第4話『転入直後の波乱』
――これは夢だ。
夢だとわかっているのに、目覚めることができない。まるでこの光景を焼き付けろとでも言うかのように、その光景は目の前で流れ続ける。
あぁ、この光景は知っている。これは過去だ。何度も何度も夢で見た光景。最近になってまた、よくこの夢を見るようになった。
場所は薄暗い病院の通路。
時間は真夜中。
そして、地獄。
夥しい量の血液と肉塊が飛び散る通路の中央に、うつ伏せになって倒れ伏す白衣の男。流れ出る血液の源泉はそこだった。
白衣の男は穏やかだったはずの表情を、苦悶と悲哀に染めながらうわ言のように呻く。
「――■■……くん……どう、か……娘、を……■ユ■を……守っ……くれ……か……っ」
いつの間にか、男は俺の腕の中にいた。
顔面は死人のように蒼白で――現に今まさに死人となろうとしていた。この人は、もう1分ともたない。
だが、これは過去だ。助けたくても、それは叶わない。その結末は何度も見ているのに、俺の胸を締め付けて止まない。
「もう、ひと、つ……お願……が……」
やめてくれ。
その先だけは、言わないでくれ。
当時の俺はそう思っていた。今もそう思っている。
しかし、無情にも夢の中で過去は繰り返される。
「僕が、僕で……1人の父親、で、いられている、うちに……」
僕を、殺してくれ――。
そこで、誰かの――恐らくは、過去の俺の慟哭と共に夢は終わりを告げた。
◇◇◇
カトブレパスとの戦闘から3日経った朝。
今日が俺の2-Aへの転入初日――つまり監察官任務の初日となる。
担任の教師に連れられ、俺は2-Aの教室の外の廊下まで来ていた。この3日間で校舎のマップは頭に叩き込んだとはいえ、道中の複雑さには頭が痛くなりそうだった。
校舎の複雑さ以外にも頭を悩ませる要素(カトブレパスの件の報告書とか後処理とか後処理とか、あと後処理とか)は色々あったのだが、そんな感情が顔にはっきり出ていたのだろう。
俺を案内してくれた2-A担任は、呆れたような微笑を俺に向け、
「どうした九頭龍、そんな青い顔して。腹でも壊したか?」
「何でも無いっスよ。ただ……ちょっと夢見が悪くて」
「そうか。でもそんなに難しい顔してたら第一印象が悪くなるぞ? もっと肩の力抜いとけ」
「はぁ……そっスね」
「九頭龍の場合は……まぁ事情が事情なのは、わかるけどな」
「……?」
「いや、何でもない」
同情するような微妙な表情をしてから、先生は「よーしHR始めんぞー」と言って教室へと入っていった。
先生が扉を開けた瞬間にチラリと見えたが、教室もどちらかというと大学の広い教室に似ていた。あの人数の前だと少し緊張する。が、昨晩は散々シュミレーションしたから問題ない……はず。
「どうせ知ってると思うが、今日からこのクラスに新しい仲間……あー、この学園だったら競争相手っつった方がいいか? まぁ、そんなのが1人増えることになった。ほら、入っていいぞ」
どこかのクソ上司を彷彿とさせるテキトーな紹介のあとに呼ばれ、俺は2-Aの教室へと入った。
人、人、人。その視線が一斉に俺に注がれて居心地を悪くしつつも、黒板に俺の名前を書いた。そして深呼吸を1つしてから、用意していたキャラで自己紹介する。
「えー、ごほん。どーもおはよーございます! 新しくこのクラスに入ることになった、九頭龍巳禄っていいます!」
乗っけからハイテンション。当初は普通にやるつもりだ
ったのだが、先日のうさ耳少女の反応を見るに、もっと親しみやすさを持たせた方がいいと判断。急きょ明るいキャラへと路線変更することにしたのだ。
「5月14日生まれのおうし座……あ、今日の星占い1位っス! みんなに出会えた奇跡がラッキーみたいな? 好きな女の子のタイプは大和撫子! 奥ゆかしい女の子に支えられてえっス!」
この時点でみんなポカーンとしていた。先生すらポカーンとしていた。しかし、何人かは俺が入ってきた時よりも警戒が緩んでいる気がする。
「なんか思ってたのとキャラ違うな」
「猫被ってる……にしては自然だよね」
「何というか……アレだな」
「バカっぽい?」
「それ」
やかましいわ。……が、思ったよりも反応は悪くない。ここから親しみやすいキャラクターをアピールしなくては。国内最大の魔導学園ということは、やはり学園内の競争も激しいのだろう。それはさっきの担任の言葉からも伺える。よって、俺がここで口にすべきは――
「あ、そういや俺、拳で語り合うのとか憧れてたんスよ! 気に入らなかったらカチコミかけてくれてオッケーっス! 喜んでバトるんで! っつーわけでこれからヨロシクお願いしまーす!!」
自己紹介に魔法戦への興味が大きいということを盛り込み、血の気が多いであろう彼らの心をキャッチ。朗らかな口調、ウィットなジョーク、そして相手のニーズに応えた要素。
この場において、これ以上の自己紹介は無いだろう。流石は俺。これが過去の失敗を踏まえた成長なのだ。これでみんなも親しみやすく――
「おい、聞いたか今の……」
「やっぱりあいつ、そうだったんだよ」
「第一印象で騙されかけたわ……」
「あれがあの九頭龍か……」
「……ん? あれ?」
内容はよく聞こえないが、何かざわついている。しかもあまり良くない方向に。何かミスったか?
手応えの無さに首を傾げる俺に、先生は気だるげに後ろの方の席を指差し、
「はいはいありがとう、お前ら仲良くしろよー。あ、お前の席はあそこな」
「あ、はいっス」
奇妙な視線を受けながらも、俺は先生に指差された席へと向かった。そして、その隣の席の生徒を見て――
「あれ、確かこの前の……」
「ひぅっ!?」
転入前にすでに2回も見た顔だ。一度目は名乗るなり全速力で逃げられ、二度目は流血沙汰を見せつけたせいでドン引きされる(認識阻害の装備で俺とは知られていないが)という最悪の形で。
その小動物っぽい仕草や体格からあの時はてっきり1年生かと思っていたが、まさかの同級生だった……というのは理事長から貰ったデータで確認済み。しかし隣の席だったのはすごい偶然だ。
「この前はごめんね、よろしく」
「よよっ、よよよよろしくお願いしまひゅっ」
そして、相変わらずのビビりっぷり。これだけ露骨にビビられると普通に傷つくのだが、元からこういう子なんだろう。
見たところ、骨折していた右脚にはギブスも何もしていないようだ。もう完治したのだろう。最近の魔法医学も進んだものだ。俺はイマイチ実感できない体質だが。
「こうして会ったのも何かの縁だしね。名前は?」
「や、安浦……安浦葉由流です……」
「ハユ……安浦さんね。ありがとう、覚えとくよ」
「ど、どうも……っ」
今のは「ぶつかった時の礼、たっぷりさせてもらうぜ……!」的な脅しに聞こえてしまっただろうか。別にぶつかったことは全く気にしていないのだが。
というか、この子と喋っているとこっちが脅しているようにしか見えない。ハユルちゃんとは同級生として長い付き合いになりそうなので、なるべく早く打ち解けたいとは思うのだが……今はまだ難しそうだ。
それはそれとして、後ろの席から全体を眺めて改めて気付いたことが1つ――それは「このクラスは魔人が多い」ということだ。
そもそも魔人というのは、魔法界の影響で魔物のような特徴が表出した人間のこと。
ハユルちゃんなんかは、ぱっと見でわかりやすい例だろう。あの子が混ざっているのは、「アルミラージ」という一本角を持つウサギ型の魔物。発達した耳や異常に強い脚力はアルミラージの特徴だ。臆病な性格も多少は魔人の影響があるのかもしれない。
ほかにも、ピクシーの魔人、クラーケンの魔人、ゴーレムの魔人、ミノタウルスの魔人など十人十色の魔人がこのクラスにいる。
かく言う俺もヒュドラの魔人。これに関しては元になっているのがSSレートというのもあって凶悪すぎるため、データを「リザードマンの魔人」と偽装している。少なくとも目元の黒い鱗はそれで誤魔化せるはずだ。
ともかく、魔人が多いということはその力を悪用したトラブルの可能性も高まるということだ。
十分に警戒しつつ、クラスに溶け込まなければ――
◇◇◇
――と、決意して一週間経った。
大した事件が起こることもなく、学園の近辺に魔物が出現することもなく、平和な日々が続いていた。
しかし、平和な日々=俺にとっての平和な学園生活というわけではなかった。俺はここにきて早速、深刻な問題に直面していたのだ。
それは――
「なんで……なんで誰も俺と関わろうとしないの……!?」
おかしい。絶対おかしい。転入生ってもっと歓迎されるなり、話しかけられるなり、少なくとも数人ぐらいは仲良くしてくれるもんじゃないのか?
それなのに、この一週間で誰も俺に話しかけすらしてくれないのは何故だ!? もしかしてちょっとチャラすぎたか? それとも「高校デビューしようとして空回りしてるイタい奴」認定でもされたのか? 必死に親しみやすい明るいキャラを研究したのに、この結果がコレか!?
「クソ……まさかこんな所で躓くとはっ……」
甘く見ていた。長きに渡る任務尽くしの生活のせいで、俺のコミュ力はここまで落ちていたのか。
最初は「これなら余裕だろ!」と心の底では思っていたのだが、現実は厳しかった。俺の急ごしらえのキャラ付けは容易に見破られ、孤立の一途を辿っている。
「ノブさんが言ってたのはこういう事か……これは心が折れる……ッ」
悲しい現状に打ちひしがれ、机に突っ伏す。監察官任務としてもそうだけど、もっと和気藹々とした学園生活を送りたかった……と、嘆いていた時。
「あの……すみません」
「ん? あぁ、安浦さん……どうしたの?」
この子から話しかけてくるとは珍しい。転入初日から全く喋ってなかったのに……あ、ちょっと泣きそう。
しかし、ハユルちゃんの表情は今までのような怯えた様子ではなく、どちらかと言うと哀れんでるような、心配しているような……そんな微妙なものだった。
「その、次の授業体育なんですけど……移動しないんですか? もうみんな更衣室行っちゃいましたけど……」
「えっ……うわっ、ほんとだ誰もいねえ!?」
机に突っ伏して考え事をしていたせいで全く気付かなかった。というか声ぐらいかけてくれよ! 俺は転入生なんだから、こんなクソデカい校舎の更衣室の場所なんか普通はわからないだろ!
せめて案内ぐらいしろよな……と、心の中でぼやきつつ立ち上がる。一応、理事長からマップも貰っているので問題は無いのだが、いくらなんでも不親切だ。
同時に、ハユルちゃんの微妙な表情の意味も理解した。
これは「え、誰も誘ってくれなかったんですか?」「うわぁ可哀想に……」的なニュアンスだろう。その通りだよ、俺は可哀想な奴だよ。ショックで言葉も出ねえよ。
「更衣室の場所、わかりますか?」
「あ、ああ……ごめんね、わざわざありがとう」
「い、いえ、お構いなく……それでは」
ハユルちゃんはそれだけ言い残すと、いそいそと教室から出ていった。時間もあまり無いので、俺も準備をして更衣室へ向かうことにする。
どういう風の吹き回しだろうか、と疑問に思いつつも彼女の優しさが身に染みる。「この程度で? チョロすぎだろ」と思うかもしれないが、俺は優しさに飢えていたのだ。切実に。
「データ通りの優しい子で良かった……」
そう呟いて、俺は席から立ち上がった。