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第十五話 最後の卵焼き

はなちゃん、卵焼きは好き?」

 また、唐突に竜子たつこが花に訊いた。

「は、はい」

「じゃあ、ちょっと待っててね」

 竜子がソファから立ち上がると、「腕によりを掛けて作ってくるから」と花に笑顔を見せた。

 先ほどの竜子の話だと、昼食には手作りのひと品を加えているらしい。竜子はこれから卵焼きを作りに行くのだろうと考えた花もすぐに立ち上がった。

「お母様、私もついて行って良いですか?」

 竜子はうれしそうに笑って、「良いわよ」と答えた。

「ついでだから、大山おおやま小島おじまにも紹介しておけば」と昌樹まさきが言った。

「それもそうね。じゃあ、一緒にいらっしゃい」

 花は、竜子の跡を追い、応接室から出た。屋敷の裏手に向かって姿勢良く足早に歩く竜子が、真っ直ぐと前を向いたまま、花に話し掛けた。

「やっぱり、花ちゃんは大樹ひろきが選んだだけのことがあるわね」

「はい?」

「旦那の母親に良いところを見せようって感じが全然しないの。自分の本心のままに動いているって感じ」

「す、すみません。単純で」

「でも、だから、花ちゃんとは話しやすいのだと思うわよ。この人が言ってることって本当なのかなって疑わなくても済むんだから」

「お母様……」

 花は、気取らず、ざっくばらんな竜子のことが本当に好きになってしまった。

 竜子と一緒に厨房に入ると、厨房には調理師らしき年配の男性と若い男性の二人がいた。

「二人とも! 紹介するよ。明日、大樹の奥さんになる野原花ちゃんだよ」

「若旦那様の奥様? 本当ですか?」

 年配の調理師がうれしそうに訊いた。

「今さら、嘘を言ってどうするんだい? 花ちゃん、このちょっとごつい顔をしてるのが、うちの厨房を取り仕切る調理師の大山。それでこっちが大山の弟子の小島だよ。和洋中なんでもござれだから、習いたい料理があれば教えてもらうと良いよ」

「はい。よ、よろしくお願いします」

 花は二人に丁寧に頭を下げた。

「こちらこそです! それで、早速、ここにお連れしたということは、奥様の味を直伝される訳ですな?」

「まあ、そういうこと。ちょっと借りるよ」

「どうぞ」

 大山も小島も、竜子が厨房で料理をすることがさも当然のように気にすることなく、自らの作業に戻った。

 花を連れて、ガスコンロの横にある調理スペースに来た竜子はそこに吊り下げられていたエプロンを掛けて、棚から卵焼き用の四角いフライパンを取り出した。花も予備のエプロンを掛けると、竜子の隣に立った。

「花ちゃん、料理は?」

「そんなに経験はないです」

「良いわねえ。仕込み甲斐があって」

「よろしくお願いします」



 竜子と花が応接室に戻ると、時間は、ちょうどお昼になっていた。

「母さん。早速、花ちゃんをしごいていたのかい?」

「い、いえ、お母様に卵焼きの極意を教わっていたんです。すごくためになりました!」

 目の前にいる竜子に気を使ったわけではなく、本当に、その手際の良さに感心をしてしまった花であった。

「お待たせいたしました。昼食の準備が整いました」

 瀬場が伝えると、四人は揃って、応接室の隣にある食堂に入った。

「ここは第二食堂といって、プライベートな食事をする時に使っているんだ」

「第一食堂もあるんですか?」

「うん。そこはオフィシャルな食事会みたいに、お客様を招いた場合に使用する部屋で、最大で三十名ほどが一度に食事ができる所だよ」

「オフィシャルな食事会? やっぱり、食事のマナーをマスターしておかないといけないんですね?」

「慌てることはないよ。さっきも言ったけど、残念ながら、花ちゃんと結婚していることは、しばらく秘密にするから、花ちゃんが出席するのは結婚の事実を公表してからになるね」

 ホッとする反面、少し残念な花であった。

 第二食堂といってもかなりの広さで、その中心に真っ白いテーブルクロスが掛けられた六人掛けのテーブルがあり、その上には既に料理が並んでいた。

 その中には、さっき竜子と花が焼いた卵焼きも添えられていた。

 専任の調理師が二人もいるのだから、テレビの番組でしか見たことのない、高級割烹で出されている手の込んだ食事が出て来ているのかと思えば、メニューは、白米にお新香、お味噌汁、メインディッシュはメザシという質素なものだった。

「花ちゃんたらね、私たちは、いつもフランス料理のようなご馳走を食べてると思っていたみたいよ」

「お、お母様! ばらさないでください!」

 気取らない竜子とは、料理をしながらも、いろんな話ができて、花もつい口走ってしまったのだ。

「ははは。毎食、フランス料理のフルコースを食べていたら、成人病になってしまうよ。和食こそが世界に冠たる健康食だからね。じゃあ、いただこうか」

 昌樹に続いて、みんなで「いただきます」と言ってから、箸を付けた。

 今まで自分が食べていたご飯は本当にご飯だったのだろうかと疑問が出るほどに、炊きたてのご飯や具材たっぷりのお味噌汁はおいしく、先ほど会った調理師たちが良い仕事をしていることは、それほどグルメではない花でも分かった。

「メザシは昌樹さんの好物なの。まるで朝食みたいなメニューだけど、朝、トーストだったから、メザシを食べたくて仕方なかったんでしょ?」

 竜子が冷やかし気味に昌樹に言った。

「三日に一度はメザシを食べないと禁断症状が出て来るんだよ」

「仕事の関係で会食やパーティが続くと、夜、メザシを焼いておくように昌樹さんから連絡が入ることもあるから、禁断症状が出るのは本当みたいよ」

 メザシをひとかじした昌樹が、今度は自分の皿に盛られた卵焼きに手を付けた。

「これは花さんが焼いたものかな?」

 一口食べただけで昌樹は言い当ててしまった。

「ど、どうして分かったんですか?」

「いつも食べている竜子さんの味とは微妙に違っていたからね」

「あ、あの、それでお口に合いましたでしょうか?」

「うん。美味しいよ」

「一応、二人前ずつ、二人で作ったのよ。大樹。大樹のお皿の卵焼きはどっちが焼いたのか分かるかい?」

 竜子がいたずらっ子のような笑みを浮かべながら訊いた。

「花ちゃんの手料理はまだ食べてないからね。でも、絶対に言い当てるよ」

 大樹も自分の皿に盛られた卵焼きを一口食べた。

「うん。これは母さんのだね」

「正解! 大樹に私が焼いてあげる最後の卵焼きだよ」

「えっ?」

「明日からは、花ちゃんが焼いた卵焼きしか食べないだろ?」

「そっか。そうだね。じゃあ、次から、花ちゃん、よろしく」

「が、頑張ります」



 昼食が終わると、花は昌樹と竜子と別れて、今晩だけ泊まることになる来客用の部屋に入った。

 その部屋だけで、祖母と過ごしてきたアパートの部屋の何十倍も広い洋室で、そのソファに座っていても、何か落ち着かない花であった。

 ドアがノックされて、大樹が一人の女性とともに部屋に入って来た。

 センスの良い服を着た妙齢の女性だった。

「花ちゃん、紹介するよ。うちの衣装担当の越野こしのさんだよ」

「よろしくお願いいたします」

「よ、よろしくお願いします」

 すぐにソファから立ち上がり、花は越野にお辞儀をした。

「衣装担当って?」

「家族全員の衣装の製作から、洗濯などの管理に至るまでを取り仕切ってくれている、まあ、飛鳥家専属のスタイリスト兼裁縫師兼クリーニング屋というところかな。父さんや僕は、仕事でいろんな人と会わなくちゃいけないこともあって、相手に良い印象を与える服装なんかも選んでくれているんだよ」

 そんな係がいるのかと驚く花であった。

「とりあえず、明日、出掛けたいんだけど、着ていく服もないから、大至急で作ってもらおうと思ってね」

 火事で焼き出された花には、その日に着ていた服と、大樹に急遽買ってもらった、公民館で着ていたシンプルなスウェットとジーパン、葬式で着た喪服しかなく、今日も大樹と一緒にディズニーランドに行っていた時の服を着ていた。

「では、早速、採寸をさせていただきますので、若旦那様は出て行っていただけますか?」

「分かった。花ちゃん。花ちゃんの希望を遠慮なく越野さんに話してね」

 そう言うと、大樹は部屋から出て行った。

「野原様はどのような服がお好みですか?」

 大きな姿見の前に花を立たせて採寸をしながら、越野が訊いた。

「今までお洒落なんてしたことがないので、よく分からないです。越野さんにお任せします」

 越野は、花から少しだけ離れて、姿見越しに花の全身を眺めた。

「野原様は、清楚で可愛い方ですから、その魅力を際立たせるデザインが良いと思います。胸元と襟にフリルを付けた、長袖の白いワンピースなどいかがでしょうか?」

 それは、花がいつも夢見ていたお姫様風の装いだった。

「それでお願いします」

「丈はミニにいたしますか?」

「い、いえ、足には自信がないので、膝丈で」

「かしこまりました」

 その後も細かい点につき、花の希望を訊いた越野は、ササッとスケッチブックにラフなデザイン画を描き、花に示した。

 花が思い描いていたワンピースがそこにあった。

「それでお願いします」

「では、今晩にでもお届けいたします」

「そんなに速くですか?」

「それが私どもの仕事ですから」

 調理師の大山と小島、スタイリストの越野、そして執事の瀬場、メイド長の有栖川の使用人たちはみんな、自分の職業に誇りを持っている気がした。飛鳥家の人間からいちいち指示されなくとも、テキパキと働くその姿は、飛鳥家で働いていることが矜持であると言いたげであった。


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