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爵位剥奪・処刑確定の悪役令嬢ですが、匿名掲示板を設置したら世論がひっくり返りました〜前世のインターネット知識、ここで全部使い切ります〜

作者: 桜木ひより
掲載日:2026/03/13

 まず、この物語を聞いてもらう前に、簡単に自己紹介をさせて頂きたい。


 わたくしの名前は、エリアーヌ・ヴォルテール。


 この国ラントシア王国において、ヴォルテール伯爵家の一人娘として生まれました。歳は十七歳。


 侯爵令嬢の上に立つ伯爵令嬢という立場は、社交界においてそれなりの力を持ちます。

 貴族語も、魔法の基礎も、政務の作法も一通り叩き込まれて育ちました。




 そして……私は前世の記憶を持っているのです。


 前の人生がどんなものだったかは、正直あまり関係ないですわ。

 前世の記憶を持っているといえども、細かなところまで覚えている訳ではありません。

 なんとなく、ふわっと記憶があるだけです。



 ただ、一つだけ重要なことがあって……

 この世界は、わたくしが前世で親しんだ「異世界転生」の物語に、非常によく似ている、ということです。




 この国には「聖女」がいる。


 そして、マナと呼ばれる魔力を持つ者が存在し、国中の「マナストーン」と呼ばれる石に魔力を宿すことで光や熱を生み出したり、遠距離の通信に使ったりしています。

街の至る所にある、拳ほどの大きさの青っぽい石ですね。


普段は街灯代わりに青白く光っているが、触れれば映像や文字を映し出す機能もある。

要するに、この世界の「通信端末」といったところです。



 そして聖女とは、そのマナストーンと深く共鳴できる特別な資質を持つ女性のことを言います。


 現在の聖女候補は、平民出身の少女リリィ・ソレイル。

 王太子アルフレートに見出されて以来、王城で保護されています。


 さて。

 この設定を聞いて「聖女候補と王子が恋に落ち、邪魔をした悪役令嬢が断罪される」という展開を想像した読者がいたなら……まあ大体正解ですわ。



 残念ながら、その「悪役令嬢」がこの、わたくしであるのですが。




 もっとも、身に覚えはまったくないのです。

わたくしはリリィの弱みを握ったことも、彼女に嫌がらせをしたことも、王子に呪詛を仕掛けたことも、国家転覆を企てたことも……神様がいるなら、誓って一度もないのです。


むしろリリィの相談を親身に聞いて、正直に言えば王子との恋愛を応援すらしていましたわ。



 だが、そんなことはどうでもいいらしく……


 前世の知識からひとつだけ確かなことを言うと……この手の物語において、事実は関係ありません。

 あるのは「物語の流れ」と「誰が悪役に見えるか」だけ。


 わたくしは「格の高い貴族令嬢」であり、「平民出身の聖女候補」の前に対立して立っている……

 それだけで、十分に悪役令嬢らしい。


 そして今、その「悪役令嬢の断罪」が、着々と進行している。





  ~断罪から一週間前 告発の日~


 それは、何でもない午後のことだった。

 散歩がてらに王宮の回廊を歩いていたわたくしの前に、近衛騎士が二名、立ち塞がった。


「エリアーヌ・ヴォルテール嬢。アルフレート第一王子殿下の御召しです」


 なんだか嫌な予感がした。王子に呼ばれること自体は珍しくない。


 だが、今日は違う。

 甲冑の隙間から見えた騎士は、なんだかいつもより険しい表情をしていた。




 玉座の間に入ると、アルフレート王子とリリィ・ソレイルが並んでいた。

 そして、三十名近い貴族たち。


「エリアーヌ・ヴォルテール」


 アルフレートの声は、冷たかった。

感情がないというのともまた違った……まるで私を格下に見ているような、そんな声色だった。



「そなたの悪行、この場で明らかにしてやろう。

聖女への嫌がらせ。王子への呪詛の試み。そして国家転覆の意図」


 リリィが王子の隣で俯いていた。涙を滲ませた、弱々しい横顔。

 ああ、そういうことか、とわたくしは本能で理解した。


「……弁明の機会を」


「不要だ」


 即答だった。一秒も考えなかった。


 貴族たちが囁き合う声が聞こえた。

 聞こえたのは同情の声ではない。処刑前夜の見物客のような、どことなく昂揚した囁き。




 その夜、部屋に戻ったわたくしを、シャルルが待っていた。


「お嬢様」


 彼の声は、いつもより低かった。

 それだけで、すべてを察したのだとわかった。


「……聞こえていたの」


「はい」


 シャルルはそれだけ言って、食事のトレイをテーブルに置いた。


手が、微かに震えていた。

二十歳そこそこの従者が、震えている。


当然だ。主人が裁判にかけられたのだから。


「お嬢様、食べてください」


「……食欲がないわ」


「……それでも、少しでもいいので食べてください」


 二度目は、少し固い声だった。

 わたくしは仕方なく椅子に座った。




~ 断罪から五日前 「証拠」の提示~


 正式な告発状が届いた。


 罪状は三つ。

「聖女への継続的な精神的嫌がらせ」「マナ陣を用いた王子への呪詛未遂」「貴族派閥への裏工作による国政干渉」。


証拠として添付されていたのは、「目撃者の証言書」が十七通。

全員が、リリィの取り巻きか、王子の近臣だった。


「……よくできているわね」


 わたくしは淡々と書類をめくった。

嘘の証言は、本物らしく書けば書くほど笑えてくる。


誰かがずいぶん丁寧に時間をかけたのでしょうね。


「お嬢様」


 シャルルが書類を覗き込もうとした。

 わたくしは手で制した。


「見なくていいわ」


「なぜです」


「……あなたが怒るから」


 シャルルが黙った。それで十分だった。


 弁明のための文書を作成して、議会宛に送った。

 三日後、「受理しないことを決定した」という通達が返ってきた。

もちろん、王子からの圧力だった。


 その夜、シャルルが書斎に来た。


「お嬢様、一つだけ聞いてもいいですか」


「なに」


「……逃げることは、考えていますか」


 わたくしは手を止めた。


「国外へ、ということ?」


「はい……どうにか私の伝手で、南の港まで馬を手配できます。今なら、まだ……」


 シャルルの目は真剣だった。いや、必死だった。

これは彼女が、この数日間ずっと考えていてくれたことだ。私のために。


 わたくしはしばらく考えた。


「逃げると、あなたの家族が危うくなるわ」


「構いません」


「構うわよ」


 短く言った。シャルルは黙った。


「それに」私はペンを置いた。



「逃げたら、わたくしが本当に有罪だったことになる。……それだけは、嫌よ」





~3日前——判決の確定~


 第二回の審問は、二時間で終わった。


 「物的証拠がない」という議会側の指摘は、「聖女の証言が何より重い」という一言で却下された。最後に、アルフレートが言った。


「断罪式は七日後、王宮第三の間にて執り行う。判決は——爵位剥奪、並びに処刑とする」


 広間が静まり返った。誰も異議を唱えなかった。


 帰り道、回廊を歩くわたくしの後ろを、シャルルが黙ってついてきた。

玄関を出て、馬車に乗り込んで、屋敷に戻るまで、ずっと黙っていた。


 部屋に入った瞬間、シャルルが言った。


「……お嬢様」


「なに」


「申し訳、ありません」


 振り返ると、シャルルが頭を下げていた。

深く、一言一言を噛み締めるように。


「私が、もっと早くに何かできれば……審問の場で証言できる者を集められれば……」


「いいわ」


「でも」


「いいのよ、シャルル」


 わたくしは彼女の前に立った。


「あなたのせいじゃない。最初から、こうなるように設計されていたのだから」


 シャルルは顔を上げた。

目が、赤かった。泣いていたのか、泣くのをこらえているのか、どちらかはわからない。


「……諦めるのですか」


「諦めてないわ」


 わたくしは机の引き出しを開けた。

中には、一ヶ月前から密かに手を入れていた家伝の魔法書があった。


「まだ、時間はあるわ」






~その日の夜~




「お嬢様」


 シャルルが蒼白な顔で立っている。

手元には家伝の魔法書。三十分前から同じページで固まっている。


「本当に、起動するのですか。これを」


「するわ」


 わたくしは魔法書を受け取った。

それはヴォルテール家に代々伝わる禁術に近い紋章魔法。



本来の用途は「民の声を神に届ける通信魔法」とある。


その魔法をわたくしが一ヶ月かけて改造した。

国中のマナストーンを全て接続して、誰でも匿名で書き込める情報広場を作る。


「お嬢様、これは違法では」


「管理人は匿名でやるから問題ないわ」


「問題しかないです。それに……」シャルルが声を落とした。


「万が一、失敗したら……それはその、命が……」


「わかってるわ」


 短く遮ると、シャルルは黙った。

 わかっている。失敗すれば、情報操作の罪で断罪の根拠がさらに一つ増える。

そもそも今夜、これが起動するかどうかすら、わからない。


改造は理論上は正しいはずだが、「理論上」と「実際に動く」の間の溝を、わたくしは今まさに跳び越えようとしている。


 恐ろしくないかと言えば、嘘になる。

 でも、泣いても怒っても、明日は変わらない。


 わたくしは迷わず術式を展開した——起動。


 次の瞬間、王都ラントシア中のマナストーンが一斉に白く光った。




◆◆◆掲示板「神託の広場」へようこそ◆◆◆

誰でも・無料で・匿名で書き込めます。

常識の範囲でお楽しみください。

          ――管理人より





 画面に表示されたその文字を見た瞬間、シャルルがへなへなと床に膝をついた。


「動いた……動きましたよ、お嬢様……!」


「当然よ。計算通りに」


 声は平静を保った。

でも、足元が少し震えているのは気のせいにした。


 三分後、最初のスレッドが立った。


---

【急報】変なものが届いたのだが

1: どこかの民 マナストーンが光って文字が出てきた。誰かわかるか

2: どこかの民 こちらにも届いた。書き込めるのか、これは

3: どこかの民 書いたら……危険ではないのか? 罰せられないか

4: どこかの民 そんな法はないはず

5: どこかの民 でも誰が見ているかわからないし……

6: どこかの民 名前が「どこかの民」になっておる。誰にもわからんのか

7: どこかの民 わからんらしいが……本当にそうなの?

8: どこかの民 信用できるのか、これは


---


「お嬢様、王都が騒いでいます」シャルルが窓の外を見ながら言った。


石を手に困惑した顔の人々が、通りで互いに顔を見合わせている。


「でも……みんな、書き込むのをためらっていますね」


「当然ね」


 わたくしは窓の端から外を見た。王都の人間が、突然見知らぬものを信じるはずがない。


誰だって怖い。

匿名と言われても、本当に匿名なのか確かめる方法がない。管理人が誰かもわからない。


 だから最初は、誰も動かない。それはわかっていた。


 問題は、この沈黙がどこまで続くか、だ。


---

【変なものが来たのだが その二】

12: どこかの民 隣の村にも届いたぞ。国中のものか

13: どこかの民 書き込んだ者は名前が出ないのか、本当に

14: どこかの民 試しに書いてみた。確かに「どこかの民」になっておる

15: どこかの民 書いた内容まで見えるのか

16: どこかの民 誰でも見られるようだ

17: どこかの民 ……では、本当に匿名か

18: どこかの民 本当にそうなら……すごいものだな

19: どこかの民 誰が作ったのだ、これを


---


「少しずつ、書き込みが増えていますね」


 シャルルが画面を覗き込んで言った。

まだ恐る恐る、という様子ではある。それでも、確かに増えている。


「人間は、まず一人が試す。そしてその人間が無事ならば、二人目が試す」

わたくしはそう説明した。



「安全だとわかってから、初めて本音が出てくるのよ」


「では、今は……まだ準備段階ということですか」


「ええ」


 一晩が経過した。


---

【この広場は罠?】

1: どこかの民 この「広場」とやら、王家が国民の情報を収集するための罠ではないのか

3: どこかの民 それは俺も考えた

9: どこかの民 だが、罠にしては使いづらくないか?書いた者がわからないなら意味がないじゃないか

14: どこかの民 逆に言えば、書いた者を追えないから設置したのかもしれない

17: どこかの民 管理人が誰かも、まだわからないのか?

20: どこかの民 わからん。名乗り出る気もないようだな

21: どこかの民 それがまた怪しいわね

27: どこかの民 だが今のところ…ここに書いた者が罰せられた、という話は聞かないが


---


 二日が経った。


---

【そういえば孤児院の件知っているか?

1: どこかの民 あの聖女殿の名前が出ていた件だ

12: どこかの民 知っておる。だが、ここに書いてよいものか

17: どこかの民 書いた者は今のところ何も無いらしいけど……

20: どこかの民 ……怖いな

22: どこかの民 そうですね。もう少し待った方がいいかも。

29: どこかの民 とはいえ、あの帳簿の話は本当か偽かくらいは確かめたいな

31: どこかの民 誰か知っている者はおるか?


---


「お嬢様」シャルルが真剣な顔で言った。


「国民は疑っています。この場所もそうですが……あの告発文も、誰かが仕掛けた罠ではないかと」


「そうね」


 わたくしは手帳から目を離さずに答えた。


「では、どうするのですか」


「待つのよ。急げば、怪しまれる。怪しまれたら、見てもらえない」


 焦れた気持ちはある。断罪式まで、もう時間がない。

それでも、いで押し込んだ情報を、人間は信じない。


疑いの流れを焦って変えようとすれば、かえって逆効果だ。


 かつて前世のどこかで読んだことがある気がする。

情報は、出した者が制御できなくなった瞬間に、初めて本物になる…と。


 三日目の朝。


---

【昨日、孤児院の院長に直接聞いてきた】

1: どこかの民 例の帳簿の件だ。本人に確認してきたわ

12: どこかの民 なんていってた?

23: どこかの民 泣きながら「本物だ」って言ってた

27: どこかの民 ……本当に?

31: どこかの民 実は私も聞きに行った。同じようなことを言われた

41: どこかの民 二人が確認した、ということか

49: どこかの民 では……あの書き込みは、本当のことだったのか

51: どこかの民 そうなると、聖女様は……

69: どこかの民 まだ断定はできない。だが、確かめた者が複数いる、ということは確かだ


---


 シャルルが、声を上げた。


「お嬢様! 国民が自分で動いて確かめています……!」


「ええ」


 わたくしは窓の外を見た。

まだ夜が明けたばかりの王都の通りで、人々が石を手に何かを話し合っている。


最初の一人が院長に会いに行った。

その書き込みを見て、別の誰かが確かめに行った。


もちろんわたくしは何もしていない。


 これが、信頼というものの伝わり方だ。

誰かが押し付けたのではなく、誰かが積み重ねた。


 管理人としてわたくしがしたことは、あとひとつだけだ。


 三日前から収集していた証拠を、「匿名の告発文」として静かに投下した。


 リリィ・ソレイルの孤児院横領帳簿の写し、聖女試験の不正記録、王子への虚偽申告の内容。

ただそれだけをこの広場に置いた。


---

【告発】聖女試験に不正あり。証拠あり

1: どこかの民 帳簿の写しを入手した。誰か見てくれないか?

11: どこかの民 ……先日の孤児院の件と関係があるのか

13: どこかの民 数字を確認した。合ってないな

24: どこかの民 孤児院の運営費、まるまる消えてないか?

25: どこかの民 でも聖女殿の署名がありますよ?

27: どこかの民 これは本物

31: どこかの民 院長に確認した人はいるか?

44: どこかの民 ここにいる。院長は「全て本当だ」と言っていたぞ

50: どこかの民 ……なんということだ

53: どこかの民 この広場ができてから三日。嘘を書いた者が罰せられたという話はないが…

61: どこかの民 確かめた者が複数いる証言なんだろう?じゃあ本当なんじゃないか?

70: どこかの民 じゃあ聖女様が横領してるってこと?

102: どこかの民 それはあり得ないだろう、聖女様だぞ

270: どこかの民 でもなんだか怪しいしな

310: どこかの民 聖女様は悪くない!悪いのは全部あの悪徳令嬢よ!

315: どこかの民 ご本人様登場か?w

---


 わたくしは何もしていない。証拠を置いただけだ。

 あとは国民が自分で読んで、自分で考える。


 それだけのことだが…その「それだけ」が本当に機能するのかどうか、わたくしには確信がなかった。


 人間を信じる、ということの怖さを、この夜ほど思い知ったことはない。



 深夜、シャルルが眠った後、わたくしは一人で手帳を開いた。

 誰にも見せない言葉を、ただそこに記した。


 「正しい情報を出せば、人は正しく動く。本当にそうでしょうか?

明日、まちがっていたら。誰も動かなかったら」


 そして閉じた。明日、正しければそれでいい。ただそれだけだ。


 翌朝には「聖女横領スレ」の閲覧数が止まらなくなっていた。


---

【実況】聖女殿、今日も王子の前で泣いてるんだが

1: どこかの民 今週だけで三回目だぞ

21: どこかの民 毎回同じ顔をしてるな

24: どこかの民 横領の件はどうなった?

31: どこかの民 こういう女が一番タチが悪い

45: どこかの民 知ろうとしてないんじゃない?それか騙されてるか

56: どこかの民 それが一番まずいな


---


「お嬢様」シャルルが震える声で言った。

「怒っていないのですか。明日処刑されるかもしれないのに」


 わたくしはしばし考えた。怒っているか。

 正直に言えば——少しは怒っている。

 いや、三年間ずっと怒り続けてきた。


ただ、それを言葉にした瞬間に崩れそうで、ずっと飲み込んできただけだ。


「正しい情報は、ちゃんと残しておかないといけないでしょう」


 それだけ言った。


 シャルルは何も言わなかった。ただ、静かに深く頭を下げた。


「……ありがとうございます、お嬢様。私を、最後まで連れてきてくださって」


 その言葉に胸が詰まった。

わたくしは返事をしなかった。できなかった。



そして夜が、明けた。




 断罪式の朝。


 第三の間には三十二名が揃っていた。


 王子アルフレートが壇上に立つ。金髪碧眼の美貌は今日も絵になる。

 

だがその目は感情で曇っていて、証拠を見る気などさらさらないことは顔を見ればわかった。


「エリアーヌ・ヴォルテール。そなたの数々の悪行、今こそこの場で裁く!」


 その瞬間、広間全員のマナストーンが光り、掲示板が更新される。


---

【速報・国民全員必見】断罪式、ついに始まる

11: どこかの民 王子、怒鳴ってますね

60: どこかの民 令嬢殿は微動だにしていません

101: どこかの民 令嬢殿の悪行とやら、証拠は何があるのだ?

405: どこかの民 「聖女がそう言っていた」しか言わないな

610: どこかの民 それは証拠とは言えない!

819: どこかの民 横領帳簿の件はどうなった?

989: どこかの民 王子は何もわかってないんじゃないの?

1008: どこかの民 知らん顔してるな


---


 リリィが王子の隣で涙をにじませた。

いつもの顔だ。か弱く、傷ついた顔。三年間、何度も見た。


 けれど、今日は少し違う何かが、その表情の奥に見えた。追い詰められた者の顔。


「ち、違います! わたし、なにも……!」


 広間の端で老貴族が立ち上がった。ヴォルテール派の男爵。静かに、しかしよく通る声で言う。


「聖女殿。孤児院の帳簿の件について、議会として確認を求めております」


---

1204: どこかの民 帳簿の話キタ!

1795: どこかの民 聖女殿の顔色めっちゃ悪くなってる

2026: どこかの民 王子は気付いてる?

3097: どこかの民 気づいていないぽい

4108: どこかの民 それが一番まずいな


---


「黙れ! これはエリアーヌの罪を裁く場だ!」


 王子が怒鳴った。

 しかし、その後、広間が静まり返った時、アルフレートの目が一瞬だけ手元のマナストーンに落ちた。

数十万の文字が流れていく画面。



彼はすぐに目を逸らしたが、逸らした、ということ自体が、すでに答えだった。


 わたくしは静かに口を開いた。


「証拠はありますか」


「なに?」


「わたくしの罪状の、証拠が。この場に三十二名、そして広場の向こうに国民がおります。ぜひ提示してください」


---

4601: どこかの民 令嬢殿が喋った

5002: どこかの民 証拠を出せ 当然だ

6987: どこかの民 王子殿、答えられるか

7001: どこかの民 黙っててワロタ

8219: どこかの民 だんまりですか

9111: どこかの民 これが次の王か…頼りない

9822: どこかの民 はよ辞任してもろて


---


沈黙が広間を支配している。

王子の顔が歪んだ。怒りなのか焦りなのか、見分けもつかない色に。


「こ、これはエリアーヌが仕組んだ罠だ! この掲示板とやらも、全部エリアーヌが――」


「証拠はありますか」


 わたくしはもう一度だけ、同じことを言った。静かに。穏やかに。


---

100021: どこかの民 また「証拠はありますか」と言ったな

101092: どこかの民 二回目だ

111630: どこかの民 令嬢殿の言うことは筋が通っておる

148842: どこかの民 王子殿は一度も筋の通ったことを言っておらぬ

152250: どこかの民 次の王がこれでよいのか

170065: どこかの民 よくない

189076: どこかの民 俺が王になったほうがまだマシだ


---


「緊急動議を提出いたします」


 老男爵が立ち上がった。背後に貴族議員が続く。


「今回の断罪式の正当性、ならびにアルフレート第一王子殿下の判断能力について、議会として審議を要求いたします。国民四十万が見守るこの場にて」


「貴様ら、俺に逆らうのか!」


---

200111: どこかの民 王子殿、また怒鳴った

221112: どこかの民 もう終わりでは

236132: どこかの民 令嬢殿は一度も怒鳴っておられないのに……

239164: どこかの民 だから令嬢殿のほうが正しいのだ。それだけの話だ

243185: どこかの民 感情的に怒鳴るとは…なんて恥ずかしい


---


 その時、リリィがその場に膝をついた。


 涙が頬を伝う。しかしそれは、いつもの「被害者の涙」とは違う色をしていた。


「……わたし、は」


 彼女は震える唇を開いた。


「怖かったの。この場所を失うのが。

聖女じゃなくなったら、わたしは何もない平民に逆戻りで……だから、だから……」



 その声は細く、広間によく通った。

 嘆願ではなかった。自白に近かった。



 アルフレートが息を呑む気配がした。彼は、知らなかったのかもしれない。


 リリィが何に怯えていたか、本当のことを。

 守ろうとした相手が、そこまで追い詰められていたことを。


 だが今日、この涙に動かされる者は誰もいなかった。

 マナストーンを通して、四十万の目が見ていたから。






 後日。


 アルフレート第一王子は王位継承権を停止され謹慎処分。

 リリィ・ソレイルは聖女の称号を剥奪、孤児院横領の件で審問を受けることとなった。


 ヴォルテール伯爵家への断罪要求は全面撤回。

 わたくしの爵位は完全に保全された。


 書類の束が届いた夕方、わたくしは一人で執務室に座り、それらを眺めた。

 勝った、と言えば勝った。生きた、と言えば生きた。

 ただ、思ったよりも静かな気持ちだった。


 でも、だからといって何も失わなかったわけではない。

 

三年分の疲労が、ようやく今になって体の芯に沈んでいくのを、私は感じていた。


「お嬢様」


 シャルルが報告書を持ってきた。


「神託の広場、本日のアクティブ書き込みは五十万件を突破いたしました」


「そう」


「あの……最後に一つだけ聞いてもよいですか」


「なに」


「お嬢様は、最初から全部わかっておられたのですか」



 わたくしは少し考えた。

正確に言えば、確信はなかった。賭けだった。


 人間が正しい情報を前にして理性的に動くかどうか、それだけは計算できなかった。


 でも……


「人間は、本音を言える場所を与えられれば、だいたい正しい方向に動くものよ」


 そう言って、窓の外を見た。

どこかで新しいスレッドが生まれている。


---

【感謝】管理人殿に礼が言いたい

1: どこかの民 この広場がなければ今頃どうなっていたか

2: どこかの民 管理人が誰かは知らぬが

3: どこかの民 ありがとうと伝えたい

4: どこかの民 ありがとう

5: どこかの民 ありがとう

6: どこかの民 ありがとう


---


 誰にも気づかれないように、わたくしはほんの少しだけ微笑んだ。


「シャルル」


「はい」


「明日から、この広場の運営規約を作りましょう。

匿名で嘘も書けるのだから、管理者がいないとすぐ荒れはててしまうわ。……長い仕事になりそうよ」


「……お嬢様」


「なに?」


「怒ってもいいんですよ」


 シャルルの声が、静かに震えていた。


「ずっとずっと、理不尽な目に遭い続けて、ずっと一人で戦って……怒っていいんです。

泣いていいんです。私は…ずっとお嬢様のそばにいますから」


 その言葉に、何かが溶けた。


 三年間。処刑の恐怖も、孤立も、誰かに話したことがなかった。

その感情は話す必要はないと思っていたから。


「……うるさいわね」


 声が震えてしまった。我ながら情けない。

 シャルルは黙った。ただ、その場を離れず、私のそばにいてくれた。


 マナストーンが、かすかに光った。


【完】


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