4.Iの決意
「そんなに手をかけなくてもさ、もっとパーッとやればよくない?」
「よくない。姉さんは絶対に手を出さないでね」
「ええー、まどろっこしいなあ」
「いいからあっちへ行ってて」
ジオラマを覗き込む姉の顔を押しやる。可哀相に、街の中を映しているのに誰の姿も見当たらない。ウィルドから聞いていたように、姉がトラウマになっているのだろう。
ジュエルドの構造を教わりに姉の部屋に出向いたら、捨てた世界がどうなったのか興味を引いてしまったらしい。イースがジオラマを展開したところで部屋に飛び込んで、止める間もなく顔を出した。久しぶりに見た空色の神の姿に、蜘蛛の子を散らすように皆が逃げ出し、ジオラマは閑散とした寂しい景色を見せている。
イースの隣に浮かぶウィルドは、一度も見たことのない苦々しい顔をしていた。くすんだ赤色の目には殺意すら宿っているように見える。
「やあウィルド、久しぶり」
「……お久しぶりです、創造主」
「今ジュエルドどんな感じ?」
「管理権限はイース様に渡っているので、お答えしかねます」
出会ったときのような硬い笑顔を貼りつけて、感情を見せない声でウィルドは答えた。いつもの彼とは大違いだ。
つれない返事には特に思うところはなかったようだが、ハーガルは違うところに反応して眉を寄せた。
「ええ、イースってば名前呼ばせてるの」
何か問題があるのだろうか。疑問を視線に乗せて促すと、姉は腕を組んで鼻に皺を寄せる。
「いや、普通なら問題はないんだけど……あんまり深入りしない方がいいよ。余計な権限渡したりとかも」
「どうして?」
「私たちとは違うからさ。法則とか、常識とか」
「姉さんに常識を説かれたくないわ。もう、ほら、魔力が干渉しそうだから部屋から出て!」
ぐいぐいと背を押して扉から放り出す。魔法一辺倒の姉より、魔法が達者ではないため腕力に頼りがちなイースの方が力が強い。
閉めた扉の向こうで駄々をこねる声がする。気にせず施錠をして、部屋を舞う濃厚な魔力を散らした。
元々姉が作った魔法具だから魔力相性がいいのだろう、展開した無防備なジオラマにも魔力が纏わりついていて慌てて払いのける。……少し吸っただろうか。効果を指定しない魔力が変な作用をしないといいのだが。
「創造主は相変わらずのようで」
「ええ……色々、迷惑をかけたのでしょうね」
「ひとつだけ感謝をしています。私を創ってくださった」
こちらを見上げてにこりと笑う。その顔はもういつもの優しいウィルドのままで、胸がほっこりと温められた。
「それはそうだわ。私も感謝してる」
「とはいえ、感謝をしたのは最近のことですが」
「そうなの?」
散々割りを食っているし、ジュエルドの扱いに色々と思うことはあるが、イースは結果的に姉に感謝している。
この世界は落ちこぼれのイースを歓迎してくれた。イースを必要としてくれた。性格の悪さを露呈するようだが、姉よりイースを選んでくれたことも嬉しかった。姉ばかりが賞賛される魔法使いの世で、イースを選んでくれる人など誰もいなかったから。
イースは幸せだった。けれど。
「以前は、なぜ自分は生まれてきたのだろうとばかり考えていました。世界の管理者として創られながらも役目をまっとうできずにいて、創造主が世界に手を出すたび、つらくて」
「そうなの……」
ウィルドの言葉に胸を痛めた。
彼はイースが世界に調整を施すたび、瞬きを忘れたようにその姿をじっと見ていた。それは昔のトラウマで、いつイースが世界を脅かすかと警戒していたのだろう。
ジュエルドに貢献できていると喜んでいた自分が恥ずかしかった。ウィルドだけじゃない。ジュエルドの住人たち皆が怯えていた可能性もあるのだ。
「安心してね、ウィルド。時間はかかるけど、私はジュエルドを修復して、安定させてみせるわ。きっとあなたたちを幸せにする」
浮かぶ球体を指先で撫でた。つるりと冷たい殻は、今はほとんどイースの魔力で構成されている。
ジュエルドの四分の一ほどがイースの魔力に染まった。半分も染まれば、もう少し手をかけられるはずだ。
そうしたら、彼に色々な権限を渡そう。イースの魔力を渡して、力を足そう。イースがいなくても少しのアンバランスから立て直せるように。
じっとイースを見上げるウィルドの目には親愛が見える。その親愛を裏切らないよう力を尽くしたい。
「全部終わったら、私はジュエルドから手を引くわ。そうしたらこの世界は外部の干渉を受けることなく完結できる。もう神の気まぐれに脅かされることなく生きられるのよ」
信じられないことを聞いたというように目が見開かれた。ぽかりと開いた口が、声を出せずに閉じて、開いて。
「イース様」
震える声と揺らぐ目。それが単純な歓喜を表さないことに、イースはあさましくも喜んだ。
「あなたは私を、捨てるのですか」
「違うわ。あなたたちが、私たちを捨てる権利を得るの」
お別れするのは寂しいけれど、それが神という名の創造主に翻弄された人たちにとっての幸せだろう。