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新世界へ  作者: 戸雨 のる
壱-1-
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イツキ

 日中は一人で過ごすことが多いので、準備を進めるには都合が良い。燦々と降り注ぐ太陽の下を歩くのは体力の消耗が激しくあまり気分の良いものではないのだが、部屋の中に籠っていても出来ることが限られてしまう。

 仕方なく、僕は街中を歩いていた。

 まるで祈りを捧げているかのように両手を前で合わせ、不自然さを補うために時折動かす。冬場なら手を暖めているように見えるだろう行動も、真夏の炎天下ではどうしても違和感が際だつ。

 まあ、今すぐにこの場で何かを始めようというわけではないので、さほど他人の眼は気にしていないのだが。

 雑踏に混じり、獲物を物色する。鮮度の高い美味そうな獲物を見かけては、左手を離す。幾度となく繰り返し、幾度となく括り付ける。

 この国は平和だ。吐き気を催すほどに。

「……あ!」

 余り遠出をしていなかったので、当然想定するべき事態のはずだった。しかし唐突に知った声を聞き、僕は僅かに戸惑いを覚えた。

「イツキ!」

 背後から聞こえてきたのは、佐倉の声。無視をするべきか迷ったが、後で弁解が面倒だ。全くもって腹立たしいが、相手せざるを得ない。

 僕はそう思い、振り返る。

「……ああ。サクラ、どうしたの?」

 出来れば早々に退散願いたいが、そうもいかないだろう。

 佐倉は当り前の顔をして僕の隣に並ぶと、もう終わったんだと呟いた。

「早いね」

 当たり障りのない返答。この僕と対等だと思っているらしい佐倉は、当たり前のように僕のことをイツキと呼び捨てる。そう思わせておいた方が都合が良いのは間違いないが、馴れ馴れしいにもほどがある。

 正直なところ、不快だ。

 僕は右手をポケットにしまい込み、左手で前髪を掻き上げた。佐倉に気付かれないよう小さく溜息を吐き、微笑みを浮かべる。

「こんなところで会うと思ってなかったから、びっくりしたよ」

 この言葉に偽りはない。偽っているのは、相手が受け取る感情のみ。苛立ちを笑みで覆い隠し、さも喜ばしいことだといった様子で、僕は言葉を紡いだ。

「サクラはもう帰るの?」

 帰れよ。ああ、腹立たしい。

「うん、まあ。帰っても良いんだけど、せっかくだから」

 せっかくだから僕の邪魔をしよう、とでも言うつもりか。鬱陶しい。身近な人間でなければ、すぐにでも生命を引き抜いてしまいたい。今はまだ目立つわけにはいかないので、生かしてやっているだけだというのに。

 調子に乗るな、下衆が。

「せっかくだから?」

 苛立たせるな、屑が。

「カラオケとか行ってみる?」

 衝動を紛らわせるように、佐倉に括りつけた糸を左手で軽く引く。

「……あれ?」

 熱を奪う。

「どうしたの?」

 僕には判り切っている理由を、愚かな佐倉に問うてみた。

「うん。なんかちょっと寒気。冷房にやられたのかも」

 その寒気の原因は僕だよ。笑い出したいのを堪え、僕は左手を差し出した。ほんのり熱を帯びた左手で佐倉の額に触れ、心配そうな表情を浮かべる。

「熱っぽいね。帰った方が良いんじゃないかな」

 左手の熱をそのまま佐倉の額に移し、手を離す。

「結構熱いよ? 夏風邪は厄介だからね」

 優しく心配する素振りを見せ、佐倉を帰らせようとした。これでも留まると言い出すようであれば、僕にも考えがなくはない。目立つことはしたくないが、面倒なことに時間を取られるのも厄介だ。

 幸い周囲には幹線道路があるので、一台くらい信号無視をさせても目立ちはしないだろう。事故に見せかけるのは趣味ではないが、しかし、止むを得ない。

「……うん、今日はちょっと帰ることにする」

 命拾いをしたな、佐倉。

「じゃあ、カラオケはまた今度で」

 佐倉の言う今度は、永遠に訪れないだろう。腹の中で嘲笑しつつ、僕は優しい声を出す。

「大丈夫? 一緒に帰る?」

 僕はなんて器用なのだろうか。微塵も心配などしていないにもかかわらず、こんな声が出せるなんて。我ながら感心してしまう。

 天は僕に、二物も三物も与え賜うた。常世を作る能力を、愚民を欺く美貌を、疑う余地を与えない演技力を。

 この現世に、僕の本性を見破れる人間はいないだろう。優しく柔らかい物腰に、皆が皆、騙され続けているのだから。

 物事の本質を見抜けない愚か者たちには、粛清が必要だ。僕がこの手で、全てを変えてみせる。

「送ってく?」

 僕が永遠を創る。僕が全てを生まれ変わらせる。愚かな民は要らない。必要なのは、知性と生命。

「大丈夫。家、近いし」

 時が止まれば生命も要らない。僕はあちらとこちらを繋ぎ、全ての世界を常にする。現は幻へと変わり、黄泉の川が支配する世界。混沌とした、穢れなき世界を僕が創る。

「それにイツキ、用事あるんじゃ?」

「ああ、うん。そうだけど」

 急用などではない。なるべくたくさんの生命を手中に収め、来るべき刻を待つ。それだけだ。それだけだが、誰にも邪魔はさせない。

 僕は終始心配そうな素振りを見せ、佐倉を追い払おうとした。無闇に体力を消耗したくない。時間も惜しい。何より、佐倉の相手をするのは不愉快なのだ。仲の良いふりは面倒臭く、馴れ馴れしいのは我慢がならず。操ってしまえば簡単なのだが、傀儡の管理は手間がかかる。

 厄介な存在だ、全く。

「気を付けてよ。風邪は引きはじめが肝心だからね」

 僕は手を振り、佐倉から離れた。やがて佐倉の姿は人混みにまぎれ、視界から消える。

 さようなら。出来れば、永遠に。

 漸く解放された僕は、路地に入り空を見上げた。いかにも夏といった青空。遠く浮かぶ入道雲が、鮮やかな空に良く映えている。力強い季節の色。背の高い建物に支配され狭い範囲しか見られないことが、非常に残念に思われた。

 常なる世には、このように無粋な建築物は必要ないだろう。人が高みを目指すのは、高天原へと還るため。黄泉の国へと戻るため。僕が全てを繋げれば、その望みですら、必要のないものへと変わる。

 夏は良い。生と死の狭間が危うくなる季節だ。盆の前後は黄泉が近い。勿論、近いだけで往来は出来ないのだが。

 黄泉との往来。黄泉比良坂の解放。今はまだ蓄えが足りないが、徐々に増やしていけば良い。よりたくさんの生命を手にし、冥府の封印を解き放つ。

 ああ、楽しみだ。僕にはやらなければいけないことがたくさんある。愉しい宴はまだ遠い。

 目を細め、建物の合間に逃げ込んでいる哀れな太陽を睨み付けた。太陽は生命の神。僕とは、相容れない。月は夜、夜は闇。闇は、黄泉へと通ずる。

 僕は、夜にこそ相応しい。

 夜は、僕にこそ相応しい。

 生命溢れるこの季節はまた、死に最も近い季節でもある。僕の頭上では、抜け殻になりつつある小さな虫けらが、力なく飛んでいた。

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