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新世界へ  作者: 戸雨 のる
弐-2-
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サクラ

 風呂でのぼせただけだと思う。私は、ぼうっとしていた。

 珍しく早く会社から帰ってきていた父と三人での夕食を済ませ、そのまま、風呂に入った。多分、一時間以上。だからきっと、のぼせているだけなのだ。

 マサキくんの言葉のせいではない。私には樹がいる。樹以外は、いらない。

「……ごめん時間かかって」

 濡れた髪をタオルで拭きながら、リビングへと戻る。テーブルの上に夏休みの宿題を並べ、樹が椅子に座っていた。

「あれ? 父さんは?」

 当然そこにいるだろうと思っていた父の姿が見当たらなかったので、私は樹に訊ねてみた。樹はプリントに向けていた視線を上げ、口を開く。

「おじさんは部屋に戻ったみたいだよ。会議の資料を作るって言ってたから」

「ふーん。父さんはいつも忙しいからなあ」

 平日は、夕飯を一緒に食べることの方が少ない。休日も会社に行くことが多く、どこかに遊びに連れていってもらった記憶もほとんどない。私と父の間には、いつからか、見えない壁が出来ていた。

 けれど淋しくは、なかった。いつでも樹が側にいてくれたから。

「サクラ、何か飲む?」

 手に持っていたペンを置き、樹がゆっくりと立ち上がる。私は首を横に振り、座り直すよう促した。

「自分で持ってくるから大丈夫」

 どうしても。環境のせいで仕方がないのかもしれないけれど。樹に、気を使わせているように感じる。何も気にしなくていいと言っても、そうはいかないのかもしれない。

 私にとって、樹という新しい家族の存在は、嬉しくて仕方がないことなのに。幼馴染から昇格したような、誇らしい気分でいっぱいなのに。

 もちろん、樹の事情が解決するものであれば、どうにか解決して欲しいとは思っている。きっと、どうにもならないのだけれど。

 リビングの隣にあるキッチンへと足を運び、冷蔵庫を開く。きちんと並べられた炭酸飲料のペットボトルを取り出し、扉を閉めた。

「はあ……」

 自分でも信じられないくらいに大きな溜息を吐き、ペットボトルの蓋を開ける。私は、何が不満なのだろう。

 家には樹がいる。幼いころから親しんできた、最愛の人がいる。

 それなのに、何故。樹以外の人のことを考えてしまうのだろう。彼の雨に濡れた艶っぽい立ち姿が、今でも鮮明に思い出せてしまう。

 駄目だ、私。タオルで顔をごしごしと擦り、私は、余計な思考を振り払おうとした。

 私はこれ以上何も望まないし、何も手放したくはない。何かを望めばきっとまた、樹の周囲に良くないことが起こる。私はこれ以上、樹を苦しめたくはない。

 家族を失うような辛い思いを、これ以上樹に味わわせたくはない。

 我が家はどうしても樹にとっての自宅にはなり得ないというのなら、それはそれで構わない。気を使わないでくれさえすれば、それでも。

「……サクラ、どうしたの?」

 いつの間にかキッチンに来ていた樹に、私は小さく、何でもない、と告げる。

「私も、宿題やろっかな。結構たまってるし」

 胡散臭い笑顔だと思う。取り繕ったような表情を浮かべ、私はキッチンを後にした。

 リビングに戻り、テレビを点ける。タオルで髪を乾かしながら、見るともなしにテレビの画面を見つめた。本当に、何も考えていなかったと思う。

 だからこそ、画面に映し出された情報を、見逃してしまいそうになったのだ。

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