五人家族
土曜日の夕方。
その日、洋平は久しぶりの土曜休日だった。
といっても、ゆっくりも出来る訳でもない。、
妻の涼子は、出勤日。おまけに娘の亜紀は風邪気味だったので、
小児科に連れて行ったり、子供たちのお昼の準備をしたり。
結果的には身体を休めるどころではなかった。
少々倦怠気味な感じが、最近家庭に流れていると洋平は感じていた。
結婚してまもなく十年。
流石に、新婚当時の甘い空気が有るわけが無いが、
なんとなく、会話も減っているように洋平は感じていた。
一方、妻の涼子は、育児に追われ、仕事に追われ、
これでいいのかなと感じていた。
以前は、たまには、夫婦で食事も出来たし、デパートにも出かけられたが、
それもめっきり回数が減り、育児と仕事の両立の難しさに悩んでいた。
また、洋平が最近太りだしたことも、不満だった。
まるで、ダイエット食品の使用前使用後の逆ヴァージョンだなと嘆かないわけには、いかなかった。
といって、お互いに決定的な不満があるわけではない。
洋平は洋平で、涼子のことを気にかけているし、涼子もそれは同じだった。
まもなく、妻が帰ってくるはずだと、洋平は変な安心感を抱き始めていた。
テレビの主導権争いをしている子供たちを横目に、
洋平は、ワインのコルクを抜いた。
夕方も6時を回って、もうそろそろ、飲んでも良いかなとそんなつもりだった。
夜、ワインを飲むのが洋平の楽しみの一つでもあった。
といって、ワイン通というものではない。
飲むのは、フルボトル1000円前後のテーブルワインを通販で購入している。
今日は、スペインのの赤を選んだ。
スペインのワインが、安価な上、味もいいので、洋平のお気に入りでもあった。
最近はネットで、いろんなワインが手に入るので、味を覚えたのだ。
子供達は、まだそれほど大きくはない。上は男の子で、小学一年生。下は女の子で、まだ、3歳で、保育園に通っている。
流石にそんな、二人の面倒を一日見ていると、疲れを感じていた。
「おい。順番に観ろよ、健ばかり、観すぎてないか、亜紀の好きなプリキュアもかけてあげなよ。」
そういって、洋平は、グラスをかたむけた。
あては、チーズ。
円を6等分した、円グラフのようなあれである。
ある意味平和な時間が、まったりと流れていっている。
その時、不意に電話が鳴った。
ナンバーディスプレイには、洋平の実家の名前が出ていた。
彼は、軽い舌打ちをした。
というのも、たいてい休みの日にかかってくる、実家からの電話はろくでもないものばかりだったからだ。
このときも、平和な時間がつぶされる、洋平は正直そう思った。
そして、その予感は的中した。
「ちょっと静かにしてね。大阪のおじいちゃんところから電話だからね。」
そう子供たちにいって、受話器を手にした。
「もしもし、洋平か?お父さんがたおれてな、救急車にきてもらってるねん。」
電話は、彼の母の政子からだった。
洋平は正直またかとそう思った。
ここ数年、そんな電話はしょっちゅうかかってきていて、その度に、休みがなくなることが多かった。そのため少し慣れてきてもいた。
「わかった。で、何所の病院に運ぶっていってる?」
「守山病院に運ぶって、せやけれど、お父さん、息をふきかえせへんねん。悪いけれど、頼んだで。」
それだけ言って、電話は切れた。
そのとき、洋平の心に引っ掛るものがあった。
息を吹き返さないってどういうことなのだろう。
しかし、考えても仕方がない。
すぐに走ろうにも、車はお酒を飲んでいるので運転できないし、
それにもまして子供達をほっていくわけにもいかない。
まだ、涼子が帰っていないのを少し苛つきながら、涼子のの携帯を呼んでみた。
涼子はすぐに電話に出た。
「もしもし、今何処かな?親父が、倒れて、病院に運ぶって、母さんから電話があったんや。すぐ帰って来てくれるかな。」
それだけ言って電話を切った。
涼子は、意外と、近くのスーパーまで帰ってきていた。
程なく、玄関が開く音がして、涼子が入ってきた。
「お父さん。どない。子供たちは、実家に預けることで話はついたわ。」
入ってくるのと同時に涼子は、そう言った。
「解らん。いつもと様子が違う感じや。行かんとまずい。」
と言いながらも、洋平はまだ切羽詰った感じをもてないでいた。
子供たちを、涼子の実家に預けに行き、すぐに、守山病院に向かった。
病院へ向かう車中でもそんなに重苦しさはなかった。
「すまん。疲れているのに、運転させて、ご飯食べられないし。」
洋平は、涼子が帰る前に、お酒を飲んだ後ろめたさもあって、そうわびた。
「うん、私も早く帰れなくて、少し寄り道をしてたし。お父さん。大事無かったらいいけれどね。」
どうやら、涼子は、どこかに道草をして帰ってきたらしい。
これで、少しは、お酒を飲んだ後ろめたさも軽くなる。そう洋平は思った。
「しかし、休みの日になると、親父は倒れるよな。注目を浴びたいのかな?」
「まさかね。それは無いと思うけれど。確かに、休日に何回か走ってるものね。」
そんな会話をしながら、走っていたときに、洋平の携帯が鳴った。
ディスプレイには、父からだと表示していた。
その瞬間、父が、元気になって、もう来る必要ないと電話してきたのだと思い電話に出た。
しかし、電話の声は、父のものではなく、母の政子からだった。
「洋平。お父さんな、駄目やってん。助からんかった。8時1分やったわ。」
「・・・・・・・」
「とりあえず、病院まで来てくれる。」
「もう、向かってるから、待ってて・・・」
それだけ言うのがやっとだった。
「お父さん、どうやって?」
「死んだって。」
「えっ」
「とりあえず、病院にいこう。」
先程とはうって変わって、車中は重苦しい雰囲気に包まれた。
洋平は守山病院の駐車場から、停車するのももどかしく、ドアを開けて病院の入り口に走った。
しかし、時間がもう遅くなってるので、玄関は閉まっていた。
あわてて、時間外入り口を探す。
後に涼子も続く。
やっと見つけた、入り口から入り、
受付にむかう。
「すみません。先程救急車で運ばれた、相馬康三の家族ですが。」
「ご家族の方ですか。心肺停止で運ばれまして、措置しましたが、残念でした。現在、霊安室に安置しています。」
この瞬間に、洋平は、父が死んだと実感した。
車の中では、まだ、父が息を吹き返しているかもしれないと、
甘い期待を抱いていたのだが、無残に打ち砕かれた瞬間でもあった。
「そうですか。ありがとうございます。」
やっとの思いでそれだけを、受付の男性に答えた。
「霊安室の場所をご存知ですか?」
知る訳無いだろう。そう思いながらも、
「いいえ。教えていただけますか。」
受付にいた職員の男性は、かなり親切に、場所を教えてくれた。
霊安室は、建物の地下にひっそりとあった。
重々しいドアを開ける。
開けた瞬間に目に飛び込んできたのは、黒っぽい制服を着た男性たちだった。
その中の責任者らしい人物が、洋平に近づいてきて、
「どちらさんでしょうか」
「相馬康三の家族のものですが。」
「息子さん?」
「ええ。」
「失礼、私たちは警察の者ですが、暫くお待ちください。」
そういって、案内されたのは霊安室の隣の控え室みたいなところだった。
そこに母の政子が、ひっそりと椅子に腰掛けていた。
政子は、落ち着いていた。
涙も流していなかった。
「ごめんやで、夜に。ついさっきまで、お父さん元気やってん。で、お風呂入って、中々出てけえへんから、見に行ったら、
お父さんな、お風呂に沈んでて、脈とっても無いし、・・・」
安心したのか、政子は淡々と経過を話してくれた。
「それでな、お父さんを引っ張りあげようとしても、私の力じゃ、上げられへんねん。あわててるし、急いで、お風呂のお湯を抜いて、
それ以上沈まんように、お風呂のふたをつっかえ棒にしてな、隣の高松さんに、助けを呼んだんや。
救急車の人が3人がかりで、引っ張りあげてくれたんやけれど、いきひとつしてくれへんし、
救急車の人も、心臓マッサージを何度も繰り返してくれたんやけれどな、かけたときは、瞬間に、心電図が「ピコッ」って動くねんけれど、
すぐに、動かんようになるねん。病院でもな、一時間以上、蘇生処置してくれたんやけれど、最後はドクターが、これ以上やっても、
あばらが折れてしまうって、助かったとしても、かえって苦しむことになります。助かる可能性は、90パーセントないと言われてな、
それで、お世話かけました。と答えてん。8時1分やった。」
その日は朝から、康三に変わった様子は無かったとのことだった。
いつもと変わらず、整骨院に行き、最近始めた、パターゴルフのグラウンドの草刈に行って、汗を流していたとのことだった。
夕方になって、鯛の刺身で、日本酒をほんの少し舐めた程度飲み、お風呂に行ったのが最後になった。
あまりにも、急で、あっけない人生の幕引きだった。
「兄貴には知らせた?」
「知らせたけど、夜勤で連絡つかんのや、春奈さんには伝えたけれど。」
そんな話をしていると、さっきの警察の人が、呼びに来た。
「検死が終わりましたので、お父さんにお会いしてください。」
言われるままに、洋平と涼子は、動かなくなった、康三の元に足を運んだ。
洋平は、警察官に促されるままに、顔にかけられた、白布をめくった。
その瞬間、洋平は泣き崩れた。
それを見て、涼子は意外に思った。
なぜなら、洋平と康三は仲が悪かったから。
しかし、今、目の前で、実の父の死を当たり前の如く悲しんでいる夫を見て妙な安心感を持った。
そんな安心感もつかの間。
警察官の言った一言が破り去った。
「これから、お母さんと、おうちに行って、現場を見させていただきます。
その状態を、本部に送り、場合によっては、司法解剖の可能性もあります。
お父様の死が、事故なのか、事件なのか、病死なのかで、変わります。まあ、今の状態では、解剖は無いと思いますが。」
「それって、どういう意味ですか?事件ってどういうことですか?」
洋平は、警察官の言葉に、激昂して、反論していた。
「いえ、手続きのことを申したまでで、我々も仕事なんです。人が一人お亡くなりになると、それなりの手続きは必要です。
お父様は、ご自宅で、心肺停止になっておられるので、我々としても、それなりの手続きを踏む必要があります。
悪く思わないでください。」
警察官は、そう言って、母を連れて、実家に向かった。
後には、洋平と涼子が残された。
「なんかいやな感じ。お母さん、疑われてるのかな。」
涼子は、そっとつぶやいた。
「彼らはそれが仕事さ。母さんが、親父を殺すなんてこと出来ないよ。
自宅で、急死すると、必ず疑われるようだよ。」
洋平はそうつぶやき返した。
意外に、洋平は、冷静さを取り戻しているようだった。
「いつかは、来ることだとは思っていたけれど、こんなに突然とは。」
そう言って、洋平は、黙り込んだ。
うつむいた顔から、涙が一筋、流れ出た。
洋平と康三は仲が悪かった。
洋平は、康三を敬遠していた。
独身時代が長かった洋平はその分、実家での生活が長かったので、
兄の光一に比べて、康三と接する機会が多く、衝突も多かった。
康三は、人を苛む様なところがあった。
それでかなり、洋平もいやな思いをした。
また、結婚して洋平が家を出た後でも、
仕事中に携帯電話に電話をしてきたり、留守電にメッセージを入れられたりした。
その内容が、
「今から家出するから、探すなよ。」
とか
「もう、死にたい。死んでくる。」
といったものだった。
そのつど、実家に走ったり、時には警察に頼んで探すということもあった。
何れも、実家に行くと、たわいも無く収まったり、次の日には帰ってきていたのだが、
そのことで、洋平自体、メンタルクリニックのお世話になるところまで追い込まれたりした。
そんな洋平が、その父の死に際して、涙を流すということに、事情を知っている、
涼子は、意外にも思い、また、なんとなく安心もした。
そのとき、洋平が、つぶやくように言った。
「こんな時なのに、親父との思い出としてでてくるのは、いやな思い出ばかり。
楽しい思い出を思い出すことが出来ない。」
そういった、洋平の横顔は青ざめていた。
「あなた・・・・」
声をかけた、涼子に、
「父には、いやな思いをいっぱいさせられた。仕事が忙しくて、家には寝に帰るだけの生活をしていたときがあった。
涼子と知り合う前の話さ。毎晩電車で帰られなくて、社用車で帰っていた。
人間疲れると、凄く暑さを感じるみたいでね。6月のはじめ頃だったかな、寝ようと思っても、暑くて眠れなくて、
少しでも速く寝たかったので、クーラーをかけて寝たことがあったんだ。」
洋平は静かな声でしゃべりだした。
その日、寝てから、3時間ぐらいで洋平は起床した。体はぐったりと疲れていたが、
仕事を休むわけには行かなかった。
車で帰った分、渋滞を考えて、早く家を出なければならない。
食欲が出ないのを我慢して
朝食をとってると、康三が起きてきた。
「えらい遅く帰ってきたようだな。」
「おはよう。仕事が終わらなくって。起こしてしまったかな。」
洋平は、そう答えて、食事を続けた。
「クーラーをかけて寝たようだが。」
「疲れてて、凄く暑く感じて、少しでも速く寝たかったから。」
「そんなときは、窓を開けて、外の空気を入れてもらえませんか。この通り御願いします。」
なんと、康三はその場で、洋平に向かって、土下座をしたのだ。
電気代が勿体ないと常々行っている康三からすれば、この季節に、エアコンを入れて寝るなんて、言語道断だったのだろう。
洋平の疲労度とかを思いやるなんて出来る人じゃなかった。
「で、如何したの。」
涼子は、初めて聞く話だったので、洋平に聞いてみた。
「どうもこうも。それ以上いやな思いをしたくないからさ、食事を途中でやめて、仕事にでたよ。後ろで、「何やその態度は」って怒鳴っていたっけ。」
苦笑しながら、洋平は答えた。
「こんなことも有ったよ。」
また、洋平は、次の話を話し始めた。
康三は、勤めていた会社を定年で退職して、第二の人生を商売してみたいと言い出した。
個人運送店で、組合に入ってという、例の組合に加盟して、運送店を始めた。
それなりに、生活できる程度に、稼げていた。
しかし、そんな時、得意先から言われた一言があった。
「相馬さんところ、ファックスあるか?」
「そんなものあるかいな。」
「そうか、惜しいな、ファックスがあったら、仕事があったら、詳しいこと送れるし、紹介もしてあげやすいのにな。」
その日、康三は帰ってきてそんな話を家族の前でした。
洋平は、その話を母から聞いて、クリスマスプレゼントに、父にファックスを買って上げたのだった。
本当に仕事が増え、ファックス購入代金なんかすぐに元が取れるくらいの勢いだった。
「それじゃ、お父さん喜んだでしょ。」
「ところが、そうでもないねん。」
「えっ?」
「まず、ファックスを電話に継いだことで、外から電話がかかってくると、「お継ぎします」ってアナウンスが入るのが気に入らない。
って言うんだけれど、それでも、仕事が多く入ってくるから、仕方が無いと最後は思ったようだけれどね、それでも、使ってると、消耗品って
補充しなければならないんだよね。インクリボンがなくなったときに、買ってかえってお金を貰おうとしたら怒る、怒る。
お前も家の電話使ってる癖にって。で、悔しいから、領収書を親父の前で、ビリビリび破ってやったら、また怒って、
確定申告書に使えなくなったやろって。」
「お義父さんて、結構ケチだったの?」
涼子はあきれて、聞き返した。
「そうだよ。ある日、トイレに言ったら、やけに暗いねん。目が悪くなったかなと思って、ビックリしたことがあるねん。そしたら、
電球をワット数の低いのに交換しててな。それで、文句を言いに行ったら、親父お風呂に入っていて、それも夜というのに、電気を消して入っていて。
あまりに不気味だったから、何も言わずに引き上げた。」
康三はお金が出て行くことを、極端に嫌がった。
気が小さいだけの人物だったのだが、それを気づかれないために、虚勢を張って、無茶を言っては周りを困らせて、不快な思いをさせてきた。
そんなさびしい、父の思い出話をしてるときに、政子は警察官と戻ってきた。
思っていたよりは、早く帰ってきた。
「今、報告書を出しています。警察医の検死をこの後、受けてそのあと、お父様を連れて帰ってもらって結構です。もう暫く待っていただきます。」
そう言って、警察官は姿を消した。
「母さん、大丈夫?」
「うん。だけど、事件って私を疑ってるのかいな。そんなん、殺すわけが無いがな。こんなに足悪いのに。足悪くなったんわお父さんに突き飛ばされたからやけど。ほんまに、
家の中、写真、いっぱい撮られたわ。」
「死んだら仏さんやけれど、お父さんにはよく手を上げられたし、鎖骨も折られたし、腰椎も複雑骨折してるし。こんなときでも、そんな思い出しか頭に浮かばへん。」
「お母さん・・・・」
政子も、今、思い出すのは辛い思い出ばかりのようだ。
「この病院にもずいぶんお世話になった。しょっちゅう発作を起こしては、救急車で運んだもの。ここ一二年は。」
政子は、康三の遺体を見ながら話し出した。
「あんたにも、何度も、走ってきてもらったもんな、せやのに、お父さんは私がしんどいときに知らん顔したんやで。」
「その話は知らんよ。」
洋平は驚いて聞き返した。
「そうやろな。話してないもん。凄く気分悪かって、お父さんに病院に連れて行って、頼んだのに、知らん顔するねん。
ここの病院に電話して、見てもらわれへんか聞いたら、タクシーか救急車で来院したら見ますといわれてな。仕方なく、
大通りまで出て、タクシー捕まえようとしたけれど、タクシーけえへんでな。消防署まで歩いて消防署で救急車を頼んでここまで運んでもらってん。
それで、ここで点滴してもらって気分ましになってから帰ったんや。そしたら、お父さんな、家でテレビ見てるねん。」
洋平はあまりの内容に愕然とした。
「そんなことって。何で僕に話してくれへんかったんな。僕が病院に連れて行くやんか。」
「あんたとこ遠いのに、そんなん電話できるかいな。まあそんないうてもいまさらやけれどな。」
ゆっくりと時間がたっていく、三人は椅子に座って、さびしい思い出話をしながら、警察の連絡を待った。
思い出した様に、洋平は言った。
「取り敢えず、待つしかないね。ところで、明日はお通夜になるかな。葬儀屋は如何しよう。警察医の検死が終わったら、そういつまでも、霊安室にはおれんで。
お父さんを連れて帰る手はずを考えないと。」
「そんなん。お母さん。解らんわ。如何しよう。あんたの車には、お父さん乗れへんわな。葬儀屋さんにはいつ電話したらいいねんやろ。」
「落ち着いて、お母さん。寝台車は葬儀屋さんで準備してくれるし、葬儀屋さんも、病院に相談してみるし。」
「そういえば、家の近くの、宮内葬祭が家族葬とかしてくれるし、良心的やっていう話やけど、この時間やったら出てくれへんやろし。」
そんな時、洋平の携帯が鳴った。
さっきの警察官からで、これから、警察医が行くからということだった。
程なく、警察医が到着し、警察医の検死が始まった。
また、その間、三人は待機室に出された。
検死自体は思ったより速く終わり、警察官の説明があった。
「病死ということで間違いがありません、死体検案書を、先程の警察医の方が書いて下さいます。
11時半頃に医院まで取りに来てほしいということです。費用は数万円かかりますよ。その用紙を持って、警察まで来てください。
その後に、お父様を連れて帰ってください。寝台車の手配とかは、病院に相談したら教えてくれますから。」
警察官は、その先生のクリニックの地図を渡し、帰って行った。
しかし、何分、まだ、夕方に飲んだワインが抜けきっていない。
涼子の運転で行くことにしたが、そうすると、政子を一人、霊安室においていくことになる。
洋平は、死んだ康三には悪いが、三人で行くことにした。
死体検案書は、すぐにもらえたが、当然保険が利くわけでもなく、
3万5千円を支払うことに。
なくなった瞬間から、物入りになると、洋平と政子は顔を見合わせた。
その足で、警察に行き、それを元に遺体引き取りの手続きを済ませる。
洋平は、遺体引き取り人ということで、署名捺印をした。
たまたま、印鑑を持っていたので、指紋をとられずにすんだと、洋平は、妙にホッとした。
手続き後に
「最近、悪いやつが多いから、人の不幸につけ込んで詐欺を働くやからが多いから、十分気をつけてくださいね。」
と警察官に注意を受ける。
なんとも住みにくい世の中だと、洋平は思った。
病院に引き返すと、康三は、死亡処理を受け、ひっそりと霊安室で待っていた。
一人残したことに、洋平は少しだけ、亡き父に申し訳なく思った。
しかし、、時間は待ってくれない。
相談できる人間も少ない中、父を引き取って帰り、通夜と葬儀の準備をしなければならなかった。
警官が言ったように、病院に寝台車の手配を相談するが、リストで出された、葬儀屋は、何所もなじみの無いものばかりだった。
やむ終えず、電話帳で葬儀屋を探した。
「ねぇ、ここ、さっきお義母さんが、言っていた、家の近くの葬儀屋さんじゃない?」
そう言って、涼子が探してた、電話帳を洋平に見せに来た。
「そうだね、住所もうちの近くだし、間違いが無いな。ここに電話しようか。」
念のため、政子に確認をして、洋平はその葬儀屋に電話を入れた。
「もしもし、宮内葬祭さんですか?実は、不幸がありまして、葬儀を御願いしたいのですが、
今、守山病院の霊安室に遺体を安置しています。寝台車の手配も御願いできないでしょうか。」
話は、簡単にすみ、一時間後に迎えに来るとのことだった。
その話を終え、霊安室の父の元に戻った。
父の遺体を改めて眺めて、これからのことを考えると、洋平は冷静さを保たなければと思うのだった。
「あなたや、お義母さんがさっき話していたけれど、私にはいいお義父さんだったな。
いつも、にこやかに、迎えてくれたし、いやな事言われたこと無かったし。」
涼子は寝台車を待つ間、康三の亡骸を見ながら、そっとつぶやいた。
「そうだよ。親父は、涼子のこと気に入ってたもの。それに、あんな事言ったけれど、
良い人間、悪い人間と分けるなら、親父は、間違いなく良い人間だったよ。」
涼子の問いに洋平は答えた。
政子もうなずいている。
「あの人は、気が小さい人だったからね」
答えともなく、政子はつぶやいた。
寝台車は、きっかり一時間で、迎えに来てくれた。
政子が、寝台車に同乗して、葬儀屋に向かうことになった。
洋平と涼子は、自分たちの車で、葬儀屋に向かった。
葬儀屋に着くと、すぐに康三を棺に入れ、葬儀の打ち合わせに入った。
康三も葬儀は地味しろと、常々言っていたので、家族葬でこじんまりとやることにした。
「喪主様ですが、どなたが行われますか。」
葬儀屋の人が最後に聞いてきた。
「あんたがやってえな。」
政子は、洋平に喪主をさせようとしたが、洋平は首を縦には振らなかった。
「僕は出来ないよ。」
「でも、あの子には無理やんか。」
政子は洋平の兄の光一が離れてすんでるし、到着がいつになるか危ぶまれることを言った。
「母さんがやるべきだよ。」
「そんなん、私に出来るわけ無いやんか。」
「名前だけでいいよ、お母さんがやるべきだよ。実質は、僕が全てやるから。」
この一言で、しぶしぶ政子は喪主を承諾した。
洋平と涼子は、実家に向かうことにした。
葬儀にかかる費用の相談と、親戚への連絡を打ちあわせを三人で行った。
それじゃ、と、実家を後にしたときは、2時を回っていた。
自宅に帰った二人は、帰って初めて、何も食べていなかったことを思い出し、
お茶漬けをかきこんだ。
そのまま着替えだけを済ませ、眠りに着いた。
翌朝、涼子が目を覚ましたときには、洋平はすでに起きていた。
親戚の家に訃報を知らせるために電話をかけ始めていた。
居間に入ってきた涼子に気づいた洋平は
「おはよう。眠れたかい。」
「あなたのほうこそ。」
「あまり眠れ無かったよ。」
涼子は当然だろうなと思った。
「母方の従兄弟の雅美姉さんに電話で知らせたら、母方の親戚には、連絡を入れてくれるって。
父方には従兄弟の博一兄さんに電話しておいた。父方にはここだけでいいやろ。」
洋平は、着々と、できることに手をつけていた。
二人で、朝食のトーストを食べた。
洋平は、それを終わらせると、シャワーを浴びにいき、
涼子は、喪服の準備をした。
時間は、容赦なく過ぎていく。
なのに、なかなか準備は終わらなかった。
さっきから、同じことを繰り返している錯覚に涼子は、いらだつ思いだった。
しかし、洋平は、黙って、黙々と準備をし、上司の携帯に、訃報を連絡し、会社の休みの準備をも終わらせていた。
いつもなら、出かける前にもたつくと、洋平は、すぐに怒り出すのに、
まったく怒らない洋平が涼子には不思議だった。
やっとのことで、家を出て、子供たちを迎えに涼子の実家に向かった。
健と亜紀は、すでに大阪のおじいさんが、亡くなったのを知っていて、朝から、
紙飛行機と、じゅうたんを折り紙で作っていた。
「おじいちゃんの、棺に入れるねん。」
そう言って紙飛行機と、折り紙で作ったじゅうたんの詰まった袋を持って玄関に飛び出してきた。
そのまま、子供達をつれて、洋平は実家に向かった。
実家に着くと、叔母の一人が早くも到着していて、政子の相談にのってくれていた。
洋平は、その叔母に頭を下げ丁寧にお礼を言った。
お通夜は19時からということなので、まだ、たっぷりと時間が有る。
叔母は、また出直してくるというと、一旦帰っていった。
その間に、洋平は、淡々と、棺に入れるものなどを準備することにした。
「おいずるを入れてあげないと、それにさびしくないように、お父さんが作ってた、犬の人形も入れてあげよう。
きるものも、肌着と、セーター、ジャンバーはこれでいいかな。それに、耳掻きでよく耳を掃除してたから、耳掻きを入れてあげたらな。」
政子はそんな洋平をみて、夫が優しい人だったんだと思った。
そうこうしている間に、洋平の兄の光一が到着した。
洋平は、兄と会うのも自分の結婚式以来だなとおもった。
お互い、大人になり、実の兄弟でも、こんなことでもないかぎり、顔を合わさなくなっていた。
涼子は、そんな義兄夫婦に会った瞬間、眉をひそめた。
彼らは、猫を連れてきていたからだ。
ラゲッジにも入れずにつれてきて、会場の前に継いだ。
そっと、涼子は洋平を伺ったが、洋平は一瞬顔を曇らせたが、何も言わなかった。
遠距離を運転してきたことをねぎらっていた。
洋平も政子も何も言わないので、涼子もそれに習うことにした。
光一の話では、光一の妻の春奈の父親がこちらに向かっているとのことだった。
「春奈さんのお父さんって、こちらの地理わからないのでしょ、一人で来れないのとちがうんか?」
洋平は光一に聞いている。
「どうかな。」
洋平は、迎えに行くべきだと光一に提案した。
「どうかな、じゃ無くてさ、お年寄りが一人では心配やん。携帯もってはらへんのか?もしできるんやたら、来なくていいって、電話入れたら。
家族葬という形でのお葬式なんだし。」
そこまで言って、やっと春奈は父の横田源次郎に電話を入れていたが、あくまでも、行くと言って聞かないようで、
新大阪まで迎えに行くことにしたようだ。
当初、洋平はお通夜は、光一に後を任せて、家に帰るつもりでいたが、
無理かもしれないと思った。
空いた時間で、泊まれるように準備をしようと、涼子に相談して。涼子は、化粧品などを急遽買いに行った。
時間どうりに、お通夜は始まった。
想像以上に、弔問客が訪れた。
もはや、家族葬という雰囲気ではなくなってしまっていた。
洋平たちの意に沿わない形になりつつあった。
康三は、パターゴルフに夢中になっていて、その仲間が、続々と訪れた。
その誰もが、突然の康三の死を驚き、一様に、
あんな良い人はいなかった。と口を合わせた。
おかげで、用意した祖供養が足りなくなる有様だ。
しかし、とうとう、光一は僧侶の読経を上げている時間には、間に合わなかった。
また、親戚が、家族葬にもかかわらず、受付がないと、騒ぐのも、洋平は、あわてずに、
対処して親戚を納得させていった。
その処理していく姿勢に涼子は、別人を見ているようだった。
決して、揉め事にはしないように振舞っていた。
光一にも一切、文句も言わなかったし、黙って、寝具の手配もしていた。
顔には、くっきりと隈が出来ていた。
涼子は、子供の世話に追われ、あまり助けられないし、頼りにしていたであろう、
光一に頼ることも出来ず、孤独な感じだった。
焼香の後、
親戚たちが集まって食事をしている間も、休まずに
弔問客に挨拶を一人交わしていた。
そんな中、光一夫婦と、横田源次郎が帰ってきた。
開口一番、光一夫婦の悪口と詫びを言う源次郎に顔を曇らせながらも、挨拶を交わす、洋平。
流石に疲れを感じているようだった。
「今日、洋平君は寝ずの番をしてくれるのか。」
源次郎は、遠慮なく洋平に尋ねてきた。
「いえ、できれば、一旦、帰ってきたいのですが、どうもそうも行かないようで。」
「まぁ、今日は帰ってもらっちゃ困るな。」
確かに、そのときは、他の親戚も、引き上げていて、残っているのは、光一の家族と、源次郎。それに政子と洋平の家族だけになっていた。
寝ずの番は光一と源次郎に任せるわけにも行かず。
帰られないという状況だった。
それでも、洋平は、誰にも愚痴を言わなかった。
「そうですね。ただ、夕べも寝ていないので、少しだけ寝かせてください。」
「そうだな。交代でしようか。」
「御願いします。」
それだけ言って、洋平は、実家に戻った。
実家では、春奈親子と、涼子たちが、寝る準備をしていた。
光一の家の猫も三階の、洋平の寝る布団のところで、寝そべっていた。
ここでも、洋平は、顔をしかめただけで、文句を言わずに寝に入った。
洋平の猫嫌いを知っている涼子は、今度こそ、怒り出すに違いないと思っていただけに、
意外な思いだった。
それでも洋平は、3時には起きて、寝ずの番についた。
政子も、洋平が起きたのに気がついたので、二人で、源次郎と光一に代わることになった。
3時から7時までの4時間、番をして、一旦家に帰った。
その頃、涼子も起きて子供たちを起こしていた。
涼子は、みんなの分のおにぎりを朝から準備していた。
子供たちも、お握りに海苔を巻くのを手伝った。
その最中に洋平は、帰ってきた。
それをみて、うれしそうに、
涼子の肩に手を置き一言、
「ありがとう」
といった。
昨日、少し、もめかけた、家族葬の説明を、
葬儀屋から、文句が出た親戚に対して、説明をしてもらっていた。
そのときも、光一から、呼び出されて、会場に向かって、
葬儀屋と、打ち合わせをしていた。
涼子は、何から何まで、文句を言わず、葬儀を進める、洋平にいつもとは違う一面を見る思いだった。
ただひとつ、洋平が、葬儀中で、自分を押し通した一瞬があった。
それは、喪主である、政子が位牌を抱いて火葬場に向かったとき、
遺影を抱くのは誰かとなった。
「私が抱きます。」
有無を言わせない雰囲気で、言い切ったときだった。
本来、長男が抱くべきだと、批判を受けるのを覚悟の上だったようだ。
しかし、誰も、何も言わなかった。
精進揚げの時も、洋平は、親戚に喪主に代わって、挨拶して回った。
親戚が、亡き父のことで何か言いそうになったときも、上手くいなして、
揉め事にならないように、心がけているようだった。
葬式はつつがなく終わり、続いて初七日も、無事に終了した。
洋平の疲労は顔にまで出ていた。
しかし、葬儀につきものの親戚間の揉め事は、殆ど起きなかった。
涼子は、洋平の手腕に驚いたり感心したりだった。
洋平は、葬儀の後、後片付けを行い、
一段落したところで、自分の家に引き上げた。
葬儀の次の日洋平と涼子は、子供たちを、学校と、保育園に送り出した後、
政子の待つ、実家に向かった。
家に着くなり、洋平は、まだ残っていた、兄夫婦に遺産の話を切り出した。
自宅の土地建物を如何するかということだったが、
ばつが悪そうに、光一は、要らないと答えた。
それもそのはずで、自宅を建て替えるときに、
康三の名前では、ローンが降りず、
如何するかと話し合ったとき、光一は、ローンを断ったのだった。
そして、当時まだ独り者だった、洋平が、ローンを引き受けたのだった。
「すると、後は、お金の話になるけれど、母さんも、元気だし、この家で、当分一人で、住むのだから、僕の分は、母さんに渡そうと思う。
兄さんは如何する?」
「それでいいよ、母さんに全て、渡そう。」
これで、父の遺産については、簡単に話が決まった。
その後、間髪を入れずに、洋平は
健康保険の切り替え、年金の切り替えの準備。
光熱費などの支払い口座の切り替え、電話の切り替えなどをてきぱきと、処理して行った。
一日目で、光熱費や、電話などが止められないようにだけは手続きが終わった。
また、守山病院にいき、支払いを済ませた。
その金額の高さに驚いたがいかんともしようがなかった。
次の日には、相続税や、確定申告のことも気になるので、
政子を伴い、税務署に出かけた。
相続税なんてかからないと、洋平は思ったが、素人判断はやめて、
全て、公的なところに相談して動こうという判断からだった。
結果、相続税は一切かからないということがわかり、一番ややこしいと思われた事があっさり、片付いた。
その二日後には、年金の手続きが完了し、康三が残した、銀行などの口座の手続きのめども立った。
この間、洋平は、毎日、実家に通い、日に幾度も役所に訪れ、手続きを行った。
後は、そう急がないものだけに忌引き休暇の間にすることに、出来た。
人心地ついて、家に向かった。
家では、一足先に忌引き休暇を終え、仕事から帰った、涼子が子供たちと一緒に待っていた。
「やっと、終わったよ。涼子。」
「そう、よくやったわよね。」
しみじみと涼子は、洋平を見た。
洋平が涙ぐんでいるのがわかった。
「俺って、なんて親不孝だったんだろう。」
そう言って、子供たちの前にもかかわらず、洋平は泣き出した。
「あなた。よくやったじゃない。お母さんも喜んでいらっしゃいますよ。」
「そうじゃないんだ。そうじゃ。」
洋平は泣きながらつづけた。
「俺は、親父を好きになれなかった。会えばいつも、いやなことを言われた。
だから、実家には足を向けなかった。親父は、もっと孫と遊びたかっただろうに。
この前、家族で、ビッグバンに行った帰りも、家のすぐ近くを通りながらも、
結局、家に寄らなかった。親父は年寄りなんだから、こちらから、歩み寄るべきだったんだ。
だけど、出来なかった。子供たちにしても、もっと爺ちゃんと遊びたかったに違いないんだ。
俺は、俺は、親不孝であり、だめな父親なんだ。」
最後は、嗚咽に変わっていた。
「あなた、そんなことないし、死んだ人には、何かしてあげたらよかった。って思うものなのよ。
その分あなたは、葬式をきっちり、執り行ったし、揉め事ひとつ起こさなかったじゃない。
それだけでも、お父さんは喜んでいるとおもうわよ。」
「親父がなくなって、こんなにさびしくて、悲しいなんて・・・・」
「お父さん。僕だってさびしいよ。」
「私だって。」
健と亜紀も涙ぐんでいる。
「健、だけどな、おばあちゃんはもっと寂しいんだよ。だからな、健は、これからは、おばあちゃんを入れて、5人家族だと思ってね。」
「やった。家族が、一人増えたんだ。」
健と亜紀は、無邪気に喜びの声を上げた。
洋平たちは、抱き合って泣いた。
亡くなって、その人の存在感に出会うことが出来るのかもしれない。
洋平の家族の絆は、康三の死によって、新たな結びつきになったようだった。