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第二十二話 飛鳥の商い

 銀座にあるデパート飛鳥屋の総務部。

 庶務や経理の担当部署の他、重役たちの執務室が並ぶ一画に、電話交換室もあった。

 三人のオペレーターが、取引先の会社や客からの注文、あるいは苦情といった電話を、それぞれ担当の部署に転送する仕事をしている所だ。

 いつもはひっきりなしに掛かってくる電話が途絶えて、オペレーターたちもひと息入れていた時に、その電話は掛かってきた。

「ありがとうございます! 飛鳥屋でございます! 総務部、赤崎が承ります!」

「総支配人の山田様をお願いします」

 穏やかな声の男性だった。

「失礼ですが、どちら様でしょうか?」

「飛鳥家の瀬場せばと申します」

「アスカケ……のセバ様ですか?」

「はい」

「ご用件はどのようなことでございましょう?」

「山田様にお願いしたいことがございます」

「しょうしょう、お待ちくださいませ」

 オペレーターの赤崎は、通話を保留にしてから、隣の先輩オペレーターに話し掛けた。

「『アスカケのセバ』という人から、総支配人に電話なんですけど、繋いでよろしいですか?」

「『アスカケ』? 何それ?」

「さあ? 総支配人にお願いしたいことがあるって言ってます」

「それ、総支配人に苦情を言って、無理な要求をしようって奴じゃない?」

「そうかもですね」

「得体の知れない相手からの電話は繋ぐなって総支配人から言われてるじゃん」

「そうですよね。何か、へりくだった話し方で、どこかの会社の重役って感じでもなさそうだし」

 赤崎は、保留にしていた電話を通話に戻した。

「申し訳ございません。総支配人の山田は、ただ今、席を外しております。『アスカケのセバ』様からお電話があったことはお伝えしておきます」

「そうですか。しかし、至急、お話したいことがございますので、この電話を山田様の携帯電話に転送させていただくか、この番号に返信願いたいと山田様の携帯に連絡していただけないでしょうか?」

「至急のご用件とは、どのようなご用件でしょう?」

「それは、山田様に直にお話いたします」

 赤崎が電話の対応をしていると、当の総支配人山田が電話交換室に入って来て、一番若いオペレーターの斉藤の後ろに立ち、その肩を揉んだ。

「うへへ、斉藤ちゃん、今日も可愛いねえ」

「やだ、総支配人」

「今度、晩飯でも食べに行こうよ。斉藤ちゃんの食べたいってお店に連れてってあげるよ」

「え~、どうしようかな~」

 鼻の下を伸ばして、斉藤にちょっかいを出している山田に、赤崎の隣の先輩オペレーターが声を掛けた。

「総支配人! 総支配人宛に変な電話が掛かっているみたいですよ。今、赤崎さんが応対中です」

「わしに変な電話? 誰から?」

「アスカケのセバという、変な名前の人みたいですけど」

「アスカケ? ……アスカ・ケ! 瀬場!」

 山田の顔が、途端に青ざめた。

「で、電話は? もしかして切ったのか?」

 対応中の赤崎が手を上げて、音声ボタンを下げた。

「言葉は丁寧なんですけど、どうしても総支配人と話がしたいってしつこくて」

「で、電話を回せ! い、いや、ここで取る!」

 山田が急いで近くの受話器を取った。

「も、もしもし、山田でございます!」

「お久しぶりです。飛鳥家の瀬場でございます」

「せ、瀬場様! お、お、お待たせして申し訳ありませんでした!」

 相手には見えないのに、山田は、直角に腰を折った。

「なかなかにお忙しそうで何よりでございます」

「は、ははっ!」

 嫌みにしか聞こえない瀬場のセリフに、山田は再度、深く頭を垂れた。

「急にお電話をさせていただいたのは、一つお願いがございまして」

「何でございましょう? 何なりとお申し付けくださいませ!」

「ありがとうございます。今、そちらの店の三階にあるジュエリーショップは、高額のお買い上げをする方の貸し切りになっていると聞いたのですが?」

「ど、どうして、そのことを?」

「フェニックス・シンジケートの情報収集力の高さはご存じでしょう?」

 フェニックス・シンジケートは、本来的には飛鳥家本家の護衛が第一の目的であったが、飛鳥財閥傘下の企業の経営者たちの間には、フェニックス・シンジケートの諜報員が各企業の営業内容を密かに探っているとの噂が立っていて、経営実態は飛鳥家本家に筒抜けだと信じられていた。

 今日この時間だけジュエリーショップを貸し切りにしていることを瀬場が知っていることに、山田は何も疑問を持たなかった。

「は、ははっ」

「普通、貸し切りで買い物をしていただくのは、開店前や閉店後であって、一般のお客様を締め出してまで行うことはしていないはずですが?」

「あ、あの、今日、来られている綾小路あやのこうじ様は当店の超お得意様で、今回もこの時間帯にしかご来店できないそうですが、一千万ほどの買い物をされるとのことで、防犯上の観点からも、仕方なく! 仕方なく、貸し切りにさせていただいたものでございます! しかも数日前からホームページや張り紙で周知もさせていただております」

「しかし、どうしてもそこのジュエリーショップの指輪を買いたいと言うお客様を締め出しているご様子。お買い上げの金額が小さくとも、お客様はお客様です」

「そ、それはそうですが……」

「一気に大きな売り上げを得ることは経営者として魅力があることですが、いかに小さなお買い上げでも、お客様一人一人に満足していただけることで、将来の顧客開拓に繋がるということは、営業の初歩ではなかったですかな?」

「……」

「ワタクシが山田様と初めてお会いしたのは、確か、山田様が営業課長の時でしたかな?」

「そ、そうですな」

「あの時から二十年以上、経ってますから、もう、営業の初歩を忘れておしまいになられましたか?」

「い、いえ、そんなことは」

「もう一度、営業の現場で修行をし直しますかな?」

「……」

「そういえば、飛鳥屋さんの営業成績も当初目標から伸び悩んでいるようですな」

「……」

「旦那様もそろそろ、てこ入れをすべきかなと申されておりましたぞ。経営陣の刷新を含めて」

「い、命懸けで頑張りまする!」

 オペレーターたちも驚くほどの大声で、山田が叫んだ。

「そうしていただきましょう。そして、今すぐ貸し切りを解除願います」

「し、しかし、綾小路様には何と?」

「飛鳥家直々の指示があったと、あなたからちゃんと説明をしてください」

「わ、分かりました」



 デパートの社員証を付けた男性二人が走って来ると、警備員に命じて、ジュエリーショップの包囲を解かせた。

「お、お待たせしました! どうぞ!」

 まだ、五時に三十分前なのに、封鎖が解けたことに、セブンズスターシリーズの指輪を買いに来ていた男性も怪訝な顔をしながらも、すぐに店内に駆け込んだ。

 一方、店内からは、憤慨している綾小路母子が、太った男性社員になだめられながら出て来た。

「大変、申し訳ございません! 飛鳥家本家から指示がございまして」

 社員のその言葉で、はなは瀬場が何とかしてくれたことが分かった。

 そして、飛鳥家の力というものを実感した。

「うちは、江戸時代から続く老舗なのよ! 明治時代にはいち早く外国人観光客への対応をするなど変革者でもあった! 歴史と伝統を受け継いでいるのよ! 飛鳥みたいにポッと出のヤミ金融屋とは違うのよ!」

 綾小路の母親が、太った社員に飛鳥本家の悪口と文句を言っていたが、社員は、「何しろ、うちは飛鳥財閥の傘下でございますから」と言い訳を繰り返すだけであった。



 無事に姉へのプレゼントを買えたみどりと別れて、はるが待つ家に戻った花は、春とちゃぶ台でお茶を飲みながら、今日あったことを話した。

「そうかえ。瀬場がのう」

「びっくりしました。あの穏やかそうな瀬場さんが、どんな感じで説得をしたのか、興味があります」

「説得などしとらんよ。飛鳥財閥傘下の企業の役員たちにとって、飛鳥本家の声は天の声じゃからな」

 まだ、高校生の花には理解しがたいことだった。

「でも、お父様や大樹ひろきさんに代わって、そんなことが言えるなんて、やっぱり瀬場さんは信頼されているんですね」

「それはそうじゃ。でもな、瀬場は、ああ見えて、昔はヤクザだったからのう」

「ええっ! そんな……、全然、そんなに見えません」

 いつもタキシードを着て、白髪をオールバックにして白い口ひげをはやしている瀬場のいつも微笑んでいるかのような穏やかな顔からは、瀬場がヤクザだったことは、とても想像できなかった。

「ほっほっほ、まあ、そうじゃろうな。あの人に見いだされて、足を洗ったんじゃよ」

 春が懐かしげな視線を向けた先には質素な仏壇があり、そこには、大樹が年を取るとこんな顔になるのではないかと思われる男性の写真が置かれていた。

 春の亡き夫である第二代総帥の朋樹ともきだ。

「花は総会屋という言葉は聞いたことはないか?」

「はい。勉強不足ですみません」

「何の。総会屋というのはの、会社の株主総会に参加して、いろいろといちゃもんを付けようとする連中のことで、会社が総会屋の連中と事前に話をつけておくと、総会もしゃんしゃんと終わらせてくれる、お互いに依存しあった寄生虫のような連中じゃ」

「瀬場さんもそうだったんですか?」

「そうじゃ。じゃから、交渉ごとは上手いぞ。でもそんな瀬場も、あの人には敵わないと兜を脱いで、あの人の部下になってくれたんじゃよ」

 飛鳥家の厨房を取り仕切る大山も朋樹氏に呼ばれて飛鳥家に来ている。

 花も写真でしか見たことがない、昌樹まさきの父親で大樹の祖父たる「あの人」飛鳥朋樹という人物は、よほど人を惹きつける魅力があったようだ。

 そんな朋樹が見初めた春に、瀬場や大山が今でも恩義を感じているのは当然のことなのだろう。


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