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アリスダイナーの恋愛旅行  作者: 武田花梨
第二章・遥菜、女性らしさをやり直す
3/12

 自室のベッドの上で目を覚ます。朝日がカーテンの隙間からもれていた。

 そう。猫としゃべっていた自分は夢の中で、今から会社に行く事が現実だ。ああ、梶くんとその彼女に会わなくちゃいけないんだ。気が重い。

 のろりと体を起こし、机の上に置いておいたスマホの電源を入れる。

 充電しなくても三日持つ。連絡する相手があんまりいないから。友達とも必要以上に連絡はとらない。だいたい、生まれたばかりの子どもの悩み相談をされても答えられないし、彼氏のノロケなんて聞きたくもない。

 なんとなく、学生時代の友達とは連絡はしなくなるもの。大人になるという事は、そういうことなのだと気づく。

 今日も、連絡があった形跡はない。そのまま電源ボタンを押して画面を消灯させる。その瞬間、画面表示のおかしさに手が止まる。

 あれ、ともう一度、電源を入れた。おかしいぞ。

 スマホ画面に表示されているのは、日付と時刻。時刻は大丈夫、アラーム前に起きた。そうじゃない。日付は。日付は一か月前。四月二日の日曜。朝霞莉帆がうちの会社にバイトとしてやってきた日の前日だ。

「嘘……」

 あの猫が言った事は本当だった。まだ夢なのでは、と自室を出て、リビングへ向かう。一人っ子の私には幼い頃から自室を与えられ奔放に育てられてきた。走りたい気持ちをおさえ階段を下りる。

「お父さん、おはよう」

 そわそわした気持ちで挨拶をする。返事を待たず、すぐに新聞を手に取る。日付は四月二日。

「おーおはよう、休みなのに早いな。まーたあの黒猫がウンコしてな。朝から掃除だよまったく。遥菜も手伝え」

「やだ」

 何度も何度もやりとりした話だが、あの黒猫が実際にいた事を知る。

「よくある話だよなぁ」

 マンガでも映画でも、タイムリープはよくある。不思議の国のアリスをモチーフにした物語も。つまり、よくある出来事で、宝くじに当たるより現実的なのではないだろうか。一億円当たった話より、タイムリープの話のほうがよく聞く。どちらも身近にはいないけれど。

 その順番が、不思議な体験をするチャンスが、私に巡ってきたという事じゃないのだろうか。

 そう思おう! 日頃の行いがいいから!

「今日は出かける!」

 階段を駆け戻る。後ろから「デートか? 誰だ!」と嫉妬に醜いお父さんの声が聞こえる。いないっつーの。返事をせず自室に入り、すぐにクローゼットをあける。

 ぐちゃぐちゃの服。ハンガーにかけてすらいない。そのすべてが地味な色で、女性らしさの欠片もなかった。

 バッグを探り出し、飾り気のない黒い財布を開く。お金なら、ある。元々使い道がないくらい、ものは買わない。実家暮らしの特権だ。

 まずはどうすべきか。私はスマホの検索機能を、人生で一番活用した。

 わくわくする。梶くんを取り戻せるんだから。


 お店が開く十時過ぎに家を出た。よく「服を買いに行く服がない」と聞くけれど、私もその状態だった。マシなジーパンに足を通そうにも、太ってしまって入らなかった。情けない。

 仕方なく、いつも履いていて汚れが溜まってきているチノパンで来たのだが、バスと電車を乗り継いできたショッピングモールでは浮いている気がした。とにかく人が多い。手を繋ぐカップルが妙に目につく。

 初めて来たけれど、みんなオシャレだ。地元で、職場と家の往復ばかりだとオシャレな人なんて見ない。でも、みんなちゃっかりいい服持ってるんだ。

 カルチャーショックというか、敗北感というか、抜け駆けというか。ずるいなぁという思いを抱え、少し足取りは重くなった。

 当日予約をした美容院で髪を切る。本当は朝霞莉帆の真似をしてロングヘアにしたいところだけど、髪は伸びない。せめて少しでもこざっぱりさせておきたかった。カラーもセルフで適当にやっていたし、トリートメントなんてしたことない。それをすべて、プロの手でやってもらった。

 終わった後に見た鏡には、顔や着ているものは同じなのに、髪はツヤツヤのボブの別人がいた。黄味がかった茶色で、自分で思わず撫でてしまう程だった。手触りが、今までと違う。何度も何度も手グシを通す。

 トータルで二万円弱。後でATMに行かないと……と思いつつ、今度はコスメを見に行く。

 先に髪型を決めてから服を選ぶのは基本らしい。私の場合、顔も作らなくてはいけないのだけれど。

 ドラッグストアで適当にそろえようかと思ったものの、自分には何が似合うかわからない。基礎化粧品は気まぐれにつけるだけだから肌はガサガサだし、金に糸目はつけないつもりで優しそうなお姉さんのいるカウンターに足を延ばした。ローマ字で店名が書いてあるが、日本のメーカーか外国のブランドか、区別はつかない。

 お姉さんは、私が新卒社会人だと思い込んだらしく、丁寧にいろはを教えてくれた。ほとんど聞き覚えのない言葉で、私の頭はハテナだらけなのだが。

 あれやこれやと、いい匂いのする液体を顔に塗り込まれ、スチームをあてられ、これからフライパンで調理されてしまうのではないかと思う程下味をつけられた気分だった。

 そうやって教えてもらいながら自分でメイクした顔は、整ってキレイに見えた。顔なんてたいして変わらないと思っていたけれど、こうしてみるとメイクする人の気持ちがわかった。

 「同じように出来るよう、練習してくださいね」とにっこり笑顔で送り出される。売り場の外まで紙袋を持って、深々とお辞儀をされるのは、自分が高貴な身分になったようだ。まぁ、五万円以上払ったのだから、気後れすることなく受け入れようと思った。こんな機会滅多にない。

 遅い昼食を摂り、最後は洋服だ。いくら「可愛い」を目指しているからと言って、フリフリのピンクは無理だ。落ち着いた色合いの店をいくつか選び、マネキン買いや店員の進めるままに三着購入した。

 もちろん、スカートである。ひざ上丈、ひざ丈、ひざ下丈のもの。ロングスカートでは足を出せないからやめた。思い切って出せるような足ではないけれど、幸いな事に太ってはいない。

 足がスースーするなんて、男の人みたいな事を試着室で思ってしまった。思えば高校卒業以来、リクルートスーツ以外で着た記憶がない。

 タイツや靴、バッグなども含め、ファストファッションのお店も活用してどうにか五万円以内で収めた。今日だけで十二万円。ATMの往復も終わり、私は大荷物を抱えて帰宅した。すっかり夕方になっていて、汗ばんだ体に涼しい風を与えてくれる。五月も半ばになるともう蒸し暑い。珍しく、スマホは充電が切れていた。

 明日。勝負は明日だ。何が何でも梶くんを渡すものか。



 自宅でメイクの勉強と試着を済ませ、休日は終わった。

 親は目を丸くして、お父さんは「やっぱり彼氏が……」とおろおろしていた。でも尋ねてこない。もし肯定されたら落ち込んでしまうとわかっているからだろう。お父さんが寝たら、後でお母さんに聞かれるかもしれない。まだ答えるつもりはないけれど。

 彼氏が出来たって何の努力もしなかったのだから、親からしたら初めての彼氏かもしれないと勘ぐっている可能性もあるなぁと、鏡を見てよれた眉毛を見ながら思った。実際初めてだけど、そうと言ったことは無い。

 キレイに整えてもらったけれど、これも自分でやらなくてはいけないのか、と気が重くなる。

 女性らしさって、難しい。


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