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新世界へ  作者: 戸雨 のる
惨-3-
12/36

サクラ

 電話を取りに行ったまま戻らない樹を迎えに、私は廊下に出た。通話は既に終えているらしく、受話器が置かれている。

 自分の部屋にでも戻ったのだろうか。私は、廊下のさらに先にある、樹の部屋の前へと進んだ。軽く扉を叩き、様子を窺う。

 中からは、何やら大きな音が聞こえてきた。

「イツキ、開けても良い?」

 強めに扉を叩き、声を上げる。すると、私の存在に気付いたのか、内側からゆっくりと扉が開かれた。手に大きな荷物を持ち、樹が申し訳なさそうに呟く。

「サクラ、ごめん。ちょっと動揺してたみたいだ」

 俯き加減で謝る樹に、かける言葉が見つからない。手に持った物の正体に、気が付いてしまったから。

 樹が持っているのは、中学校の制服だった。

「さっきの電話……」

 尋ねるべきではないかもしれない。けれど、私の口をついて出てくる言葉はこれだけで。

「クラスメイトからの電話。先生のこと」

 それきり、沈黙に包まれてしまった。

 制服は、正装。冠婚葬祭に出席する際に着用する、かしこまった服装。樹がそれを手にしている理由は、おそらくただひとつ。夏休みに必要になることなどないはずのそれを着用する理由は、たったひとつ。

 先程の報道は、既に事実として受け入れなければならないのかもしれない。それはあまりにも唐突で、あまりにも辛い現実で。

 ふいに背後に気配を感じ、振り返る。廊下には、不思議そうな表情を浮かべた父が立っていた。手にはマグカップを持っている。

「どうした?」

 神妙な面持ちの私たちを見つめ、父が口を開く。

「父さん……」

 私が続きを言うより先に、樹が簡潔に説明を述べた。

「僕のクラスの担任が、亡くなったそうです」

 あまりにも淡々と、まるで自分とは関係のない世界での出来事のように。樹が言葉を紡ぐ。ひどく冷静で、ひどく落ち着いていて。けれど。

 制服のかかったハンガーを握る手に、異様なまでに力が込められていた。それに気付かなければ、きっと。

「それで、その」

 きっと。樹は感情の一部が欠落しているのだと、私は思っていただろう。

「友人から電話がかかってきたんです」

 目の前の樹は平静を装ってはいるものの、動揺している。私にはそれが判った。私を、父を落ち着かせるために、静かに語っているだけなのだ。

「……事故か、何かで?」

 父は優しく問う。樹は静かに返す。

「事件です。先ほどニュースで、見ました」

 経験が、人をつくる。樹は死に接し過ぎている。

「そうか……」

 父はそれを知っている。だからこそ、忙しい合間の息抜きで部屋から出てきたはずなのに、樹の話に耳を傾けているのだ。私には向けてくれたことのない、真摯な眼差しを。

「ええ。明日辺りには、きちんとした連絡が来ると思います」

 判っている。樹は、私なんかと比べてはいけないのだと。経験が違い過ぎる。背負うものが違い過ぎる。けれど、父を盗られたような気持ちになってしまう。

 私には、樹がいる。樹には、私がいる。父もいる。

「暖かいコーヒーでも飲もうか」

 気を使うような優しい父の声を、私は他人の声のように感じていた。父一人、子一人。忙しい父と、放っておかれた私と。樹の家に預けられることの多かった私にとって、父よりも、むしろ。

「そう、ですね」

 樹の家族こそが、本当の家族だったのかもしれない。けれど私は、樹ほど経験を積んではいない。どこか他人の家庭の話だと、思っている節がある。

 私は、最低だ。最低で、冷酷で、欲深く。

 おじさんとおばさんが樹の元に戻って来ることがあれば良い。そんな非現実的な願いを胸に抱くほど、私は欲に塗れている。

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