第四話 彼氏いない歴十八年の記録更新ならず?
「イメージが変わってるから、分からないかな?」
男性が、白い歯をキラリと輝かせながら、花に近づいて来た。
「えっと、どこかでお会いしましたでしょうか?」
「昨日の夜、花ちゃんに焼きそばパンと牛乳パックをご馳走になったから、そのお礼をしたいと思ってね」
「……ええーっ!」
髭が綺麗に剃られて、髪もきちんとカットされているが、その魅力的な笑顔は、昨日の無精髭男に間違いなかった。
「花ちゃんの自転車に書いてあった住所を憶えていたから、こうして待ち伏せしていたんだ」
「あ、あの、昨日の焼きそばパンと牛乳なら、私のバッグを取り戻してくれたお礼として差し上げたもので、更に私がお礼を返してもらう理由はないです」
「じゃあ、言い換えよう。花ちゃんをデートに誘いに来た」
「はい?」
「聞こえなかったのかい? 花ちゃんをデートに誘いに来たんだ」
「えっと……、私をからかいにきたんですか?」
「違うよ。本気だよ」
「ちょっと、理解できないですね。っていうか、あなた、誰なんですか?」
そういえば、無精髭男の名前すら聞いてなかったことに、今、気づいた花だった。
「これは失礼。花ちゃんの住所と名前を一方的に知っておきながら、自分は名乗ってなかったね。僕は、『あすかひろき』というんだ」
「『あすか』さん?」
「そう。飛ぶ鳥と書いて飛鳥、大きな樹木、大樹と書いて大樹と読むんだ」
「飛鳥大樹さん……。あ、あの、それで、飛鳥さんが、どうして、私をデートに誘うという暴挙に出たんですか?」
「花ちゃんをデートに誘うのは暴挙なのかい?」
「そうですよ! だって、昨日、会って話をしただけの私ですよ!」
「いや、見ず知らずの僕に焼きそばパンと牛乳パックを恵んでくれた。僕には花ちゃんが女神に見えたよ」
「女神って……。あれは飽くまでお礼として差し上げたもので」
「昨日の僕は、みすぼらしい格好をしてて、ちょっと怖かっただろう?」
「そ、それは……、ちょっとだけ……」
「腹が減ったという僕のために、お礼の言葉だけじゃなくって、食べ物をわざわざ買って来てくれたんだ。すごく嬉しかったよ」
「……」
「それに、初めて見た時から、可愛い女の子だなって思っていたんだ」
「そ、そんな! 暗かったから、よく見えてなかったんですよね?」
「昨夜は満月で、けっこう明るかったでしょ? だから、僕は、花ちゃんの顔を鮮明に憶えていて、今日、こうやって会っても、やっぱり可愛い。記憶違いじゃなかったって思っているんだけどね」
また、面と向かって「可愛い」と言われて、花は、ドキドキと胸をときめかせたが、やはり常識的にいって、昨日の今日で、いきなり、デートに誘われる理由が分からなかった。
「と、とにかく、昨日、会っただけで、いきなり、デートに誘うなんて、おかしいですよ!」
「そうかな? 僕は、きっと、花ちゃんに一目惚れしてしまったんだ。そんな自分の気持ちに正直に従っているだけなんだけどね」
「ひ、ひ、一目惚れって……、からかわないでください!」
「さっき、本気だって言ったよ」
「信じられません! だって、私、今まで男子に声を掛けられたことのない、彼氏いない歴もう少しで十八年なんですよ!」
「それは、今まで花ちゃんの周りにいた男性に人を見る目がなかったんだよ。僕にとっては幸運だったとしかいえないけど」
大樹の表情には、花をからかっているような悪意は見えず、真剣そのものだった。
「あ、あの、私、学校に行かなきゃいけないので、失礼します!」
何が何やら分からなくて、思考停止に陥ってしまった花は、話を強制終了させて、学校に向かって、小走りに駆け出した。
「待って!」
呼び止められて、花は足を止めた。
(ど、どうして? どうして立ち止まるの、私?)
花自身が自分の行動を説明できなかった。
昨日、初めて会って、怖い思いもさせられた、この「飛鳥大樹」という謎の男性から逃げようと思ったのに、心のどこかで呼び止められるのを待っていたかのようだった。
大樹は、ゆっくりと花の後ろに近づいて来た。
「せめて、僕と話をする時間をくれないかな? 確かに唐突で、花ちゃんをびっくりさせてしまって申し訳ないと思っている。でも、僕は、花ちゃんともう一度会って話をしたいと思って、居ても立ってもいられずに、ここに来てしまったんだ」
花が振り向くと、本当に懇願しているかのように、少し不安が混じった表情の大樹がいた。
「昨日みたいなことがあったから、怪しい男だって思われていても仕方がないけど、これだけは断言する。昨日のようなことはもう二度とない。もう、花ちゃんに怖い思いはさせない。それと、僕は女性が嫌だということは絶対にしない。僕の話を聞いてくれた上で、それでも花ちゃんが僕に近づかないでほしいと言うのであれば、僕は花ちゃんのことをきっぱりと忘れることにする。絶対につきまとったりしない」
その目は真剣で、この場をしのぐために嘘を吐いているようには思えなかった。
「あ、あの、話だけなら」
ここまで真摯な態度を示されると、花もむげに断ることはできなかった。
「本当に? ありがとう、花ちゃん!」
無邪気に喜ぶ大樹の笑顔に、また、少し胸がときめいた。
「でも、飛鳥さん。私、学校が終わった後、ずっとアルバイトしているので、時間はそんなに取れないですけど」
「アルバイトって?」
花は、夕方からの新聞配達とそれからのコンビニでのバイトのことを話した。
「高校生なのに、そんなに働いているのかい?」
「うち、貧乏なので」
「どんな事情があるのかは知らないけど、花ちゃんは偉いね」
「そ、そんなことはないです!」
「お金の本当の価値を知っていると思うよ。それに引き替え、僕の周りに近づいてくる女どもときたら」
「はい?」
「あっ、いや。何でもない。それじゃあ、今夜、九時にバイトが終わった後から一時間くらい、時間をもらえないかな?」
「えっと、……は、はい」
そして、その日の午後九時。
コンビニでのバイトを終えて、花が自転車で自宅に帰ると、今朝と同じ場所に、大樹のスポーツカーが停まっていた。
運転席のドアガラスが下がると、大樹が顔を見せた。
「花ちゃん、こんばんは。そして、お疲れ様」
「こ、こんばんは」
大樹は車から降りると、車の左側に回り込んで、助手席のドアを開けた。
「どうぞ」
「どこまで行くんですか?」
「人気のない山奥とか断崖絶壁の海岸とかには行かないから心配しないで」
「余計に心配になったんですけど~」
「ははは、冗談だよ。ここから少し東に行った所にファミレスがあるでしょ? そこで良いかな?」
「はい」
花は、自転車を自分の家の前に置くと、大樹の車の助手席に乗り込んだ。祖母も車の運転はしないから、花は、車の助手席に乗ったことも記憶がある限りは初めてだった。
低い視線で体が沈み込むようなシートだった。
運転席に大樹が乗り込むと、思ったよりも静かなエンジン音を響かせて、車は住宅地を通る比較的狭い道路から大通りへと出て行った。
流れ去っていく街の夜景に見とれていると、すぐにファミレスに着いた。
ファミレスの駐車場にスムーズに車を停めると、大樹は、すぐに車を降りて回り込み、ドアの開け方が分からずにモタモタしていた花に代わり、助手席のドアを開けてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
嫌味がなく、スマートな大樹の行動に感心しながら車を降りると、大樹と並んで、ファミレスに入った。
店内に入ると、店内のスタッフや客、それも女性達の視線が突き刺さるように花と大樹に向けられた。みんな、イケメンの大樹に注目しているのだ。そして、その冴えない風貌の連れにも。
ウェイトレスの案内で、一番奥にある窓際の席に案内され、大きなテーブルに向かい合って座った。
「花ちゃん、食事をするかい? それとも何か甘い物でも食べる?」
「えっと、家に帰ると、お婆ちゃんが食事を用意してくれているので、飲み物だけにしておきます」
「分かった。じゃあ、僕もそうしよう」
ドリンクバーで、大樹はホットコーヒーを、花はオレンジジュースを入れて来ると、再び、テーブルで向き合った。
「さて、何から話そうかな? 花ちゃんは、僕について訊きたいことは何かある?」
「訊きたいことだらけなんですけど。とりあえず、飛鳥さんは、どんなお仕事をされているんですか?」
話すことなど決めてなかった花は、昨日、会った時に浮浪者風に身をやつしていた大樹の職業を訊いた。
「それは、昨日みたいなことがあったからかい?」
「そうです。あの怖い人たちとはお友達なんですか?」
「怖い人たちってどっちのことかな? 最初に僕達を取り囲んだ方? それとも後から現れた黒い服の連中かい?」
「どっちもです。黒い服の人たちは、飛鳥さんのお知り合いだったようですけど?」
「彼らは、僕のボディガードだよ」
「ボディガードを付けなきゃいけないようなお仕事をされているんですか?」
「今さら、花ちゃんに嘘を言っても仕方ないから、正直に話すよ。最初に出て来た連中は、見た目どおり、ヤクザだよ。そんな連中から狙われることもあるから、僕にはボディガードが付いているんだ」
「ヤクザさんに狙われるなんて、飛鳥さんもそうなんですか?」
「違うよ」
「それじゃあ?」
「僕は、とある企業を経営しているんだ。今のヤクザの連中は、普通の企業に恐喝まがいのことをしてくるからね。そのための自衛策だよ」
「とある企業って?」
「申し訳ないけど、それは、今、言いたくはないんだ」
隠されると、やはり怪しい会社なのではと思ってしまう花だった。
そんな花の表情を見て、大樹は言葉を続けた。
「実はね。僕が経営している会社の名前を言うと、すぐに態度を変える人がほとんどなんだ。花ちゃんを疑っているわけではないけど、自分としては、そんな前提なしに、僕という人間のことを花ちゃんに知ってもらいたいんだ」