イツキ
道端に、朝顔の花が咲いている。
昨晩は月が綺麗だった。あまりにも月が綺麗だったので、僕はついうっかり、面白いことを思いついてしまった。どうやっても僕には辿りつかない場所で、どの程度思考を操れるのか。実験をしてみよう。
前はとても上手くいった。まあ、僕が背後で操っていたのだから、失敗するはずもなかったのだが。
仮初めの家族はもういない。父と母、姉と弟。僕が操り、家族だった愚者を殺めた。
操ることは簡単だ。理性を奪い去り、行動を指示すれば良い。奪い去る理性とは、すなわち言語。行動に名を与えるのが理性だとしたら、その名を奪い去るのが感情。
僕は感情だけを植え付け、父だったものを制御した。父の凶行。一家惨殺、無理心中。残された僕は、被害者の息子か、加害者の息子か。
どちらでも構わないか。僕は、僕でしかないのだから。
僕の最古の記憶は、保育器から見上げた白い天井。生まれて間もなく息を止め、僕は一度死んだらしい。そのことはさすがに覚えていないが、復活してからは覚えている。
僕は黄泉に行き、黄泉から戻ってきた。最高の贈り物を手にして。愚かな現世で暮らす権利と引き換えに、責務と共に戻ってきたのだ。
薄青い朝顔の花を千切り取る。僕の右手で摘んだ花は、いとも簡単に萎れていった。見る見るうちに鮮やかな色は落ち、枯れ色に変化していく。花の未来は儚い。僕の栄養にはなり得ない。
すっかり生気を失った花を投げ捨て、髪を掻き上げた。見上げた空は、薄灰色の雲に覆われている。
今日はひと雨降りそうだ。
雨の日は好きではない。美しい月が見られない。昨晩の霞んだ月は、今日の雨を予言していたのだろうか。もう少しはっきりと、伝えてくれれば良かったものを。
僕は、黄泉の住人なのだから。
そう。現世の住人ではないのだ。家族という枷から解放され、漸く思い出してきた。
僕は月夜に生を受けた。黄泉から戻り、夜見から出づる。現世における名とは別の、本当の名は、おそらくは。
「男神だったんだな、一応は」
黄泉の国、夜見の国。月夜の晩に、常世を夢見る。無実の罪で追放されし、夜の世界の支配神。夜之食国の統治の神。
本当の名は。
「……なるほどね」
僕に与えられし能力。美しく、才に溢れる所以は、本当の名にこそ隠されていた。他の者どもとは、根本的に異なっている。僕は特別なのだ。人間などという、愚かな生物とは違う。
太陽の創ったこの現世を、僕の手に収めてみせる。高天原への道は遠いが、しかし。
「還ってみせる」
下賤の者に囲まれて、ただただ輪廻を繰り返すのみ。記憶を封じ、記録を封じ、僕の存在を封じ続ける。
これは、僕が手にしたまたとない機会。一度失ったことにより、鮮明に蘇る記憶。明白に蘇る能力。蘇る、望郷の念。幾千年の宿怨は、この世界を変革することによってのみ晴らされる。
僕は、神だ。
掌に繋がる黄金の糸を手繰り寄せ、生命をついばむ。目立たないように確実に。少しずつ、黄泉比良坂を解放するために。この、神の能力で。
そのためにも、実験を行うのは悪くない。昨晩の月に誓おう。間違いなく、夜を常にする。下準備は万全に済ませ、革命は派手に始めようか。
嗚呼、愉しみで堪らない。
しかし、未成年という立場は厄介なものだ。いくら凶悪な犯人に仕立て上げたとしても、報道が抑制されてしまう。
勿論、いくらでも駒はあるのだが。張り巡らせた金糸の先は、何も同級生だけではない。学校関係者だけではない。
街中ですれ違っただけの者もいるし、さらに糸を伸ばした全く接点のない者もいる。それらのどれを使おうと、それらで何を起こそうと。
全てを握るのは、僕の手なのだ。
神の手に逆らえる者など、この現世には存在し得ないのだから。