IA-7
I
[自分でも何がなんだか分からないまま、あわてて書いたメッセージです]
[先に謝っておきます、もし怒らせるようなことがあったら、本当にごめんなさい]
大丈夫、怒ることなんか、なにもなかったよ。
メッセージに対して抱けた感想は、それだけだった。
いや、内容を読めなかったというわけではない。
アヤトから送られるメッセージは、送信された瞬間、私の意識で直接受容される。
だからさっき送られたメッセージも、それなりに量はあった(1000字は超えていた)が、瞬時に読むことは出来た。
しかし、その内容を理解しないまま、思考と結びつけて処理するだけの時間はなかった。
思考が追いつく前に、私が表に出されてしまった。
まるでそれをさせないかのようなインストールだった。
これはあなたの狙いなの?アヤトー答えはもちろん返ってこなかったが。
だから身体、つづけて衣服の変化が完了しても、私は動くことが出来なかった。
そうしていると、アヤトのメッセージが身体に染み込み始める。
そして、その身体も、為すべき事を見つけて動き始める。
[自分がなんなのか、人間でも分かる人はそうそういないよ]
[考えたって、仕方がない]
そうだ。私が勝手に悩んでいても、結局私だけが苦しみ、外の世界には、自分以外の他人には、何の効果も影響ももたらさない。
ならば動いて、目指すべき場所のために身体を突き動かして、目的を達するんだ。
私は3組に向かって走り出した。
[自分がなんなのか、人間でも分かる人はそうそういないよ]
[考えたって、仕方がない]
[僕はそういう時、身体の方を先に動かすようにしてる]
アヤトのメッセージ、あわてて書いたのか、あるいはまとめようとしてまとまりきれなかったのか。
文章として整合性がとれてないし、かなり羅列的に近いものがあった。
でもそれは私の心に染み渡り、私の身体を突き動かしてくれる。
[でも、それを言うだけじゃただの逃げだよね]
[僕なりの答えも言っておかないと]
[実は僕も、自分が何なのか、分からなくて苦しんだときがあった]
[それが、僕が生まれたとき]
5組の教室にたどり着き、ドアを開けた。
激しい音に近くにいた男子生徒がぎょっとしてこちらをみる。
そうだ、私はここにいるんだ、心の中でそっとその視線に返事をした。
[五年前、ベッドの上で僕は生まれたんだ]
[何も分からなかった。自分の名前も、顔も、自分が誰なのかも]
[基本的なことは、僕の姉だと名乗るレイって人が教えてくれた]
[自分が白石アヤトっていう人間で、何かの事故に巻き込まれて、そのせいでそれまでの記憶を全て無くした]
[でも、それは全てレイの言葉だった]
[僕が本当にそんな人間なのか、彼女以外の誰も保証してくれる人はいなかった]
[自分が一体何なのか、どういう存在なのか]
[その苦しみに襲われる日々が続いた]
[でも、そうしている内に、一つだけ分かったことがあった]
彼女の姿はすぐに見つかった。教室の中央の辺りに立っている眼鏡の女の子。
黒川チアキ。私を一番最初に見つけてくれた、他者。
「あなた、イチカ……どうしたのいきなり」
私はぐいと彼女に近づいた。周囲の生徒を押し退けるような形に名ったかも知れないが、構わない。
「私のこと、心配してくれてありがとう」
私の心からの言葉を、まずは伝えた。
眼鏡の奥の丸い瞳を、さらに丸くして彼女はこちらを見ていた。
[自分が何かを決められるのは、結局は自分自身でしかありえないんだ]
[それが、今の僕が出せた結論]
[だって、こうしてメッセージを書くために考えている自分、それはまぎれもなく僕自身だもん]
[何かに影響されてようがされてまいが、それによって考えの内容が左右されていようが]
[考えている「僕」自身の存在は決して消えることはない]
[消えようがないんだ]
そして、力を込めた声で私は宣言する。
「アキのこと……必ず私が何とかするよ。私が必ず、彼女を助け出してみせる!シノとサキにもしっかり伝えておいて!」
それだけ言って、私は踵を返し、ずいずいと進んでいった。
「ちょっとイチカ!何を言ってるの……!」
チアキが呼び止めようとするが、私の動きはもう止まらない。
宣言通りのことをする、今はその目的に向かって邁進するだけだ。
私のことを知っている、私の存在を確かにしてくれる、そんなあの子を助けるために。
[イチカには、少しうらやましいと思うところもあるんだよね]
[僕は退院するのがかなり遅くなってしまって、学校に戻ってきたのはこの高校に入学してからだった]
[だから友達と呼べる人なんて、まるでいなかった]
[黒川さんが話しかけられるようになって少しは]
[でもイチカには、最初からそれがある]
[自分のことを知ってくれている、自分の存在を分かってくれている、そんな人が]
[思うだけで生まれる自分という存在は、他の人を通すことで、いっそう強いものになる]
[僕はそれに時間がかかっちゃったんだよね。今の僕を受け止めてくれるのは黒川さんくらいだ]
[イチカには黒川さん以外にも、自分のことを知ってくれている人がいっぱいいるじゃないか]
私のことを知っている他人、いや他人じゃない、友達だ。
アンセムを狩るためじゃない、友達を助けるために、私は戦う。
[もちろん、僕も含めてね]
[僕もイチカとこうしてメッセージを交わすことで、イチカの存在を確かに感じている]
[あ、でももしかしたら、僕の方が自分の存在を認めてほしいと思ってるのかもしれないね]
[だから、イチカは迷う必要なんか全然ない]
ありがとう、アヤト。私にもう迷いはない。
駆けだして学校を飛び出す。あ、もちろん靴を履き替えるのは忘れない。アヤトの革靴は形状変化対応だから、私が足を入れることで、私にピッタリのローファーへと変わる。
そしてそのまま全力で校門を出ると、自分の中に意識を集中させた。
目指すべき敵・ペテロは、常にアキの中に隠れているわけではないようだ。目的が何なのかは分からないが、行動を起こす時には一瞬でも姿を現す。昨夜の反応はそれだろう。
その反応の場所はしっかり記憶している。アキの体力から考えて、そこからさほど遠くに行けたとは思えない。
服をアーマーに変化させ、戦闘態勢をとる。そして地面を蹴って自分の身体を宙に舞わせる。
私は感覚を鋭敏にしながら、その場所を目指した。
待ってて、アキ。
30分ほど飛び回った。距離にして数キロは動いただろうか。
一度だけペテロの出現の気配を感じた。そこから先は簡単だった。
そして、遠目でも消耗しきったことが分かる、小さな影を見つけた。
周囲の中ではそれなりの高さを誇るマンション、その前庭に置かれたベンチに座り込んでいた。
私は着地して、一度装甲を解除した。
「アキ!」そして、彼女の元に近寄った。
私の声に、ゆっくりと顔を上げるアキ。
ひどい顔だった。目の下にはクマが出来、髪ははボサボサに崩れていた。そして表情からも生気は失われていた。
彼女はわずかに口を動かして、弱々しいけれどはっきり、言葉を発した。
「イチカ……」
私の名前、しっかりと覚えてくれていた。それだけで嬉しさがあふれた。
「……イチカちゃん!」
弱々しかった彼女の口調が、急に元気のこもったものに変貌した。幽霊のようなものだった彼女の表情も、一気に命を吹き返し、輝き始めた。
「出てきたわね……ペテロ、アンセム!」
「うーん、やっぱりそう呼ばれるのかぁ。まぁまだワタシはアンセムでもあるけど、だんだんワタシに、ペテロになりつつあるよ」
「今度こそ、あなたを消し去る。アキの身体を取り戻す」
「あれ?イチカちゃん、悩みとか消えちゃった?ものすごくいい顔してるね!」
いい顔か、まさにその通りだろう。だって今の私を動かしてるのは、輝きに満ちた感情なんだから。
「この前会ったときは、すごーく可哀想な女の子に見えたのになぁ。アンセムから切り離された、ただのデータの塊。独りぼっちでとっても寂しい子」
心配するふりをして、言葉の刃をぶつけてくる。でも今の私にそんなものは存在しない。
「残念だけど、もう考えるのはやめたの。今私はこうして存在している。アンセムを倒すためだけじゃなく、友達を助けるために!私が私である理由なんて、それだけで十分!可哀想なアンタには分からないでしょうね」
「可哀想?私が……?」
「そう、いくらワタシがワタシがといっても、結局はアンセムから離れられない、アンセムの意志に従い、アンセムが作り出した目的のために動く、ただの操り人形でしかない、そんなアンタにはね」
「……そんな風には思わないけどな。ワタシがどれだけ一人になっても、最後にはアンセムがいてくれる。アンセムがワタシを規定してくれる。そんな状態の方がワタシにとっては最高に幸せなんだけどな」落ち着いた語調だが、その中には反論と怒りの意が込められていた。
「……これ以上はいくら話し合っても水掛け論になりそう。どうせなら」そう言って、私は学生服を戦闘装甲へと変化させる。
「そうだね。ちょうど目的の邪魔をするイチカちゃんを消すことを、アンセムが決めたところだったし」相手の身体も、銀色の禍々しい鎧を纏った姿に変わる。
「勝った方が正しいってことね」私はつぶやくようにそう言いながら、両拳にプロメテウスのエネルギーを集める。
「イチカちゃん、本気で勝てると思ってるのかなぁ?」ペテロは両手を突き出し、そこに長刀を握りしめて私の方に向けた。
お互いの身体が、衝突を繰り返しながら、宙へ宙へと上がっていく。
そして再び、マンションの屋上が戦場となった。
ぶつかり合う、拳と刃。
パワーは互角、よりもややペテロの方が上か。
流れるように迫る刃先を拳で受け止める。それらがぶつかり合うことで、込められたエネルギーは相殺される。しかし物理的な力が及ばず、私の身体は後ろへと吹き飛んでしまう。
加えてリーチの問題がある。ペテロはこちらの拳が届かない位置を保ったまま攻撃してくる。まして私は後ろに弾き飛ばされるものだから、相手の身体まで攻撃を届かせるのは困難な状態だ。
もっとパワーが出せれば。この拳を包むエネルギーを大きくできる。長刀を振るう相手の腕力を突き破る力が出せるはずだ。
私は一度相手から距離をおき、拳を下ろしてすっと立った。
ペテロの方も、私の突然の行為に驚いたのか、一度武器を下ろした。
お願い、届いて。私は心の底で強く願った。
あなたのメッセージは、ちゃんと私の元に伝わった。あなたの言葉が、今の私の力になってくれてる。あなたと私は、確かに繋がったんだ。
アヤト。
あなたの力を貸して。
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A
何もないはずだった場所。その先に、一点の光が見えた。
僕はその光の正体を知っていた。だからそれを手にしたい、もっと近づきたいと思った。
その思いに比例して、点だった光は円となり、その面積はどんどん広がり、僕のいるこの場所全体に広がっていく。
光とともに認識できるのは、言葉だった。
アヤトーそれは僕の名前。
あなたのメッセージは、ちゃんと私の元に伝わった。
あなたの言葉が、今の私の力になってくれてる。
あなたと私は、確かに繋がった。
イチカ。
そうだ、僕たちは繋がった。
そして今、僕もキミと一緒に戦いたい!
僕の願いとともに、僕を包み込んでいた全てが光に変わった。
光の中にいる僕は、やがて自分自身をはっきりと持つようになった。
感覚が戻ってくる。腕が、足が、胸が、身体が、自分のものとして戻ってきた。
そしてはっきりと捉えた。目の前に立つ、敵の存在を。
そしてはっきりと理解した。僕が、僕たちが為すべきことを!
お前を、倒す!