04 それは平和な1日、薄氷の上
蘭による優斗の警護はその日の放課後から始まった。
「部活はいいの?」
「一人いないぐらいどうってことないってー」
優斗による、遠回しな要求は蘭に通用しない。
「これから毎日?」
「たまに神楽か香織と交代するよ? 多分」
「塾の送迎までするつもり?」
「現にしてるじゃん」
蘭の飄々とした受け答えに、優斗は疲れたような顔をする。
「別に大丈夫だろ。大体、陰理先輩が言ってた死体遺棄事件なんて、聞いたことも無い」
警護なんて大げさだ、と優斗は蘭に抗議の声を上げる。
事実。優斗は一ヵ月前に発生した遺体遺棄事件に関する情報を今日まで耳にしたことが無かった。加えて彼はその詳細および犯人像さえ聞かされていない。
「惨殺死体になってもいいなら別に良いけどさー?」
「は?」
「なんていうんだろ? バラけちゃったやつ」
「バラバラ殺人?」
「そー、それ」
何の気なしに放たれたであろう蘭の言葉に優斗は目を剥いた。そんな物騒な話は聞いていないと言わんばかりに、優斗がうろたえる。
「異能ってそんなヤバいやつなのかよ……」
優斗はすぐ隣に立つ蘭を凝視する。彼の声音は警戒を色濃く写していた。
「さぁねー。なんでだろうね? その辺りも含めての調査になるんだけど……」
蘭はふと、優斗に向けられていた視線に気が付く。彼の疑念の目は今、蘭が背負っている棒状の黒いケース、もとい刀入れに向けられていた。
「わー、失礼しちゃうなー! 私が犯人なら、今ごろ優くん地面の下だから!」
「言うことが物騒なんだよ」
「香織ほどじゃないですー! ほーんと失礼しちゃうんですけどー」
いーっ、と蘭はまるで幼子のように憤慨する。しかし次の瞬間にはけろりとした顔で、彼女は優斗に向き直った。
「神楽と香織はそんなことしないよ。だから大丈夫」
不意に真面目な表情をした蘭に、優斗が面食らう。優斗は蘭を直視することが耐えられないかのように、サッと視線をそらした。
「……犯人の特徴とかないの?」
優斗は何となく居心地が悪くて、話題変更を試みる。
「私たちは、カメレオンって言ってる。でもねー、どんな力持ってるのかまだはっきりしてないんだー。本当やっかい」
道路脇、白線の上を律義に渡り歩く蘭は、優斗の前で初めてため息を吐いた。
「やんなっちゃうねー」
緊張感などまるで無い物言いだった。
優斗は己のすぐ隣に立つ人物の人となりを全く掴めないでいた。
彼が蘭に、不審者を見るような目を向けるのも無理はない。
「ほんと胡蝶さんって意味わかんないよな」
「そーかな?」
「急に猫追っかけるし」
「珍しかったし?」
「あの先輩たちと知り合いだし」
「幼馴染だし?」
「……もしあの時、桜の木生やしてなかったら犯人捕まってた?」
ピタリと、蘭が足を止めた。
彼女はその顔に、一切の表情を浮かべず、まっすぐに優斗を見つめる。
不意に彼女はつかつかと優斗に歩み寄った。そしてその手を掴むと、強引に引っぱって歩き出す。
「あーもーそういう話きらい、本当きらいだしイヤだし大きらい!!」
呑気な語調がまくしたてるようによく似た言葉の羅列を作る。
優斗は蘭に手を引かれるまま、歩くことしかできなかった。
「そんなの知らない! 捕まえたかもしれないし捕まえられなかったかもしれないし、捕まえられたかもしれないし、そもそも捕まえなかったかもしれない! んなこと知ったこっちゃないもんねー!」
一息で言い放ち、蘭はうんざりだと言わんばかりの息を吐く。
「いや捕まえろよ」
優斗の至極冷静な突っ込みが蘭に届くや否や、彼女はくるりと優斗を振り返る。
「異能ってねー? 人間なの。だから守らなきゃいけないの」
「でも犯罪者なんだろ」
「それでもねー?」
蘭が割り込むように口を開く。優斗の手を掴む蘭の手に、力が加わった。
「わけがあるなら聞かなきゃなんだよ」
蘭の表情はいつになく真面目で、優斗は少しの間、何も言い返せなかった。
「……犯罪者が同じ町にいるなんて絶対嫌だ」
優斗の言葉尻は強い。顔を強張らせて話す優斗に、蘭の真剣な瞳が突き刺さる。
純粋無垢な、鋼玉のような瞳に見つめられて、優斗はしり込みしそうになった。しかし蘭は、不意に表情を和らげる。
「だよねー」
会話の流れからは考えられない程、能天気な笑顔だった。
蘭は優斗の背にまわり、その背を押す。
「なんだよいきなり」
優斗の抗議は聞き入れられない。優斗が鼻歌混じりの蘭に背を押されること数分、目的地の学習塾に到着した。
「終わるころにまた来るねー。勉強頑張れー」
蘭は優斗に向かって手を振り、人ごみの中に姿を消した。
ぽつりとその場に立ち尽くす優斗は、大勢の人の中にあってなぜだかどうしようもない程、孤独に見えた。
「何なんだよ……」
優斗は未だかつて感じたことのない疲労感を抱え、自動ドアに足を踏み入れる。そして帰りにまたあの宇宙人のような得体のしれない人物に会うことを思って、盛大にため息を吐くのであった。
・・・・・
日暮れ前。蘭は一人、見回りがてら街をふらふらとさまよい歩いていた。
優斗を迎えに行くまでまだ時間がある。彼女は一度帰宅して必要なもの以外——刀ケース以外を置いて来ているため、手持無沙汰になっていた。
特にすることもなく、彼女は通りがかった公園のベンチに腰掛ける。
蘭が虚空を眺め始めてどれほど経ったか。公園の入り口に一人の男が姿を現した。
「隣、少しいいかな?」
人の好さそうな顔をした、スーツ姿の青年が蘭に声をかける。にこにこと穏やかに笑う青年は善良そうな顔を遠慮がちに緩めて、蘭に許可を請う。
「どうぞー」
蘭は青年に椅子を勧めるように、刀ケースを端によけた。青年は一言、やんわりと礼を述べて彼女の横に座る。
両者の間に会話は無い。蘭は先ほどと変わらず虚空を眺め、青年はそんな彼女の様子を不思議そうに眺めていた。
「何かあったの?」
最初に口を開いたのは青年だった。彼は小首をかしげて、心配そうに蘭の表情を覗き見る。
「何もないよー。なんで?」
蘭は青年の方を向いて、心底不思議そうな顔をする。青年は一瞬、戸惑ったように眉を下げ、何でもないと言わんばかりに両の手を振る。
「ううん。中学生の女の子がこんなところに一人でいるなんて、何か悩みでもあるのかなと思って。おせっかいだったね」
青年は目じりにしわを作って笑う。
「おじさん世話焼きだねー。ただの暇つぶしだし、なんにも考えてないよ?」
蘭は元から丸い目をさらに丸くして、青年を見つめ返す。鋼玉のような目に見つめ返されて、青年は戸惑うように頬を掻く。
「お、おじさんかぁ……。僕、一応まだ、たしか二十二歳なんだけどな……」
青年の言葉に蘭はますます目を丸くする。
「あちゃー、ごめんね? んー、おにいさん??」
あっけらかんとした蘭の物言いに悪気はない。が、罪悪感も無い謝罪だった。彼女は特段困った様子も見せず、どう呼べば、と言外に尋ねる。
「お兄さんの方が嬉しいなぁ」
青年はのんびりとした声で笑って答える。二人だけの公園はやけにゆったりとした空間に変わっていた。
「おじにいさんも暇つぶし??」
言い間違いなど気のせいだと言わんばかりに、蘭は強引に言葉を紡ぐ。青年は苦笑いをしていた。
「人探しをしてるんだ」
「へー偶然。わたし達も絶賛人探し」
蘭の言葉に、青年はぱちりと目を開く。
「一人じゃないのかい?」
「んーん。わたしと、お兄ちゃんみたいなのと、お姉ちゃんみたいなのと一緒。あと色々」
「その人達を待ってるの?」
「今は別の子待ってる」
要領を得ない蘭の受け答えに、青年は小さく首を傾ける。
雲が流れて青年の顔に影が差した。
「一人じゃないんだね」
風に揺れる木々の音が、青年の声をかき消してしまった。蘭は無垢な顔を青年に向ける。
「何か言った??」
蘭の言葉に青年は、善良な笑顔のまま静かに首を振る。
「そっかー。じゃ、そろそろ行くねー」
蘭は立ち上がり、伸びを一つ。そして青年に向き直ると刀ケースを背負いなおした。
「なーんか変な人いるみたいだし、おにーさんも気を付けてね?」
言ったきり、蘭は青年に背を向けて公園を後にする。颯爽と駆け行く蘭の背を見て、青年は小さく呟いた。
「ばいばい」
善良な男の顔は、にこりとも笑っていなかった。
・・・
塾から帰って、夕飯をとり、お風呂に入って、ゆったり休む。
学校一の秀才と美人に声を掛けられ、変人に振り回された以外は、優斗にとって平凡な一日であった。
彼はリビングのソファに腰を下ろし、テレビのチャンネルを切り替える。しかし優斗が欲する情報はない。あいにく清水家は、新聞をとらない家だった。
先月の死体遺棄事件、および十三年前の殺人事件。優斗がネットで検索してもこれらの情報は出てこなかった。
優斗はチャンネルを一周して、番組終盤に差し掛かったバラエティ番組を見るともなしに見る。
テレビの世界は他人事で、優斗にとってはいつでも遠い世界の出来事だ。ニュースにさえ載らない殺人事件だなんてなおのこと。優斗にはどうでも良い。
「部屋にいなかったんだね、珍しい」
突然、背後からかけられた声に優斗は肩を大きく震わせる。
「んだよ、兄貴か……びっくりさせんなよ」
優斗は、目じりにしわを作って笑う男を振り返って言う。
ひょろりとしてはいるが、筋肉は身につけている。精悍とは言い難いが軟弱でもない男。彼は優斗の隣にどっかりと腰を下ろし、弟の肩に腕をまわした。
「相変わらずだね、優斗は肝が小さいなぁ」
男は顔に似合わぬ妙に柔らかな言葉遣いで弟をからかう。
「うるさいな。あぁもう、臭いって! せっかく風呂入ったのに!!」
優斗は半ば本気で兄の腕を振りほどく。彼は嫌そうな顔を隠しもせず、兄から距離をとった。
「生臭いんだよ、いつまで食肉加工のバイトなんて続けんのさ」
苛立ちを隠さない優斗に対して、彼の兄は曖昧に笑うばかりである。
「慣れると案外楽しいもんだぞ?」
「信じられないくらい趣味悪すぎ。兄貴アラサーだろ?」
「やめてくれよ、まだ二十六なんだ」
あっけらかんと笑って返す兄に辟易として、優斗はため息を吐く。彼はうんざりとソファから立ち上がり、兄に背を向けた。
「もう寝るのかい」
「今日は疲れたんだよ」
粗雑な優斗の物言いなど意に介さず、兄は愉快そうに笑った。
「それはお疲れさまだね、いい夢を!」
「うるさいなぁおやすみ!」
「あぁ、おやすみ」
静かになったリビングに優斗が階段を上る足音と、テレビの音が響く。足音はまもなく消えた。
残るテレビはバラエティ番組からニュース番組へ。冒頭の挨拶に始まり、キャスターが最初のニュースを告げる。
「十八歳の女子専門学校生が、一週間前から行方不明になっていることがわかりました」
無造作にリモコンを持ち上げた手がテレビの電源を落とした。
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「行方が分からなくなっているのは——」
神妙な顔をした学生三人が集まる応接間。三人の学生らは、部屋に設置されたモニターが映す映像を真剣に眺めていた。
彼ら——蘭、神楽、香織の三名は、今後の計画相談のために集まっていた。
「こちらは行方不明になる前日に撮られた写真です」
キャスターの言葉に続いて、笑顔の女性の写真が表示される。どこかあどけなさを残した、控えめな女性の写真。表示された写真を見て、真っ先に反応を示したのは蘭だった。
「昨日わたしが追いかけてた人とおんなじ顔」
蘭が写真を指さして言う。彼女は何度もモニターを見直し、間違いないとしきりに頷く。
「警察によると、一週間前から家族と連絡が付かず——」
キャスターが話し終えるよりもはやく、神楽がモニターの電源を切る。
誰一人として口を利かず、沈痛な面持ちさえ見せない。しかし静かな部屋には、先ほどよりも暗く重い空気が立ち込めていた。
そんな部屋にノックの音が響く。