第3話『九頭の蛇王』
「――《フォルト》!」
やっとのことで学園から脱出した俺は、強化魔法で脚力を強化し、ビルやマンションの上を飛び移りながら現場へと向かう。
ノブさんに言われた広場に近付くにつれ、肌にひりつくような嫌な魔力の感触がするのがわかった。どうやら少し骨のある魔物のようだ。
「あ、監察官ってことは、コレ着用しなきゃなんないんだっけか」
俺は胸元のポケットに手を突っ込み、手のひらサイズの小さめの機械を取り出す。それは引き金が取り付けられた取っ手のような形状で、ちょうど拳銃のグリップの部分だけを取り出したような黒い機械だ。
俺は引き金に人差し指をかけながら魔力を注ぎ込み、
「――武装展開!」
その瞬間、俺の周囲に黒い魔力が渦巻き始める。それは徐々に実体を伴い始め、黒いコートのような形状となって俺の体にまとわりついた。胸元と腕章には騎士団のエンブレムがあしらわれ、フードが俺の頭にすっぽりと覆いかぶさる。
続いて、俺の顔面にも黒い金属状の物質が装着され、形を変えていく。それは蛇を模した機械仕掛けの仮面となり、完全に俺の顔を覆い隠した。
「これ着けてないと顔バレすんだよな」
今装着したのは、騎士団指定の隠密行動用装備だ。鉄仮面からぶ厚いブーツの先にまで認識阻害の術式が組み込まれ、外部に装着者の情報が流れるのを防いでくれる。監察官には必須の装備だ。
さらに、この装備に限っては俺の細胞を組み込むことで自動修復機能も搭載。防御力は高くないが、破損部位を即座に再生してくれる優れ物だ。
「さて、現場はどんなもんかね……っと!」
目前に広場が広がり、俺は一旦身を低くしてビルの上からその様子を伺う。地面が所々ひび割れ、並木はへし折れ、中央の噴水は崩壊して広場中が水浸しになっていた。派手に壊されたものだ。
「で、あいつがその犯人か」
目視できる限りでは魔物は1体のみ。そこにいたのは、体長7、8メートルはあろうかという程の大きさの雄牛のような怪物だった。
ゾウのように太く屈強な脚で地面を踏みしめ、一方歩くたびに地面に亀裂を走らせる。頭部から生えた2本の角は禍々しく捻じ曲がり、その下では瞼が閉じられた大きな単眼がかすかに動いていた。
「『カトブレパス』……危険度Aレートの大物だな」
硬い甲皮と馬鹿げた膂力はもちろんのこと、その最大の脅威は「目を合わせた箇所が石化する」という魔眼の力。
一度石化してしまうと治療にかなりの時間を要する厄介な能力だ。本来ならば討伐を最優先にする事案なのだが……
「今まで色んな死に方してきたけど、石化はした事ないしなぁ。ちょっと様子見した方がいいか」
幸い、カトブレパスに今すぐ大暴れするような様子は見られない。ひと暴れして落ち着いたのだろう。ゴリ押しすれば楽なのだろうが、ノブさんからも慢心するなと釘を刺されたばかりだ。
ここは超速再生に頼らず、なるべく慎重かつ穏便に事を済ませて――
「――ん?」
カトブレパスの様子を観察していると、視界にふと不自然なものが映る。カトブレパスの巨体に隠れてチラリとしか見えなかったが、一瞬だけ赤い何かが見えたような気がした。
「なんかの看板か何か……いや違う、血か……!?」
あの巨体の影に負傷者がいる。俺はそれを確認するため、カトブレパスの巨体の影が見えそうな隣のビルへと飛び移った。
そこから見えたのは――
「さっきの……!」
記憶に新しいミルク色の髪。そこから伸びた特徴的なウサギの耳。恐怖に震える桜色の瞳。さっき学園で俺とぶつかった女子生徒だった。
なんでこんな所に? というか、別れてから再開するまでが早すぎる。もしかして、逃げた時のスピードのままここまで来たのか? なんて運の悪い――いや、今はそんな事どうでもいい。
「ぅ、ぐ……ぅうっ! なんで、私がこんな目にぃ……っ」
涙目になって震える彼女の右脚は、パッと見ただけでは分かりづらいが普通の状態よりも歪んでいた。飛んできた瓦礫がぶつかって骨折したのか。これではあの時のようには逃げられないだろう。
だが、先程見えた血の源泉は彼女ではなかった。重傷を負っているのは、彼女に抱きすくめられている小学生くらいの少年。その脇腹辺りから大量に血が流れ出ていた。
「ぅ、ぁああ、あ゛ああッ! いたい、痛い痛いいたいぃぃぃ!!」
こっちはもっと酷かった。めくれ上がったTシャツから見えた脇腹は、肉が抉れてピンク色の筋繊維や骨までもが見え隠れしている。
ただちに処置しなければ命に関わる深手だ。しかも、あまりにも痛みが大きすぎて気絶することすらできずに叫び続けている。あれでは生き地獄だ。
そんな2人に、カトブレパスは一歩一歩地響きを上げながら歩み寄っていく。それを見た少女は少年を庇うように抱きしめ、
「そっ、それ以上近付いたら、ゆ、許しませんよ! この子には指一本、ふ、触れさせませんからねっ! この化け物っ!!」
自分も激痛と恐怖で限界だろうに、少女はカトブレパスに啖呵を切った。肩はガタガタと震え、泣きそうな声になりながらも少女は叫ぶ。臆病ながらも勇気を振り絞っているのだろう。
だがカトブレパスは少女のそんな叫びを意にも介さず、さらに2人との距離を詰めた。荒い鼻息がかかり、少女は真っ青な顔をさらに青ざめさせる。
そして、カトブレパスはゆっくりと魔眼を覆い隠していた瞼を開き始め――
「そこまでだ、鈍牛!」
そう叫びながら、ビルの屋上から飛び降りる。それと同時に強化魔法を右脚に集中。落下の勢いをつけた踏みつけによって、カトブレパスの頭を地面に叩きつけた。
カトブレパスの頭は、元々鉄鎚のように重い。それを思いっきり地面に叩きつけられ、俺の身長ほどもある巨大な頭は地面にめり込んだ。
「え……? き、騎士さん……?」
「こっちだ!」
「え、ちょっ!?」
その隙に俺は少女と少年をそれぞれ小脇に抱え、広場を囲む建物の影へと避難する。突然のことで少女は驚きを隠せないでいたが、説明している暇は無い。
まずは重症の少年を地面にゆっくりと寝かせる。
「ぐ、ぅう、ぁああぁぁっ、ああ゛ああ……ッ」
「ど、どどどうすればいいんですかっ!?」
「渋谷第三の生徒だね。回復魔法はどの程度まで使える? 一度にかけられる人数は?」
「か、下級を3人ほど同時なら……っ」
「わかった、じゃあこの子と自分の脚に回復魔法を。この子を背負って走れるぐらいまで回復したら、魔力を全部この子に!」
「りょ、了解しました! 《ヒール》っ!」
淡い金色の柔らかな光が漏れ出し、癒しの魔力を放出させる。少女の骨折を和らげるくらいなら問題ないが、少年の重症を治すにはあまりにも心許ない。
俺にも少年の傷を癒すほどの回復魔法の適性は無い。だが、痛みを和らげ化膿を遅らせる術なら持っている。
「すぐに痛くなくなる。もうちょっとの辛抱だ。……あ、君はちょっと目逸らした方がいいかも」
「へ?」
そう言って俺はコートの袖から手首を出し――散らばっていたガラスな破片で思いっきり自分の手首を切り裂いた。
「きゃああああぁぁ!? な、何ですかいきなりどうしたんですか!? 血、血が、ド、ドバーッて! ドバァーッて出てますけど!?」
「それは大丈夫」
眼前で起こったスプラッタを前に絶叫する少女を尻目に、俺は手首から溢れ出す血を少年の傷口へボタボタと垂らした。少女はその異様かつグロテスクな光景から目を逸らし、「私は何も見てない、私は何も見てない……」と呟きながら一心不乱に回復魔法を唱え続ける。
すると、その数秒後――
「ぐ、あぁ、あ゛……あ、あれ……痛く、なくなっ、た……?」
「う、うそ、今ので……? しかも手首……もう塞がってる……!?」
「応急処置はしたけど、まだ治ったわけじゃない。多分、君の足なら救急車よりも早く病院に行けると思うけど……走れる?」
「何でそれを……わ、わかりましたっ!」
少女は「よいしょっ」と少年を背負うと、学園で見せたような高速の走りで一瞬にして姿を消した。あれほどのスピードなら少年も助かるだろう。
俺はそれを見送ると、捲ったコートの袖を下ろして態勢を整えた。ここからは俺の仕事だ。
「……よし、行くか」
建物の陰から飛び出し、カトブレパスのいる広場へと再び足を踏み入れる。埋もれた頭を引き抜くためにかなり暴れたのか、広場はさらにメチャクチャな状態になっていた。
そして、正面にいるカトブレパスはかなりの興奮状態だ。いきなり頭上から不意打ちを食らったのだから当然か。鼻息を荒くして地面を引っ掻く動作は、まさに突進寸前の闘牛だ。
「ったく、広場をこんなにしてくれやがって……報告書で気まずい思いするの俺なんだぞ」
そんな愚痴なんかを魔物が聞くはずもなく。低く怒気の篭った唸り声を上げながら、カトブレパスは俺めがけて突っ込んでくる――と思わせて、いきなりその魔眼を開いてきた。
「うわっ、キモっ!」
原色の絵の具をぶちまけたような不気味な色彩の瞳が、ぎょろぎょろと気味悪く蠢いて真っ直ぐに俺の姿を捉える。その途端、俺の指先から徐々に感覚が無くなっていくのを感じた。
指先一本すら動かすことができず、徐々に腕が重みを増していく。見れば、どんどん俺の腕は灰色の石と化し始めていた。
「おお、石化ってこんな感じなんだな。こりゃ手練れの騎士でもパニックになるな……でも無意味だ。――水魔法《アクウォラ》」
俺はさして動揺することもなく、水属性の下級魔法を唱える。通常は水の弾丸を放つ魔法だが、「水に干渉する」ということだけに注目すれば応用は容易い。
俺が干渉させたのは、俺の体内に流れる血液。それを体内でブレード状に形成し、一気に解き放つ。
その結果――俺の石化した両腕は、夥しい量の血液と共にぼとりと地面に落下した。
「全身が石化する前に切り落としちまえば済む話だな」
直後、バキバキと音を立てながら両腕は数秒とかからず完全に再生。常人なら絶望的な石化能力も、超速再生の前ではこんなものだ。
カトブレパスはそれを見て動揺したのか、露骨に動きが止まっていた。今までこんな規格外な破られ方はしたことなかったのだろう。
「さて、今度はこっちの番だ……って言いたいとこだけど、すでにチェックメイトだ。お前、俺の血に触れたな?」
足元には崩壊した噴水から流れ出た大量の水。それに俺の腕から噴き出た血液が混ざり、薄く赤に色付いた水溜りができていた。
カトブレパスはその水溜りに足を付いている――その時点で俺の勝利は確定していた。
「お前の動きが止まってるのは、動揺してるからってだけじゃない。どうだ? 俺の血に含まれた凶悪な麻痺毒の効き目は」
カトブレパスは動かない。動けない。今のあいつは俺に襲いかかるどころか、自分の巨体を支えることすらままならない状態だ。
俺の持つ能力の、不死身の再生力に続く2つ目。それは、血液の一滴から細胞のひとかけら、髪の毛一本、果ては吐息に至るまで全てを猛毒と化す力。そして、毒の種類や強度まで自由自在に操作する能力。
強盗事件の時は、吸っただけで昏睡状態に陥る睡眠毒。
少年に使った時は、痛みを和らげる程度に薄めた麻酔。
そして今は、たった一滴で全身の筋肉の動きを奪う麻痺毒。
「で、これから使うのは……かの大英雄すらも殺した最凶最悪の猛毒だ」
カトブレパスに歩み寄ると同時に、細長い「何か」が俺の背中をコートごと突き破って姿を覗かせる。真っ赤な相貌を持つ触手のような影が、合わせて8つ。
その正体は――8匹の黒い大蛇。
俺自身の頭も合わせれば、都合9つの首を持つ海蛇だ。
「冥土の土産に教えてやるよ。魔人の俺に混ざってる魔物は、危険度SSレートの神話級接触禁忌種――」
――その名も、『ヒュドラ』。
ギリシア神話において、第二の試練として大英雄ヘラクレスと合間見えた怪物。魔法界においても魔物としての枠組みを超越し、神獣の域にまで達した蛇の王。
その血に宿るは、数多くの英雄や魔獣を殺し尽くした神話史上最悪の猛毒。そして、およそ生物としてはあり得ない不死性。
俺はそんな蛇王と混じり合った魔人。
俺の半身は、神話でできていた。
「そんじゃ、そろそろお喋りはここまでだ」
そう告げた直後、俺の背中から生えた8匹の大蛇全てがカトブレパスの喉笛に喰らい付いた。
大蛇の毒牙はその強固な甲皮をアッサリと貫き、カトブパスの体内へと直接猛毒を送り込んでいく。触れるだけで死に至る毒を、直接。カトブレパスは抵抗しようと身じろぎをする……が、麻痺毒がそれを許さない。無論、抵抗したところで毒死の運命からは逃れられない。
「ゲームオーバーだ、牛野郎」
そして、ものの数秒もしないうちにカトブレパスは物言わぬ肉塊へと成り果てた。
「――はぁ、あっけない。もうちょい健闘してくれると思ったけど、やっぱAレートごときじゃこんなもんか」
その後、到着した警察に状況説明を終えた俺は、溜息をつきながら脱力する。Aレートとはいえ、未体験の石化能力持ちという事を加味して少し期待したがダメだった。
やはり弱い。弱すぎる。手応えが皆無だ。そもそもカトブレパスはパニックになると今回のように暴れるが、元々は大人しい草食動物なのだ。期待した俺が馬鹿だったとも言える。
「しかも弱い癖して被害だけは甚大だし……割りに合わねー……」
騎士団の報告書やら、何やらかんやらの事後処理やら、現場にいた民間人へのフォローやら……それら全てを俺に押し付けてくるのだから、あのクソ上司ほんといっぺん死ね。
それとは対照的に、あの少女は見かけや性格によらず中々勇敢だった。「他人の命助ける暇があったらまず逃げろ」が鉄則の東京で、あれほど他人のために体を張れる一般人はそういないだろう。素直に尊敬できるし、是非とも仲良くなりたいものだ。……ファーストコンタクトは最悪に近かったが。
「ま、あんな子がいるってわかったんだし、ちょっとは監察官やるモチベも上がったかな」
俺は武装を解き、「さぁ仕事仕事」と首を鳴らしながらクソ上司にクレームの電話をかけるのだった。