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第一話 焼きそばパンと牛乳パックな出会い

「はい、はなちゃん! 今月分ね」

 コンビニのオーナー兼店長の近藤から差し出された封筒をうやうやしく受け取った花は、「野原花 殿」と書かれているその封筒を両手で胸に抱き、近藤に弾けるような笑顔を見せた。

「ありがとうございます!」

「花ちゃんが笑顔でキビキビと働いてくれるんで、お客様の評判も良いし、ほんと、助かってるよ。来月も頼めるかな?」

「はい! もちろんです!」

 元気に答えた花に、近藤は安心した顔を見せた。

「良かったあ。来月から隣のコンビニに行きますって言われたら、どうしようかと不安だったんだよ」

 花がバイトをしているコンビニから見える場所に、先日、別の系列のコンビニが新装開店し、大々的なキャンペーンを実施していて、この店もある程度の客を取られていることは否定できなかった。また、バイトも二人ほど引き抜かれていた。

「近藤さんには昔からお世話になってるんですから、そのご恩を仇で返すようなことはできません」

 花がこのコンビニでバイトを始めたのは、高校生になってすぐで、この春、高校三年生になった花は、これまでの二年間、無遅刻無欠勤で勤め上げてきていた。

「ほんと、ありがたいよ。それじゃあ、気をつけて帰ってね」

「はい! じゃあ、お先に失礼します」

「お疲れ様」

「おやすみなさい」

 花は、近藤に深々とお辞儀をすると、コンビニのスタッフルームから出て、レジカウンターにいた後任のバイトさんに笑顔で挨拶をすると、コンビニの駐車場の隅っこに向かった。

 来客の車の邪魔にならないように、コンビニの壁にもたれ掛かるようにして停めていた自転車の前の籠に、さっきもらった給料袋を入れた布製のトートバッグを入れた。

 中学時代から使っているママチャリで、籠やハンドルが少し曲がっているのと、ペダルをこぐとギコギコと音がするが、夕刊の配達もしている花の、なくてはならない愛車であった。

 午後四時に学校が終わると、一旦、徒歩で家に帰り、制服から着替える暇も惜しんで、すぐに愛車で新聞配達店に直行。一時間ほどで夕刊を配り終えると、また、家に戻り、軽めの夕食をお腹に入れてから、私服に着替えて近藤の店に行き、午後六時から九時までバイトというのが、平日における花の毎日だった。

 ちなみに、学校がない土日には、朝九時から午後三時まで近藤の店でバイト、それから夕刊の配達というスケジュールになっていた。

 本当は、朝刊も配達したかったが、配達する時間帯は、冬などは真っ暗で、女の子が自転車で配達するのは危ないと、祖母が許してくれなかったのだ。

 花が、こんなに働きずくめなのは贅沢をするためではない。貧乏だったからだ。

 そして、今日は月に一度の給料日。花も上機嫌で帰路に着いた。

「今日は、ちょっと、贅沢しちゃおうっと」

 今、時間は午後九時。

 アルバイトをしているコンビニから家までの途中に、深夜まで営業している小さなスーパーマーケットがあった。品数が多い分だけコンビニよりも格安で、花もよく利用していた。

 スーパーの前に自転車を停めて、中に入ると、花はまっしぐらにお菓子売り場に向かった。あちこちの売り場を回ると、いろいろと欲しくなって、結局、無駄な買い物をしてしまうから、これを買うと決めてから、スーパーには入るようにしていた。

 ふと、万引き防止用のミラーに映る自分と目が合った。

 黒髪のセミロングを二つ結びにした中学生のような髪型だが、れっきとした高校三年生で、今月誕生日が来ると十八歳になる。もちろん、メイクはしたことがなくて、いつもスッピン。

 着ている私服は、シマムラで一年前に買った、流行にはほど遠いシャツとブルージーンズに白のスニーカー。

 身長順に並ぶと、ちょうどクラスで真ん中になる中肉中背で、特段、スタイルが良いわけでもなく、平均的女子高生の体格。

 顔も人並みだと思っているが、今まで男子から声を掛けられたことはない。普通に恋をしてみたいとは思っているが、忙しい毎日の生活で、そんな心の余裕もなかった。

 お菓子売り場に来た花は、「チョコたっぷりパイお徳用パック」を持ってレジに行った。

 有料のレジ袋も断って、「大は小を兼ねる」的な考えで、これも中学生時代に買った大きめのトートバッグの中に「チョコたっぷりパイお徳用パック」を入れてから、自転車の前の籠に入れると、再び、ギコギコと音をさせながら、花は自宅に向かった。

 二日前に高校三年生の一学期が始まった四月の夜空には、少し霞んではいるが満月が輝き、住宅街の狭い道で誰も通ってなかったが、街灯に照らされた夜道は明るく、花も暢気に鼻歌を口ずさみながら上機嫌で自転車を漕いでいた。

 自転車が猛スピードで走って来ている音が後ろからした。

 花がその音に気づいた時には、時、既に遅く、すぐ横を通り過ぎた自転車に乗った男が、前の籠に入れていた花のトートバッグをひったくって行った。

「ド、ドロボー!」

 大声を上げ、ペダルを一生懸命に漕いで、ひったくりを追い掛けたが、ギコギコという音が大きくなったわりには、花の自転車のスピードは上がらず、どんどんとひったくりの背中が遠くなっていった。

 あのバイト代は、花の生活費と言って良かった。同居している祖母の年金で飢え死することはないが、少なくとも、しばらくは、「チョコたっぷりパイお徳用パック」は我慢するしかない。

 次第に足も重くなってきて、自転車を停めた花は、うつむいて、ハアハアと荒い息を吐いた。

 ほどなく、ガシャーンと大きな音がした。

 前を見ると、ひったくりの自転車が転んでいて、ひったくりは走って逃げようとしていたが、後ろから男性が飛びつき、捕まえようとしているみたいだった。

 再び、自転車に跨がった花が、何とか、ひったくりの近くまで来ると、今までもみ合っていた男性の背負い投げが綺麗に決まって、背中をアスファルトの道路に打ち付けたひったくりは、花のバックを置いたまま、背中を押さえながら、走り去ろうとした。

 男性は、すぐに、ひったくりの跡を追おうとしたが、ふらふらと体が揺れたと思うと、パタリと、うつむきに倒れた。

「だ、大丈夫ですか?」

 花がその男性に駆け寄り、声を掛けると、男性は寝返りを打つようにして仰向けになった。

 ボサボサの髪に無精髭で、その服もあちこちがすり切れていてボロボロになっていた。公園にたむろしている浮浪者のような風体で、花は少し怖いと思ったが、花のバッグを取り戻してくれたことには違いはない。

「あ、あのバッグ、ありがとうございました!」

「あ、ああ」

 男性は苦しそうにうなずいただけだった。

「どこか怪我されているんですか?」

「い、いや、……違う」

「じゃ、じゃあ?」

「……腹減った」

「……」



 先ほどのスーパーに戻った花は、焼きそばパンと牛乳パックを買ってきて、近くにあった児童公園のベンチに座らせていた男性の元に戻った。

「これ、どうぞ」

 男性と同じベンチに、少し間隔を開けて座った花は、男性に焼きそばパンと牛乳パックを差し出した。

「僕に?」

「はい! お礼です! って、これだけじゃ足りないかもしれませんけど」

 落とし物を見つけてくれた人へのお礼は一割が相場だと聞いたことがある。今回は落とし物を拾ってくれたどころではなく、ひったくりから取り戻してくれたのだ。一割では少ないのかもしれない。

 今、花のバッグの中には一か月分のバイト代十万円ほどが入っている、謝礼として一万円をこの男性に渡すべきなのかもしれないが、このバイト代は、花にとっては大事なお金だ。

 できれば、焼きそばパンと牛乳パックの提供だけで許してほしかった。

「ありがとう」

 男性は、貪るように焼きそばパンと牛乳パックをあっという間に平らげた。

「そんなにお腹が減っていたんですか?」

「ああ、三日前から何も食べていない」

「あ、あの、お仕事はどうされているんですか?」

 祖母の口癖である「働かざる者食うべからず」が身に染みついている花は、軽蔑するような視線を男性に向けた。

 ひったくりを取り押さえたことからすると、体が不自由だというわけでもなさそうで、ハローワークで紹介を受ければ、どこででも働けるはずだ。

「今、ちょっと事情があって、仕事には行けないんだ」

 空腹で倒れるまで仕事をしないとは、相当な筋金入りだ。

「働いたら負けとか思っているんですか?」

「い、いや、そういうわけではないけど」

「じゃあ、その事情って?」

「すまない。それは言えないんだ」

「そうですか。じゃあ、あの、それを問いたださない代わりに、私のお願いを聞いてもらえますか?」

「何だい?」

「お礼なんですけど……」

「お礼? 何の?」

「さっき、私のバッグを取り戻してくれたことへのお礼です。このバッグの中には、一か月分のアルバイト代が入っていて、本当は、その一割をお礼としてお渡ししなきゃいけないんでしょうけど、私、このアルバイト代がないと困るんです」

「……」

「さっきの焼きそばパンと牛乳パックで勘弁してもらえませんか?」

 花は、男性に向けて、頭を下げた。

「……ふっ、はははは」

 花が顔を上げると、男性は、腹を抱えて大笑いしていた。

「な、何ですか? 人が真剣にお願いしているのに!」

「ははは、そうだったのか?」

「そうです! そのお金は、私にとって、それだけ大事なお金なんです!」

「……そうか。それは、笑って申し訳なかった。勘弁してくれ」

「い、いえ、そんなに怒っているわけじゃありませんけど」

 男性からも頭を下げられ、戸惑った花に、男性がニコッと笑った。

 薄汚れた顔でよく分からなかったが、よく見ると、すごく若いということが分かった。

 しかし、にこやかだったその男性の表情が、一転して険しいものとなった。

 その険しさは、花に向けられたものではなく、いつの間にか花たちの周りを取り囲んでいた、ヤクザを絵に描いたらこうなるという見本のような連中に向けられていた。

 

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