6帰還
取り戻した記憶がセキレイを駆り立てる。
目の前に探していた者が現れた時、再び大地が揺れる。
帰還
セキレイは注意深く石ころと朽ち果てた草の合間を歩いていた。
風は冷たくはなかったが、時折周囲の枯れた草をなびかせる。目の前にある大きな卵の殻も風に震えて音を立てた。
殻は分厚くとても頑丈にできている。
どれだけの力で雛は卵の殻を割ったのかしら。なんて大きな鳥なのかしら。
セキレイは、自分を連れて来た大きな鳥を思い出していた。
見上げると空は青く透き通っている。白い雲が流れながら笑いかけているように思える。
この空も雲も、憧れ以外の何物でもない。
セキレイは、家族の事を思い出して胸を痛めた。
父も母も無事だろうか、幼い弟、妹、別れる時の決心した表情をもはや忘れる事はないだろう。
もう一度会えるだろうか。
きっと心配しているだろう、だけど愛する人たちの為にわたしは探さなければならない。
冷たい風吹きセキレイの顔に当り髪を空に向けて持ち上げる。
「あ」
カタカタと音を立てた卵の殻の下に、人が入れそうな穴が開いている。膝をついて覗いてみると中はずっと続いているようで吹きあがって来る風が、さわさわと髪をなびかせる。
斜め下に降りてゆくような形で伸びている暗い穴は、それでもかすかに先が明るく思われた。
他に変わったところのない周辺、もはやこの穴に降りてゆくしか手立てはない。
注意深く、ゆっくりと身体を滑り込ませて進むセキレイ。
最初は頭が付きそうな高さの暗がりも、次第に大きくなってゆき手を伸ばしても天井に届かないくらいの大きな洞窟が広がっていた。
もはや腰をかがめずとも降りて行ける暗がりに、微かに明るい先が見え、周りの岩肌を映している。
足元が次第にはっきり確かめられるようになり、前方に光でできた入口が見える。
はやる心を抑えて、ゆっくり進むセキレイ。濡れた大きな石を超えてゆこうとした時、湿った苔に足を取られセキレイの身体は回転して落ちた。
肩を打ち、それでも入り口の手前で止まった。
打った肩は傷んだがほかには怪我もなく、立ち上がるとセキレイは一歩光に満ちた洞窟の外へと進んだ。
暗がりから開けた景色。
「ここは!」
セキレイが愛する人々に見送られてから後、初めて見た空のある空間。
冷たい水を泳いで息を大きく吸い込んだ氷の壁に囲まれた池、あるいは小さな湖?
間違いなくその場所だ。
だが、あの時泳いだ水は今はなかった。
遥か空間の底、小さく緑色の植物が見えた。背丈はないが、ストローグラスだ。その切っ先は鋭い。水は干上がって草むらが眼下に広がっている。
「ああ、あの時のここにも草が生えたのね」
鳥にさらわれる直前、乾いた大地を突き破りストローグラスが出現した。ここも、きっとそうだったのだろう。そのままたっぷりと蓄えられた水はどこかに消え去ったに違いない。
その水をくぐり抜けて、わたしはここまで来たのだ。
セキレイは愕然とした。これでは故郷に帰る道がなくなってしまったではないか。
たとえ答えを見出したとて、愛する人たちを救う事はできない。
ああ、答えも見つからないまま、故郷にも帰れずにわたしはどうしたらいいのか。
不安と疑問が頭の中でぐるぐると渦巻く。
膝をつき、頭を抱えた時、吹き上げる風の中に何か聞こえた。
「あなたはだ~れ?」
下の方から声が聞こえた。透き通る声、小鳥のさえずりのような。
顔を上げると壁沿いに遥か下、一人の少女が立っている。浅黒い皮膚、黒くて大きな瞳、手に剣を持ち笑いかける。
いた。
セキレイはそう思った。探していた少女だ。
自分が何を探して何を求めているのかわからないままだったセキレイは、瞳をこらした。
手を振ろうとしたその時、左肩が痛んで痺れが全身を回る。
彼女に話をして教えてもらわなくては
薄れゆく意識の中でセキレイは手を伸ばした。
遥か下の方で、キョトンとこちらを見ている少女の瞳が揺れる。
まだ、意識を失くすわけにはいかない。頭を振ると声を上げた。
「たすけてください!わたしは病に侵されています。あなたは病の治し方を知っていますね!」
それから、セキレイの信じられないような事が起きた。
少女は岩がところどころ飛び出している氷の壁を、まるで何事もないようにするすると上ってきたのだ。
目の前に立った少女はセキレイにほほ笑んで言った。
「あたしはヒタキ。大丈夫だよ、仲間もいるよ。病ってなに?どうしたの?」
言うのと同時にセキレイの通ってきた洞窟の中の岩に縄を括り付けると、空に投げた。ロープは綺麗に空に模様を描いて落ちてゆく。
間もなく何人もの人影が目の前に現れ、その中にクイナとアオジ、クロジがいるのを見てセキレイは涙があふれた。
「だいじょうぶ?」
「しんぱいしてた」
アオジとクロジが駆け寄って声をかける。
「お前さん、病に侵されていたのかい?」
クイナがセキレイの肩に手を当てて目を細める。
首元まで伸びた青い大きなあざがセキレイの肩全体に広がって、左ひじまで伸びていた。
左手を掴むと身体が熱い。
「これは」
苦悩に表情を曇らせるクイナ。
「病気なの?」
「治るの?」
アオジとクロジが心配そうにセキレイの顔とクイナの顔を覗き込む。
その時、地の底から微かな響きが聞こえてくる。
「まずい!揺れるぞ!」
オオタカが声を上げる。
大きな音が次第に唸りを上げ、大地のきしむ音が聞こえる。
「こちらへ!」
セキレイが降りて来た洞窟の入り口に立ってハヤブサが皆を押し込めて両手を広げた。
その刹那、バリバリという音とともに、切り立った氷の壁が崩れ始める。
大地が揺れ身体が振り落とされそうになるのを、必死で洞窟に倒れこむように飛び込んだ。
「皆、無事か?」
ハヤブサが暗がりの中、ゆっくりと注意深く目を細める。
「お姉ちゃんいないよ」
「元気なお姉ちゃんいない」
アオジとクロジがきょろきょろしながら首をかしげる。
「ヒタキがいない?」
ハヤブサが暗がりから外の崩れてゆく氷の塊に目をやる。
大きく揺れる岩肌、表面を覆っていた氷が落とされてむき出しになった岩石。明るかった外の世界が途切れてゆく。
「これは何だ?」
オオタカが走って行ってさっきまでたっていた場所に顔を出すと、空間一面にストローグラスが伸びてくる。
「オオタカ、危ない!顔を出すんじゃない!」
ハヤブサの脳裏に、イソシギに聞いた話が揺れて危険を知らせた。
その昔、海を飲み込んだストローグラスはたくさんの人々の命を奪ったのだ。その鋭い天に伸び行く刃で。狂ったように伸び行く硬い植物の切っ先で。
小さな湖であった場所から延びた硬い鋭い葉を持つ植物は、大地の揺れとともにグングン空に向かって伸びていた。
「ありえねぇ!」
顔をひっこめたオオタカのすぐ目の前で、スルスルと伸びてゆくストローグラス。
太陽の光にキラリと鋭利な先端を光らせて、成長している。濃い緑色が輝く。
その間にも立っている岩穴の中でさえきしんでバリバリと音を立てて小さな小石がどこからか落ちてくる。
オオタカのすぐ横にアジサシが呆然と言った風で立ちすくんでいるのをみて、
「お前の相棒はどこ行っちまったんだ?」
アジサシは首を振った。
「わからない、わからないけど。また僕を置いて行ってしまった」
アジサシが一番最後にかけられたロープを掴んで上って行ったところには、知らない女性が倒れていてクイナがその身体に触れて、渋い表情になっていた。
皆が怖い顔で見つめる中、アジサシを見てヒタキは笑った。
そして、空を向くと口元に片手を当てると、笛のような音を立てた。
その時地面は揺れて動き、大地の怒る唸り声が聞こえてくる。
立っていられない大きな振動に、ハヤブサに肩を掴まれると同時に暗がりに倒れこんだ。
あの時、ヒタキは何をしていた?
何かが視界の端をかすめて飛んでいく。
あれは、あれはなんだった?
「鳥がとんでいたね」
「ストローグラスから逃げていたよ」
二人の幼子が奇妙な事をつぶやいた。
アジサシが大きな声を上げた。
「そうだ、ヒタキはまた鳥に連れて行かれたんだ!」
大きな岩陰に皆を非難させながら、ハヤブサが
「なぜ?」
アジサシに問う。
アジサシは首を振りながら座り込んで頭を抱えた。
大地の揺れはそれでも少しおさまってゆくのを感じて、皆安堵のため息を漏らす。
クイナはセキレイが自分の家に現れた事を、話始めるとセキレイの肩に手を置いて悲痛の声を上げる。
「この病がもたらすものは死以外にないと言われています。この分じゃ、もうじきこのあざの色が変わってゆき、そして腕は朽ち果てて」
クイナはそこで唇をかんだ。
「この子たちの父親もその病で天に召されたんだ」
セキレイはハヤブサが顔を覗き込むと、ハッと我に返ったように顔を上げた。
「わたしはもう国には帰れないでしょう、もうすでに残された時はなくなってしまった」
震える声にハヤブサが頷いた。
「我々があなたの国に連れて行ってあげますよ。安心してください。あなたは『鎖された時国』の方ですね」
セキレイは頷きながら首を振った。
「わたしたちの国は鎖されています。氷の大地の下を通ってこの池に参りました。けれど通ってきた水に満たされた空間はストローグラスに埋め尽くされてしまった」
そう言うと肩を震わせて泣いた。
土曜日にアップします。