07 事件概要その3、言葉はどれもブーメラン
沼池が部屋を去った後、香織は神楽の手を振り払いソファに腰掛ける。
「香織」
神妙な空気の流れる部屋で、神楽が心配の声をかける。
「礼を言うとでも?」
香織は不機嫌そうな顔を隠さない。
神楽の表情筋も動かない。
「妹に固執して、冷静さを欠いたメンバーなどいない方がましです」
至極真っ当で、あまりに冷徹な主張だった。どうしたものかと都は静かにため息を吐く。
「香織も沼池さんも疲れてるんだよー。今日はもう休も? ぶっちゃけわたしもめっちゃ眠い」
蘭は言いながら大きなあくびをする。彼女は猫がじゃれつくように、香織の肩にもたれかかって膝枕を要求する。
「先に休んでおきなさい。私共で作戦をまとめます」
「えー、寝よーよ!」
ソファに腹ばいになって、香織の腰元に抱き着く蘭の顔面にクッションが押さえつけられる。
「つべこべ言うとはいい度胸です。黙らなければ黙らせますわよ」
言いながら香織は片手のみで指をパキパキと鳴らした。
「うっひゃーごめんこうむりたーい」
蘭は押し付けられたクッションで身を守るように顔を隠す。即座に黙った蘭に、香織のこぶしは振り下ろされない。
香織は大人しくなった蘭をちらと見て、彼女の形の良い頭を撫でる。
香織の足を枕にしてソファに横たわる蘭をよそに、作戦会議は進行する。
都による見解を交えたそれは蘭の理解を考慮したものではなかった。
「ねーえー、わたしはいいの??」
唐突な蘭の発言に、一同が黙りこくる。
「被害者の大半が小柄な少女だ。写真を見る限り、気弱そうな外見の者が多い。蘭も該当する以上、出来るなら犯人に近づけたくない」
神楽は資料に目を通しながら話す。香織が一切の反応を示さない一方、都はうんうんとしきりに頷いている。
「なにそれ!? それじゃ香織も当てはまりそうじゃない!? 気弱じゃないけど!!」
「ほぅ?」
「あっすいません」
ガバリと体を起こした蘭に、香織の視線が突き刺さる。
蘭は光の速度にも負けぬ勢いで頭を下げ、再度ソファに横たわった。
「でもさー、わたしはダメでなーんで香織はオッケーなの??」
蘭の疑問に神楽が困った顔をする。自然、全員の視線が香織に向けられた。
「私が誰よりも強く特別で、優秀だからです」
きっぱりと言い切った香織は何を当然のことを、と言わんばかりに鼻で笑う。
「はーい、わたしも強いんで差別だと思いまーす」
香織に頭を撫でられたまま、蘭はだらけた体勢で主張する。
「一週間ほど眠りたいようで」
「いっっっ! 痛いたい痛い、いっったい!!ギブっ!!」
香織の手が万力のごとく蘭の頭を締め上げる。
蘭が白旗を掲げる代わりにソファを叩いて出たほこりが宙を舞った。
香織が手を離すと、蘭は目じりに若干の涙を溜めて頭を押さえる。
「お前はかわいい子です。黙っていればか弱くも見えましょう。それ故、どれだけ強くとも危険に近づけたくないのが私と神楽の総意です」
殺伐とした物言いから一転して、香織は幼子に言い聞かせるような声音で蘭に語りかける。ところが、
「喋ってれば強く見えそうってこと!?」
「変にポジティブこじらせるなバカ」
きらきらと目を輝かせる蘭に神楽の一言が冴える。
香織はありえないものを見るような目を蘭に向け、都は手にしていたタブレットを落としそうになっていた。
香織は蘭を叩き起こすとそのこめかみを両手で挟み、強く押さえつける。
「まったくお前はこちらの心配を何だと思っていますの? 被害者は揃いも揃ってゆるゆるした大人しそうな見目の者ばかり」
香織の言葉は蘭の耳に入ってこない。彼女は痛みに呻き藻掻いて、香織の手から脱出を試みていた。
都は笑うばかりで止めようともしない。神楽は疲れ目を押さえてソファにもたれかかり、天井を仰いでいた。
「加えてお前はすぐにどこかへふらつく癖がある。万が一にでも一人の時に犯人に会いでもしたら……」
香織の言葉が不自然に途切れる。同時に彼女の手から力が抜けて、晴れて蘭は解放された。
蘭は突然黙りこくってしまった香織を気遣うように、彼女の顔をのぞき込む。
「そう……なるほど、そういう……」
香織は何かに気がついたらしい。彼女は三日月のような笑みをその美貌に浮かべる。
そして香織は、こうしてはいられないと言わんばかりにテーブルに身を乗り出した。
「神楽、出来うる限りの電話番号を用意なさい」
脈絡のない唐突な香織の申し出に一同が首を傾げる。
「構わないが何するつもりだ?」
全くわけがわからないと言った風体で尋ねる神楽に、香織は不敵な笑みを見せるばかり。
「せっかくですので秘密ということで。あのちしょ……んんっ」
香織は侮辱の言葉を言いかけて、大げさにわざとらしく咳き込んでみせる。
「あのぼんくらの裏をかいてやりましょう。えぇ、そうですわ。この私に進言することがいかに恐れ多く傲慢なことであるか、思い知らせて差し上げます!!」
蘭と神楽が知る限り、今日一番の香織のいきいきとした表情だった。
「電話番号なんて何に使うの??」
「わからん」
首を振る神楽に蘭は首を傾げるばかり。
香織だけがいやに楽しそうな、奇妙な空間が出来上がっていた。
「ふふっ、ふふふ!そうですわ、そうですとも!ハンティングの基本は獲物を待つこと。仮初の餌にどうぞ、盛大に、噛みついて?えぇどうぞ!!」
悪魔もかくやと、香織は高らかに笑ってみせる。
時刻は夜の十二時をまわる頃。蘭はひときわ大きな欠伸をした。
「楽しそうで何よりだねー」
「ニコチン切れて狂ってるだけだろ」
蘭の欠伸がうつったのか、神楽も口元を抑えて大きく口を開ける。
香織には二人のやり取りが耳に入っていないらしい。
「プラス深夜てんしょーん」
「ははっ、違いない」
何が面白いのか、きゃらきゃらと笑う蘭につられて、神楽がめったに動かぬ表情筋を緩ませる。
香織は今にも小躍りしそうなほど上機嫌に微笑み、夢中でスマートフォンの画面に指を滑らせていた。
「神楽、明日から沼池さんと見回りでしょ? ぐっどらっくって感じだねー」
「悪い人じゃないのはわかってる。ただあの人、『ガキは勉強しろ』しか言わない……俺、あの人より勉強できるぞ?」
神楽の人を小馬鹿にした態度に、不満げな顔をする者はここにいない。
「さっすがしゅーさい! ついでに香織と仲良いだけあってプライドもちょーたかーい!」
「褒めるな褒めるな」
「「はっはっは!!」」
責任者兼保護者代理である都の目に、眼前の光景は酔いどれ集団にしか映らない。
しかし彼女は責任者であるが故に、この一種の惨状を放置するわけにいかなかった。
「ほぉんとに、みんな元気ねぇ」
都は笑って一人呟く。無論、褒めているのではない。
都はこのまま応接室で寝落ちるであろう三人に毛布を用意することを思いつき、そっと部屋を後にした。