3.Wの幸福
ウィルドは女神の姿を待ち望んで空を見上げた。
外の世界とジュエルドの中は時間の進み方が違う。ジオラマとして展開されている間は時を同じくするものの、宝石として閉じられている間、この世界は時間の進みが早くなる。イースにとっては明日でも、ウィルドたちにとっては不定期の「いつか」となるのだ。
明日は会えるだろうか。次の日は。その次は。待ち遠しくて、毎日のように焦がれている。
新しい神が顔を覗かせたとき、ウィルドはこう思った。ただでさえこちらを沈鬱にさせる巨人が色まで沈鬱になったな、と。嫌われたくはないので一生自白する気はないが、そう考えてしまったことを、恐らく生まれてこの方一番後悔している。
イースは誠実だった。精一杯頑張るという言葉の通り、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返しながら、世界の歪みと戦っている。
まずはどうしたらいいかと尋ねる女神に、ウィルドは火の要素が強過ぎるから押さえて欲しいと伝えた。
先代であれば、要望を伝えた次の瞬間には火山を水浸しにしただろう。恐ろしく大雑把で、そうするだけの力があった。そうしてウィルドは次に言うのだ。水の力が強過ぎる。火の力が弱過ぎると。洪水に苦しむ民の姿を見ながら。
イースはまず思考に耽った。次に特に火の強い地域をジオラマに映し、指先を大地につけて丹念に探った。そうして言うのだ。時間がかかって申し訳ない。長く不便をかけてしまうけれど、自分にはすぐに解決できるだけの力がないと。
とんでもないことだった。慎重に原因を追究し、解決方法を探す彼女は、応急処置として人々が過剰な火の気に苦しまないよう魔力で保護をしてくれた。眉を下げ、ウィルドの口を通して人々に謝罪をくれた。
長い時間をかけて少しずつ火の力を抑えた。指先から放たれる氷の魔法が、荒ぶる大地を鎮めていく。
『私がもっと凄い魔法使いなら、状態を探りながら手を出せるから、出力を上げられるのだけど』
出力を絞りに絞って魔法を行使し続ける。魔法による変化をウィルドは読み取り、まだ足りないようだと首を振る。
氷の魔法はイースが最も得意とするものらしいが、長時間の魔法の維持は彼女の額に汗の玉を浮き上がらせた。僅かな力で長時間。先代が何より苦手としていたことであるから、恐らく制御の難しいことなのだろう。
『魔力を入れすぎると、ジュエルドの器に負担がかかると思うの。火を鎮め過ぎたからと、他の属性を余分に追加するのは避けたいわ』
四苦八苦する彼女を見て、初めてウィルドは己の無能を知った。
ウィルドは世界のバランスを知ることができる。足りない要素、過ぎた要素を把握して神に伝えるために生まれてきた。けれど、その程度を知ることはできない。ウィルドがわかるのは「不足」か「丁度いい」か「過剰」であるかだけ。あと少しなのか、まだまだ足りていないのかを伝えることはできないのだ。
ウィルドがもっと有能であれば、イースに余計な負担を与えなかっただろう。そういうふうに創られたからできないのかもしれないが、そうなろうと努力したことがないのもまた事実。
落ち込むウィルドに、イースは笑いかけた。
『姉を相手にするなら、そんなことができたって意味がないもの。そんなに気にしてくれるなら、これから一緒に成長しましょう。うーん……私の魔法でもあなたの能力を足したりできるかしら。ちょっと考えてみるわね』
「あなたの負担になるのでは」
『色々やりながら、同時進行で考えてみるだけよ。ただ、できるかどうかはわからないから、あまり期待はしないでちょうだい』
彼女はできないことをできるとは決して言わない。
世界の修復に関しても、難しいことは難しいと素直に告げ、別の方法を考える。
『嘘は吐けないの。私は落ちこぼれだけど、魔法使いだから』
神を名乗る存在が魔法使いだということは知っていた。創造主がウィルドを創った際、この世界は新たな魔法の実験体だと伝えたから。
魔法とは何か。世界を創りながら、創造主は己の考える魔法についてをウィルドに語った。語ったというか、あれは多分大きな独り言だったのだと思う。うまくいかない世界の構築に対し、己の魔法の性質を再度確認しているかのようだった。
魔法使いは嘘を吐けない。それは、魔法というものが「嘘」であるからだ。
魔法使いは魔力を用いて嘘を吐く。世界に嘘を真実と誤認させる。自分の手の中に炎があると嘘を吐き、世界を騙すことでそれが真実となる。魔力を用いないで嘘を吐けば、世界から嘘吐きのレッテルを張られることになる。二度と魔法が成立しなくなったり、下手をすればしっぺ返しを食らうこともあるらしい。自覚をしていない嘘であれば、力を削られるだけで済むとか、程度はいまいち明確ではないようだが。
人にあまり大きな嘘が通用しないように、常識外れの嘘は世界を騙せない。新しい魔法を生み出すとは、つまり新しく世界を騙す手法を生み出すということだ。
それで言えば創造主は稀代の詐欺師。とんでもない大噓吐きなのである。落ちこぼれの魔法使いとイースは自嘲するが、つまりは人を騙す才能がないということだから、悪いことでもないように思う。
何度も何度も顔を出し、ゆっくりと世界の修復が進んでいく。人のいる場所を優先して安定化させてくれたので、空一面を覆う巨大な黒い女神の姿に、人々はすぐに慣れたようだった。
「女神様、今日もありがとうー!」
「遊んで、遊んで!」
人の手ではどうしようもない魔物を処理した女神が伸ばした指に、子供たちは無邪気に纏わりつく。
地面につけた指先をどうしていいかわからず困惑する顔が可愛らしい。動かしたら怪我をしてしまう。大きな体で子犬のような顔をしてウィルドに助けを求めるから、彼らの気を逸らす魔法でも披露してはと助言をした。
『嬉しいけど、危ないから離れてね』
地面が緩やかに凍っていく。この世界は基本的にアンバランスだから、穏やかな環境で凍っている地面など誰も見たことがない。
女神の指にしがみついたままツルツルと滑った子供たちが、楽しさを見出したのか指から離れて氷を楽しみだした。大人たちも踏み出して、滑る地面に楽しそうな悲鳴を上げる。
その隙にイースは魔物にやられた街を修復した。
『よかった。楽しそう』
馴染んだものだ。あんなに神を嫌っていた人々にこんなに懐かれるなんて、ウィルドの女神は人格者である。
創造主が彼らに何をしたかを思い出す。基本的に創造主は、ウィルドを含め、ジュエルドの住人を人間とは見做していない。人間と呼称こそするものの、その後にはいつも「もどき」の単語が隠れていた。
そんな創造主が気まぐれを起こし、魔法を見せてやろうとサービス精神を発揮した。最も得意な魔法は性格に似合わず、イースと同じく氷である。しかしあの神は手加減という言葉を知らない。いや、手加減は知っているかもしれないが、その手加減では全く足りなかったのだ。
空から拳大の雹が降り注ぎ、阿鼻叫喚の事態となった。家は潰れ、人もまた。怪我では済まない者もいた。
創造主は凄いだろうと笑っていた。なぜなら、被害を負ったのはヒトもどきだから。神の中で、ヒトもどきを傷つけることは悪いことではないのである。
顔を出し、調整をするたび世界を揺るがす巨大な災厄。誰もが先代をそう定義していた。
『ああ……あまりはしゃぎ過ぎないで……。だめよ、気をつけて』
転けた子供の体を魔力が包み、怪我もなくふんわりと尻をつく。はらはらと見守る女神と目が合って、子供は弾けるように笑った。つられて女神も笑みをこぼす。創造主へのご機嫌取りのために作ったウィルドの笑みとは違う、まさしく女神にふさわしい、優しく温かい笑みだった。
この女神と共にいると、内外どちらにも属せない創造生物である自分への嫌悪が薄れていく気がした。
ウィルドは常に罪悪感を抱えている。ジュエルドの中、ただ一人だけ生き続ける苦しみが、いつでも傍らで己の罪を囁いている。
自分が世界のアンバランスを訴えなければ、死なずに済んだ命があった。もっとうまく神を誘導していれば、世界をうまく調和させることができれば、創りかけた世界を更地にされたりはしなかった。
同じ創造生物でありながら、一人だけ神の傍らに浮かんで、消えていく世界を見ていた。次はもっとうまくやろうと意気込む神は、まさしく違う生き物だった。その巨人はウィルドにとって、ただの化け物だった。
次はもっとうまくやらなければいけない。この化け物から世界を守らなければならない。ウィルドは世界の管理者である。世界を管理することが生まれてきた意味だ。このジュエルドに幸せを齎すことが、正しい管理であると思っている。
だから今、ウィルドは充実している。人々は幸せそうで、ウィルドもまた幸せだ。まだまだ世界は不安定で調整が必要でも、正しい管理ができている。
ずっとこうであればいい。いつまでも、いつまでも。