表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ストローグラス第二章  作者: sakurazaki
5/12

5 はじまり

吹きすさぶ風の中、セキレイの記憶が戻ってゆく。

ヒタキの目が覚める時、そこにあるのは。

     はじまり


 顔に吹き付ける風に閉じた瞼を少しだけ開いてみる。

 白い氷の壁に沿って飛んでいる。冷たい風が壁に沿って吹き抜ける時、まるでナイフで切り付けられているように頬が痛む。

 セキレイは身体を掴まれている者を見た。

 大きな翼は力強く、巻き上げる風に負けず羽ばたいている。

 瞼を閉じると頭の中に懐かしい歌が聞こえた。


ストローグラスは揺れ続く


 その身はどこ行くどこに着く


 天をもかくし地をかくし


 なにを守り抜くのやら


 ストローグラスは揺れ続く


 もう一度風に負けず目を開いて己を掴んでいる者を見上げる。

 以前、こんな事があった、確かに。それがいつだったのか思い出せない。

 セキレイは自分の記憶の糸をたどっていく。

 昔の事は思い出した、わたしは小さいけれど大切な国の人たちの為に冷たい水に飛び込んだ。

 仄明るい光が希望の光だと信じて。

 冷たい水は身体中を切り刻むように痛く、息は長くはもたなかった。けれど、明るい光が暗い水を透明なエメラルドグリーンに変えてもう少しで手が届くと感じた。

 頭上に広がる大きな氷に沿って泳ぎ進む、行き場のない空間に耐えながらあった、とそう思った。

 そこは明るい光が差し込んでいて水中に遥か下に向かって光の柱を作っている。

 もう少し、もう少しだけ息よ続いておくれ。

 セキレイは祈りながら、毛皮の中に手を突っ込んで丸い肉厚の葉を取り出して口に含む。

 中から酸素がぷくぷくとにじみ出て口の中に広がる。それを飲み込むと鼻からためていた息を吐き出す。

 ついに光の柱で満たされている水面に飛び出した。音がするくらい息を大きく吸い込んでそばの氷の岩に手をかける。

 そこは氷でできた岩の中にぽっかりできた穴だった。

 息が落ち着いて周りを眺めてみると、四方が切り立った氷の崖だ。

 どうする?セキレイは注意深く囲まれている壁を見つめた。

 どこか手をかけて登れそうな場所はないだろうか?反対側に泳いで行って手をかけてみる。

 水色の壁に囲まれた小さなため池の様なそれは、まるでセキレイの国のような気さえする。

 小さな突起は身体を支えて登れそうではなかったが、力を込めて這い上がる。

濡れた毛皮が重く引きずり降ろされそうで、硬く結わえ付けた紐をほどくのももどかしくちぎって水面に投げた。

 毛皮は浮力のあるもので、水がしみこまないように加工してあるものだ。冷たい水中でも身体は沈まないし寒さも緩和される。

 水の中から身体を持ち上げて岩のくぼみに足をかけたが、氷は砕けてエメラルドグリーンの鏡のような真ん中に放り投げられる。

 浮いている毛皮に掴まりながら、何度か同じことを繰り返す間にセキレイの身体の熱は奪われて次第に感覚が無くなって来るのがわかった。

 ここまでなのか、わたしは国の人たちを救う事ができないのか。

 遠くなっていく意識、頭の中で子どもたちが歌う歌が聞こえる。


氷で世界を隠しぬき


 守るものだけ目をこらし


 ストローグラスは揺れ続く


 いつか破けて砕け散り


 冷たい水色無くなって


 愛と想いを抱えながら


 ストローグラスは揺れ続く


 解き放つ者に会う日まで



 薄れゆく記憶に何かの音が聞こえた。

 そう、羽ばたきの音だ。そうして冷たい何もない氷の世界からわたしを掴んで飛び立ったのだ。

 切り立った氷でできた崖を真っ直ぐに飛び、明るくて強い光が身体を温めてゆくのがわかった。

 救われた、そう感じてセキレイは目を閉じていた。


 ああ、そうだったのか、あの時確かにわたしはこの翼に助けられたのだ。

 では、今は?どこへ向かっているのか?

 すべてを思い出したからにはわたしには行かなくてはならない場所がある、そして何をすべきなのかを突き止めなければ。

 わたしは民を救うためにここにやってきたのだから。

 自分を掴んでいるかぎ爪に手を当てて祈るように見上げると、銀色の太陽に輝いて力強い翼が見えた。


 ほどなく風は止み、眼下の氷の壁を一段上ったところに奇妙な場所を見つけた。

 氷の壁はまるで刃を天に突き立てたように真っ直ぐに続いている。その刃の中に土の色をした場所があるのだ。

 大きな円形をしたその周りはストローグラスが倒れて朽ち果てたようにも見える。

 不意にスピードを落としセキレイをその真ん中に落として、大きな翼を持った者はギィーと鳴いた。

 転がり起き上がると、セキレイは近くに降り立ったその生き物を見上げた。

「あの時は、ありがとう。わたしを助けてくれたのはあなたなのね?」

 銀色の翼は太陽に輝き、鋭いかぎ爪は柔らかくセキレイを掴んでいたようだ。

 セキレイを見つめると、ギィーと鳴いてくちばしを上げて、ストローグラスの倒れている真ん中付近を指し示す。

 足元にある植物はしんなりと柔らかく同じストローグラスとは思えないほどだ。たくさんの葉が中心の周りにうずたかく積まれていた跡があるが、今は乾燥してカサカサになっている。パキパキと音をさせながら中心に歩いてゆく。

「これ、」

 セキレイは真ん中にある物を見て、驚いた。そこには、いくつもの大きな卵の殻と思えるものが転がっていた。

「ここは、巣だったのね」

 どうやら、飛び立った鳥の残して行った後のようだ。そしてきっとこの鳥もここから孵った雛だったのかもしれない。

 バサバサと風が巻き起こったので振り向くと、セキレイを連れて来た大きな翼を持った鳥は高く飛び上がった。

「待って!」

 とっさにそう叫んでいたセキレイ。けれど一度陽の光に照らされて銀色に輝いたかと思うと、すうっと青い空の彼方に消えてゆく。

 消えて行った空を見つめてセキレイは思う、あの鳥はなぜわたしをここに連れてきたのだろう。

 太陽の光が降り注ぎ、目の前に広がっている氷の刃でできた壁の中にあるとは信じられないほど暖かい。

 陽の光が涙が出る位に嬉しかった。

 この光を求めてわたしは国を出たのだ。できうることならば、この光を持って帰って民に分けてあげたい。自分の白い手を見つめながら、国の事を思った。

 その為にわたしは何をなさねばならないのか?

 息を大きく吸い込みながら、セキレイは顔を上げた。

 目の前の大きな鳥の今はもう巣立ったあとに向かって、枯れた植物を両手で脇に押しやり中心に向かって一歩ずつ歩いていく。

 迷いも不安も今は不思議と感じなかった。ただ、前に向かって歩いていく。それだけだった。







「やめてくれぇ~、もう悪い事はしませんから」

 近くで声が聞こえた。

 ヒタキは、ガサガサと音がするのと人の気配で意識が戻った。

 目を開けると、真っ暗な中に人影があってひざまずき震えているのだろうか、歯がガチガチと音を立てている。

「気がついたよ」

「気がついたね」

 すぐ耳元で同じような声が右からも左からも聞こえている。

「大丈夫かい?これを口に含んでかみ砕いて飲み込みな、身体が目覚めるよ」

 女の人の声が聞こえてヒタキの口の中に果実が入れられた。

「あ、これ」

 ストローグラスの実だった。少し大きさが小さいが島で食べたり酒にしたりした物と変わらない味がした。

 甘みと苦味が懐かしい。嚙み砕くうちに柔らかくなってゆく果肉。硬い果実は次第に柑橘系の匂いを放ち果汁が喉に流れ込む。

 動かそうとすると痛かった腕や足の感覚が和らいでゆく。次第に身体が目覚めてゆくような感覚。

 ああ、これ懐かしい。

 ヒタキは少しの間、島に戻ったような気がして心が温かいもので満たされてゆく。

「くじいていた足首にはこの実を塗り込んでおいたから、大丈夫だろう。お前さん、知らない顔だねぇ、それにこの辺の人じゃないよね、あたしはクイナ門番さ。そこにいるのはあたしの子どもたちでアオジとクロジだよ。大地震で飲み込まれたのかい?災難だったねぇ」

 クイナがランプに火をつけると、真っ暗だった世界がゆらゆらと現れた。

 そこはとても大きな岩の空洞らしく、ストローグラスの刃からも守られているようだ。

「家の物置から来たよ」

「物置に穴が開いてたよ」

 小さな子どもたちが楽しそうにヒタキを見つめている。

 ヒタキは思い出した、山が連なる木々と一緒に崩れて流れて行った。その中に自分と盗賊だった一人が流された。土は次第にサラサラの砂のような形状になってまるで川の濁流に巻き込まれたように渦を巻いて流れた。

 渦を巻いて流される中、一緒に流された男の腕を掴んで引き寄せたのは覚えているがそれから先は気を失ってしまった。

「あ、あたしと一緒に流された人は?」

 気がついた時にうずくまって震える人影があった方に顔を向ける。

「ああ、こいつはあたしの家の金を狙ってやってきた泥棒の一人さ。こんなやつほっといていいさ。さっき顔をじっくり拝んでやったからね。怖がって震えてるのさ」

 男はいっそう小さくなって震えている。

「すまねぇ、許してくれ。どうか返してくれぇ、兄貴のもとに。おねげぇします」

 ヒタキは笑い声をあげた。

「あたしも脅されたよ、でも、何にも盗めなかったね。なんだかおじさんよっぽど運が悪いんだよね。流されちゃうなんてね」

 ころころと笑うヒタキに一緒に声を上げたアオジとクロジ。

「何も盗めなかったね」

「運が悪いんだね」

 ヒタキの両脇でニコニコ笑っている子どもたちを見て、ヒタキが笑う。笑い声が洞窟にこだまして奥深く響いている。


(先を急がれよ。鍵が落ちるころじゃ、前へ進まれよ!)

 身体を起こしたヒタキの耳に低い声が聞こえてくる。

 どこか懐かしく、それでいて初めて触れる声のトーン。

 顔を上げるとクイナと目があった。

「あんたも、この声が聞こえるとみえる。それじゃあ、一緒に先を急ごうじゃないか!アオジクロジ、そのお姉ちゃんを起こしておやり!」

 不意にヒタキの身体が軽くなったと思うと、ヒタキよりずっと小さい二人の子どもに両腕を支えられて起き上がっていた。

「すごいね、あんたたち。力持ちだね、びっくりしたよ」

嬉しそうに

「力持ち」

「すごいよ」

 土塊にまみれていた身体をはたくと、

「おじさんも一緒においでよ。ここにいても助からないよ」

 そう言って男の肩を叩いた。

「ありがとうございます、俺はバンと言います。連れてってください、なんでもしますから」


 暗い洞窟は遥か彼方まで続いているようだった。上り坂は急だったが、誰一人きつそうな顔をしてはいなかった。

 大きな洞穴は少しだけ小さくなってゆき、その先にぽっかり空いた穴がわかれている場所に着いた。

 クイナが目をつぶって息を吸い込んだ。二人の子どもも同じように大きく息を吸い込む。

「右は草の匂いだよ」

「左は水の匂いだね」

 アオジとクロジが元気いっぱい声をあげて母親に胸を張る。

 クイナが振り返り、ヒタキに首をかしげて聞く。

「昨今、水はあたしたちの村には現れない。井戸さえ枯れる始末でね。草は昨日大地震と共に現れたストローグラスの匂いだろう。さて、どちらに向かうかね?」

 ヒタキも目を閉じてみると、本当にストローグラスの匂いと湖の岸辺に立っているような匂いがかすかにしてくる。

「こっちに進もう」

 ヒタキはまっすぐに指さして歩き出した。

 二人の子どもが追いかけて嬉しそうについてくる。

 その後をクイナとバンも続く。

「あのお嬢さんはどなたなんですか」

 バンが恐る恐るクイナに聞いてみると、

「さあ?」

 クイナが答える。

「あたしにもわからないんだよ。これからいったい何が起ころうとしているのかさえもね」

 洞窟はまだまだ先に暗く長く続いているようだ。

 四人の姿をゆらゆらと壁に映しながら、ヒタキのしっかりした足取りに飛び跳ねて笑うアオジとクロジの影が跳ねる。

 静かにランプの油が無くなってゆき、時が過ぎてゆく。


 アオジとクロジの話の端々から、ヒタキが目指していた氷でできた壁の近くに代々住んでいる家族らしいと分かった。

 昔は近くにたくさんの家々があったらしいが、アオジとクロジが生まれた時にはすでに村は少し下った森の近くに移住していたという。

「水は大切だよ」

「水汲みは毎日だよ」

 生まれた時から、水の心配をしながら育った二人は毎日小さな湧き水のある場所へ向かうという。

 自分の身体と同じくらいのバケツに水をもって丘を越える。

 その辺の大人顔負けの力がある、と自慢する二人。

「おうちは楽しいよ」

「寂しくなんかないよ」

 幸せそうにコロコロとよく笑う幼子に、ヒタキもついほほ笑んでしまう。


 

 




『異国の者、富を欲せず、民の為に戦う。鍵を求めて、遥か空より訪れる。その者に命を預けよ、運命を共にして門を開け』

 クイナは思っていた。セキレイに金の入った袋を見せても何の反応もなかった事、大きな鳥にさらわれて遥か彼方に消えた事。

 鍵を求めてきた者ではなかったのか?

 運命を共にして、とはどういうことなのか。セキレイは何処に連れ去られたのか。そもそも、どこから来たのか?

 大地が震える時、指し示す入り口へ向かうように代々伝えられてきた。

 あの時、氷の壁に向かって入った大地の裂け目はクイナの家の物置に向かってできていた。

 亀裂の中にぽっかりと空いた穴が見えた。地中深く続いている穴は、ゴツゴツした側面に足をかけて降りて行けるようになっていた。

 膨らんでいたストローグラスの実を袋に詰め込んで、金の入った袋をいくつか持って子どもとともに入口から降りて来た。長く険しい暗がりを、注意深く降りて来た。

 そこに少女と盗賊の男が横たわっていたのだ。

 長く苦しい時代を生きた、もういなくなった先祖の為に、あたしは今ここにいるのだ。

 悲しいような、そして解放されたような不安と期待が入り混じって、胸がどきどきしていた。


「うあぁ、なんなんだろう!これ」

 ヒタキの声がする。

 目の前に下から上へ真っ直ぐの葉が茂っていて前に進むどころか、鉄格子の中にいるようだ。

 クイナも駆け寄って触ってみる。下の方から延びたストローグラスの葉が洞窟の行く先をふさいでいる。

「硬いよ」

「折れないよ」

 アオジとクロジがストローグラスの葉を両手で握って折ろうとしているが、硬い細い葉はびくともしない。

「え?」

 ヒタキは声を上げた。

「どうしたの?」

「何かあったの?」

 アオジとクロジがヒタキの顔を見上げると、嬉しそうにほほ笑んでいるヒタキがいた。

「聞こえるよ、確かに声が」

 ヒタキが目の前のストローグラスに耳を傾ける。

「聞こえないよ」

「誰の声がするの?」

 クイナにもバンにもなんの物音さえ聞こえなかったが、ヒタキは目の前の鉄格子に向かって声を張り上げる。

「ここだよ~、ヒタキだよ~~~」

 クイナが耳を澄ますと、遠くの方にかすかに何かが聞こえてくる。

「何の音なの?」

「誰かの声なの?」

 ヒタキの顔を見つめる二人は不思議そうに首をかしげた。

 遠くの方でバリバリと何かが砕けるような音が響いてくる。

「ああ、聞こえたよ」

「なんの音なの?」

 更に音は近づいてくる。バリンバリンと切り裂く音だ。

 そしてクイナたちにも聞こえた声が、名前を呼んだ。

『ヒタキ~~無事か~~』

 ヒタキが嬉しそうにそれに答える。

「無事だよ~みんなも一緒なの~?」

 

 ストローグラスの硬い障害物は見事になぎ倒されて、中から四人の人影が現れた。

 その姿を見てクイナは驚き膝をついて、二人の子どもたちにも同じようにする事を促した。

「ハヤブサ様、オオタカ様」

「はやぶささま」

「おおたかさま」

 母の声に合わせて子どもたちが見つめる。

 暗闇から現れたのはハヤブサとオオタカ、アジサシそしてバンの兄オオバンだった。

 オオタカの手に握られているのは、クイナの家に伝わった短剣でオオバンが盗んでいった物だった。

「それは!」

 短刀は輝く宝石を散りばめられている訳でもなく、古い柄は上等な物にも思えない。

「ああ、これ、こいつが盗んだできたらしいが、ストローグラスにだけは物凄い威力を発揮しやがって驚いたぜ!」

 オオタカが鞘に納めて笑った。

「ハヤブサ、オオタカ、来てくれたんだね」

 嬉しそうにヒタキが瞳を輝かせる。

「来てくれたんだね、じゃねぇよ!おてんば娘が!こんなに危ない目に合ってるじゃねぇか!いわんこっちゃない!」

 オオタカがそっぽを向きながら、吐き捨てるように言いハヤブサを見る。

「オオタカはヒタキの事が心配で心配でどうしようもなかったんだよ」

 ハヤブサがヒタキの肩を叩きながら言った。

 ヒタキが口をとがらせる。

「心配してるわりに、ひどい言いようだよね。口が悪いから仕方ないけどさ!」

 なにっ という表情になったオオタカの前に飛び出したアジサシが声を上げた。

「本当に大丈夫?心配で死にそうだったよ」

 アジサシがヒタキの身体をはたきながら、涙を浮かべる。それを見て

「本当に情けなくて死にそうだったぜ」

 オオタカが言うと

「誰が情けなかったって?オオタカなんか土の中に入っていくの嫌がったじゃないか!」

 オオタカがアジサシの目の前に歩み出る。

「誰が、嫌がったって?オレ様は大丈夫なのかって言っただけだ!」


「まあまあ、ヒタキが無事だったしちゃんとヒタキに会えたんだから良しとしよう」

 笑いながらハヤブサが二人の間に割って入った。


「そうか、オオバンが持っていた剣はあなたの家の物だったんですね」

 ハヤブサがクイナたちを立ち上がらせて、聞いた。

「そうです。代々伝えられた物です」

 ハヤブサが、長い間門番という役目を果たすためにクイナの家はあの場所に暮らしていると説明した。

「門番って?」

 ヒタキが首をかしげた。

 それはハヤブサにもわからない昔からのしきたりで、あの場所に住む一家が門番であるとの言い伝えだ。国は門番に特別な権利を与え、あの場所から先に行く者を調べて報告させる。

 けれど、あの場所の先は氷の壁が広がっているばかりで、訪れる旅人さえなかったので報告などをした事もなかった。

 周りにあった村も住みにくさから、次第に離れた森や小川の近辺に移住してしまったのでハヤブサが知っている限りクイナの家だけがそこにあった。

 水も枯れたと聞き一度、ハヤブサも訪れた事があった。

 平民では一生喰うに困らない富を与えたが、それを使う事すらできる場所ではなかった。


「おうち好きだよ」

「楽しいよ」

 二人の子どもたちは、嬉しそうに笑う。

「二人の父親はとうの昔に病であの世に行ってしまいましたが。あたしたちはなんとか生きています。役割がなんなのかとんと見当は付きませんがね」

 クイナは二人の子どもを愛しそうに見つめた。

 何かが変わる事を胸のどこかで期待しながら。




 ストローグラスに覆われていたハヤブサたちが来た道は途中ぽっかり横穴が開いていて、その先を進んでいくことにした。足元にはところどころ歩いてゆけるだけの岩は残っていて、その隙間にびっしり生えていたストリーグラスがなぎ倒されていた。

 二人の盗賊も再会を涙を流しながら喜んでいるようだったし、素直にみんなの後をついてきた。

「まあ、あいつが一番に土の中を掘り進んでくれたおかげでこの洞窟にたどり着いたって訳だからな」

 オオタカがつぶやくようにヒタキに説明した。


 あの時ハヤブサが、流れてゆく土塊の先に渦巻く蟻地獄の様子を見て、何かを思い出していた。

 ずいぶん前にこの光景の先にある物、先に広がるであろう景色を見た気がしていたのだ。

 それは、ヒタキの生まれ育った島の山の頂上付近から裂け目に落ちてしまったあの時だ。

 砂になった渦巻きは砂時計の様に少しずつ落ちていた、地下の空洞に。天井に広がるストローグラスの根、遥か彼方までつながっている地下の海。

 サラサラとこぼれ落ちる砂粒。

 地上で見る蟻地獄、けれどそれは細かくなった土塊が水の様に流れて落ちる砂時計になる。

 ヒタキはそこにいる。ハヤブサには確信があった。

 しっかりと根を張った大木に括り付けた縄にゆっくり降りてゆく役目はオオバンが買って出た。

 硬い土からサラサラの砂粒になり身体は流されてゆく。その後に皆続いて降りて行った。

 息を止められるギリギリでストンと空洞の中に放り込まれた。

 咳き込むオオバン、ハヤブサもオオタカもアジサシも無事に転がってくる。

 そこは仄明るい洞窟の入り口だった。声を張り上げたが、ヒタキの姿はなかった。

 見上げると、渦巻いていた砂の入り口はゆっくりと無くなっていって、ストローグラスの倒れた影が天井をおおっていた。

 暗い洞窟の中を持っていた微かな松明を灯し進んでいくと、川が流れている。その脇を上流に向かって進んでいくといくつもの横穴があり、その先にストローグラスがびっしりと生えている場所に出た。引き返して横穴を進もうとしていたその時、ストローグラスの暗がりの中から声がした。

 ヒタキの声に間違いなく、ハヤブサもオオタカも剣を抜いたが刃が立たない。

 けれど、オオバンの持っていた剣だけはそれを驚くように切り倒すことができたのだ。


「まさか、盗んだ物だったとは思わなかったぜ」

 先頭を歩きながら、そういうオオタカ。

 身体を小さくして「すみません」という兄弟は一番後ろをついてくる。

 洞窟は少しずつ小さくなって昇ってゆく。

「いったいどこへ続いているんだ?」

 オオタカがつぶやいた時、

「明るいよ」

 ヒタキがオオタカを追い越して走ってきて、上を向いた。


 そこは狭い洞窟が少しだけ広くなっていて、灯りなしで周りが見えるように明るい。

 洞窟はそこで行き止まりになっている。

 光は上に空いた穴から差し込んでいるようで、上に登れるようにだろうか古びたロープが垂れ下がっている。

「かなり傷んでいるな」

 ハヤブサが手に取った。

「おいおい、かなり上まで距離があるぜ」

 オオタカが困った顔になる。その顔を下から見上げてヒタキが笑う。

「あたしは、ロープなんていらないよ!」

 そういうと、切り立った壁の岩を見ている。

「はぁ?この壁を上れるのか?手がかけられそうな凸凹なんていくらもないだろう?」

 オオタカが言い終わらないうちに、ヒタキは壁に飛びついた。


 するするとオオタカの背の高さまで登って笑う。

「言っとくけど、あたしは猿じゃないからね。言われる前に言っておくよ!」

 自分の目線より上からかけられた言葉に、ムッとした顔でオオタカが

「言わねぇよ!少し見ないうちに生意気になったもんだ」

 ハヤブサが笑いながら、見上げている。

「かなりの高さがあるが、ヒタキは登れるのかい?上まで行ったら、ロープを降ろしてくれれば何とかみんな上ってゆけるだろう。気を付けて!ところどころ鋭い岩が飛び出しているから」

 ハヤブサの言うように、壁の中腹あたりから、岩が飛び出している。

「この方が登りやすいよ!」

 飛び出した岩を足の指で握りながら、まるで簡単な事のようにヒタキは上ってゆく。

 足をかけた岩が崩れて、ヒタキの身体が宙に浮く。

「わわ!」

 それでも、吸い付いているかのような手足は、またもと通り壁をよじ登る。

「待てよ!」

 オオタカが壁に垂れ下がった古いロープに飛びついた。

「思ったより頑丈だぜ!」

 オオタカがヒタキの後を上ってゆく。

「危ないよ、オオタカ!上の方は岩にこすられて傷んでいるから!」

 遥か下を見下ろしてヒタキが叫ぶ。

 それでもオオタカは上っていた。ヒタキは早く自分が登り切ってロープを降ろさなくちゃと思い急ぐ。

 登った先から光の差し込んでいる横穴の縁が見えてくる、片腕をそこにかけてグッと身体を持ち上げた。

 左手に光で満たされた外の世界が広がっていて、ほっとしたヒタキ。


『ようやっと、来おったわい。待ちわびたぞ』

 ヒタキの顔の目の前に真っ黒い顔が現れて、にっと笑った。

「オオババ様?」

 声を上げたヒタキは、違う、と思った。

オオババ様は小さい頃から寂しい時いつも一緒にいてくれた。島民は神様のように思っていて簡単に近づこうとはしなかったから、ヒタキはどんな悩みも誰にも邪魔されず相談できたし、夜そっと家を抜けだしてオオババ様の身体にすり寄って眠った事もあった。

 それは、身体を黒い鳥の羽に覆われた島で一番敬愛されていた者だった。島の山に続く大きな木の幹の中に住居を構え、先の事を予見し導いて、ヒタキが島を出る時、消えてしまった。

『ふ~ん、その者の匂いは、そなたから漂っておるな。愛されていたと見える』

 瞳は真っ黒く鳥のそれに似ている。

 話す言葉は、耳から聞こえてくる。オオババ様は胸のどこかに語り掛けてきたものだ。

 ちがう、ヒタキは目の前の黒い羽で覆われた身体を見る。

『まあ良い。古い習わしは捨て置け!新しい世はお前の中にある。自分の心に忠実に生きるが良い。忘れるなよ』

 黒い艶やかな羽を震わせると、立ち上がった。

 ヒタキの知っている姿よりも幾分大きく見える。

「あなたは誰?」

 そう言ったヒタキの下の方で声が聞こえた。

「だれだ?誰かいるのか?」

 オオタカの声だった。ヒタキのすぐ足元の方にオオタカが上ってきていた。

 その時ヒタキの目に、オオタカの掴んでいるロープがちぎれそうになっているのが見えた。

 今にも最後のつながった紐が鋭利な岩にこすれて少しずつ切れてゆく。

 ヒタキは飛び上がり、持ってきたロープを近くの岩にかけて、放り投げた。

 ブチッ音を立ててオオタカの握っていたロープが切れる。身体が落ちてゆく瞬間目の前に落ちて来たロープにつかまる。ガラガラと音を立てて崩れてゆく岩肌。

 しっかりロープを握っているのは、瞳を大きくこらしたヒタキだった。



「ふぅ、危機一髪じゃねぇか!助かった」

 そう言いながら、オオタカが上ってきて周りを見回した。

「おまえ!誰としゃべっていたんだ?」

 ヒタキは周りを見回してみるが、人の姿はどこにも無かった。

 暗い横穴は、今まで進んで来た洞窟と同じような作りになっており、ただ、左手奥から光が眩しいくらいにさしている。

 出口全体を明るい光がおおっていて、そこに外界が広がっていることがわかった。

 その先を走って行って確かめたい衝動を抑えて、下にいる者をゆっくりと引き上げてゆく。

「ここから外に出られそうだね」

 アジサシがヒタキのそばに走り寄った。ヒタキの瞳は輝いて出口を見つめている。

 ヒタキはいつでも、自分の事を見てくれない。遥か彼方をいつでも見ているんだ。

 アジサシは悲しい気持ちで、ヒタキの横顔を見つめていた。

 光で満ちた外から冷たい風が吹いてくる。湿った空気を掻き出すようにそこにいる者を撫でて行った。



水曜日にアップします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ