第1話 女神の罠
「目、疲れたな……」
薄暗い部屋のど真ん中に置かれた横長テーブルの上に黒いノートパソコンが一台、そのデスクトップ上に光を浮かべている。それをついさっきまで使用していた当の本人は、紺色のクッションに顔を埋めるようにして呑気に寝そべっている。
『ホーンビーストを討伐しました』
白色の文面がピピッという着信音とともに、ディスプレイ上の片隅に設けられたチャット枠に映し出される。着信音が聞こえる度に「またか」と独り呟き、それでいてニヤケが止まらない。
『グリムガル・ドール』。
それが、今俺のプレイしているPCオンラインゲームである。必要なネットアカウントを設定するだけで簡単に始められ、「これぞネトゲの醍醐味」だと我ながら大袈裟に実感している。そしてこのゲームの型は冒険RPGであり、やり込み要素は十二分にある。というも、俺は実際、まだまだ人気の低かった初期の頃からやり込んでいる。今や人気はうなぎ登り、嬉しいことではある。
『アトラフォンを討伐しました』
文字を入れ換えただけの白色文面がまたしてもチャット枠に表れる。ホーンビースト及びアトラフォン、これらはゲーム内における『魔物』の一部であり、その中でもギリギリ上位種である。だが俺は、そいつらを目の前で討伐した訳では無い。ちなみに、マウスやキーボードを操作すらしていない。自分のアバターは森の中で立ち止まっている状態だ。
「試作品がこうもあっさり機能するとはな」
俺はなんとなくほくそ笑んではあたかも森の熊のようにむくっと起き上がり、ディスプレイ画面をじっと見つめる。
昨晩に独自で作り設けたトラップのおかげでレベルが98から99に上がり、レアアイテムも手に入っている。レベルはもうすぐ100……おめでたいことだ。
冒険者のレベルは100までであり、見事到達を果たすと、HPやMPなどのステータスが2倍に跳ね上がる……ある意味壊れゲームだな、これは。
これら全て、トラップ様様と言っても過言でない。
俺の冒険者の職業は『トラッパー』と呼ばれるもので、トラップ頼り──仕掛けた罠でしか魔物を仕留めることができないとされる職業である。
これは初期の頃からあるものなのに、人気はダントツに低い。プレイヤー達の間では「最弱の職業」という蔑称で呼ばれている。抗えない事実だ。
しかし、俺を一緒にされては困る。
俺は『トラッパー』に就いたプレイヤーの中でも頂点に立つ存在であり、プレイヤー間で俺のアバター名「キュウビ」を知らぬ者はいないと言われるほど有名と聞く。
確かに騒がれる程の実力はあると自負しているが、目立つのはまっさら御免だ。薄茶色をした冒険者の服に、黒の布マントという至極質素な容姿をしているわけもそこにある。
とはいえ、名が広まった原因は揺るがない事実としてゲーム内で語り継がれている。『各所のステージボスを罠だけで即行に仕留めるトラッパー』──一部では『ボス殺し』と呼ばれている。誰が付けたのかは分からないが、全く酷い言われようだ。呼ばれ出した頃からずっと遺憾が募るわけで。
それに、俺は罠だけでステージボスに挑んでなんかいない。近接戦闘にも対応しており、それを知って尚よく思わない奴らに「チートを使っている」とかなんとか、いちゃもんつけられたこともあるが。
それはそれとして、人々の間に定着した俺の名称は実際にはそれではない。
『トラップマスター』、これはとてもいい響きがする。『ボス殺し』とは裏腹、実に誇れる名がついたものだ。
と、様々なことを思い返している時、ピピッという音がチャット枠に送られる文面とともにやってきた。が、送られてきた文面、それは白色ではなく、赤色をしていた。
俺は真っ先に「バグったか? 」と疑う。
そして、その文面『トラップマスター様』を見て、首を傾げる。
ピピッ、ピピッ、ピピッ──。
間髪入れず、着信音が鳴り続ける。文面が一文一文に区切ってやってくるし、しかも赤色ともあれば正直非常に読みづらい。それでもと、俺は最初のメッセージ『トラップマスター様』に続くものを順に見ていった。
「『トラップマスター様、この度は唐突なるメッセージを、申し訳ございません。私はこの世界を統べる女神です。急なことと承知の上、私から貴方様に、お願いがあります。お時間がありましたら、このメッセージの末に送られる、青色の文面を、クリックして頂けませんか? 』……」
ひとまず順に読んでいった結果、疑念しか頭に残っていない。何かのイベントのようにも見える。まず、ハッキングとか、そういうのはないだろう。
それで結局、ある程度の信用のもと、確かに送られてきた『これです』という雑な青色の文面を恐る恐る右クリックし、詳細を見ようとした、が。
「え……はっ!? 」
それをクリックした瞬間だった。
ゲーム画面が急速的にドット化していったかと思えば、いきなり眩い光が溢れ出し、俺の身体を一気に包み込んでいったのだ。部屋を薄暗くしていたがために目が暗闇に慣れており、急な発光に対して為す術なく、目は完全に塞がれてしまった。
「PCが壊れた」だなんてレベルじゃない。
焦りに焦った俺はばっと立ち上がり、PCに背を向け、部屋からの脱出を試みる。しかし目は焼き尽くされたように熱く、頼るは両手両足、つまり触覚だけである。昔にやりこんだとあるサバイバルゲームに登場していたゾンビのようにうめき声を発しながら苦悶する。
「うぉっ!? 」
俺はある物の上で盛大に滑り、そのまま床に倒れた。
ただ、意識を失ってしまう程に、勢いよく。床の上で俺は一人、朦朧となりながらも眩い白光にほんの少しだけ順応した右目で、いつしか眼前にあった扉を見つめ──ようやく潰えた。
俺の意識を根こそぎ奪った元凶は、感触的に……寝そべり用のクッションだった。
お気に入りの紺色クッションに、俺は倒された。