど音が図太いイースは眠れないということはなく、ぐっすりと眠ったのだっけ。


「私の世界、だって」


 あなたの世界とウィルドは言った。

 あんなに楽しくて美しいものがイースの世界なのだ。管理者である彼が言うのだから、間違いなくイースの世界なのだ。嬉しくて堪らない。あの愛しい者たちを、イースはどうしても幸せにしたいと思う。

 境界を跨ぐのはやや怖かったけれど、こんなに楽しいのなら越えてみてよかった。

 それから続けて思い出す。私の女神と彼は言った。改めて反芻してしまったその響きが甘くて、擽ったくて、誰もいない部屋の中、緩んだ隠すようにイースは掛布を頭までかぶった。

 いやいや、何を照れているのだ。まるで異性として意識しているようだが、彼はあくまで創造生物。あの箱庭の者なのだから、そんな目で見てはおかしいだろう。

 おかしいのだと言い聞かせる。文字通り生きる世界が違うのだ。私たちとは違うからさ、という姉の言葉が耳の奥に響いた。

 善かれ悪かれ落ち着いた。もう寝よう。明日も頑張って、あの世界をもっとよくしよう。

 両手で握りしめた宝石を額に寄せて目を閉じる。

 今日は閉じた世界の夢を見たい。

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