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銀の煌蝶  作者: kuku
9/11

八話

なつかしいにおいがする

くすりのにおいだ

きょうは血をぬく日じゃなくて

くすりをうつ日らしい


いやだな


くすりをうったあとは足がしびれるからいやだ

その日一日は今日子先生もあいにきてくれないし


クレメンザの男なのにべったり赤くぬったくちびるがうごく


―処分されたわ



ああ


ここまできて俺はやっと、これがいつもの夢だと気がついた

この後起こったことの方が、俺にとってはよっぽど印象深いだろうに、

繰り返し見るのはなぜかこの場面だ


―わかる?

 死んだってことよ死んだってことよ死んだってことよ



「ウル」

冷たい掌が頬に張り付く感触に、俺は一気に覚醒した。

まだ重たい瞼を開くと、エステラがベットに腰かけて長い睫毛の向こうから俺を見ていた。

窓を閉め切った部屋の中は暗く、わずかに開いたドアから漏れる光がぼやけた輪郭を縁どる。

もう朝だろうか?

問いかけようとして口を開くが、乾いた咽は耳障りな音を立ててそれを阻んだ。

エステラはふと立ち上がって、ひらりと手を振る。

意図が読めずにそのままでいると、焦れたように手を引かれ、部屋から連れ出された。

そのまま長い廊下に出て歩き出す。

左右にそり立つ壁は波打ち、のたうつ蚯蚓のような文字を時折浮きあがらせる。

最初の頃こそ夢中になって眺めたが、今では珍しくも感じず素通りする。

視界の端で水を表す旧文字がとぐろを巻くようにして萎んだ。

誰ともすれ違わないまま空中庭園へ続く階段の踊り場まで着いて、ずっと握っていた手がようやく離された。

エステラは身振りで“ここで待て”と伝えて、ひとりで上層へ上がっていく。

とり残されて、俺は仕方なくその場にしゃがみこんだ。

隅の方にたまった砂を指で撫でる。


ここにきてから4年経った。

正確に言えば連れてこられてから、だが。

研究所からさらうように連れ出された後のことは、気絶していたため覚えていない。

エステラやハーキィは俺が寝ていたと言うけど、多分何かの勘違いだろう。

俺がそこまで図太い神経をしているわけがない。

意識を取り戻すともうそこはベッドの中だった。

―ここで、今日から暮らすのよ

エステラがそう言ったのをはっきり覚えている。

そしてその言葉通り、あの日から俺はこのプリウェンの中で生きている。

廊下や庭園をうろつくのは自由だが、塔の外へ出ることは禁止されていた。

魔女の住まうプリウェンに男は俺ぐらいのものらしく、気軽に話せる相手はハーキィか、年上の魔女数人しかいない。

その彼女達もほとんどの時間を研究室で過ごしているため、基本的に俺はエステラに与えられた書物をひたすら読み続けて毎日を過ごしている。

自由に歩け、知識を得られることは喜びだったが、研究所にいたころとたいして状況が変わったわけではないことを俺はだんだん理解してきていた。

結局、飼われている。

男で、魔術の才があるわけでもない俺をここに住まわせることに数え切れないほどの圧力や反対があったことをハーキィから聞いて知っていたし、何より周りからのささやかな拒絶の空気を俺自身が肌で感じていた。

エステラがそれらを抑え込んでいる。

エステラの指一振りで、俺はどうにでもなるのだろう。

彼女が何のために俺を4年保有しているのかも、俺は知らない。

鬱々とした気分で、俺は膝を抱え込んだ。

そういえば何でここに連れてこられたんだろう。

新しい薬草の栽培にでも成功したんだろうか。

そう思って顔を上げると、ちょうどエステラが階段を降りてくるところだった。

後ろに誰か連れている。

「彼か?」

久しぶりに聞く低い声で、その人間が男なんだとわかった。

エステラが笑みを浮かべ一歩引き、代わりにその男の人が俺の前に立つ。

少し目を見開いて俺を見つめてくる顔は、今まで見た中で一番綺麗なつくりをしている。

茶色がかった金髪が乱れ、ところどころ跳ねている以外はほぼ完璧といってもよかった。

ただ、何の感情も映していない目がなんとなく―


「からっぽ」


その言葉が俺の口から漏れ出たことに気づいて、俺は慌てて口を塞いだ。

男の人が二、三度、ゆっくり瞬きをする。

「ね、面白いでしょう?その子」

エステラがくすくすと笑いながら言うと、男の人は無表情のまま頷いた。

「なるほど」

「で、如何なさるのかしら。ケイヴァン様は?」

「引き受けよう」

それだけ言うと彼は身を翻し、まだ肩を震わせて笑っているエステラを置いて階段を上っていく。

ひとしきり笑うと、エステラも上へ上がっていく。

俺も立ち上がって後を追った。


空中庭園の全貌を見渡せる位置まで来て、俺は目をむいた。

竜だ。

本でしか見たことはないが、確かに本物の竜が横たわり翼を休めていた。

ケイヴァンと呼ばれた男の人が首を撫でると、扉が軋むような音をたてて喉を鳴らした。

エステラに押されるようにして、俺もすぐ傍まで近づいた。

見上げると、その向こうの天井が揺れるように歪んでいるのが見えた。

「はぁ…何これぇ」

目も口も限界まで開いている俺の顔を見て、男の人が眉をひそめる。

「彼は本当に使えるのか」

「低脳そうに見えるかもしれないけど、大丈夫よ。知識はあるから」

なにかとても失礼なことを言われている気がするが、混乱している俺に文句を言える余裕はない。

「ウル、寝る前には歯を磨くのよ。肉類もちゃんと食べること、いいわね?」

エステラに肩をたたかれて振り向くと、そろえた指先ですっと目の上をなぞられる。

途端に頭がひっくり返るような強烈な眩暈を感じて、しゃがみこもうとしてそのまま倒れた。

瞼が開けていられないほど重い。

意識がどんどん沈んでいくなかで、波の音のような声が途切れ途切れに聞こえる。

「君……説明…いい…」

「…きいたら…か…ら……」


「じゃあ元気でね、ウル」

耳元で囁かれて、そこで意識が途切れた。

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