プロローグ
新聞記者やカメラマン、テレビ局の撮影クルーたちが待機している中、身寄りのない子供たちを引き取り育てている福祉施設「夢の木坂学園」の正門に一台の黒塗り高級車が乗り付けた。
運転手が後部座席のドアを開くと、颯爽と出てきたのは、元グラビアタレントで、今はIT企業の社長夫人に収まっている金満ゆかりだった。
海外高級ブランドのスカートスーツに身を包み、ネックレスや指輪などキラキラと輝くアクセサリーをこれでもかと身に付けた金満ゆかりに対して一斉にカメラのフラッシュがたかれ、記者のマイクが突きつけられた。
「金満さん! また寄付をされるそうですが?」
「ええ。今回は、ここに二百万円の奨学金をお持ちしました。恵まれない子供たちに就学の機会を与えることは、その子たちの希望になりますし、私たちの責務だと思います。あっ、園長先生をお呼びになってくださる?」
正門から施設の玄関までの約十五メートルの間には、学校の校庭ほどは広くはないが、子どもたちの遊び場であろう広場があり、そこを通って出迎えに出て来た施設の職員らしきシスター姿の女性に、金満ゆかりが告げた。
「申し訳ございません。園長は先客様のお相手をしております。副園長の私がご用件をおうかがいいたします」
品の良い妙齢の女性がにこやかに答えた。
「ちょっと! 奨学金の贈呈式を記者さんたちの前で行いますと伝えていたはずよ!」
金満ゆかりは、顔色を変えて副園長に迫った。
「確かに、お話はお聞きしておりますが、そのようなセレモニーはお断りしたはずです」
「寄付よ、寄付! 只でもらうのにお礼の態度も示さないの? 子供たちにどんな教育をしているのかしら、ここは?」
「寄付は、ありがたく頂戴いたしまして、子供たちの生活向上、学力向上に役立たせていただきます。本当にありがとうございます」
副園長が丁寧に頭を下げたが、金満ゆかりは、どうしても記者たちの前で、園長相手に贈呈式をやりたいようだ。
「これでは、せっかく集まってくれた記者の皆さんに申し訳ありませんわ! 園長に、ちょっとだけ話を中断してもらって、出て来るように言ってちょうだい!」
「今、園長がお相手をさせていただいている方は、もう一年以上続けて、ここでボランティア活動をしていただいている方ですので、そのようなことはできかねます」
「たかがボランティアでしょ? こっちは寄付よ! それも二百万円という大金よ!」
「その方からは寄付もいただいております。しかも、お忙しいのに時間を割いて、私たちの仕事を手伝っていただいております。感謝してもしきれない方なのです」
「ボランティアの寄付なんて、どうせ大したことないんでしょ?」
「その方からは、何度も多額の寄付をいただいております。そもそも、ここを建ててくださったのも、その方のご厚意なのですから」
金満ゆかりと副園長との話を聞いていた記者たちが施設を見渡すと、広場には、公園にあるのと同じようなブランコや滑り台などの遊具がピカピカの状態で設置されていたし、建物も真新しかった。
「これだけの工事をするとなると、かなりの金額になると思いますが?」
記者の一人が副園長に尋ねた。
「はい。皆様からの寄付金や東京都からの補助金だけで運営をしている我々だけでは、とても無理なことでした」
「億を超えるのでは?」
「寄付はどれも暖かい心が込められています。金額の多寡ではありません」
一転して副園長から諭される立場になってしまった金満ゆかりよりも、今、園長が会っている人物に記者たちの関心が移ったことは仕方がないことだ。
「その方は、いったい、どなたですか?」
「ちょっと、取材させていただいてよろしいですか?」
金満ゆかりを囲んでいた記者たちが、今度は、副園長を囲んだ。
「おそらく、取材はお断りすると思います。飛鳥の若奥様ですから」
記者たちの顔色が変わった。
「飛鳥花さんですか?」
「あの飛鳥財閥の?」
「絶対、取材しろ!」
「いや、あそこのボディガードを突破することはできないだろ!」
「しかし、飛鳥花さんの肉声を収めることができれば、大スクープだ!」
「み、見ろ!」
記者の一人が指差す先、施設の玄関から、二人の若い女性が出て来た。
園長らしきシスター姿の老女とにこやかに話す若い女性。春らしい桜色のカーデガンを羽織り、品の良いブラウスと膝丈のスカートというファッション、黒髪セミロングの女性は間違いなく飛鳥花で、もう一人の長身でパンツルック、黒髪ショートカットの女性は花のボディガードだろう。
記者たちは、花に向かって、一斉に突進をしようとした。
しかし、黒い背広の上下、白いシャツに黒のネクタイ、黒サングラスという統一感ありすぎの男どもの一団がどこからか現れて、記者たちの前に立ち塞がった。
「取材はお断りです。お引き取りください」
黒服の一人がドスの利いた声で記者達に言った。
記者たちが通せんぼをされている間に、飛鳥花は、そのボディガードらしき女性が運転席に座ったハッチバック型の庶民的なファミリーカーの助手席に乗り込み、黒服たちの横を悠々と通り過ぎて行った。その際、飛鳥花は、記者たちに笑顔で会釈をした。
車が見えなくなると、黒服の男たちもいつの間にか消えてしまっていた。
「あれが、飛鳥財閥の若奥様?」
若い記者が、ぽつりと独り言のように呟いた。
「ああ、そうだよ。今や、その総資産は日本の国家財政規模に等しいとまで言われる飛鳥財閥の次期総帥、飛鳥大樹氏と高校在学中に密かに結婚をしたが、ずっとその存在を秘密にしていて、高校卒業に併せて、結婚を発表した人だ。何でも結婚前は超貧乏だったらしいが、今では、日本一の金持ちと言われる一族の仲間入りという伝説の人物だ」
「現在は、名門お嬢様大学に通う十九歳。自分の過去の境遇から、福祉関係には湯水のごとく寄付をしているが、それも彼女にとっては、小遣いの一部を割り振っている程度のものらしい」
「取材嫌いが徹底していて、大学でも、さっきの女性ボディガードがいつも隣にいて記者を寄せ付けないらしい」
「おい! それはそうと、今の車の中の表情、カメラに収めただろうな?」
「もちろんです!」
「よし! それだけでもデスクは大喜びだ!」
「さっそく、社に帰って報告だ! 記事の差し替えになるかもしれないと連絡を入れておけ!」
波が引くように記者たちが一斉に去って行った後には、金満ゆかりが一人、呆然と立ち尽くしていた。
「マスコミの連中はどうして嗅ぎつけたのでしょう?」
運転席に座る、ボディガードの青葉がいぶかしんだ。
「別の車が門の前に停まっていたみたいだから、本当はそっちの取材に来てたのかもしれないね」
「まさか、園がリークしたわけではないでしょうな?」
「園長先生はそんなことをする方じゃないわ。それは、青葉ちゃんだって知ってるでしょ?」
「そうでした。申し訳ありません。若奥様のことになると、つい、いろいろと考えてしまって」
「ありがとう、青葉ちゃん」
「い、いえ」
精悍な顔つきの青葉が、花のひと言でデレた。
「しかし、若奥様は、小遣いのほとんどを寄付されているのではないのですか?」
「うん、まあ。でも、それでも生活にはまったく困らないし、大樹さんも了解してくれてるし」
「はあ~、本当に欲のない方ですね」
「だって、昔は欲を出そうにも手に入るお金は微々たるものだったんだもの。私にとって、お金は生活できるだけあれば良いの。今は普段着も仕方なく同級生たちが着ている服とブランドレベルを合わせてるけど、本当は、今でもシマムラが好きなんだけどね」
「ははは、若奥様らしいです」
「まさか、自分がこんなになるなんて、あの頃は思ってもなかったなあ」
花は、目を閉じて、夫、飛鳥大樹と出会った頃のことを思いだしていた。