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第二十九話 人の目利き

 なかば強引に、はな青葉あおばはるの家、表向きには自宅に青葉を連れてきた。

「ただいま!」

 玄関の引き戸を開けて、花が家の中に向けて元気良く言うと、「おかえり」と春の声が返ってきた。

「どうぞ、青葉ちゃん」

「お、お邪魔します」

 玄関の土間で靴を脱ぎ、歩くとギシギシと鳴る廊下を少し進み、障子を開けると、春がいつもどおり、ちゃぶ台に座ってテレビを見ていたが、すぐにリモコンでテレビを消した。

「お婆ちゃん! 友達の如月青葉ちゃん」

「そうかえそうかえ。花がいつもお世話になっておるのう」

「い、いえ。如月青葉です。よろしくお願いします」

 いつになく青葉が緊張した面持ちで正座し、春に頭を下げた。

「花。台所に鍋の下準備はしておるぞ」

「はい。じゃあ、準備してくるね」

 春と青葉にそう言うと、花は部屋を出て行った。

 あとに残った青葉は、正座したまま、春を見つめた。

大樹ひろきから話は聞いておるぞ、如月さんとやら」

 当然、青葉も春が飛鳥財閥第二代総帥夫人であったことを知っていた。今もにこやかなえびす顔の春であったが、青葉を見つめるその目に込められた威圧感に、さすがの青葉も気圧けおされた。

「は、はい!」

 青葉は、思わず手を畳に付け、頭を下げた。

「こんなババアに緊張せんでもええわ。ほっほっほ」

 人懐っこいその笑みに青葉も思わず頬を緩めた。

「でもな」

 青葉は顔を上げて、声の調子をがらりと変えて呼びかけてきた春を見つめた。

「わしもあんたの経歴までは詳しく聞いておらんが、なかなかに苦労をしてきたようじゃな」

「……」

「花も貧乏で苦労をしてきたようじゃが、普通の女子高生じゃ。でも、あんたからは普通の女子高生の匂いすらせん」

「……」

「わしも想像できんほどの苦労をしてきたんじゃろ?」

「……」

「しかし、うちに来れば、そんな苦労はせんでもええぞ」

「はい?」

「フェニックス・シンジケートがどうして、あれだけの力を出せると思う?」

「訓練が行き届いているかと」

「それもあるが、もう一つ大きな力を生み出す源がある。それはの、みんな、家族じゃと思っているからじゃ」

「……家族?」

「そうじゃ。フェニックス・シンジケートには鉄砲玉も捨て駒もおらん。全員がフェニックス・シンジケートの一員だということに誇りを持っておる」

「誇り……」

「あんたも自分の商売には誇りを持っているんじゃろ?」

「は、はい」

「良いことじゃ。うちの連中も同じじゃよ。人には言えん商売じゃが、全員があんたと同じ誇りを持っておる。あんたも居心地が良いと感じるはずじゃ」

「……」

「ぜひ、うちにおいで。そして、花を守っておくれ。このとおりじゃ」

 見た目はにこやかで優しげな老婆であるが、亡き夫とともに実質的に飛鳥財閥を作り上げた第二代総帥夫人である春が、青葉に三つ指をついて座礼する姿は威厳に満ちており、そんな春が自分ごとき殺し屋に頭を下げたことで、青葉は胸が一杯になった。

「あ、頭をお上げください!」

 青葉は思わず春ににじり寄って、畳に付いている春の手を握った。

 顔を上げた春に青葉が穏やかな表情を見せた。

「答えはフェニックス・シンジケートのドンにお伝えします」

「そうか。そうじゃな。すまんかったのう。わしも花が可愛くてのう。つい強引に迫ってしもうたわ」

「花さんのことをそんなに?」

「良い子じゃろう? 大樹が選んだ娘だけのことはあると、わしも思うておるんじゃ」

「そうですね」

「あんたもじゃぞ」

「えっ?」

「きっと、あんたのご両親は優しい心の持ち主じゃったんじゃろうの。その心はあんたにも引き継がれたようじゃが、仕事をしていく上でその心は邪魔になった。だから、あんたはその心を自分でも分からないうちに封印をしてしまったのじゃろう。そんな血塗られた過去と決別するのは今しかないぞ」

「過去と決別……」

 良い匂いが部屋まで漂ってきた。

「できたようじゃの」

 春がそう言うとすぐに、花が簡易コンロと取り皿を持って部屋に入ってきた。

「お婆ちゃん、すごく美味しそうだよ!」

「そうじゃろ? 野菜や魚の目利きはまだ衰えていないと自負しとるでの」

「うん! たっぷりあるから、青葉ちゃんも遠慮せずにいっぱい食べてね」

「は、はい」

「じゃあ、お鍋持ってくるね」

 花が部屋から出て行くと、春が青葉を見ながら「人の目利きも衰えていないはずじゃ」と面白そうに笑った。

 青葉も思わず笑顔になった。



 締めのうどんまでぺろりと平らげた三人がお茶をすすりながらまったりとした時間を過ごした後、青葉は帰ることとした。

「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」

 玄関先で春と花と向かい合って、青葉が頭を下げた。

「青葉ちゃん、いつも一人でご飯食べてもつまんないでしょ? また、お鍋とかする時には誘うから、ここにおいでよ。良いでしょ、お婆ちゃん?」

「もちろんじゃよ。またおいで」

 青葉は少し照れくさそうに「はい」と答えた。

「じゃあ、駅まで送っていくよ」

 けっこうですよと青葉が言う暇もなく、靴を履いた花は青葉とともに外に出た。

 時間は午後十時前で、住宅地の多いこの辺りは、人通りが途絶えていた。

「青葉ちゃん」

 並んで歩き出した花が青葉を呼んだ。

「青葉ちゃんは運命って信じる?」

「はい?」

 二人は立ち止まって向き合った。

「私は信じる」と言った花に「花さんは何か運命的な出会いがあったのですか?」と青葉が尋ねた。

「うん。まだ詳しくは話せないけど、素敵な出会いがあったんだ」

「そうですか。でも、どうして今その話を私に?」

「青葉ちゃんとの出会いも運命なのかなあって思ったの」

「ど、どうしてですか?」

「なぜなのかはよく分からないけど、青葉ちゃんが近くにいてくれると、なんだか安心できるんだ」

「……」

「あっ、今日ずっと一緒にいてくれたからかもしれない。私がどんなに焦った時も青葉ちゃんはいつも冷静だし、何か頼りになるというか、……ごめんね」

「はい?」

「今日も青葉ちゃんに頼ってばかりだった気がするし、迷惑掛けちゃったね」

「いいえ、迷惑だなんて思ってもいません。私も花さんと一緒にいて、なんだかおもしろかったです」

「おもしろい?」

「ええ。楽しいと言った方が正確でしょうか。花さんのような方と出会えたのは、本当に運命なのかもしれませんね」

「そうだと良いね」

 見つめ合った二人だったが、先に照れた青葉が視線をそらした。

「では、ここでけっこうです。今日は本当にありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとう! じゃあ、明日、また学校でね」

 青葉に笑顔で手を振りながら、元来た道を戻る花を見つめる自分の顔が自然と微笑んでいることに気づいた青葉であった。



 財界のパーティーから帰ってきた大樹は、会場のホテルで売られていた有名なケーキを買ってきてくれた。

「わあ、おいしそう!」

「花なら喜ぶだろうなって思ってね」

「ありがとう、大樹さん!」

 軽くキスを交わした花がキッチンからお皿とフォークを持ってきて、さっそく二人で食した。

「う~ん、おいしい! どうしてこんなにおいしいんだろう?」

「良い素材と良いパテェシエの腕だろうね。でも、これでそんなに高くはなかったんだよ」

 大樹が教えてくれた値段は、結婚前ならとても買えない値段だが、今、普通の女子高生として生活するようになって、みどりや青葉とたまに甘い物を食べに行くこともあったが、そこでの値段と大差がない値段であった。

「それはそうと、花は夢の木坂学園の地主さんのところに行ってきたのかい?」

 花のテンションが途端に下がった。

「う、うん」

 花の様子で大樹も顛末が分かったようだ。

「……もう、私には何もできないのかな?」

「花は、頑張ったじゃないか。でも、人にはできることとできないことがある。花が望むのなら、あとは僕が引き取るよ」

「大樹さんが? 大樹さん、忙しいのに」

「実際には、瀬場せばか、亀谷かめたにがやってくれることになるよ」

「あ、あの、あまり大袈裟にはしないでね」

 瀬場はまだしも、亀谷に頼むのは争いの火を大きくしそうな気がして、少し不安になった花であった。

 

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