十六夜の夜に
それはとある平安の屋敷。
笛の音が、隣室から聞こえてくる。
趣きある人なら、美しい音色に息をこぼしたかもしれない。
けれど、姫は顔を隠していた扇をとじて一言言い放った。
「五月蝿いわ。高子、五月蝿いからやめさせてきなさい」
「そんな、紅姫さま……!清道さまは毎日かよっていただいていますし……、なにより出世頭でありますよ?」
「わたくしが五月蝿いと言っているのよ?あなたのすることは、何かしら」
側仕えの高子は血相を変えて、隣室へ移った。
まったく、はじめからそうすればいいものを……。
わたくしはいずれ、帝にお仕えするのだから、凡庸な男の相手などしていられないのよ。
そして、十六夜の月。
なんとあろうことに、わたくしの部屋に侵入してきたのよ!
許せない、なんたる無礼!!
「おや、叫ばれますか?いいのですか?男と女が二人でいることを目撃されると、あなたの夢はどうなりますかね」
「卑怯者!」
「そうでもしないと、あなたは私すら見ないでしょう。あなたは私の顔、声、そして性格……知らないでしょう?」
ふと男を見上げると、眉がやさしい形をした、宮中では美青年と噂されるような男だった。
ようやくわたくしが彼自身を見たことに、満足そうに微笑む。
「私も、初めてあなたにお会い出来ました。御髪の美しいこと、珠のような肌、果実のような唇に、その勝気な眼差しがたまりませんね。また、来ます」
な、な、なんなの、この男!
歯の浮くような台詞をひっきりなしに!
それで心が動くような軽い女じゃないわ!!
わたくしは怒りのままに、これまで清道が送り付けてきた文を床に叩きつけ、踏みつける。
「お生憎様ね。わたくしはもっと有名になるの。だから、この程度の文では、わたくしの心は動かなくてよ?」
自分で最高と自負する作り笑いを浮かべ、文を踏み捻る。
わたくしの高圧的な視線に、彼は泣き出すどころか、お腹を抱えて笑い出してしまった。
「ハハハハハ、そうでなくては……。ますます落としがいがある」
にこりと笑う彼だけれども、目が笑っていない。
あら、わたくし眠れる獅子を起こしてしまったのかしら。
それが、わたくしが十のころの話。
今かしら?
それは、まぁ……。
「紅子、今日の服を頼む」
「清道、あなた自分でできるでしょう?」
「紅子が選んだ方が評判が良くてね」
「ふ、ふん!当たり前でしょ!今はこの色が旬だから……」
負けたなんて思わないわ、思わないんだから!
た、たまたま向こうがわたくしの目に叶うぐらい出世して、その……話も楽しくて……、好きに……なって……。
違うわよ!?負けてない、負けてないんだからね!!
「今日も、お勤めいってらっしゃいませ」
「ああ。紅子は身体に障らないようにな」
「当たり前じゃないの。あなたとの子……だもの」
彼はため息をついた。
「紅子、頼むから朝からそんな可愛いことを言わないでくれないか」
「なっ、ちがっ……!わたくしはそんなつもりじゃ……!」
「今日が大事な仕事がなければ、君を抱きしめて愛することができるのに。行ってくる」
「も、もう!!早く行って!」
わたくしは帝に仕えることはできなかったわ。
けれど、彼と寄り添うことが出来て、よかったと思うのよ。
好き、よ。清道。