第三十話 幽霊屋敷
フェニックス・シンジケート本部の指令室。
執務机に座った大樹の前に亀谷と鶴屋が立っていた。
「夢の木坂学園の敷地を買い取ったのは、山田組という建設会社で、周辺の土地も買い取っていて、どうやら再開発目的のようです」
いつもの生気のない雰囲気で鶴屋が報告した。
「山田組は、都心の再開発を手掛ける、まともな会社だ。そして夢の木坂学園の辺りは都心の一等地で、開発業者にとっては魅力的な物件なのは間違いない。まとまった面積にすることで、大きく値を上げることができるからね」
「若奥様の願いを叶えるのなら、うちで買い取ってしまいやすか?」
「山田組は夢の木坂学園の敷地だけを売ることはしないだろう。そうすると山田組が再開発をしようとしている土地全部をうちが買い取らなければならない。飛鳥の財力をもってすれば何ということもないが、うちでは何も具体的な開発計画もない段階で土地を取得しても意味はない。そしてそれは飛鳥財閥には何の利益ももたらさないことで、私情にかられても、企業人としてはやってはならないことだ。一方、山田組は何年も掛けて実行してきた一大プロジェクトなんだろうから、横から飛鳥が邪魔するようなことはできない」
飛鳥財閥は、実質的に飛鳥本家が支配しているとしても、その傘下にある企業は一流企業として社会的責任も併せ持っている。飛鳥本家の考えだけで高額な買い物をしたり、無茶な事業を立ち上げたりすることは、経済を混乱させる恐れもある。
今回、山田組という建設会社が敷地をまとめて再開発をしようとする計画は走り出していて、それを邪魔するかのように飛鳥財閥がしゃしゃり出てくることは、正当な経済活動を妨げることになり、何よりも他の企業からの飛鳥財閥に対する信頼を失う。
「では、若奥様の願いは叶えられないということに?」
「へえ~、亀が心配してくれるなんてねえ」
「い、いや、ずっと護衛に付いていたんですが、すごく真剣に取り組まれていて、何でやと思いましてね」
「そうだろうね」
「青葉もずっとつきあっていたんでやす」
「青葉も?」
「ええ」
青葉とは正式にボディガードの契約をしたわけではないが、実質的に青葉は花を守ってくれているようだ。
「どうしやす、ドン?」
「今の場所で夢の木坂学園を存続させるのは不可能だな。だから、移転をしてもらおう。できればすぐ近くに。鶴!」
「はい」
「夢の木坂学園の近くで、同じくらいの広さで売っても良いという土地があるかどうかを調べてくれ」
「分かりました」
「山田組は真っ当な商売人だ。だから、その計画を邪魔することはできないが、間に入っている黒崎という弁護士にはかなり悪い噂が立っているようだな?」
「へい。立ち退きを専門にやってる弁護士で、筋の悪い連中を密かに囲っているようですぜ」
「夢の木坂学園に来たというヤクザのような連中もか?」
「おそらく」
借地に家を建てて住んでいる人を立ち退かせるには、正当な金額の立ち退き料を払って立ち退いてもらう必要があるが、借地に住んでいる人もいろんな事情ですぐに立ち退きできないこともあるし、そもそも立ち退き料で折り合いが付かないことも多い。そういう場合は裁判所に適正な立ち退き料を定めてもらうこともできるが、時間が掛かる。
黒崎は、そういう事案を抱えた地主から依頼を受けて、違法すれすれの行為で借地人を追い込んで立ち退かせているようだ。
「あっしも何度か黒崎と会ったことがありますけど、自分は頭が良いんだぜってあのドヤ顔にはいつも腹が立ちますぜ」
「そんな亀の個人的な不服はさておき、迷惑を被っている人も多いようだ。少し痛い目に遭ってもらうかな」
亀谷がうれしそうな顔をいた。
「ぜひ、やらせてくだせえ!」
「だから、亀の鬱憤を晴らすためじゃないよ」
「分かってやすよ」
絶対に個人的鬱憤を晴らすためのような満面の笑みであった。
黒崎法律事務所の会議室で、黒崎は、大手デベロッパー山田組の社長と会っていた。
「先生のお陰で立ち退きは順調ですよ。あとは夢の木坂学園の敷地だけです」
「なあに。もうそろそろ明け渡してくれるはずですよ」
「本当ですか? いやあ、あの施設は絶対に首を縦に振らないと思っていたんですけどねえ。さすが先生です」
「いやいや、私は法律にのっとって正当な権利者を守っているだけですよ。はははは」
「ありがとうございます、先生」
黒崎に深々と頭を下げた山田組の社長を見送った後、黒田弁護士は女性秘書にこれからの予定を尋ねた。
「この後、三時から飛鳥様と面談が入ってます」
「飛鳥? 知らないぞ。一般人の法律相談ならイソベンの先生にお願いしてくれ」
イソベンとは、居候弁護士の略で、オーナー弁護士の法律事務所に雇われて勤務している弁護士のことだ。
「黒崎先生をご指名でした。飛鳥財閥の関係者だとおっしゃていましたが」
「何? それを早く言え! ふふふ、日本一の富豪から声を掛けられるとは、また、大きな話でも舞い込んできたかな」
大樹と鶴屋は第一応接室と書かれたプレートが掲げられた部屋にいた。
なかなかに羽振りが良さそうで、調度品も高級な物ばかりであった。
ドアがノックされ、髪をオールバックにした中年の男性が入って来た。
「どうも、お待たせして申し訳ありません。黒崎でございます」
少し慇懃さを感じる卑屈さが現れていたが、大樹が立ち上がり、会釈をしてから、名刺を差し出した。
「こちらこそ、お時間をいただきまして、ありがとうございます」
「……飛鳥……大樹様」
さすがの黒崎弁護士も飛鳥財閥次期総帥、直々のおなりに驚いていた。
「あ、飛鳥総合企画の社長様直々においでいただくとは光栄でございます。私ごときにどういったご用件でしょうか?」
「もちろん、仕事の依頼です。我々の方でどうしても利用したい土地があるのですが、不法占拠している者がいましてね。先生は立ち退き屋のプロとのお噂をかねがねうかがっております。そのお力で何とかしてほしいと思いまして、馳せ参じた次第です」
「お任せください! 今まで立ち退きに失敗したことはござません! 不法に占拠している輩どもは必ず立ち退かせてご覧にいれます!」
「その力強いお言葉! 頼もしいですね」
「はははは! それで土地はどちらに?」
「こちらなんですけどね」
鶴がテーブルの上に広げた資料を示しながら大樹が説明を続けた。
「この土地には借地権が切れた、古びた洋館が建っていて、老人が一人で住んでいるようなんです。うちの担当者がその方に何度が面会して立ち退きを要請してもなかなか応じてくれないようです。他にも近所からは『お化けが出る』という変な噂も流れているようです」
「そういう不穏な噂を流して売買自体を取り消さそうとするのは、不法占拠者の常套手段ですよ。分かりました。私にお任せください!」
黒崎弁護士が事務所の男性職員一名とともに、大樹が言った土地に行くと、大樹の話どおり、古びた洋館が建っていた。
壁にはツタがからまり、窓が全部閉まっていて、人が暮らしているようには見えず、「お化けが出る」という噂が流れていても不思議ではなかった。
「佐藤、まかせる」
黒崎は事務員にそれだけ告げると、少し離れた所に停まっているベンツの後部座席に乗り込んだ。
黒崎と入れ違いに三名の明らかにヤクザと分かる男がやって来て、佐藤事務員とともに建物の玄関前に立った。
佐藤が玄関脇に付けられていた呼び鈴のボタンを押したが、そもそも音が鳴っていないようであった。
ドアのノブを持って回してみたが、鍵が掛かっているようで、ノブはまったく動かなかった。
佐藤はヤクザの連中に目配せすると、少し後ろに下がった。
代わりに玄関ドアの前に進み出た三人のヤクザどもは、ドアを乱暴に叩きながら、「ごらああ! 開けろ! いるんだろうが!」と威勢良く怒鳴った。
すると、音もなく玄関のドアが開いた。ドアには鍵が掛かっていたはずなのに、玄関の中には誰もいなかった。
「何だあ?」
佐藤事務員とヤクザどもはいぶかしみながらも玄関の中に入って行った。
「遅いな」
百万円以上はする高級腕時計を見ながら、黒崎は呟いた。
佐藤事務員が洋館の玄関ドアを入って行ってから、かれこれ二十分になる。借地人を脅すには時間が掛かりすぎだ。
佐藤は背広の内ポケットから携帯電話を取り出し、佐藤事務員の携帯に電話を掛けてみた。
呼び出し音は鳴っているが、佐藤は電話に出なかった。
「何をやっているんだ! まったく!」
いらついた様子でベンツの後部座席から降りると、黒崎は一人で洋館の玄関に向かった。
佐藤たちが入って行って、開きっぱなしのドアから中に入ると、靴を脱ぐスペースはなく、すぐに広い玄関ロビーとなっていた。
そこは二階まで吹き抜けになっていて、二階部分には回廊がロビーをぐるりと一周しており、ロビーの奥にある螺旋階段がその回廊に伸びていた。
「佐藤! いないのか?」
黒崎が大きな声で呼んだが返事はなかった。
「佐藤! 佐藤!」
事務員の名前を呼びながら、階段を昇り二階の回廊に行くと、その外周にはいくつかドアがあった。
下からバタンと大きな音がした。
黒崎が回廊の手すりにつかまり、下をのぞき込むようにして見ると、玄関のドアが閉まっていた。
「風で閉まったのか?」
少し不安になりながらも、黒崎は素早く階段を降りて、一階に戻り、玄関ドアのノブを引いた。
しかし、鍵が掛かっているのか、ドアノブを押しても引いてもドアは開かなかった。
ドアノブには鍵穴しかなく、鍵を閉めるには、鍵穴に鍵を差し込むしかなさそうだ。しかし、バタンと音がしてすぐにこのドアを見たが、誰かが鍵を閉めているようではなかった。
そうすると、外から鍵を締められたことになる。
閉じ込められたと分かった黒崎は、ドアノブを乱暴に動かしながら、「ここを開けろ!」と叫んだが、返事はなかった。
仕方なく黒崎は一階の奥に向けて進むと、ロビーを取り囲むようにしてあるドアの一つが「ギイィー」と音を立てながら開いた。
そこには、ボロボロの上着をまとって、アイスホッケーのフェイスガードのような顔を覆う仮面を付け、両手でチェンソーを持った男がいた。
そして、無言でチェンソーを作動させた。
チェンソーのエンジンがかなりの音量で響いたが、それをうるさいと感じるほどの余裕は黒崎にはなかった。
ホラー映画の殺人鬼のような男がゆっくりと自分の方にやってくると、黒崎は悲鳴を上げながら、きびすを返して、玄関ドアのノブを押したり引いたりしたが、やはりドアはびくともしなかった。
振り返ると、チェンソーを持った仮面の男は無言でゆっくりと近づいてきており、恐怖に駆られた黒崎は、「助けてくれ!」と叫びながら、チェンソーを持った仮面の男を回り込んで、二階に昇る階段を駆け上がった。
二階の回廊から下を見ると、男がゆっくりと階段を昇って来ていた。
黒崎は二階の回廊にあるドアを片っ端から開こうとしたが、どのドアも鍵が掛かっているようで開かなかった。
そうこうしているうちに、チェンソーを持った仮面の男が二階に上がって来た。
黒崎は、吹き抜けの周りをぐるりと取り囲んでいる回廊をぐるぐると回りながら、仮面の男から逃げ回った。そして、黒崎は仮面の男の動向を注意深く見ながら、一定距離を保ちつつ、携帯で警察に電話を掛けた。
しかし、携帯の電波が届かないというメッセージが返ってきただけであった。
このままずっと仮面の男と追いかけっこをするわけにはいかない。
回廊から飛び降りて、玄関ドアを蹴破ることができないかやってみようと思い、仮面の男との距離を確かめてから、回廊の手すりを持って、下を見た時、黒崎の肩をとんとんと叩く者がいた。
仮面の男は回廊の反対側にいる。
黒崎は顔を引きつらせながら、ゆっくりと振り向いた。
そこには血みどろな女性がいて、不気味に笑った。
あまりの恐怖に声を出すこともできずに、股間が濡れていく感覚を覚えながら、黒崎の意識は消えて行った。




