第十三話 笑顔で誓う永遠の愛
家を焼け出され、着の身着のままで寝泊まりしていた公民館の玄関で花が待っていると、大樹のスポーツカーが花の前で停まった。
車を降りて、花の近くまで来た大樹は、「おはよう」と優しい笑顔を見せてくれた。
「おはようございます」
「良かった」
「えっ?」
「花ちゃんが笑ってくれたからさ」
「……少しは落ちつきました」
「これから違う環境の中で暮らすことになるけど、それが逆に気を紛らしてくれるかもしれないね」
「は、はい」
今日から花は、結婚を前提に、大樹の家で寝泊まりすることにしていた。
当然、大樹の両親にも紹介されるだろう。それで少し緊張していたが、大樹の言うとおり、祖母を亡くした悲しみが少しはやわらぐ気もした。
「それと、花ちゃんの学校にも、僕の方から連絡を入れたよ。転校するって」
「転校ですか?」
「だって、僕の家は港区にあるんだ。ここまで通学するつもりかい?」
「そ、それもそうですね」
「学校の友達にお別れの挨拶をするのなら、その時間を作るけど?」
「い、いえ、良いです。そんなに親しい友人もいないので……。あっ、でも、良ければ一か所、寄っていただきたい所があるんですけど」
花も明るい性格で、クラスメイトとはそれなりに親しかったが、部活もせずに、放課後や休日はバイト三昧だったことから、一緒に遊ぶ親友と呼べるクラスメイトはいなかった。
花が寄ってもらいたいとお願いしたのは、そのバイト先のコンビニだった。
オーナー兼店長の近藤も花の身に起きた出来事は知っており、遠い親戚の家にお世話になるという設定でこの街を出て行く花を涙を浮かべながら送り出してくれた。
大樹のスポーツカーは、都心なのに緑がいっぱいある高級住宅街にやって来ると、高い塀がずっと続く邸宅の門を入った。
まるで森のような広い庭の中を、一分ほど車を走らせると、宮殿のような家が見えてきた。
その玄関に、首元にアスコットタイを結んだ上品なジャケットとパンツ姿の男性、そして粋な着物姿の女性、タキシードを着た初老の男性、そして渋い着物の上に割烹着を着た初老の女性の四人が立っていた。
大樹が玄関前に車を停めると、花は大樹とともに車を降りて、並んで玄関で待っている四人の前に進み出た。
「おかえり、大樹」
着物姿の女性が大樹に声を掛けた。
アップにした黒髪に簪を刺して、粋なお姉さんといった雰囲気だった。
女性は、花に視線を移した。
「野原花さんね? いらっしゃい」
「父さんと母さんだよ」
まさか、日本一の大富豪という飛鳥財閥総帥夫妻が直々に玄関まで迎えに出て来てくれるとは思ってもなかった花は、途端に緊張してしまった。
「あ、あの、の、の、野原花と申します」
噛みまくりながら、花は直角に腰を折った。
「ふふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ」
にっこりと笑った母親の笑顔はすごく魅力的だった。
「は、はい」
母親は花に近づいてくると、花を優しく抱きしめてくれた。
「辛いことがいっぱいあったわね。すぐに忘れることはできないと思うけど、ここにいる間は辛い思いを忘れてしまうようにするからね」
母親の暖かい心に触れた花は、少し涙ぐんでしまった。
「こんな所ではなんだ。とりあえず、中にお入りなさい」
大樹の父親もすごく温厚そうで、ロマンスグレーが似合う、渋い紳士であった。
そして、大樹の車から、わずかに残った花の荷物であるボストンバッグを、いつの間にかタキシード姿の男性が取り出していた。
「若旦那様。野原様のお荷物はお部屋にお持ちしておきます」
「ああ、ありがとう。花ちゃん、彼は、うちの執事の瀬場だよ」
「よろしくお願いいたします。野原様」
丁寧にお辞儀をされた花は瀬場にも直角に腰を折った。
「それから、こっちは、うちのメイド長の有栖川」
渋い着物姿の妙齢の女性は、「よろしくお願いします」と言って、花に丁寧に頭を下げた後、うれしそうな顔で大樹を見た。
「若旦那様、こんなに可愛いお嬢様といつお知り合いになられたんですか? 隅に置けませんわね」
「勘弁してよ」
大樹は、「二人とも僕が生まれる前から、ここにいるから、僕も頭が上がらない時があるんだよ」と苦笑まじりに言った。
しかし、瀬場や有栖川を見る大樹の表情からは、大樹がこの二人には絶対的な信頼を置いていることが感じられた。
玄関から中に入ると、広い玄関ロビーがあった。豪華なシャンデリアが吊り下げられ、正面のステンドガラスから色鮮やかな光が差し込んできていた。
その玄関ロビーから、奥には大きな扉があり、左右には赤い絨毯が敷き詰められた廊下が延びていて、花がいつも夢見ていた宮殿のような作りであった。
「じゃあ、花ちゃんを部屋まで案内してくるよ」
「メインリビングで待っているわね」
「分かった。すぐに行くよ」
大樹の父母は、そのまま玄関ロビーから奥に入っていき、大樹と花、そして瀬場と有栖川は玄関に背を向けて左に伸びる廊下に向かった。
「この家は二世帯住宅になっているんだ。この中央棟から向かって右側が父さんと母さんが暮らしているスペースで、左側が僕と未来の奥さん、つまり、花ちゃんと一緒に暮らすスペースだよ」
大樹に「未来の奥さん」と言われて、花は照れてしまった。
「でも、まだ婚姻届も出してないし、一応、ケジメとして、今日は、花ちゃんは来客用の部屋に入ってもらうことにしているんだ」
大樹が花を案内した部屋は、その部屋だけで、花のアパート以上の広さがある洋室だった。天蓋付きのベッドに応接セットまであり、良い香りがしていた。
「お荷物はこちらの置いておきます」
瀬場が部屋の入り口付近にある荷物置きに花のボストンバッグを置くと、瀬場と有栖川が揃って、「では、失礼します」と深く頭を下げた。
「あ、ありがとうございました」
花も瀬場と有栖川に深く頭を下げると、二人はにっこりと笑ってから、部屋を出て行った。
「花ちゃん」
「はい」
部屋に二人だけ残った大樹と花は、向かい合って、お互いの顔を見つめた。
「お婆さんのお墓の前で、花ちゃんの気持ちは聞いたけど、結婚は人生の大きな節目だし、お互いの運命を決めてしまう重要なことだ。もう一度、ちゃんと確かめておきたい」
「はい」
「野原花ちゃん、僕と結婚してください」
大樹は軽く頭を下げ、花の返事を待った。
「……大樹さん。私ももう一度、確かめたいことがあります」
「うん」
大樹が顔を上げ、二人は見つめ合った。
「私、今、すごく幸せです。でも、お婆ちゃんのことを思うと、私一人だけが幸せになって良いのかなって思ってしまって」
祖母の姿が思い出されてしまって、花の目から大粒の涙が溢れてきた。でも、花は気丈に涙を抑え、大樹を見つめた。
「あの時、お婆ちゃんも私が幸せになることを願っているはずだよって、大樹さんは言ってくれました。お婆ちゃんは本当にそう思ってくれてますよね?」
「ああ、絶対にそうだよ。最近は、僕とつきあっていることも話していて、反対もされなかったんでしょ?」
「はい」
「お婆さんも絶対に天国で喜んでいてくれるはずだよ」
「……そうですよね」
「花ちゃんは、今までずっと苦労をしてきたんだ。これからは、花ちゃんが幸せになる番だよ」
「大樹さん……」
「そして、花ちゃんを幸せにするのが、僕の使命だ!」
また、花は涙が溢れてきたが、両手で涙を拭うと、大樹に笑顔を見せた。
「お婆ちゃんの口癖があったんです。うれしいことや楽しいことは笑いながら言いなさいって! そうしないと相手に伝わらないって!」
「素敵な言葉だね。そのとおりだと思うよ」
「大樹さん! 私、大樹さんと結婚します! いえ、させていただきます!」
大樹と花は、部屋を出て、大樹の父母が待っているという、中央棟のリビングに向かった。
花が暮らしていた家は、玄関から入って三秒もあれば裏の壁に突き当たってしまうが、ここでは、長い廊下を歩きながら、いろいろと話ができるくらいだった。
「大樹さんのお父様とお母様も優しそうな人でちょっと安心しました」
「もっと怖い人かと思ったかい?」
「正直に言うと……」
「父さんと母さんにばらしちゃおうかな」
「止めてくださいよ~」
「ははは、冗談だよ。でも、さっきの二人の顔を見ただろ? 父さんも母さんも花ちゃんをひと目見て気に入ったようだったよ」
「そ、そうなんですか?」
「うん。うちは、子どもは僕一人で女の子がいなかったから、母さんは花ちゃんが来ることが本当に楽しみだったみたいなんだ」
「そんなに思っていただけるなんて、すごくうれしいです」
中央棟まで戻り、玄関から奥に伸びるドアを入ると、広い応接間があった。
大樹と一緒に行ったディズニーランドのシンデレラ城の中にいるのかと錯覚するほどの豪華な部屋だった。
豪華な応接セットに大樹の父母が既に並んで座っていた。
大樹と花は、その正面のソファに並んで座った。
すぐさま、有栖川とクラシカルなメイド服を着た若いメイド三人がワゴンを押しながら入って来て、応接セットのテーブルの上に、四人分の紅茶とショートケーキを素早く準備すると、丁寧にお辞儀をしてから、部屋から出て行った。
「花さん、どうぞ。遠慮なさらずにね」
「あ、はい。いただきます」
花がティーカップを持って、紅茶を一口、口に含むと、今まで味わったことのない紅茶の良い香りが鼻に抜けていった。
「美味しいです」
「有栖川が淹れてくれる紅茶は本当に美味しいんだよ」
「はい。本当に美味しいです」
「それで、父さん、母さん」
大樹がソファに座ったまま、姿勢を正したことで、花も背筋を伸ばした。
「今、花ちゃんにちゃんと確かめたよ。僕は花ちゃんと結婚をする」
大樹の父母は、たちまち満面の笑顔になった。
「おめでとう! 大樹! 花さん!」
父母がユニゾンで祝福をしてくれた。
「ありがとう」
「ありがとうございます!」
大樹と花は、息もぴったりに揃ってお辞儀をした。




