【3】御形家へ
――――9年前。
「わたし、神月さまのお嫁さんになるの?」
「うん、私は伊吹をお嫁さんにしたい」
「そう……なんだ」
どうして私はあの時、下を向いたのだっけ。
だけど神月さまは優しく私の手を握ってくれた。
「神月さま」
それなら私は諦めるから。
何を……諦めるのだったの?
ピリッ。
しかしその時手の甲に痛みが走る。
『我は禍神』
恐ろしい厄災の神が思い出を塗り替えていく。消していく。
嫌だ。
嫌だ。
私は神月さまの……いや、違う。
神月さまにはもう……。
「伊吹」
「……」
「戻っておいで」
「禾守さま」
「俺に任せておけ」
優しい声に、現在に引き戻される。
しかしやっと訪れた心の平穏を引き裂くように絶叫が響く。
「ちょっと……何なのよ何なのよ!」
美ノ葉の嫉妬が限界まで達しようとしている。
「禍神よ!禍神に呪われたこの女の何がいいのよ!」
「呪い?んなもんどうだっていいだろ?俺は契約にそって伊吹を幸せにしてやる。それだけだ」
幸せ……。
「契約って……ソイツは18歳になったら禍神にっ」
「それが?禍神の専門家たる御形家なら問題ない。つまり伊吹はうちに来るべきだ」
守って……もらえるの?
禍神の専門家の御形家なら……。
「そういう事よ。だから明日、改めて伊吹ちゃんはうちが引き取ります。荷物の準備をしておいてくださる?」
阿矢女さんの言葉に、美ノ葉が悔しげに歯ぎしりをする。
「お前なんかがいなければ」
美ノ葉が神月さまの妻になれたと?しかしながら神月さまの隣に阿矢女さんは似合いすぎるのだ。
私ならあの間にはどうやったって入れない。
「あんた、生意気なのよ」
「そうだぞ!退魔師家では女は退魔師に尽くし次代に優秀な子孫を残すために奥ゆかしくするのが……」
お兄さまも加わるが。
「だから、何」
阿矢女さんは笑顔だ。
「私は退魔師に尽くすのではないの。夫には尽くすつもりだけど、私も退魔師なのだから奥ゆかしくなんて似合わないわ。退魔師として時には表立って戦うなんて当たり前でしょ」
え……阿矢女さんって退魔師なの!?
「まさか、女の退魔師を帝が認めるわけ……」
「あらあら、情報が古いのではなくて?地方では男だけでなく女も戦いながら分家を切り盛りしているの。昨今の情勢や私が御形家当主夫人であり退魔師であることを鑑みて女性退魔師は今後も認められることになるわ」
「そんなバカな!」
「なら帝の前で堂々と主張すればいいわ。皇后の専属退魔師もうちの分家や門下出身の女退魔師だから、その度胸があるのなら……ね?」
「ぐ……っ」
さすがのお兄さまもその度胸はなく、お父さまも悔しげに項垂れている。
まさか退魔師が女性にも門戸を開いていたなんて。
「そういう事だからよろしくね?」
「そうそう!ああ、愉快愉快。良い余興だな」
阿矢女さんの満面の笑みに楽しそうな禾守さま。
御形家は私が想像していたよりも……いや、知っているよりももっともっと開かれた退魔師家と言うことなのだろうか。
※※※
いよいよ明日は御形家に行けるのだ。
禍神のことも禾守さまは任せておけと言ってくれたし。阿矢女さんは……同じ女性としてどこか憧れるというか。神月さまはその様子を静かに見守っていたように思える。
私もあの輪の中に入れるの……?入っていいの……?
「……禾守さま」
「ちょっと、お義姉さま」
「……美ノ葉」
いつの間にか座敷牢の外に美ノ葉が立っていた。そしてお兄さまもだ。
「いい気にならないでよ」
「……」
「御形家なんかより、うちの方がよっぽどお金持ちなのよ。私は毎日のように晴れ着を買ってもらえるの!」
「……」
「きっとお義姉さまはこちらと同じ……いいえそれ以下!襤褸でも着せられて暮らすのよ!」
「……美ノ葉」
「何よ」
「うちの経済状況が悪いのは本当なんじゃないの?」
「はぁ?何を言ってるのよ!」
「あなたさっき、言ったじゃない。毎日晴れ着を買ってもらえるって。そんな生活毎日続けていたら……」
しかも義母のと合わせて2着分を毎日。
「経営難になるなんて当然じゃない」
「……るさいうるさいうるさい!そんなはずない!お兄さま!」
「あ……ああ」
反射的に頷くお兄さまだったが、歯切れが悪い。
やはりそれが事実なのだ。それなのにお兄さまは美ノ葉を溺愛するあまりそれを止めようともしない。
「そうよ……そうだわ、お義姉さま」
美ノ葉は必死に取り繕うように簪を外して見せてくる。
「……それ、お母さまの形見よね。放り投げたってのはウソだったの?」
「あったりまえじゃない!あんなの信じちゃって、しかも禍神の呪いを受けるなんて!お義姉さま……バッカじゃないの!?あっはははははっ」
下品な笑いがこだまする。
「能無しのお義姉さまの分際で、御形家に嫁ぐだなんて生意気なのよ!」
つまりは嫉妬でそんなことをしたのか。そんなことのために私はこの呪いの刻印を刻まれた。
「どうせ嫁いだってあやかしの餌にされるのよ!あの生意気な女退魔師に!」
阿矢女さんはそんなことをする女性には見えなかった。それに禾守さまもそんなことはさせないって。
信じたい気持ちとは裏腹に遠ざかっていく美ノ葉の笑い声がどんどんと精神をすり減らしていくのだ。
※※※
荷物などない。お母さまとの思い出の品は全て美ノ葉に取られてしまったから。
私は着物ひとつ身ひとつで嫁ぐのだ。
「ほら、早く来い!」
お父さまが乱暴に腕を引っ張る。
まだ御形家からの迎えは来ていないようだが。
「お前のような穢らわしい娘はとっとと……」
その時だった。
ガアァ
グォォ
ウオオオォッ
恐ろしい咆哮が襲い掛かってくる!
「禍神の災厄だ!逃げろ!」
お父さまに突き飛ばされてその場に倒れ込む。その隙にお父さまや義母、美ノ葉やお兄さまたちが本邸に逃げていく。
どうしよう……このままじゃ……っ。
「伊吹に触れるな、小物どもが!」
あの声とともに、刀があやかしたちを斬り裂く。
「禾守さま!」
「下がってな!」
「はい!」
禾守さまが残りのあやかしを斬り裂いていけば、向こうからも迫る白刃と共に凛々しい声が響く。
「あやかしが寄りまくってるじゃないの!結界もまともに張れないのかしらね!」
阿矢女さんが颯爽と刀であやかしを屠る。
「ほんと、何なのかしら。こんな狙ったようにあやかしが来るなんて。聞いてないわよ」
「奇遇だな、阿矢女。俺もだ」
「禾守さまの見立てじゃもう少し平和な引き渡しだったんだけどなぁ」
「ま、そこら辺の考察は人の子の方が向いている」
「はいはい、調査は任せてー。それよりも、伊吹ちゃん」
「は、はい、阿矢女さん!」
「念のため私も来て良かったよ。無事で良かった」
「あ、ありがとうございました!」
「いいのいいの。ま、禾守さまだけでもあの程度なら片付けてくれたと思うけどね。禾守さまの手を煩わせるのも気が引けるし」
禾守さまも優秀な退魔師なのか。
「あのぉっ!禾守さまぁっ!」
その時、パタパタと美ノ葉が駆けてくる。
「禾守さまぁっ!美ノ葉、怖かっ」
美ノ葉が禾守さまに抱きつこうとするのを阿矢女さんが阻止する。
「な、何なのよ!」
「何となく、アンタに禾守さまを汚されるみたいで嫌だわ」
「何ですって!?」
顔を烈火のごとく火照らせる美ノ葉。
「それより阿矢女、それか?」
「ええ、間違いないです。神月くんも言ってた昨日のと同じ簪」
「ああそれなら」
禾守さまが阿矢女さんの前にするりと出、美ノ葉の簪を髪から抜き取った。
「きゃ……っ、何をっ」
「これはお前のじゃない」
「はぁ!?私のよ!」
「悪いがうちの神月の目はごまかせねぇの」
「はぁ!?神月さまが何なのよ!」
「世の中にはなぁ、お前程度の霊力じゃぁ計り知れない霊力の持ち主ってのがいんだよ。お前……昨日神月に会ってそれすら分からなかったんだろ?」
「は……?」
「どういう事だ!」
後ろからお兄さまもやって来るが。
「あらあら、先が思いやられるわ」
阿矢女さんがため息をつく。
「まぁいい、帰るぞ」
「はーい、禾守さま。伊吹ちゃんも行きましょ」
「え、ええ」
呆然とするお兄さまたちを後に、私は御形家から来た馬車に乗り込む。
「ほら、伊吹」
「禾守さま」
私の手には懐かしい簪が握られている。
「お母さまの形見だったの」
「そうか、取り戻せてよかった」
「でもこれ……神月さまが?」
「ああ、アイツ。そう言うの分かるわだよ」
私はもう神月さまのお嫁さんになることはない。だけど神月さまは私のことを大切に思い続けていてくださだたのだろうか。
ああ、ごめんなさい。私はそんなあなたをずっと裏切るような期待ばかりしていたのだ。




