第五話 お金で買える彼女なんかじゃありません!
「会社の名前を言うと態度を変えるって……、やっぱり、怖い所なんですね?」
花の頭の中に、祖母が大好きな水戸黄門のラストシーンが浮かんで来た。
「飛鳥さんの会社の名前を言うと、みんな、ひれ伏すみたいな?」
「やれやれ。花ちゃんはどうしても僕をヤクザの友達にしたいみたいだね」
大樹は、ジャケットの内ポケットから名刺入れを出すと、名刺を一枚取り出して、花に差し出した。
花が受け取った名刺には「株式会社飛鳥総合企画 代表取締役社長 飛鳥大樹」と書かれていた。
「高校生の花ちゃんは知らないかもしれないけど、ある業界では、けっこう有名な会社なんだよ」
「ある業界って、……極道界とか?」
「だから違うって」
なかなか話が通じない花だったが、大樹も苛ついているようではなく、そんなやり取りを楽しんでいるかのようであった。
「経済界のことだよ。そっちの世界では、それなりに有名な会社なんだ」
「何をしている会社なんですか?」
「そうだなあ。ひと言で言うのは難しいけど、会社のグループをまとめている会社とでも言えば良いかな」
「会社のグループ?」
「そうだよ。花ちゃんは、名前に『飛鳥』って付いている会社を知っているかい?」
「もちろん、知ってます。私、『チョコたっぷりパイ』というお菓子が好きなんですけど、確か『飛鳥製菓』って名前の会社が作っていた気がします」
「贔屓にしていただいてうれしいね。あとは、飛鳥銀行とか、飛鳥生命とか、飛鳥重工業、飛鳥商事、飛鳥自動車、飛鳥建設という会社は知らないかい?」
「知ってます」
テレビのCMなども盛んに行っていて、高校生の花も名前を聞いたことがある有名な会社ばかりだった。
「今、言った会社は、それぞれの株式を持ち合ってグループを構成しているんだけど、僕の会社がそれらの会社の株式の過半数を所持していて、グループとしての経営の方向性の大枠を決めているんだよ」
「えっと、……よく分からなかったです」
「ごめんごめん。そうだな。名前に「飛鳥」と付いている会社は、みんな兄弟みたいなもので、僕の会社が親みたいな存在、とでも言えば分かってくれるかな?」
「なんとなくイメージ的には分かります」
「良かった」
「飛鳥さんが、その『親の会社』で一番偉い人なんですか?」
「僕の父親が、同じ会社の代表取締役会長で、父親が実質的に経営をしているよ。僕は代表取締役社長なんだけど、まだまだ、見習い中ってところなんだ」
「社長の見習いって、初めて聞きました」
「もともとは、僕の曾祖父が始めた商売を、祖父が大きくして、今は父親がそれを受け継いで、うちのグループの経営をしているんだ。僕は、そのノウハウを学んでいるところと言えば良いかな」
大樹が創業者一族の跡取りだということは、花も何となく理解した。しかし、出て来た会社の名前から言って、スケールが大きすぎて、具体的に、大樹がどんな仕事をしているのかは理解できなかった。
「何か、話が大きすぎて、よく分からないです」
「だから、僕の会社のことは、今は分からなくても良いよ。でも、僕という人間のことは分かってもらいたい。そして、僕は花ちゃんのことをもっと知りたい」
「わ、私のどんなこととかを?」
「そうだなあ。まずは、オーソドックスに生年月日から」
「誕生日は四月二十三日で、誕生日が来ると十八歳になります」
「じゃあ、高校三年生だね?」
「はい」
「僕は十一月二十五日で、誕生日が来ると二十六歳になるんだ」
「八歳も上なんですね」
「もう、おじさんかい?」
「そんなことはないです! 素敵です! ……あっ」
大樹がイケメンなのは間違いなく、まだ大学生といっても通用するほど爽やかで、そんなイメージから、思わず「素敵」と言ってしまい、花は照れてしまった。
「ありがとう。花ちゃんにそう言われると素直にうれしいよ」
「……」
「それで、朝、『うちは貧乏なので』って言っていたけど、さしつかえなければ、高校生の花ちゃんが、どうしてそんなに頑張らなきゃいけないのか、教えてくれないかな?」
花は、両親ともが交通事故で死んでしまったこと、その事故で多額の損害賠償金を支払わなくてはならなくなったこと、今もその損害賠償金の支払いは続いていて、一緒に住んでいる祖母がずっと払ってきたが、体を壊してからは、花のアルバイト代で払っていることを正直に話した。
「そうか。花ちゃんのお婆さんの考え方は、なかなか、普通の人ができるようなことじゃないね。そんなお婆さんの遺伝子を、花ちゃんが受け継いでいるのは確かみたいだね」
「祖母と孫ですから遺伝子は受け継いでいますけど?」
「それもそうだね」
そう言って笑った後、大樹は真面目な顔をした。
「花ちゃん」
「はい」
「もし、もしもだよ。僕が、損害賠償金を肩代わりしたり、花ちゃんの生活費を援助すると申し出たら、どうする?」
「飛鳥さんにそんなことをしてもらう理由がないじゃないですか?」
「今はね。でも、花ちゃんが僕の恋人になってくれたら、いくらでも援助してあげるよ」
「……何ですか、それ? お金と引き替えに、つきあえって言ってるんですか?」
花は本気で怒った。格好良くて爽やかな大樹のイメージが途端に悪くなった。
「お金で何でもできるって思ってるんですか? 見損ないました!」
「……」
「私、もう帰ります!」
「あっ、待って!」
席を立とうとした花を大樹が止めた。
その顔はうれしそうで、花も戸惑ってしまった。
「ごめんよ。ちょっと、花ちゃんを試させてもらったんだ。僕が思っていたとおりの反応でうれしかったよ」
「はい?」
「さっきの話は嘘だよ。いや、あながち嘘ではないけど、少なくても、花ちゃんを買収して、恋人になってもらおうなんて思ってないから」
「……」
「さっきも話したとおり、僕の家は会社を経営しているだけあって、とりあえず、お金はあるんだ。そして、そんな僕の家のお金を目当てに近づいてくる連中もいる。僕は、そんな連中が大嫌いなんだよ」
「……」
「僕に近づいてくる女性も、みんな、そうなんだ。僕が飛鳥家の跡取りだから近づいてくるんだ」
「そ、そうなんでしょうか? 飛鳥さんは素敵な方ですから、純粋に飛鳥さんと仲良くなりたいって思っている人もいるんじゃないでしょうか?」
「ありがとう。また、『素敵』って、言ってくれたね」
「あっ……」
ポロポロと本音が出まくりの花だったが、そうなのは、気取ったり、遠慮したりすることのない素の自分が出ているからで、昨日、初めて会った人と、ここまでちゃんと話せていることが、新鮮な驚きであった。
「商売をしていると、人を動かす原動力は利益なんだと思ってしまってね。実際に、そんな人を多く見ているから、少し疑心暗鬼になっているのかもしれない。でも、花ちゃんには、そんな損得勘定なんて関係ないでしょ?」
「損得勘定なんて、まだ、分からないですし、損得で自分の行動を変えることができるほど器用じゃないです」
「それは、花ちゃんが素直で純粋な人だからだよ」
「そ、そんなことないです! 私だって、自分勝手なことしか考えてなかったりします」
「みんな、そうだよ」
大樹は、穏やかな微笑みを浮かべて、花を見た。
「やっぱり、花ちゃんと話していると、本当に心が安らぐ。それは、昨日からずっと感じていたんだ。これは、やっぱり、僕の運命の人としか思えないな」
「勝手に人の運命を決めつけないでください!」
「花ちゃんは運命を信じないのかい?」
今の大樹を初めて見た時、白馬に乗った王子様かと思ったのは事実だ。
「……まだ、分からないです」
「それもそうだね……。おっと、もうこんな時間だ」
大樹が自分の腕時計を見て言った。
花も自分の腕時計を見ると、もう午後十時を越えていた。
「花ちゃんと話していると、時間がすごく早く過ぎてしまうよ」
それは、花も同じだった。
「本当ですね」
「花ちゃんもそう思ってくれたの?」
「あっ、あの、はい」
「良かった。じゃあ、名残惜しいけど、約束だから、もう家に帰ろうか?」
「はい」
「それで、また、こんな時間を取ってくれないかな? 僕は明日でも良いけど、連日じゃあ、花ちゃんのお婆さんも心配しちゃうかな?」
大樹が、さりげなく、祖母の気持ちも察してくれた。
「は、はい。そうですね」
「それじゃあ、携帯の番号とか教えてくれないかな?」
「私、携帯は持ってないです」
「そうなんだ。じゃあ、家の電話番号は?」
今まで、花に男性から電話が掛かってきたことはないのに、祖母が大樹からの電話を取ると余計な心配をするのではないかと思った。今日も、学校の女友達と会っていることにしているくらいだ。
「家は、ちょっと……恥ずかしいし」
「う~ん……。じゃあ、僕の携帯番号を教えるから、花ちゃんから電話を掛けてもらって良いかな?」
大樹は、花がテーブルの上に出しっ放しだった自分の名刺の裏に携帯番号を書いた。
「花ちゃんから電話が来るのを待ってる。花ちゃんから電話が掛かってこなかったら、もう、花ちゃんのことは諦めるようにする。朝も言ったように、僕は女性に振られて、その女性を逆恨みするようなことはしない。潔く諦めるから」
大樹とつきあいを始めるかどうかは、花の考え一つに任されるということで、逆に考えると、大樹は花につきまとうような男ではないということだ。
「わ、分かりました。あ、あの、じっくりと考えてみます」
「うん。僕は、こうと思ったら、即行動しないといられない性格なので、花ちゃんをいろいろと混乱させてしまったかもしれないけど、花ちゃんともっと話をしてみたいというのは、僕の正直な気持ちだから、それだけは分かってほしい」
真剣な眼差しで花をしっかりと見つめながら言う大樹の言葉に嘘はないことは、花も分かった。
これまで浮いた話などまったくなかったのに、今までの分を帳消しにするくらいの急展開に、花も戸惑ってしまったが、大樹の真剣な想いは伝わってきた。
「あと、お婆さんと二人暮らしだと、いろいろと困ることがあるかもしれないけど、何でも相談してもらっても良いよ。まあ、それにかこつけて、花ちゃんに会えるからという下心もあるんだけどね」
女性の二人暮らしで、よく分からなくて困ったことは、これまでも何度かあった。大樹の申出は、正直、心強く感じた。
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、家まで送るよ」
花は、大樹の携帯番号が書かれた名刺をバッグの中に入れて席を立った。
「あっ、ジュース代は?」
伝票をさっと取った大樹に、バッグから財布を取り出しながら花が訊いた。
「ジュース代くらいで花ちゃんが買収できるとは思っていないよ。ジュース代も割り勘にさせているのかと思われると、僕が恥ずかしいからね」
爽やかに笑う大樹が、また、眩しく見えた。