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第四話


 その日を境に、次期伯爵夫人である妻はベッドから起き上がれないほどに体調を崩した。


日々弱っていく妻に夫と使用人たちは献身的に尽くしたが、医療者の診立みたては思わしくなかった。


元々引きこもりがちな令嬢である。


三年の間に立て続けに三人の赤子を産んだことが身体と精神に負担かけたに違いない。


一年も経つ頃には伯爵家でも、寝付いたままの妻を諦めるような空気になり始めていた。




 ある日の午後、夫が妻の部屋を訪れ、侍女と子供たちを別室へ下げさせた。


「大丈夫かい?」


優しい夫の声に、薬で朦朧もうろうとしていた妻が薄く目を開ける。


「だ、んなさ、ま」


か細い息で答える妻に夫が微笑む。


「良い知らせを持って来たよ」


妻は肩で息をしながら夫を見上げる。


毎日生きていることさえ苦しく、早く楽になりたいと願う彼女にとって良い知らせとは何だろうと。


「君の恋人の消息が分かったんだ」


死にそうな顔をしていたはずの妻の顔が驚きに染まり、目を見開いている。


「ま、まさか」


「本当だよ。 彼は生きている」


妻は「まあ」と声を詰まらせ、顔を手で覆う。


ころりと変わったうれしそうな表情に夫は苦笑を浮かべた。




 しかし彼女には問題がある。


「会わせてあげたいが、君は身体を壊している。


今のままでは家を出ることはおろか、ベッドから起き上がることも出来ないだろう?」


その言葉に妻は涙を浮かべて嫌々と首を横に振る。


「わ、わたくし、が、がんばって、あの」


ベッドの中で上半身を起こそうとするが、それさえ疲れるようで途中で放棄してしまう。


「無理をしないで」


夫は細い妻の身体をそっと抱き締め、耳元で囁く。


「私に任せておきなさい。 誰にも知られないよう、彼の元へ行かせてあげるよ」


「ほ、本当ですかっ、旦那様」


いやにはっきりとした口調で話す妻に夫の笑顔が深くなっていく。


「もちろんだよ。 君は伯爵家の役に立ってくれたからね」


その胸に妻を抱き締め、夫はまったく違うことを考えていた。




 数日後、伯爵家では葬儀が行われていた。


以前から体調を崩していた伯爵家嫡男の妻が亡くなったのである。


しかも、病死ではなかった。


「私の注意が足りなかったのだ」


夫が目を離した隙に、彼女は病気を苦に三人の子供たちのうち長男だけを道連れにして、自室である二階の窓からその身を投げたのである。


打ち所が悪く遺体の損傷は激しいが服装は妻と長男の物に間違いない。


家族はもちろんのこと、使用人たちも皆、嘆き悲しんだ。


「誰も入らないでくれ」


下の二人の幼子を乳母に預け、夫は妻と長男の亡骸を抱いて自室に籠ってしまった。


愛妻家として有名だった彼のその姿は涙を誘う。


領地では伯爵家だけでなく、領民のすべてが喪に服したほどであった。




 その夜、大きめの馬車が屋敷の裏に停まっていた。


「気をつけて行きなさい」


四歳くらいの男の子と黒い喪服を着た女性が乗っている。


「ありがとうございます、旦那様」


「あはは、もう君の夫ではないよ。 私の妻は死んだのだから」


馬車の中はクッションや毛布が敷き詰められ、女性が横になれるようになっている。


眠っている男の子は従者の手によって女性の側にそっと乗せられた。


「次の町で医療の心得のある女性が同乗することになっている。


この従者も信頼できる男だ。 心配いらない、無事に辿り着けるよ」


「ありがとうございます。 なんとお礼を言っていいか」


「私のことなど気にせず、幸せになりなさい」


貴族というのは思ってもいない言葉を吐き、笑顔を貼り付けることは得意である。


 馬車が走り出す。


見送っていた身なりの良い男性はすぐに裏口から屋敷内に戻った。


その口元には歪んだ笑みが浮かんでいた。




 

 妻を亡くした次期伯爵は今まで以上に精力的に働き、残された幼い子供たちを溺愛した。


十八歳で結婚し、二人の子持ちであるが現在二十三歳。


まだまだ若い上に有能な美男子である。


落ち着いたと思われた頃には縁談が山のように届いた。


「まったく呆れたものだな」


父親である伯爵も無理にとは勧めなかったので、概ね平和な毎日を送れている。


 そして半年後、待ちに待った知らせが届く。


「奥様が、お亡くなりになりました」


真夜中、次期伯爵の部屋に、妻に従者として付いて行かせた配下が戻って来たのである。


伯爵家を出た時点で既に長くはない命だった。


半年なら良くもったほうである。


「そうか。 長い間ご苦労、報告は後で聞く。 しばらくはゆっくり休んでくれ」


「はい。 ありがとうございます」


影の配下が姿を消すと次期伯爵は堪えきれずに声を零す。


「くくっ、ふ、ふふふ、あはははは」


暗い部屋に笑い声が不気味に響いた。




「『真実の愛』だと?。 そんなもの、どこにも存在しない」


この伯爵家の、本当の親子の間でさえ親子の愛情が存在しないように。


次期伯爵の青年は自分の幼い頃を思い出す。




 三歳下の弟とは同じ両親から産まれた兄弟だというのにあまり似ていない。


祖父に似て物静かな兄は、銀髪に薄青い瞳に色白で頭も良く、次期領主として厳しく育てられていた。


父親似で濃い金色の髪のやんちゃな弟は、日に焼けた肌をさらし、常に男友達を連れて歩いていたが両親は何も言わなかった。


脳筋な弟はそのうち騎士になりたいと言い出し、成人前に家を出て王都の騎士学校の寮に入ってしまう。


領地には長期休暇でもなければ戻っては来ない。


それもあって、両親は弟にはさらに甘くなった。


 将来の伯爵として、婚約者も自分で選ぶことは出来ないのに、期待され、結果を出さなければただ失望される。


そんな兄の目には弟の姿はあまりにうらやましく、ねたましかった。




 だから、だろう。


「あの馬丁を見た時は反吐が出た」


弟と同じ、自分とは正反対の筋肉質の身体付きと誰からも愛される笑顔。


例え婚約者の令嬢をあの馬鹿と引き離しても、彼女が伯爵家に入れば、どうしても弟と出会う。


出会ってしまう。


そうなれば、自分はもっと弟を憎んでしまうことになるかも知れない。


「出会わせてはならない」


脅迫的な焦りが兄の中に生まれた。


「同じ馬鹿なら使わないとな」


そして、婚約者を逃がさないための策略が動き出したのである。



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