~prologue~
建築物の壁伝いを駆け抜けていく一つの影。
だが彼の表情は至って真剣で、そして険しかった。ビルからビルの壁へと音を立てずに移動し、肩に掛けている小銃を構えたまま壁越しに視線だけを外に向ける。
その時サスペンダーに掛けられた無線機が受信を捉え音を発した。
《こちらHQ。そこから先は危険だ。側の建築物の上から目標地点に向かえ》
「──本来ならこの道を突っ切りたい所だけど……流石にこの数相手だと、一人では分が悪いね。――こちら【NBDU】003、了解したが至急応援を頼む」
《──こちらHQ。数名をそちらに向かわせる。それまで持ち堪えろ、以上》
無線が切れた事を確認すると、澪次は一息吐いて銃を肩に掛け直し、側の梯子を登り始める。
手元のレーダーにマーキングされた目標地点はワシントン中央の高層ビル。外に出ることが出来ずそこに閉じ込められた国連管理官数名の救助が自身に与えられた任務だ。
距離にして現地点から五キロ程。──救助対象の安否を考えれば遠回りなんかしたくないのが本当の気持ちだが、それを押し込めて屋上から目標地点に向かうことを選択した。
この場に焦りを持ち込んではならない。一歩間違えれば対象にたどり着くまでに自分が死ぬことになるからだ。
何故ならここは既に死の街と姿を変貌させており、ここにいる住民全員がもう異常なのだ。
屋上に上がると周囲を見渡し、隣のビルに繋がっている通路への扉に目を止める。
「……決して安全とは言い難いけど、先の通りを突っ切るよりはまだ危険が少ない、か――」
諦めに等しい溜め息を吐くと扉の側の壁に張り付く。腰に巻かれたベルトからハンドガンを手に構え、一息に開け放って中に突入した。
「ЙЛЕКСЛЁДξ―――!!??」
初めから扉のすぐ向こうにいたのか、開いた瞬間流れ込むように飛び出してきた感染者を避わし、肘うちを当て頭部を撃つ。
そして右手のライトを左手のハンドガンと交差するように構え、暗闇の隅々まで照らし出す。
「──うわぁ、いるいる……うじゃうじゃと」
鬱になりそうな気だるさを感じながら、音を立てずに足を進める。
中央ビルの救助対象の事が気にはなるが、幸いにもあそこは爆撃対応強度セキュリティーシステムを内蔵した軍事施設らしいので、中にいる限りは最高の避難場所だろう。
ならばどんなに時間をかけようが問題は無い。
とにかく慎重に進む事が優先される。
「まずは隣のビルに辿り着く事が目標だね」
足下の資料が詰まった段ボール箱を土台にし、消音銃を静かに構える。
障害物が比較的少ない辺りのゾンビを射線に捉え、一人ずつ撃ち倒していく。
──先は長い。
だから限られた弾を無駄には出来ない為、全排除する余裕なんて無く、彼が通る道上にいるゾンビを排除する為の必要最低限の弾しか使えない。
銃を納め、アーミーナイフを手に進行を開始した。
「感染者対策が本格的になったって事は、NBDUもいよいよ本気になったみたいだね」
NBDU───National a Biohazard Defence a Unit (国際生物兵器災害防衛部隊)の略称であり、国連により開設された対生物兵器用の特殊機構の事をさす。
生物兵器といっても開設当時は人を死に至らせる迄の物だったので、その頃のNBDUは小規模な部隊だった。だが四年前に開発された生物兵器は死体を蘇らせ人を襲わせる最悪な物へと変化していたのだ。そのため対応を強化していったNBDUは次第に莫大な組織になっていったのだ。
そもそも元々澪次はNBDUの人間では無く、日本の陸上自衛隊所属の特殊部隊だった。
それがバイオテロが多発し出した二年前に、防衛省から派遣を受けてNBDUの隊員になったのだ。
──パキンッ
「なっ――」
足下から発せられた何かが割れる音に絶句しとっさに歩みを止める。
見ると靴の下には幾多にも渡るガラスの破片が転がっていた。床には不自然な月光が移っている事から、側の窓ガラスが割れ内側に飛び散ったのだろう。
問題はそこではない。
ゾンビとは基本『音』に反応するものだ。
即座に武器を小銃に切り替え全力で走り出した。
通路に奇声が響き渡った。
至る所の感染者が言葉にならない叫びを放ちながら澪次目掛けて疾走し出したからだ。
「くっ──!」
自分が走る通路を確保する最低限だけを撃ち、横から迫ってきたものには銃の尾頭部分で殴り倒す。
「──こちらNBDU003。奴らに気づかれた!応援はまだか!?」
気づかれた以上、無線を切っておく意味がない。本部に番号を合わせ、有らん限りに叫びながら問いかける。
《──こちらHQ。これより三十秒後に応援が駆けつける。衝撃の備えをしておけ》
「……衝撃?」
指示の意味が理解できず、首を傾げながらも辺りを走り回る。
それにしても――と澪次は思う。
通路と言われてはいるものの、いくら何でも広すぎる。
捕まることは避けたいため、円を描くように走っているのだが、その更に周りから確実に追い込まれている。
そして完全に壁に追いやられたが、彼は三十秒を数えきり、安堵していた。
その時、割れた窓の向こうからこちらに向かってくる明かりが見えた。
「って……衝撃ってそういうことぉ――!?」
明かりの正体に気づいた澪次は、無理やり体制の向きを変え壁の後ろに飛び込んだ。
──同時に窓ガラス周辺の一帯が爆撃で吹き飛び、武装した隊員が数人ロープで中に着地する。
「ナイトリバー隊、アレン・ブルーエリア以下九名応援に駆けつけました!夜瀬隊長……無事で何よりだ」
「君達のミサイルで死にそうになったけどね!?」
反応が一瞬でも遅れていたら今頃あの世に旅立っていただろう。
「総員、隊長を援護しつつヘリに乗り込め!」
アレンの指示によって、澪次の家族のような存在でもある武装隊員による一斉掃射が始まった。
次々と撃ち倒されていくが、それでもゾンビの接近はとまらない。何しろ数が多すぎる。
総員がヘリに乗り込んだのを確認するとヘリはビルを離れ始め、澪次とアレンは跳躍しヘリに飛び移った。
ヘリは銃弾を浴びせながらビルからゆっくりと離れていった。