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第十七話 甘い新婚生活の始まり

 カーテンの隙間から差し込む朝日の光で、はなは目覚めた。

 花は、見慣れぬ天井に、一瞬、自分がどこにいるのか分からなかったが、ふと、隣を見ると、パジャマ姿の大樹ひろきが静かに寝息を立てていた。

 昨夜のことが思い出されて恥ずかしくなったが、大樹の優しい寝顔を見ていると、大樹を愛おしむ想いが溢れてきた。

「大樹さん」

 上半身を起こした花は、小さな声で呼び掛けてみたが、大樹は目覚めなかった。

「私、本当に大樹さんのお嫁さんになれたんだよね」

 そう呟くと、花は、なぜか左右を見渡してから、大樹の唇に軽くキスをした。

「おはよう」

「ええー! 起きてたの?」

 大樹がうれしそうに花を見上げていた。

「今のキスで目が覚めたよ」

「は、恥ずかしいです」

 顔を真っ赤にした花が両手で顔を覆ったが、上半身を起こした大樹が優しく花の両手を顔からはずした。

「恥ずかしがることはないよ。だって、僕たちはもう夫婦なんだ。愛情を確かめ合うことに何の遠慮もいらないだろ?」

「う、うん」

「素敵だったよ、花」

「……大樹さんも」

「花」

「はい?」

 大樹が花を強く抱きしめた。

「僕は花を絶対に幸せにする。花を悲しませる奴は絶対に許さないからね」

「……はい」

 それは大樹の「ドンとしての」決意の現れだったのだが、何も事情を知らない花にとっては、大樹の強い愛情として感じたのだった。



 今日は木曜日だったが、大樹は、新婚旅行代わりと言って、明日の金曜日まで休暇を取り、日曜日までは、花と大樹は一緒にいることができた。

 ちゃんと身支度をしてから、花は自分専用のキッチンに行った。

 ダイニングと一体となった対面方式のカウンターキッチンで、そこだけで花が祖母と一緒に暮らしていたアパートの部屋全体くらいの広さがあった。

 冷蔵庫には、昨日の夜に厨房長の大山おおやまに頼んでいた食材が届けられていて、花は、テーブルに着いた大樹が新聞を読んでいるのを見ながら、楽しく料理をすることができた。

「大樹さん! できました!」

 メニューは、昨日、竜子たつこから教えてもらった美味しい卵焼き、祖母から教わったお味噌汁、焼き鮭に納豆というオーソドックスな和風朝食で、自分がこれまで食べてきた食事とあまり変わらなかった。

 大樹もテーブルに運ぶのを手伝ってくれて、二人掛けのテーブルに向かい合って座った大樹と花は、顔を見合わせながら「いただきます」と言って、食事を始めた。

「このお味噌汁は美味しいね」

 最初に味噌汁を飲んだ大樹が笑顔で言った。

「本当ですか? 良かったあ」

 正直、祖母の味が再現できているか不安だった花は、大樹の本当にうれしそうな笑顔に、ホッと息を吐いた。

「卵焼きも昨日の味よりは進化している気がするよ」

「お母様の卵焼きに近づいてきているかな?」

「そうだね。でも、昨日、母さんの卵焼きは卒業して、これからは、花の卵焼きが、僕の記憶に残っていく味になるんだから、母さんの味をとことん真似る必要はないよ」

「うん、頑張りますね」

 大好きな人の顔を見ながら、二人で朝食を食べている今の状況が、まるで夢のようだった。

「花」

「はい」

「御飯を食べ終わったら、早速、婆さんに挨拶に行こうか?」

「そうですね。ここから少し離れた場所に住んでいらっしゃるって言ってましたけど?」

「そうなんだ。それで、僕との結婚を秘密にしなきゃいけない花は、婆さんと一緒に暮らしているということにしたいんだ」

「どういうことですか?」

「昨日も言ったけど、婆さんは爺さんが死んでから、一人で気楽に暮らしたいと言って、この家から出て行ったんだ。ああ、けっして、母さんと折り合いが悪かったわけじゃないからね」

「そんなこと、疑ってもいませんよ~。お母様の性格からして、そんなことは絶対にないと思いますし」

 自分の母親のことを褒められて笑顔になった大樹が話を続けた。

「婆さんはこの近くに一軒家を構えて、そこで暮らしているんだ。一応、飛鳥の名前を名乗っているけど、僕たちとは関係がないということで、近所には認識されている。だけど、この家みたいに完璧な警備ができないから、要は他人のふりをしているってこと」

 大樹と出会った際にヤクザに絡まれた花も、そこまで慎重になることも大切なことだろうとは理解していた。

「他人のふりは、花にもしてもらわないといけない。だから、花が学校に行ったり、外出する際には、この家から直接出入りすることはしないようにするんだ。これは、花の安全のためなんだ。面倒なことを頼むけど、高校を卒業するまでだから、我慢をしてほしい」

「全然、面倒なんかじゃないです。でも、ここから出入りしないって、出掛ける時には、どうするんですか?」

「だから、婆さんの家からさ」

「はい?」



 朝食が終わった後、中央棟のリビングに行くと、竜子が、有栖川ありすがわの入れた紅茶を楽しんでいた。昌樹まさきはどうやら仕事に行っているようだ。

「おはようございます」

 花が元気に挨拶をした。

「おはよう。花ちゃん、ゆっくりと眠れた?」

「はい。ふかふかのベッドでしたので」

「そう。良かったわねえ、大樹~」

 大樹と花の初夜が無事に終わったことを察したのか、竜子が安心と好奇心が混ざったような表情で大樹を見た。

「と、とりあえず、これから婆さんの所に行ってくるよ」

「そう。お義母様は、もう一か月以上、こちらにはいらっしゃっていないから、よろしく伝えてちょうだい」

「分かった」

「若旦那様、ワタクシもご一緒いたします。ワタクシも久しぶりに大奥様にお会いしとうございます」

 いつものタキシード姿でリビングに待機していた瀬場せばが申し出た。

「じゃあ、行こうか?」

「はい。では、ワタクシが先導いたします」

「うん、頼むよ」

 瀬場が先頭に立つと、瀬場は玄関ではなく、その反対側に向かって歩き出した。

 怪訝な顔をして、大樹と瀬場の跡を追った花は、中央棟の一番奥まった所までやって来た。

「こちらでございます」

 瀬場が示す先にはエレベーターがあった。

 そして、瀬場と大樹とともにエレベーターに乗り込んだ花に、瀬場が一つの鍵を差し出した。

「大奥様の家に参りますには、特殊な操作が必要になります。若奥様、この鍵をお渡しいたしますので、ここにある鍵穴に入れて、左右に回していただけますか」

 花は、瀬場が差し出した鍵を受け取り、エレベーターの階数ボタンの下にある鍵穴に差し込んで、左右に回した。

 すると、少し時間を置いてから、エレベーターが下がり始めた。

 中央棟には、地上三階、地下一階があったが、階数表示は「B1」と表示された後、横棒が表示された。

 地下一階を通り過ぎて、表示にはない地下二階まで下がってから、エレベーターは止まった。

 扉が開くとそこは小さなエレベーターホールのような部屋で、花たちがエレベーターを降りて、その真正面にある両開きドアの前に進み出ると、ドアがスムーズに音もなく開いた。

「これは?」

 花が驚くのも無理はなかった。

 ドアの向こうには、照明に照られた通路があり、通路の半分は動く歩道のようになっていた。

「ここは、婆さんの家に行くための秘密地下通路だよ」

「秘密地下通路?」

「うん。さっきも言ったとおり、うちとは関係ないと隣近所に公言をして一人で暮らしている婆さんの所に、僕たちも堂々と行き来することができないから、こんな秘密通路を作っているんだ。婆さんに危機が迫った時の避難通路でもある」

「何か、すごいです」

「では、参りましょう」

 瀬場が動く歩道のスタート地点にあるスイッチを押すと、静かに歩道が動き出した。

 一般的な動く歩道よりは速く移動する歩道に乗って、五分ほどすると、動く歩道の終点とドアが見えて来た。

 そのドアの前に立つと、また自動でドアが左右に開き、来た時と同じようなエレベーターホールらしき場所があった。

 そのエレベーターの扉の横にある階数ボタンの下にある鍵穴に、花が渡された鍵を差し込み回してから、上向きの矢印ボタンを押すと、すぐにエレベーターが降りてきた。

 それに乗ると、表示されている階数は「B1」と「1」しかなかった。

 大樹の指示にしたがって「1」を押すと、静かに上昇を始めて、すぐに一階に着いた。

 ドアが開くと、そこは薄暗い物置のような場所だった。

「ここは?」

「婆さんの家は平屋建てでさ。エレベーターがあるのはおかしいので、家の奥の物置に密かに設置しているんだよ」

 瀬場が先導して、木の引き戸を開けると、その先には古びた廊下が延びていた。

 廊下の手前で靴を脱いで、ギシギシと音がする廊下を少し歩くと、どこからか、テレビの音声らしき音が聞こえてきていた。

 襖の前まで来ると、「大奥様! 瀬場でございます! 若旦那様が若奥様をお連れになって一緒に来ております!」と、テレビの音声に負けないくらいの大声で襖に向かって言った。

「入りな」

 返事を聞いて、「失礼します」と瀬場が襖を開いた。

 中には、ちゃぶ台の前に座り、テレビを見ている老婆が一人いた。

 

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