#4 日本大爆発! 御手家最後の日
それから徐々に日も短くなりつつある季節。休日の午後に、御手はワン太の散歩をしていた。
「わんわんワン太ー」
人目を憚ることなく自作ワン太ソングを口ずさみつつ、近所の神社の境内を散策する。そんな御手の足元で、ワン太は瞳を輝かせながら枯れ草の茂みをかき分けていた。
御手家にやってきて一年近くを経たワン太は、徐々に成犬へ近づきつつあった。体格的には、小型犬よりも一回り大き目なサイズにまで成長している。精神的にも落ち着き、屋内では子犬の頃のように無闇にはしゃぎ回る事はあまりなくなった。しかし、一歩表に出ればその余り有る体力を発散させるべく、リードをぐいぐい引っ張ってどこまでも遠くへ行かんとするのであった。
御手はのんきに当て所も無くふらふらと神社の近辺を徘徊するのであるが、それを遠巻きに見つめる近所の住人の視線は険しい。インターネットは規制され、テレビや新聞といったマスメディアにも検閲の目が光るこの時代において、人々の世界観は文字通り目に見える範囲に限られるようになった。御手家のように地域社会のありように馴染まない存在は、多くの住民から外敵と見なされた。特に御手少年がやらかした後は、商店の入店拒否や郵便物の窃盗、ゴミ袋の未回収など、具体的な形での嫌がらせを住人たちは行い始めたのである。
そういった状況に両親が危機感を覚えて手配したのか、最近の御手の周囲には警察官と思わしき集団が張り付いていた。御手がワン太と外出するときには、必ずつかず離れずの距離を保ちながらひっそりと後ろから追跡してきたのである。しかし、その日はなぜか警官たちの気配は感じられなかった。季節の変わり目だからきっと風邪でも引いて休んだのだろう、と御手は勝手に思い込んだ。
日暮れまでのひとときの間うろついた後、御手とワン太は家路につく。
そして我が家の前で人だかりと遭遇するのである。
朽ちた古木を思わせるやつれた老人。みすぼらしい身だしなみの若い男。生活に疲れ果てた中年女。その他多くの見知った近所の貧しい住人たちと、彼らの背後に控える業者らしきツナギ姿の男たちが、家の前で御手を待ち構えていた。ツナギ姿たちのリーダーと思われる男は、身構える御手を険のある目つきで一瞥すると、路肩に停車してあったワゴン車に向かい、何やら指示を飛ばした。
ワゴン車の後部扉が開き、数人のさす股を携えた男たちと、彼らの腰ほどの高さもある大きな鉄製の害獣捕獲用ケージが姿を現す。
その様を見てカンの悪い御手も状況を察した。
「ワン太を連れて行くのか!?」
ケージを載せた台車が、ツナギ姿の男たちに押されて迫る。御手は足元のワン太を見下ろした。御手の脳裏に、あの夏の日の野良犬の悲しげな瞳がよぎり、それが目の前のワン太と重なる。
御手は身を翻し、ワン太を連れて逃げ出そうとするも、近所の住人たちに行く手を阻まれた。前門の貧乏人たち、後門のツナギの男たち。万事休すであった。御手の背に冷や汗が浮き出る。
中年女が、贅肉を揺らしながら御手を睨み付けた。
「ワガママもいい加減にしなさい! あんた達ばかり金持ちで、街のみんなは迷惑してるのよ!!」
粘着質で甲高い、聞き苦しい声だった。嫌らしい被害者意識が滲み出ており、耳にした御手の首筋に鳥肌が立つ。ワン太が警戒し、騒々しく吠えたてる。御手は前後左右を見回すが、四方を囲まれ、退路はなかった。。
「みんな頑張っているのに自分だけ楽をするのか!」
若い男ががなる。
「政府は年寄りイジメをやめろ!」
老人がガラガラ声で喚いた。
「田んぼを返せ!」
「責任感は無いのか!」
「飲みにケーションだ!」
住人たちの声は更に続く。彼らは御手を責め立てているように見えたが、その実、言葉の矛先は自分自身の日々の生活苦にあるようだった。きっと、彼らは御手家を加害者として糾弾する体で、不平不満や恨みつらみを吐き出し、自分の人生に言い訳しようとしているのだろう。その証拠に、彼らはとても生き生きとしていた。御手を誘拐し、山小屋で殺害しようとしていたあの男たちのように。
住人たちは被害者となりきることで、相対的に正義を執行している気分になっているのだ。
十月の風は冷たく、日は傾きかけていた、ほどなくして夕焼けの時間帯になる。
「わかったよ」
御手はワン太を抱き上げると、ケージを引く男たちに向かって歩き出した。
住人たちはあっさり折れた御手の態度に腹を立て、ますます勢いを増して口汚くののしり始める。
野次と罵詈雑言の嵐の中で、御手はツナギの男のリーダーと向かい合う。
「そのケージに入れればいんですか?」
「そうだ」
ツナギの男の一人が、台車の上のケージの扉を開けて御手を促した。
「ちょっと家族に電話します」
御手は携帯端末を操作し、父母や弟に電話をかけるも、誰も出なかった。携帯端末を仕舞うと、御手はその腕に抱いているワン太へ頬ずりをした。暖かく、優しい匂いがする。
「じゃあ、これちょっと持っててください」
御手は台車の隣にいる男へウンコ袋が入ったお散歩バッグを手渡した。お散歩バッグを受け取った男は、何となく中身を確かめる。そこには御手の携帯端末が入っていた。
その瞬間、まばゆい発光が男の目を焼いた。耳を聾する大音量のアラーム。
「ウワーッ!」
限界光度のフラッシュと最大ボリュームのアラームで、視覚と聴覚を奪われた男は、バッグを放り投げてひっくり返った。ワン太がけたたましく吠える。
それと同時に、御手はケージが載った台車を全力で蹴りぬいた。
台車の衝突を恐れた男たちが進路上から転がるように退避する。モーゼのように人ごみを左右へ除けた台車は、そのまま猛烈な勢いでワゴン車の後部扉へ激突した。金属がひしゃげる騒音が響く。
間髪入れず御手は放り出されたウンコ袋バッグを拾うと、全力で駆け出して自宅の門扉をくぐった。一階の車庫に飛び込み、シャッターを閉める。
携帯端末をウンコ袋バッグから取り出し、着信を確認するが、家族からの連絡は来ていなかった。
車庫から二階の自室へ靴を履いたまま上がり、素早く荷物をリュックサックへまとめ始める。財布、充電器、チリ紙にハンカチ、着替えの下着、十得ナイフなど。あとは食料をリュックサックの容積が許す限り詰め込めるだけ詰め込んだ。車庫に置いてある折り畳み自転車も二階へ上げた。
ワン太は興奮してトイレシートの上に小便をしたりベッドの上で飛び跳ねたりしている。
住人やツナギの男たちの怒号が窓の向こうから響いていた。御手は窓から顔を出し、自宅の玄関を叩く群衆を見下ろす。
御手の姿を確認した人々は、憎悪をむき出しにして声の限り恫喝し罵倒した。
「すいませーん! お詫びにこれ恵んであげるから! 許してください!」
御手も負けじと声を張り上げ、ウンコ袋を眼下の住民の群れへ投げつける。
「これもどうぞ!」
続いてイスやら花瓶やらを投擲した。
怒号に悲鳴が混じり、熱狂と混乱はますますその度合いを高めていった。
「エイッ! エイッ! エイッ!」
御手は家中のハサミやら包丁やらを住人たちにスローイングする。中年女の喉に刃物が突き刺さり、血を吐いて倒れ伏した。
「人殺し!」
住人の誰かが吠えた。
「燃やせーっ!」
住人たちは自宅から灯油やらガソリンやらを持ちより、玄関前の庭先へ散布し始める。御手はリュックを背負い、左手でワン太を、右手で折り畳み自転車を抱え、隣室の弟の部屋へ向かった。御手は弟が、たびたび夜間に窓から倉庫の屋根へ出て、そこから裏庭へ飛び降り外出していることを知っていた。
御手は物音を立てぬよう、細心の注意を払って窓を出て倉庫の天井へ立つ。折り畳み自転車をロープで結び、裏庭の家庭菜園の上へ降ろした。次いで、ワン太を両手で抱えて自身も飛び降りる。
玄関の方からは、喧騒と歓声が轟き、黒い煤煙も漂ってきていた。
御手は折り畳み自転車を手早く展開し、ワン太を脇に抱えて飛び乗った。裏庭沿いの畦道へ出て、その場を後にした。
夕闇が迫る。空気は一層肌寒さを増し、冷や汗まみれの御手の体温を奪う。
これからどこへ行こう、家族はどこにいるのだろう。御手は腕の中のぬくもりを確かめるように抱きしめた。
過疎が進むこの地域には、バス停も駅も無い。だから、運転免許も車も持っていない学生が長距離を移動するとしたら、自転車に乗るしかない。だから、御手も常日頃から自転車の運転には慣れていた。
しかし、成犬に近づきつつある中型犬を抱きながら自転車を運転するのは、運動不足気味な御手では相当な体力を消耗する。自転車は電動アシスト付きのものだったが、それでも限度というものがあった。それに、ワン太も抱きかかえられたままでは消耗してしまうだろう。
そのため御手は家からある程度距離をとった時点で、自転車から降りて徒歩で進み始めたのだが、それが良くなかった。追手が乗用車に乗って現れたのである。
月明かりが街を照らす時間帯。
入り組んだ裏道で、御手はワン太を抱きながら片手運転で必死にペダルを漕いでいた。
「犯罪者め!」
「みんなの迷惑を考えろ!」
吠えたてる住人たちの軽トラックや軽バンに混じり、ツナギの業者が運転するワゴン車も御手を追っていた。
「うちの家にも延焼してるんだぞ! どう責任取るんだ!」
御手の家に火をつけた隣家の主人が、怒り狂って軽トラで御手を轢殺すべく猛追する。しかし男は狭い路地でハンドル操作を誤り、御手の自転車に追いつく前に電柱へ衝突してしまう。ひしゃげ、爆発炎上する軽トラ。へし折れた電柱が後続車を押しつぶし、更にうねる電線が紫電をまとって逃げ惑う人々を打ち据える。
追手の群れは、正義に猛る糾弾者から、一瞬で無残な死屍累々の山と化したのであった。
「人殺し! 人殺し!」
「訴えてやる!」
罵りの声も炎上する軽トラの炎に遮られ、御手の背に届くことはなかった。
これで助かった、と御手は考えなかった。御手の耳朶には、罵りの声よりも大きな、そして不吉な轟音が届いていたのだ。
御手は後ろを肩越しに振り返った。
そこには、住人たちの車両を踏み潰す、巨大なカーキ色の軍用運搬車の威容があった。運搬車はその巨体ゆえあまり速度は出ていないが、他の一般車両や民家、電柱などを意に介さず、全てを踏みしだきながら真っすぐ御手へ目指して突進して来る。
御手は号泣しながらペダルを漕ぐ。
より狭隘な道に入り、追手を撒こうと試みる。しかし、運搬車は容赦なく機銃を発砲し、自転車の後輪を吹き飛ばした。
ワン太はくるくると宙を舞ったあと見事に着地を決めるが、御手はずだ袋のように路上へ転がった。
御手は全身の痛みに震え、立ち上がることもできない。そんな主人の顔をワン太は舐めまわし、励ました。
運搬車の耳を聾するエンジン音が徐々に迫る。
「ワン太……逃げて」
どうも追手はどうしてもワン太を供出させたいらしい。しかし、自分をリンチすれば、それで気が晴れて供出は諦めてくれるかもしれない。御手はそう考え、ワン太に自分だけでも逃げてくれと訴えかけたのだ。
しかしワン太は犬なので御手の言葉の意味は理解できず、逃げ出すことはなかった。御手の口を舐めたり、運搬車へけたたましく吠えたりするばかりだった。
自分がもっとしっかりしていれば、別の道を選んで逃げれば、自転車などで逃げ出さず業者や住人たちと粘り強く交渉できれば。御手は悔恨に駆られ、嗚咽した。
御手は、自分がこれから死ぬのだろうと考えた。近所の住人たちは今までにも何度も御手を殺そうとしてきたし、今日にいたっては家に火をつけ、軍用のトレーラーまで持ち出して追いかけてきた。常軌を逸した殺意を感じる。
しかし、ワン太だけは。ワン太だけは傷つけさせるわけにはいかない。ワン太は御手の家族なのだ。御手は力を振り絞り、立ち上がった。せめて父の所に送り届けることができれば、ワン太を守ることはできるはずだ。そのためには……。
「死んでも、あいつらを食い止める!」
「それは俺の仕事だ」
塀の上から黒い影が御手の隣に舞い降りた。黒い影は運搬車を睨みつけたまま、御手へ語りかけた。
「ここは俺に任せてもらおう」
いつもの黒いコートをはためかせた中学二年生の弟が、追手に立ちふさがった。威風堂々とした、まさに強者の佇まいである。
御手は弟の突拍子もない言動には慣れっこだったが、さすがに今日ばかりは腰を抜かさんばかりに驚愕し、そして怒り狂った。
「何言ってんの!? 漫画じゃないんだよ!」
御手は運搬車を指さして怒鳴った。
「任せるって、どうするのアレ! どうすんの!? こういう時くらい現実みようよ!」
「うるさい、お前が言うな。この先にタクシーを呼んである。さっさと行け」
わめきたてる御手の尻を、弟が蹴飛ばす。
「まごまごするなよ。グッドラック……」
背中越しに親指を立てる弟。御手は訳も分からず、ワン太を抱えて半泣きで走り去るしかなかった。
弟はサムズアップのジェスチャーを、突進してくる追手たちへ見せつけ、そして拳の上下を反転させて親指を地面へ向けた。
「裁きの時間だ……ギルティ」
弟は両手を天に掲げ、朗々たる声で宣言した。
「出でよ、我が愛機“レッドドラゴン”!」
弟の背後の空間が不意に水面のように揺らぎ、そして深紅の塗装が施された34式改が姿を現した。アクティブ迷彩にて透明化していたのである。右手には延長砲身の35ミリ機関砲が、左手には防循が携えられ、背部には推進器が増設されていた。
急停車した運搬車へ、34式改の頭部の自動迎撃機銃が12.7ミリ弾の豪雨を浴びせる。運搬車の強化フロントガラスは粉々に砕け散り、銃座は穴だらけの鉄くずと化した。
弟は手にした携帯端末で34式改を降着状態にさせ、ハッチを開けると、ひらりと飛び乗る。黒コートに内蔵されているスキンタイプのマスクとヘルメットを装着し、操縦桿を握った。
それと同時に、運搬車も発煙弾を展張した。積み荷のKRVが起動したのだ。
弟は容赦なく運搬車へ35ミリ機関砲を浴びせるが、盾となった牽引車両が吹き飛ぶ前に、積み荷のKRVはエンジンを噴射して宙へ舞い上がった。
それを追い、34式改も跳躍する。
34式改のインジケーターには、標的の機種はR-31と表示されていた。タコ助でも、R-29ですらない、先日主力機として調達が内定したばかりの最新鋭機であるR-31が、なぜか日本の片田舎で戦闘行動をしているのだ。弟はその意味を理解していた。
「結局、親父も矢野のじいさんもしくじったってことか」
R-31はその推力に任せて鋭角的な軌道を描きながら、対戦車ミサイルをバラまいた。それを34式改は木の葉のようにひらひらと舞いながら回避する。目標を逸れた対戦車ミサイルは帰宅ラッシュですし詰めの幹線道路へ降り注ぎ、地獄絵図を描き出した。
R-31の性能に頼った雑な機動に微笑ましさすら感じながら、弟は巧妙に35ミリ機関砲で追い詰めていく。R-31のアビエイターは回避方向を予知したかのように襲い来る偏差射撃に焦りを抱き、引き撃ちを止めて機関砲を連射しながら34式改へ突進を試みた。
「これから楽しい国になるぞ、日本は。ヘドが出るほどにな」
弟はニヒルに笑みを浮かべながら、すれ違いざまに防循のカッターブレードでR-31の操縦席を切り裂いた。
御手が裏路地を抜けて表通りに出ると、そこには近頃めっきり見かけなくなっていた有人タクシーが停まっていた。
いそいそと御手は乗り込み、財布の中身を確認する。予算はあまり無かった。
「どちらまで?」
運転手が後部座席の御手へ振り返り、ワン太の存在に気が付いた。
「すいません、犬はちょっと……」
「あのトラックを追ってくれ! 早く! でも怪しまれないように静かにつつましくね」
御手の勢いに押され、運転手は目を白黒させながら発車した。思い付きで目の前を走る県外ナンバーの大型トラックを追うように運転手へ頼み込んだが、しかし御手は行く当ても今後の展望も無かった。
これからどこへ行こう。 戦争も学校も無い場所がいい。でも、大学は行きたかった。御手の疲れ果てた頭脳にとりとめもない考えが浮かんでは消えていく。
タクシーの座席に身を沈め目を瞑る御手の頬に、ワン太が鼻先を寄せた。
大型トラックは二十分ほど寂れた農道を走ったのち、道沿いの工場の駐車場に入ってすぐに停まった。それを追ってタクシーも駐車場の脇に停車する。
「ここでいいんです?」
「えっ、あ、はい」
思ったよりも早く停まってしまったが、どの道これ以上の距離のタクシー代は支払えないため、御手は大人しく車を降りた。
ここは、町はずれの、山のふもとである。周囲は木々に囲まれ、街灯も民家もなく、身を隠すにはうってつけであるようにも思えた。
走り去るタクシーを横目に、御手は財布の中身を確認する。残金は小銭をかき集めて千円あるかないか。家を失った身が生きていくにしては、あまりに心元が無さすぎる。
携帯端末を見やるが、相変わらず家族からの連絡は来ていない。弟からも。
御手は心細さに震えた。
「メシでも食べるか」
御手は歩道に腰を下ろし、月明かりと工場の照明を頼りにリュックサックをあさる。ワン太用の飼料は持ってこれなかったので、パンなどを細かく割いて与えるしかない。
このまま両親と連絡がつかなければ、ここで野宿することもあり得る。そう考えると、食料も節約したほうが良いかもしれない。
「お前、ここで何をしている」
威圧的な、そしてやや聞きなれない訛りのある声が頭上から降ってきた。後ろを振り返り、そして見上げると、作業着姿で体格の良い中年男性が御手の頭へ拳銃を突き付けていた。
「なぜ俺たちを付けていた?」
御手はうろたえつつも、拳銃を突き付ける中年男性の死角になる右手をポケットに突っ込み、じりじりと手を動かして十徳ナイフを探り当てる。
「リー、ちょっとまて!」
大型トラックの運転席から若い男が大声で中年男性を静止した。
若い男はトラックを降りると、御手の前に駆け寄る。
「こいつはCCD導体ステートメンターだぞ、なんでここにある……いや、これは僥倖だ」
若い男に訛りはなかった。目を白黒させている御手の前で、若い男はワン太を抱え上げた。
「捕獲には別の分隊が動いていると聞いたが……、まあいい、参謀部に伝えよう」
ワン太は激しく身をよじらせて抵抗するが、若い男の腕はビクともしなかった。
「何するんですか!」
御手が声を荒げて立ち上がろうとするが、中年男性は頭へ拳銃を押し付けて動きを封じた。
「御手くん?」
中年男性の背後から、一人の女が姿を現した。女は数人のツナギ姿の男を引き連れており、その腕には小銃が抱えられている。御手は彼女の顔に見覚えがあった。彼女は宝だった。
宝は少し驚いた表情をしていたが、すぐに顔を背け、きびすを返して工場へ向かっていった。若い男もそれに続く。宝と男たちは、日本語とは異なるイントネーションの言語で何やらボソボソと話し合いながら、工場の裏口へ消えていった。
「今さら後始末も口封じもないだろうがな、これも仕事だ」
中年男性が拳銃の撃鉄を起こしながら、独特の訛りで御手に語り掛ける。御手はワン太を追うことも、拳銃の銃口から逃れることもできず、ただ唖然と中年男性を見返すしかなかった。
「あんたたち、まさか中国の……」
御手の言葉に返答はなかった。
そして、拳銃が御手の頭を吹き飛ばすこともなかった。
遠雷のような爆音は、すぐさま耳を劈く轟音となった。
戦争がこの街にもやってきたのだ。
目の前の工場に巨大な炎の柱が聳え立ち、爆風が何もかもを打ち砕いた。御手に拳銃を突き付けていた中年男性も、瓦礫に全身を切り刻まれて死んだ。御手が助かったのは、地べたに座り込んでいたため、飛散した礫や熱波を回避することができたためであった。
その後のことを、御手はあまりよく覚えていない。
結果として御手は生き延びた。御手以外の多くの人間は死んだ。その夜、御手の人生は死に、そして新しく生まれ変わった。それだけが、御手の全てだった。
その日、東京は瀋陽軍の核攻撃によって滅んだ。
返す刀で全国の都市や工業地帯に弾道ミサイルが降り注ぎ、その中に御手の住む街も含まれていた。
この街は太平洋側に面していたため、瀋陽軍が直接上陸してくることは無かったが、何千人、何万人もの人々が一夜にて命を落としたのだった。
こうして御手は家族と家を失い、野良犬のような人生を歩むこととなる。 そして、ベンダー傭兵として屍山血河を築き上げていく彼の傍らには、常に血に飢えた軍犬たちが控えていた。
御手は犬たちだけを家族として認め、己自身も獣のように無垢なる殺戮者として振舞うのであった。