06 事件概要その2、被害者はいつでも生存者
「あらぁ、なぁに?」
都は、ぼそりと吐き捨てた香織の言葉に耳ざとく反応を示す。そこには大人の余裕があった。
香織は足を組んでわざとらしく都から顔を背ける。
「話が進まなくてごめんねぇ」
「いえいえー」
蘭と都は相変わらずといった様子。飛んできた舌打ちは香織によるものだ。
「犯人である異能者、『カメレオン』を捕まえようにも手立てがないのよねぇ。やむなく見回りの強化を行ったらぁ、昨日らんちゃんが犯人に接触したのよねぇ」
「逃げられちゃったけどねー」
「でも収穫はあったわぁ。幸いらんちゃんは、相手が姿を変える瞬間を目撃した」
「姿を変える前は見てないけどねー」
蘭の発言を最後に沈黙が下りる。呑気な声の余韻が消えたころ、神楽が重々しく口を開いた。
「……追手があることを認識させた以上、間違いなく警戒される。やりづらくなったな」
「えっ、一般人見捨ててでも追えと??」
蘭がぎょっとした顔で言い返す。
「確かに。こちらからの提案とはいえ、警護に人手を割く以上、人員不足に拍車がかかります。何より異能の存在を知られたのが痛い」
「えー、優くん助けたのもこれから守るのも主にわたしなんですけどー??」
続く香織の指摘に、蘭は不満そうな顔を隠さない。
納得がいかない様子の蘭をよそに、神楽と香織が作戦会議を再開する。
犯人像に関する議論から有効手段、異能対策まで論じられるが、そのいずれにも蘭は参加させてもらえない。
「やはり十三年前と先月の事件は別路線で見た方がよろしいのでは?」
「だが池沼さんの証言もある。目撃者があの人しかいない以上、参考にしてしかるべきだ」
「人間ほど当てにならないものはありません。他人など尚のこと」
「検査結果は一致した。同一犯の線は捨てられないだろう」
ああでもない、こうでもないと話す二人の議論はますます白熱する。
時刻は夜十一時をまわるころ。蘭は、延々と続くかに思われるディベートまがいの作戦会議を見るともなしに見守る。都はその横で仕事用のタブレットに指を滑らせていた。
時計の長針が六の数字を通りがかる頃、ノックも無しに部屋の扉が開かれた。
姿を見せたのは、お世辞にも粋とは言えない野暮ったい背格好をした壮年の男。
「まだ寝てなかったのか」
頭に巻いたバンダナが特徴的な男、沼池友也は応接間にいる面々を見てよそよそしく言う。彼は胡乱な目を隠しもしない。
「いかんせん、仕事熱心なもので」
煙草を取り上げられ、目に見えて不機嫌そうな香織が食って掛かるように言葉を寄越す。
香織の態度を受けて、沼池は顔をしかめた。
「ガキはさっさと勉強して寝ろ」
「それは困りました。生憎、私共が優秀なせいでこうして事件解決に駆り出されているのですが」
売り言葉に買い言葉の応酬である。挑戦的な笑みを浮かべる香織に、沼池はますます眉間にしわを寄せる。
「マナリア海溝だ」
神楽が咄嗟に蘭の口を塞ぐが手遅れである。
沼池の顔がさらなる怒気を帯び、蘭の言った海溝はその深さを増す。
都はタブレットで顔を隠し、声もなく笑っていた。
「中坊のガキどもが連続殺人を相手にしようってか? 今まで上手く行ってたぶん、随分と調子に乗っているようだなぁ王子サマ?」
挑発するような沼池の物言いに、香織は眉一つ動かさない。
蘭の口を押えたままの神楽は一見すると無表情にも見えるが、ハラハラとした様子で二人の口論を見守っていた。
「亡くなられた妹君に随分、執着なさっているご様子。共鳴反応検査に事件から十三年後の皮膚を提供した気分はいかほどで?」
「妹は死んでいない!!!」
沼池が声を荒げた。途端、部屋は各々の呼吸が聞こえてきそうな程に静まり返る。彼の手は血が滲みそうな程に強く握りこまれ、かすかに震えている。
「かおちゃん。検査に用いた沼池くんの皮膚はねぇ、十三年前当時のものなのよぉ」
手元のタブレットから顔を上げ、都は静かに告げる。
沼池は肩を怒らせて部屋の中央に移動すると、頭に巻いていたバンダナを乱暴に取り払った。
黒地に金の派手なバンダナの下から現れたのは、毛髪が生えている部分と生えていない部分で、奇麗に二分になった頭部。
後頭部から左耳にかけての皮膚は、うっすらとした赤に縁どられ、植皮の痕を残していた。
「十三年前、俺は妹を攫ったやつを捕まえるために皮膚を切り取った」
沼池の話口は努めて冷静でありながら、確かな怒りを孕んでいる。
「痕跡の残る部分は全部切って、ダメにならないよう冷凍保存した。それがあの誰かもわからない惨殺死体に残ってた痕跡と一致したんだ」
強く、強く握りしめられた沼池の手が、震えをさらに大きくする。不意に、彼は香織に掴みかかった。
「沼池くん」
都の制止に沼池は耳を貸さない。沼池は掴んだ香織の胸倉を乱暴に引き寄せる。
香織はされるがまま。しかしその瞳は、嘲るような冷たい光を宿していた。
「いいか、俺は何としてでも犯人を捕まえる。たとえテメェみたいに、大人を馬鹿にして舐めた態度ばかりとるませガキに何を言われてもだ」
香織が柳眉をしかめる。
止めなくては、と蘭が立ち上がろうとした時には既に、神楽が香織と沼池の間に割って入っていた。
彼は香織の右手を押さえ、沼池に向きなおる。
「事情は分かりました。非礼は俺が詫びます」
言いながら神楽が頭を下げる様子は無い。
香織は神楽に腕を押さえられたまま一切の行動をとらず、ただ冷然とした目を沼池に向けていた。
神楽もまた、冷ややかな目を沼池に向けている。
一触即発の空気。
しかし沼池は頭にあの派手なバンダナを結びなおすと、それ以上は何も語らず部屋を去ろうとした。
「明日からの見回り、俺とペアですからね!」
神楽の言葉に返事は無い。沼池は無言のままドアノブに手をかけた。
「池沼が」
「香織!!」
香織による侮辱の言葉を、神楽は即座にたしなめる。
沼池はそれに応えることなく、彼らを一睨みして部屋を後にした。
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応接室を出た後、沼池は自室に向かって研究所の廊下を歩いていた。彼は苛立ち、叫びだしたくなるのをこらえるように歯を食いしばっていた。
彼は部屋に帰って真っ先に、家族写真の前にひざまずく。
十三年よりさらに前、愛する妹の利佳が行方不明になる前に撮られた最後の家族写真。オレンジ色のワンピースを着て微笑む少女は今どこにいるのか。
誰もが「もういない」「亡くなったに違いない」と言う。肉親さえもが諦め、捜索願を取り下げた。しかし沼池だけは諦めきれなかった。
妹が戻らないならせめて犯人を——彼は十三年間、その為だけに生きてきた。
そして今、彼はようやくその手掛かりを見つけたのだ。
「絶対に、見つけてやる……!」
時を経て端から徐々に色褪せていく写真を、沼池は指でなぞった。