七話
国家に所属する魔女達が住まう巨大な塔プリウェン。
その階層全てを震わす爆音が響いたのは、昼頃のことだった。
薬品棚の整理中だったハーキィは、振動で華奢な体をよろめかせる。
水銀の入った瓶が落下するのをエステラが間一髪で受け止めた。
「な、何なのよ!?」
向ける相手もわからないまま、ハーキィは抗議の声をあげる。
そのまま混乱状態に陥りかけるが、エステラの静かな横顔を見て思いとどまる。
―だめだみっともないまねはしたくない、特にエステラの前では。
プリウェンには変わり者が多いが、その中にあってさえ浮いているエステラの周りには、常に黒い噂が纏わりついていた。
曰く、精霊を冒涜する怪しい実験を繰り返している。
曰く、侵略者共のミネルヴァと繋がりがある。
“ニンゲン”を作る研究をしているという噂さえまことしやかに囁かれていた。
いつも独りで研究室に篭っている姿から連想されたものかもしれないし、
明らかに非凡な才能がそれを招きよせたのかもしれない。
いずれにせよ確かといえる話は一つとして存在しなかったが、逆にそれらを打ち払うことのできるものも無かった。
当のエステラが、肯定も否定もしなかったからだ。
彼女は何を言われようが、ただ平生どおり緩やかな笑みを口元に浮かべるだけだった。
ハーキィはそんなエステラの態度をもどかしく思いながら、一方で強い憧憬を覚えた。
―自分なら、自分ならそんなに平気で居られない。
それどころか人から非難されるような行動をとることさえできないだろうことを、
ハーキィは知っていた。
―変わり者、浮いている…それなら自分だってそうだ。
痩せすぎた幼い身体と裏腹に、ハーキィは早熟な思考を持つ少女だった。
周囲とうまく馴染むように気をつけて振舞いながら、やるせなさと疲れを感じていた。
周りがなんと言おうと、自由に、思うままに動くエステラ。
そんな彼女に惹かれるのは、ハーキィにとって必然だったかもしれない。
彼女はいつしかエステラと共に行動するようになった。
付き合いだして間もない頃から、ハーキィはエステラを尊敬すらするようになっていた。
それを表に出すことは、彼女の高いプライドが許さなかったが。
とにかく、ハーキィはエステラにだけは軽蔑されたくなかった。
そのエステラが立ち上がった。
体の丈ほどもある杖を握り、扉へ向かう。
「ちょっと、見に行くわけ?」
同じく立ち上がってハーキィが尋ねると、エステラはちょっと振り返った。
「彼が到着したみたい…」
「彼?」
エステラは答えずにそのまま部屋を出て行く。
暫しの逡巡の後、ハーキィもあわててその後を追った。
人々のざわめきを辿っていくと、足は自然と上層へと向かった。
空中庭園への階段を上りきった瞬間、前を行くエステラの足が止まり、
ハーキィは思わず鼻をぶつける。
目の前の背中を睨みながら奥を覗き込み、ハーキィはただ目を見開いた。
常時幻想的な碧色につつまれているはずの庭園には高く瓦礫がつもり、そこに外界の白い光が細く差し込んでいる。
光の元を辿った先の天井には巨大な根に似た物がつきささっていた。
時折苦しげにうごめいている。
呆気にとられて皆が遠巻きに見つめる中、エステラは瓦礫のもとへ迷いの無い足取りで辿りつく。
ショックに思考が停止していたハーキィは止めることも引き戻しに行くこともできず、
口をあけてそれを見ていた。
エステラは一度杖で強く地面を突き、低い声で何かを囁く。
長い栗色の髪がうねるように浮きあがる。
根のつきささった辺りの空間が微かに歪むのを見て、ハーキィは我に返った。
―何だこれは何が起こっている何を…エステラは何をしている?
駆け寄ろうとしたハーキィの目に、異様な光景が映る。
いまだ動き続けている根の周りの天井が、粒子となって空気に溶けて消えていく。
その向こうに姿を現したのは根などではなかった。
「……竜」
ハーキィは足をとめて呟く。
右脚を開放され、悠然とした体で飛竜が降り立つ。
硬い鱗に覆われた体躯、しなやかに伸びた首、空中を行く翼の代わりに殆ど退化した足。
首の根元に着けられた銀のベルトが、それが軍用であることを示していた。
「いらっしゃい、アシュレー」
エステラの声に竜の背が震え、布が滑り落ちる。
中から姿を現した長髪の少年はどこか決まり悪そうな顔のまま、積もった瓦礫の上に飛び降りた。
着用したシグルーンの象牙色の制服は、血と煤に汚れている。
「あー、下の奴らが入れてくれねぇから…上からな!いや別に壊すつもりは…」
「彼は」
エステラの有無を言わせない勢いに押され、しぶしぶといったようすでアシュレーは脇に抱えていた大きな袋を下に降ろし、蹴り上げた。
力なく開かれた白い指が中からのぞく。
誰ともなく息をのむ。
「あら…殺しちゃったの」
「違わぁ。寝てんだよ」
つま先で転がすと、気持ちよさそうに寝息をたてる少年が姿を現した。
「ふふ、ずぶといのは今日子譲りかしらね…。とにかく、でかしたわ」
微笑みながらエステラが労うと、なぜかアシュレーは居心地悪そうに首を捻る。
「ああ…プラナたちもご苦労様。はいってきていいわよ」
その言葉の終わらないうちに、渦巻く風を伴って次々と竜が舞い降りた。
乗り手の一人の銀髪の少女が二人の直ぐそばに着地し、整った貌をゆがめながらアシュレーになにやら厳しく詰め寄っている。
剣呑な雰囲気をしり目にハーキィがエステラの元へ駆け寄ると、彼女はひざまずいて、眠ったままの少年の顔を見つめていた。
閉じた目にかかった前髪をそっとはらう。
「この世界は羊水。きたるべき神のための―」
「エステラ?」
三日月のように微笑みながら、エステラは少年の頬を撫でた。
「今日子の意思は、わたしが継ぐ」




