プロローグ『異界都市・東京の日常』
今作品は「東京騎士団の不死身蛇王 〜不死身と猛毒で負ける気がしない!〜」のリメイク作品となっております。
若干話の内容や順序が変わっているのでご注意ください。
Hydra(名)【hάɪdrə】
《意味》
①ギリシャ神話に登場する、9つの首の海蛇の怪物。不死身の再生力と猛毒を持つ。
②上記より転じて、根絶が困難な害悪、一筋縄ではいかない難問を意味する。
◇◇◇
「早く金を出せ! ぶっ殺されてえのか!」
覆面を被った男が、銀行員の女性のこめかみに銃を突きつけながら叫んだ。その周囲には、さらに何人かの覆面が人々を脅している。
いわゆる銀行強盗という奴だ。しかし、ただの銀行強盗ではない――否、ただの人間ですらない。
銀行強盗のうちの1人の腕がカマキリの鎌のように変形し、銀行員の首に突きつけられている。
他にもタコのような触手を生やした者、巨大な翼を生やした者、異常に手足の筋肉が肥大化した者など、百鬼夜行もかくやというラインナップだ。
「クソ……だから『魔人』どもの強盗は相手したくねえんだよなァ」
「どうされますか?」
「待機。包囲はしてっから逃がしはしねえが……野郎共、民間人をバリケード代わりに並ばせてやがる。下手に手出しできねえ」
銀行の外では、銃やシールドで武装した機動隊が突入の機会を伺っている。が、大量の人質を取られているために中々動けないでいた。
現場指揮官の中年警察は、もどかしさのあまり舌打ちをしながら渋い顔をしている。銀行強盗たちが痺れを切らすのも時間の問題。かといって強引な突入は多くの死傷者を出してしまう。
現場にはピリピリという張り詰めた空気が漂っていた。。
――と、そこへ。
「うっわ何コレ、銀行強盗? 相変わらずこの辺は物騒だなぁ……」
緊張感に欠ける呑気な声が、ピリピリとした沈黙を破った。同時に、機動隊の列の後ろの方が騒がしくなる。
民間人が立ち入り禁止のテープを乗り越えて、現場に入ってきたのだ。指揮官の苛立ちは最高潮に達し、眉間に皺を寄せながら振り返った。すると、ちょうど機動隊の列からひょっこりと民間人が姿を現わす。
「あ、指揮官の方っスか? どもっス、お邪魔してます」
その民間人は、まだ高校生ほどの少年だった。
ツンツンとした青黒い髪に、吊り上がった金の三白眼、目元に浮かんだ爬虫類めいた黒い鱗の跡。口元は胡散臭い微笑に歪み、軽薄と言うほかない雰囲気を漂わせている。だがそれでいて、どこか人間離れしたような――例えるならば、鎌首をもたげる蛇のような異様な気配を醸し出していた。
「……何だお前は」
「あー、ほらアレっス。上からヘルプに入るように言われたんで。ほんと、非番なのに人使い荒いっスわ」
「悪ふざけにしては過ぎているぞ。そもそも、どうして民間人がここまで入ってきている!? なぜ誰も止めなかった!」
「あ、あの……それなんですが」
指揮官の怒号に、機動隊の1人が応える。ギロリという擬音が聞こえそうなほど睨まれて「ひっ」と悲鳴を上げながらも、機動隊の男は侵入者の少年を指し、
「この少年、騎士団の所属だそうで……」
「何ぃ……? 騎士団だぁ?」
騎士団――この東京のもう1つの治安維持組織である、『東京騎士団』のことだ。
通常の事件に対応する警察に対して、あちら側の世界に関する事件を取り扱う、特殊な事件のプロフェッショナル。それがこの少年だと? 指揮官はそれを鼻で笑い飛ばそうとしたが、
「いや本当っスよ。ほら手帳」
「あ? ……あぁ!? マ、マジだ……」
騎士団員であることを示す手帳には、少年の顔写真と肩書き、そして『九頭龍巳禄』『17歳』という字が書かれていた。
偽物ではない。この手帳は特殊な魔法技術によって製造されるもので、偽造のしようなど無い代物だ。
「これは失礼した。自分は警視庁立川署の――」
「あ、すんません。時間が惜しいんでその辺は省略でお願いします。で、今はどんな感じスか」
「……銀行強盗の一団が人質を取って立て篭もり中。人数は5、全員が何らかの魔人。人質のバリケードもあって手が出せない状態だ」
「強盗慣れしてるっぽいスね。じゃ、ちょっと片付けてきますわ」
と言い残して、九頭龍は銀行に向かって歩き出した。それを見た指揮官は、「待て待て待て!」と大慌てで九頭龍を止める。
こんな状態で突撃などもってのほかだ。九頭龍が何を考えているのかサッパリわからない。常識というものが欠如しているのではないかと、指揮官は心の中で毒づいた。
「馬鹿野郎! 変に刺激してどうする!?」
「大丈夫っスよ。人質にはケガ1つ負わせないって約束しますから」
「そんな事できるか! いつも騎士団の連中はそうだ! 毎度毎度、理解不能な行動で現場を大混乱に陥れて……!」
「でも警察よりは負傷者出していないでしょ。それに、こういう手合いは変に時間を稼ぐ方が厄介っス。バケモンの相手は、俺らバケモンに任せてくださいよ」
「ちょっ、待っ――」
指揮官の制止の声を無視して、九頭龍は銀行に向かって駆け出した。何の装備も無しに、ラフな私服のみで。
武装した魔人に生身での特攻など、自殺行為以外の何物でもない。しかし、さっき九頭龍は自分のことを「化け物」と言っていた。という事は――
◇◇◇
一方、強盗たちは機動隊に包囲されていながら余裕綽々といった様子だった。
銀行員を脅してアタッシュケースに金を詰めさせながらも、人質への威圧も忘れない。全てにおいて手際が良く、相当に犯行慣れしている事がわかる。
「……ん? 外で何か揉めてやがんな」
「ハッ、オレらに手も足も出せねえからイラついてんだろ。心の底では「包囲してるからまだ大丈夫」とか思ってるかもしんねえがな」
「ま、ただの機動隊じゃ転移魔法の対策なんてできねえわな。大人しく指咥えて見てやがれ! ギャハハッ!」
どれだけの人数で囲もうと、ワープされては意味がない。機動隊には魔法の発動そのものを阻害する術が無いため、相手が機動隊だけなら強盗も容易なのだ。
無論、この手の事件のプロである騎士団が相手だと話は変わってくる。発動の準備ができるまでに速攻で潰されるのがオチだ。
だから、こういった相手に時間稼ぎは悪手。機動隊が苛立ちながら包囲している間にも、着々と逃走のための転移魔法の準備が整っていた。
強盗のうち、魔法に詳しい者が魔法陣とありったけの魔力水、そして詠唱によって準備を進める。
「しっかし、こうも手出しできねえモンなんだな。やっぱ警察ってザルすぎ」
「まさかあっちもオレらが初犯だとは思ってねえだろ。今頃、オレらの事を探ろうと過去のデータ漁ってやがるぜ」
そんな軽口を叩いているうちに、金をアッシュケースに試させる作業が終了したようだ。完璧に作戦通り。所要時間もほぼ最速で、初犯でここまで鮮やかな犯行をできる者は少ないだろう。
あとは転移魔法陣の準備ができるまで、時間を稼ぐだけ――
――ガタン。
「ッ!?」
「何だ!」
不意に大きな物音。一箇所に固めている人質の方からだった。武器で脅している以上、下手に動くことはできない筈。
何が起こったのかをリーダー格の男が確認すると、そこには人質のうちの1人が横たわっているのが見えた。リーダーは、人質を見張っていた仲間に尋ねる。
「おい、何だコイツは」
「いや……わかんねえ。急に倒れやがったんだが」
「卒倒でもしたか? まぁいい、どうせ逃げるだけだから放って……」
その直後。強盗たちの前に、不可解な光景が広がった。
1人目の人質が倒れたのに続き、次々と人質が崩れ落ちていったのである。
あまりに奇怪な現象に強盗たちが戸惑う。が、変化はそれだけに留まらなかった。後ろの方で、ドサリという音。今度は何だと振り返ると、
「おい……なんでテメエまで倒れてんだよッ!?」
物音の正体は、強盗グループの1人――転移の魔法陣の準備を進めていた男だった。あと少しで完成していた魔法陣が機能停止し、作戦が一瞬にして水の泡となる。
それは、強盗たちの逃げ場が一瞬にして失われたことを意味していた。男たちは一斉にパニックに陥り、それまでの統率を失う。
「な、なんでだよッ!? 何が起こったんだよ!?」
「嘘だろ、これじゃ普通に捕まっちまうじゃねえか!」
「クソッ! こうなったら人質全員、道連れに!」
「落ち着け! そんな事したら刑が重く……」
怒号、怒号、怒号。つい3分前までの余裕は簡単に搔き消え、思い思いの感情を吐露している。その中で、リーダーの男だけは冷静だった。
絶体絶命の状況にもかかわらず、黙り込んだまま周囲を見渡す。何か手は無いか。ここから逃げる術は。金なんて諦めてもいい。逃げれば勝ちだ。何か、何か、何か無いか――!
「――ははっ、面白いぐらいパニクってんな」
そこへ、小馬鹿にしたような少年の声。強盗たちが 一斉に銀行入り口を見る。そこには、青黒い髪の少年――九頭龍巳禄が無防備に突っ立っていた。
強盗たちのパニックに乗じて、誰にも気付かれずに入ってきたのである。冷静に周囲を観察していたリーダーの男にすら、全く気付かれずに。
「なっ、何だテメエは!? こりゃテメエの仕業か!」
「まぁね。ただ、俺は別にお前らをぶっ倒しに来たわけじゃないから。ちょっと交渉しにね」
「交渉だと……!?」
「そうそう。このまま抵抗せずに投降してくれるなら、俺が刑を軽くするよう上に――」
その直後。パンッ、という乾いた音と同時に、九頭龍が後ろ向きに倒れた。銀行内の至る所に勢いよく血が飛び散り、床を真っ赤に染めていく。
リーダーの男が、拳銃で九頭龍を撃ち抜いたのだ。しかも、彼にとっては運良く眉間にクリーンヒット。血と共に脳漿がぶちまけられている。間違いなく即死だ。
「お、おい……っ、これどうすんだよッ!?」
「多分こいつは騎士団の奴だ。でなきゃこんな芸当できねえ。なら面倒なことされる前に先手必勝だろ」
「で、でも殺すのは……」
「殺そうが殺さなかろうが一緒だろうが! いいからさっさと次の手を……」
「――うン、俺ガ相手じゃナケれば、ソノ判断は正解だッタねェ」
今度はリーダーの男が取り乱す番だった。背後から聞こえてきた、亡者のようなおぞましい声色。この世のモノが発していいものではない化け物じみた呻きだ。
振り返った強盗たちは、一斉に顔を青くした。ある者は悲鳴を上げ、ある者はカチカチと歯を鳴らし、恐怖のあまり失禁する者までいた。
そこにいたのは、ゾンビとしか言いようがない怪物だった。
壊れた人形のような動作で立ち上がり、グチャグチャと血と脳漿の海を踏み潰しながら歩く首無しの死体。それは今まさに射殺し、脳天を吹き飛ばしたはずの九頭龍だった。
「いタい、痛イ、イタイなぁ。やっパり撃たレルのは普通に痛いネ」
「な、何なんだよテメエはぁぁぁッ!? 化け物かよ!?」
「あァ、化け物さ。お前らト同じ……魔人だよ」
肉が捩じ切れ、骨が砕け、血が泡立つような生理的嫌悪を催す音と共に、九頭龍は――再生した。射殺されたなんて事実が丸ごと無かったかのように、完全に元通り。
1つ違うとすれば、九頭龍の背後で揺らめく無数の影。黒い触手のようなソレには夕日のような金色の目が2つずつ付いており、その全てが強盗たちを睨みつけていた。
「で? 交渉は不成立ってことでいいか?」
「ま、待て待て待て! わかった、投降する! だから命だけは……来るな! こっちに来るなぁぁぁ!!」
「もう遅いよ、強盗諸君。ゲームオーバーだ」
――それから数分後。
事件は「1人の死傷者も出すことなく」終結した。
事情聴取に対して、人質となっていた人々は全員が「何も覚えていない」と供述し、犯人たちに至っては怯えた様子で何も語ろうとしなかったという。
これは、異界都市・東京の物語。
灰色のビルが立ち並び、
サラリーマンが満員電車に揺られ、
母親たちが井戸端会議に没頭し、
子供たちが男女入り乱れて公園を駆け回り、
ドラゴンがビルの谷間を飛び回る。
そんな街の住民を、何度死のうとも守り抜こうとする、1人の少年の物語。