8懐かしの故郷、崩壊
ヒタキの故郷の山でヒタキの父は空を見上げていた。
セキレイは自分の国が崩壊してゆく不安の中、意識が遠のいてゆく。
懐かしの故郷
『おぬしの娘がやってくるぞ。早く迎えに行かんかい』
シギが島の岩山を上っている時、不意に声が聞こえて振り向いた。
ヒタキの育った島の大きな岩山。父、シギはヒタキの事を思い出しながら上っていた。
「ん?オオババ様?」
目の前に立っている人影を自分がよく知る者のそれと違うとすぐに感じたが、シギは思わず声に出していた。
『ふむ、おぬしの思っている者ではない。近い存在ではあるがの。あの者はこの山に存在はしているようじゃがな』
身体中を黒い羽に覆われて、黒く光る瞳、細かい羽毛で覆われた顔から表情は読み取れない。
『何をやっておるのじゃ、じき、あらわれよう。急ぎ頂上にある古巣に行くがよいぞ。もう残された時間は少なかろうて、急ぐが良い』
そう言ったかと思うと、冷たい風が吹いて目の前にいたオオババ様と同じ人影は掻き消えてしまった。
オオババ様ではない、しかし、娘とはヒタキの事にちがいない。何かが背中を押すのを感じていた。この島の行く末を相談していたオオババ様、ヒタキをことのほか可愛がっていたオオババ様はヒタキがこの島を出る時から姿を現さなくなった。大木の木の根が山の頂に作った祠に住んでいたが今はもう誰も姿を見ることがない。
きっと今言った事は、真実に違いないのだろう、だとすると急ぎ岩山をのぼらなくては、
シギは研究の為付近の植物等の生態を調べていたが、頂上へと続く道を上り始めた。
岩山はこの島の中央に大きく存在しており、ふもとに大きな大木が生い茂る。少し前までは島の周りにストローグラスが永遠に茂り風にその姿を揺らすばかりだった。しかし今は島の周りには、青く透き通る海の水をたたえて時折航海の船が行き交うのも見ることができる。
はるかに遠い若かりし日、海の向こうの異国に強い憧れを抱いていた自分を思い出す。
岩山はストローグラスが海に変わる前と何も変わらないままで、大きな岩と岩の間からは昔から生えているグラスの硬い葉が高く伸びて実をつけ見守っているようだ。
(ヒタキ、初めての航海は楽しかっただろうか。異国の地はあの子の目にどんなふうに映っただろうか。胸の高鳴りはわれの若い頃を思い出す。やって来るとはどういう事なのだろう)
シギの脳裏に可愛い娘の笑い顔が浮かんで、進む速度が増して行った。
風は心地よく吹き、島の周りの景色が変わったものの、この岩山は何も変わっていない。
遠く高い鳴き声が聞こえて、空を仰ぎ見る。
黒い大きな影がやってくる。
あれは。
シギは眩しい太陽を横目に大きく手を振る。微かに懐かしい声が聞こえた気がして目を細めて声を上げてみる。
その声に反応したのか、シギの遥か高いところで大きな影は羽ばたき弧を描きゆっくりと高度を下げてくる。
その影が、あの日空を飛んだ大きな鳥であることは明白だった。
ヒタキがその鳥に連れられて母のもとに運ばれた日が遠い事のように感じられて、羽ばたく力強い風に目を開けた。
崩壊
洞窟は多くの民が非難するのに十分な広さの場所があった。
ハヤブサたちがたどってきた通路とは反対側に広がっていて、天井が高く今そこにこの国の人々は何とか逃げてきた。
目の前に広がっている広大な愛すべき自分たちの国、それが今崩壊しようとしている。
人々は口々に嘆き悲しみ、悲痛な叫びをあげて見つめた。
「セキレイ、この国の空を覆っている物はどのような物なのですか?」
ハヤブサが今にも崩れ落ちそうな広く奥まで広がっている天井を見つめながら聞いた。
絶えず足元から唸り声に似た響きが襲ってくる。
「はい、あれはストローグラスが空に向かって生えているその根っこが絡み合って形成されたものです。ただ、そこから天に伸びるグラスは短く軽く光を遮っているばかりなのですが」
セキレイは傷む腕を冷やしてもらいながら答えた。
「軽いと言っても強度はあります。ストローグラスの屋根ですから。崩落したら、どうなるのか」
セキレイの言葉に唇をかみしめてオオタカが
「くっそう!どうなっちまうんだ!」
目を皿のようにしてバンとオオバンが嘆いている。
「あんなにきれいに耕して手入れした畑が壊れちまった」
「こんなに土地がありゃ出稼ぎなんて行かなくてもいいだろう、もったいねぇ」
作付けされた畑が揺れて壊れてゆく。
たくさんの赤い実のなった作物がなぎ倒されてゆく。
まるで自分たちの畑を失うように、目に一杯涙をためている。
「本当は盗賊なんてしたくはなかったんだね?」
アジサシが横目で二人に問う。
「ああ、そうさね。あんな立派な畑と土がありゃ、どんだけ作物が取れる事かい」
「おりゃ、身体にいいっていう実のなる作付けしてぇだ」
二人が愛おしそうに見つめる先が畑や田んぼなのを、アジサシは確認して思った。
根っからの農民なんだな、この二人は。
『はたして、間に合うのかのぅ~』
ハヤブサの耳にどこかで聞いたことのある声が聞こえてくる。
振り向き人々のいる奥の壁を眺めると、うっすらと光る穴がみえ先に通じる道があるようだった。
『わしの声が聞こえると見える。不思議な事よのぅ』
もう一度声が耳に届いた。
群衆から一歩後ろに下がって、その先を見つめてみると真っ暗な中に影が見えてくる。
ハヤブサは誰も気づかないのを、確かめながら暗い奥に進んでいく。
暗がりにその影はほほ笑んでいるように感じた。
『じき、大地の震えもおさまるだろうが、この国が亡ぶのかそうでないのかはわしにもわからないよ。そんな顔をするでないわ、わしにどうにかする事ができるのかと思ったようじゃがのぅ』
暗がりにその闇よりも黒い漆黒の羽に覆われた身体、羽毛の生えた顔の中にきらめく瞳は人のそれとは明らかに異なる者だった。
かつて、小さな島のヒタキに連れられて行った祠の中で、出会った不思議な人物の姿と同じようだとハヤブサは感じた。
たしかその者はオオババ様と呼ばれていたが、今目の前にいるこの者は確かに違う。
ハヤブサはここにヒタキがいてくれたら、目の前の者とどう話をしたらよいかわかったのにと思った。
それでもハヤブサは、何かを知っているのであればできる事があれば、聞いてみたいと痛切に思って口を開いた。
「いま、何が起ころうとしているのですか?そして、どうすれば人々を助けられるのでしょうか?」
黒い瞳が光った気がした。
『大地の意思は揺らぎなくこの地をゆらす。その意思をある者は利用しある者は反する』
ため息のように力なく息をはき
『それがわかれの道であり、生きる道に繋がる』
呟くように身体を震わせると口元がゆがんだ。
『われらは、空に舞い大地に生き地中にかえる。大地には昼と夜を司る軸のようなものがあり数百の年月を経てそれがずれるのじゃ。そして、その時大地は震え手を伸ばす』
笑っているような気がした。
『ふふん、何を言っているのかという顔じゃな。そもそも、この囲われた国はその昔大きな湖じゃった。戦いに明け暮れ世界を意のままにしようとした王は、自分の娘が恨まれた兵士にズタズタにされ命を絶たれた時自分のしてきた過ちに蓋をしようとした。ちょうど時期を同じく大地が震え手を伸ばし湖は澄んだ水を失いこの大きな空間を生んだ。この国はそうやって出来上がった鎖された国じゃ。再び大地は震えよう、かゆいと思えば身震いもしようし、息もつくだろうさ』
ハヤブサは眉を寄せた。
「では、なす術がないという事、なのですね?」
暗がりに黒く大きな腕を広げた。腕はまるで鳥の翼のようで艶やかな長い羽に覆われていた。
『希望という物はいつの時代にも表れるもの。解き放つ者、鍵を持つ者。大地の意思は何処にあろうか、それはわしにも、計りかねる。大地の意思を感じる心を持っている者はおるものじゃよ、それを大地もまた感じているようじゃて』
大きくつばさを広げた、と思ったらハヤブサの目の前には洞窟の硬い岩だけが冷たく広がっているばかりだった。
「ああ!なんということだ!」
人々の声と同時に大きな揺れが遥か地の底から起こり、どよめき叫び声が広がっていく。
ハヤブサがオオタカのそばに駆け寄ってみると目の前に信じられない事が起きようとしていた。
「みろ!」
腰を低く落としながらオオタカが信じられないという表情をしている。
目の前の国を作っている大地が傾いだ。
そして唸り声とともに、ゆっくりとせりあがってゆく。
遥か低い大地が少しずつ、今いる頂の高さへと近づいてくる。
洞窟の目線の上には空を隠しているストローグラスの根で張り巡らされた天井部分が、はるか先まで続いている。
「このままいくと、街の建物はすべて粉々に破壊されてしまう!」
セキレイが叫びにも似たかすれた声を上げる。
セキレイのそばで苦痛の表情の老女が独り言のようにつぶやいた。
「もともとはここに平穏な土地などなかったと聞く。所詮大地は、元のままに戻ろうとするのだろうか?ここまで、戦う事を嫌い自らただただ平和を願って生きて来たというのに」
震える肩をセキレイが抱いた。
今まさに、大地はこの洞窟と同じ高さにまでせり上がり、高い塔の天辺は今にもストローグラスの絡まった根っこの中に刺さりそうだ。
大地の揺れは小さくなったが目の前のせり上がる国の乗った台地の上昇は止まらない。
「畑が崩れちまった!」
オオバンの声。
周囲を形成していた畑や田んぼは柔らかい土を崩して壊れてゆく。
「あれは、なに?」
「え?」
群衆のざわめきと不安な声が広がった。
ストローグラスの天に形成された隙間にぽっかり穴が開いた。
「広がっている」
口々に声を上げ、天を指さす。
その先の根っこの絡み合った中に空いた穴が広がっていく。
「どういうことだ?」
オオタカがハヤブサを見つめて目を大きく開いて再び天を仰ぎ見る。
少しずつ空いた穴は広がってゆき、その上空に青く澄み切った空が見えている。
「何かが、横切った」
ハヤブサが見つめた穴から覗いた空に何かが舞っていた。
「あれは、あれはヒタキ!」
空高く銀色に輝く鳥の首元に掴まり大きく手を振り声を上げている。
羽ばたく鳥は口を大きく開け、声を上げている。
「あの馬鹿、またとんでもなく危険な事しやがって!」
オオタカが目を細めて眩しそうに空に弧を描く銀色の鳥を見つめた。
あの時、ヒタキが餌をあげてかえった雛が育った姿に違いない。
空高く舞い上がったあの時の銀色の怪鳥、育った立派な翼は強い風にも負けそうにない。
「ハヤブサ~、オオタカ~、アジサシ~」
遠く高い所から微かにヒタキの声が聞こえていた。
ヒタキが抱きついている大きな銀色の鳥は、驚いたことに舞い上がるごとに口から何かの液体をストローグラスの根っこでできた天にまき散らしている。
そしてそこから、青い空が垣間見えたと思ったら、ぽっかりと穴が開いていくのだ。
遠く遥か先でも同じような現象が起きていて、ストローグラスの根っこで形成された天にされた蓋は、いくつもの穴が開いて空が広がってゆく。
「溶けているんだ!」
アジサシが声を上げた。
間違いない、鳥が吐き出した液体がストローグラス自体を溶かしていくのだ。
空を舞う鳥は何羽もいてそこここに穴を開け、空を見せる。
国を閉ざしていた天井は溶けて少しの土塊となって、上昇する街の中に雨の様に降りつもる。
「ああ、なんてことでしょう!救われた!」
セキレイは膝をついて涙した。
もうこの身はどうなろうと、人々の安堵の世界が開ければいい。
あとは信じられるハヤブサに任せよう、そして国を率いてくれるのであれば、他に何も望みはしない。彼らをここに連れてこられたのがわたしの使命だったのなら、この身は毒されたまま死のうと、何も望みはしまい。安らかに笑って死ねる。
セキレイはそう思うと身体がとても重く苦しい事を感じて目を閉じた。
ああ わたし、今までこのまま国がどうにかなってしまうのかと思って感じていなかったのね。
わたしの身体はもう、とうに峠を越えて死の世界に訪れようとしているのだわ。最後にわたしが助けを請うたあの少女に会ってお礼が言いたかった。
それだけが心残りだわ。
セキレイは遠のいてゆく意識の中で、ハヤブサとオオタカが心配そうな表情で見つめるのを眺めていた。
そして、重く瞼が世界を閉じてゆくのを感じていた。
不思議に怖くはなかったし名残惜しいという気持ちはなかった。
本当に瞼に浮かんだのは、あの時のあの少女の不思議な表情だけだった。
土曜日にアップします。