爵位剥奪・処刑確定の悪役令嬢ですが、匿名掲示板を設置したら世論がひっくり返りました〜前世のインターネット知識、ここで全部使い切ります〜
まず、この物語を聞いてもらう前に、簡単に自己紹介をさせて頂きたい。
わたくしの名前は、エリアーヌ・ヴォルテール。
この国ラントシア王国において、ヴォルテール伯爵家の一人娘として生まれました。歳は十七歳。
侯爵令嬢の上に立つ伯爵令嬢という立場は、社交界においてそれなりの力を持ちます。
貴族語も、魔法の基礎も、政務の作法も一通り叩き込まれて育ちました。
そして……私は前世の記憶を持っているのです。
前の人生がどんなものだったかは、正直あまり関係ないですわ。
前世の記憶を持っているといえども、細かなところまで覚えている訳ではありません。
なんとなく、ふわっと記憶があるだけです。
ただ、一つだけ重要なことがあって……
この世界は、わたくしが前世で親しんだ「異世界転生」の物語に、非常によく似ている、ということです。
この国には「聖女」がいる。
そして、マナと呼ばれる魔力を持つ者が存在し、国中の「マナストーン」と呼ばれる石に魔力を宿すことで光や熱を生み出したり、遠距離の通信に使ったりしています。
街の至る所にある、拳ほどの大きさの青っぽい石ですね。
普段は街灯代わりに青白く光っているが、触れれば映像や文字を映し出す機能もある。
要するに、この世界の「通信端末」といったところです。
そして聖女とは、そのマナストーンと深く共鳴できる特別な資質を持つ女性のことを言います。
現在の聖女候補は、平民出身の少女リリィ・ソレイル。
王太子アルフレートに見出されて以来、王城で保護されています。
さて。
この設定を聞いて「聖女候補と王子が恋に落ち、邪魔をした悪役令嬢が断罪される」という展開を想像した読者がいたなら……まあ大体正解ですわ。
残念ながら、その「悪役令嬢」がこの、わたくしであるのですが。
もっとも、身に覚えはまったくないのです。
わたくしはリリィの弱みを握ったことも、彼女に嫌がらせをしたことも、王子に呪詛を仕掛けたことも、国家転覆を企てたことも……神様がいるなら、誓って一度もないのです。
むしろリリィの相談を親身に聞いて、正直に言えば王子との恋愛を応援すらしていましたわ。
だが、そんなことはどうでもいいらしく……
前世の知識からひとつだけ確かなことを言うと……この手の物語において、事実は関係ありません。
あるのは「物語の流れ」と「誰が悪役に見えるか」だけ。
わたくしは「格の高い貴族令嬢」であり、「平民出身の聖女候補」の前に対立して立っている……
それだけで、十分に悪役令嬢らしい。
そして今、その「悪役令嬢の断罪」が、着々と進行している。
~断罪から一週間前 告発の日~
それは、何でもない午後のことだった。
散歩がてらに王宮の回廊を歩いていたわたくしの前に、近衛騎士が二名、立ち塞がった。
「エリアーヌ・ヴォルテール嬢。アルフレート第一王子殿下の御召しです」
なんだか嫌な予感がした。王子に呼ばれること自体は珍しくない。
だが、今日は違う。
甲冑の隙間から見えた騎士は、なんだかいつもより険しい表情をしていた。
玉座の間に入ると、アルフレート王子とリリィ・ソレイルが並んでいた。
そして、三十名近い貴族たち。
「エリアーヌ・ヴォルテール」
アルフレートの声は、冷たかった。
感情がないというのともまた違った……まるで私を格下に見ているような、そんな声色だった。
「そなたの悪行、この場で明らかにしてやろう。
聖女への嫌がらせ。王子への呪詛の試み。そして国家転覆の意図」
リリィが王子の隣で俯いていた。涙を滲ませた、弱々しい横顔。
ああ、そういうことか、とわたくしは本能で理解した。
「……弁明の機会を」
「不要だ」
即答だった。一秒も考えなかった。
貴族たちが囁き合う声が聞こえた。
聞こえたのは同情の声ではない。処刑前夜の見物客のような、どことなく昂揚した囁き。
その夜、部屋に戻ったわたくしを、シャルルが待っていた。
「お嬢様」
彼の声は、いつもより低かった。
それだけで、すべてを察したのだとわかった。
「……聞こえていたの」
「はい」
シャルルはそれだけ言って、食事のトレイをテーブルに置いた。
手が、微かに震えていた。
二十歳そこそこの従者が、震えている。
当然だ。主人が裁判にかけられたのだから。
「お嬢様、食べてください」
「……食欲がないわ」
「……それでも、少しでもいいので食べてください」
二度目は、少し固い声だった。
わたくしは仕方なく椅子に座った。
~ 断罪から五日前 「証拠」の提示~
正式な告発状が届いた。
罪状は三つ。
「聖女への継続的な精神的嫌がらせ」「マナ陣を用いた王子への呪詛未遂」「貴族派閥への裏工作による国政干渉」。
証拠として添付されていたのは、「目撃者の証言書」が十七通。
全員が、リリィの取り巻きか、王子の近臣だった。
「……よくできているわね」
わたくしは淡々と書類をめくった。
嘘の証言は、本物らしく書けば書くほど笑えてくる。
誰かがずいぶん丁寧に時間をかけたのでしょうね。
「お嬢様」
シャルルが書類を覗き込もうとした。
わたくしは手で制した。
「見なくていいわ」
「なぜです」
「……あなたが怒るから」
シャルルが黙った。それで十分だった。
弁明のための文書を作成して、議会宛に送った。
三日後、「受理しないことを決定した」という通達が返ってきた。
もちろん、王子からの圧力だった。
その夜、シャルルが書斎に来た。
「お嬢様、一つだけ聞いてもいいですか」
「なに」
「……逃げることは、考えていますか」
わたくしは手を止めた。
「国外へ、ということ?」
「はい……どうにか私の伝手で、南の港まで馬を手配できます。今なら、まだ……」
シャルルの目は真剣だった。いや、必死だった。
これは彼女が、この数日間ずっと考えていてくれたことだ。私のために。
わたくしはしばらく考えた。
「逃げると、あなたの家族が危うくなるわ」
「構いません」
「構うわよ」
短く言った。シャルルは黙った。
「それに」私はペンを置いた。
「逃げたら、わたくしが本当に有罪だったことになる。……それだけは、嫌よ」
~3日前——判決の確定~
第二回の審問は、二時間で終わった。
「物的証拠がない」という議会側の指摘は、「聖女の証言が何より重い」という一言で却下された。最後に、アルフレートが言った。
「断罪式は七日後、王宮第三の間にて執り行う。判決は——爵位剥奪、並びに処刑とする」
広間が静まり返った。誰も異議を唱えなかった。
帰り道、回廊を歩くわたくしの後ろを、シャルルが黙ってついてきた。
玄関を出て、馬車に乗り込んで、屋敷に戻るまで、ずっと黙っていた。
部屋に入った瞬間、シャルルが言った。
「……お嬢様」
「なに」
「申し訳、ありません」
振り返ると、シャルルが頭を下げていた。
深く、一言一言を噛み締めるように。
「私が、もっと早くに何かできれば……審問の場で証言できる者を集められれば……」
「いいわ」
「でも」
「いいのよ、シャルル」
わたくしは彼女の前に立った。
「あなたのせいじゃない。最初から、こうなるように設計されていたのだから」
シャルルは顔を上げた。
目が、赤かった。泣いていたのか、泣くのをこらえているのか、どちらかはわからない。
「……諦めるのですか」
「諦めてないわ」
わたくしは机の引き出しを開けた。
中には、一ヶ月前から密かに手を入れていた家伝の魔法書があった。
「まだ、時間はあるわ」
~その日の夜~
「お嬢様」
シャルルが蒼白な顔で立っている。
手元には家伝の魔法書。三十分前から同じページで固まっている。
「本当に、起動するのですか。これを」
「するわ」
わたくしは魔法書を受け取った。
それはヴォルテール家に代々伝わる禁術に近い紋章魔法。
本来の用途は「民の声を神に届ける通信魔法」とある。
その魔法をわたくしが一ヶ月かけて改造した。
国中のマナストーンを全て接続して、誰でも匿名で書き込める情報広場を作る。
「お嬢様、これは違法では」
「管理人は匿名でやるから問題ないわ」
「問題しかないです。それに……」シャルルが声を落とした。
「万が一、失敗したら……それはその、命が……」
「わかってるわ」
短く遮ると、シャルルは黙った。
わかっている。失敗すれば、情報操作の罪で断罪の根拠がさらに一つ増える。
そもそも今夜、これが起動するかどうかすら、わからない。
改造は理論上は正しいはずだが、「理論上」と「実際に動く」の間の溝を、わたくしは今まさに跳び越えようとしている。
恐ろしくないかと言えば、嘘になる。
でも、泣いても怒っても、明日は変わらない。
わたくしは迷わず術式を展開した——起動。
次の瞬間、王都ラントシア中のマナストーンが一斉に白く光った。
◆◆◆掲示板「神託の広場」へようこそ◆◆◆
誰でも・無料で・匿名で書き込めます。
常識の範囲でお楽しみください。
――管理人より
画面に表示されたその文字を見た瞬間、シャルルがへなへなと床に膝をついた。
「動いた……動きましたよ、お嬢様……!」
「当然よ。計算通りに」
声は平静を保った。
でも、足元が少し震えているのは気のせいにした。
三分後、最初のスレッドが立った。
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【急報】変なものが届いたのだが
1: どこかの民 マナストーンが光って文字が出てきた。誰かわかるか
2: どこかの民 こちらにも届いた。書き込めるのか、これは
3: どこかの民 書いたら……危険ではないのか? 罰せられないか
4: どこかの民 そんな法はないはず
5: どこかの民 でも誰が見ているかわからないし……
6: どこかの民 名前が「どこかの民」になっておる。誰にもわからんのか
7: どこかの民 わからんらしいが……本当にそうなの?
8: どこかの民 信用できるのか、これは
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「お嬢様、王都が騒いでいます」シャルルが窓の外を見ながら言った。
石を手に困惑した顔の人々が、通りで互いに顔を見合わせている。
「でも……みんな、書き込むのをためらっていますね」
「当然ね」
わたくしは窓の端から外を見た。王都の人間が、突然見知らぬものを信じるはずがない。
誰だって怖い。
匿名と言われても、本当に匿名なのか確かめる方法がない。管理人が誰かもわからない。
だから最初は、誰も動かない。それはわかっていた。
問題は、この沈黙がどこまで続くか、だ。
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【変なものが来たのだが その二】
12: どこかの民 隣の村にも届いたぞ。国中のものか
13: どこかの民 書き込んだ者は名前が出ないのか、本当に
14: どこかの民 試しに書いてみた。確かに「どこかの民」になっておる
15: どこかの民 書いた内容まで見えるのか
16: どこかの民 誰でも見られるようだ
17: どこかの民 ……では、本当に匿名か
18: どこかの民 本当にそうなら……すごいものだな
19: どこかの民 誰が作ったのだ、これを
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「少しずつ、書き込みが増えていますね」
シャルルが画面を覗き込んで言った。
まだ恐る恐る、という様子ではある。それでも、確かに増えている。
「人間は、まず一人が試す。そしてその人間が無事ならば、二人目が試す」
わたくしはそう説明した。
「安全だとわかってから、初めて本音が出てくるのよ」
「では、今は……まだ準備段階ということですか」
「ええ」
一晩が経過した。
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【この広場は罠?】
1: どこかの民 この「広場」とやら、王家が国民の情報を収集するための罠ではないのか
3: どこかの民 それは俺も考えた
9: どこかの民 だが、罠にしては使いづらくないか?書いた者がわからないなら意味がないじゃないか
14: どこかの民 逆に言えば、書いた者を追えないから設置したのかもしれない
17: どこかの民 管理人が誰かも、まだわからないのか?
20: どこかの民 わからん。名乗り出る気もないようだな
21: どこかの民 それがまた怪しいわね
27: どこかの民 だが今のところ…ここに書いた者が罰せられた、という話は聞かないが
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二日が経った。
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【そういえば孤児院の件知っているか?
1: どこかの民 あの聖女殿の名前が出ていた件だ
12: どこかの民 知っておる。だが、ここに書いてよいものか
17: どこかの民 書いた者は今のところ何も無いらしいけど……
20: どこかの民 ……怖いな
22: どこかの民 そうですね。もう少し待った方がいいかも。
29: どこかの民 とはいえ、あの帳簿の話は本当か偽かくらいは確かめたいな
31: どこかの民 誰か知っている者はおるか?
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「お嬢様」シャルルが真剣な顔で言った。
「国民は疑っています。この場所もそうですが……あの告発文も、誰かが仕掛けた罠ではないかと」
「そうね」
わたくしは手帳から目を離さずに答えた。
「では、どうするのですか」
「待つのよ。急げば、怪しまれる。怪しまれたら、見てもらえない」
焦れた気持ちはある。断罪式まで、もう時間がない。
それでも、いで押し込んだ情報を、人間は信じない。
疑いの流れを焦って変えようとすれば、かえって逆効果だ。
かつて前世のどこかで読んだことがある気がする。
情報は、出した者が制御できなくなった瞬間に、初めて本物になる…と。
三日目の朝。
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【昨日、孤児院の院長に直接聞いてきた】
1: どこかの民 例の帳簿の件だ。本人に確認してきたわ
12: どこかの民 なんていってた?
23: どこかの民 泣きながら「本物だ」って言ってた
27: どこかの民 ……本当に?
31: どこかの民 実は私も聞きに行った。同じようなことを言われた
41: どこかの民 二人が確認した、ということか
49: どこかの民 では……あの書き込みは、本当のことだったのか
51: どこかの民 そうなると、聖女様は……
69: どこかの民 まだ断定はできない。だが、確かめた者が複数いる、ということは確かだ
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シャルルが、声を上げた。
「お嬢様! 国民が自分で動いて確かめています……!」
「ええ」
わたくしは窓の外を見た。
まだ夜が明けたばかりの王都の通りで、人々が石を手に何かを話し合っている。
最初の一人が院長に会いに行った。
その書き込みを見て、別の誰かが確かめに行った。
もちろんわたくしは何もしていない。
これが、信頼というものの伝わり方だ。
誰かが押し付けたのではなく、誰かが積み重ねた。
管理人としてわたくしがしたことは、あとひとつだけだ。
三日前から収集していた証拠を、「匿名の告発文」として静かに投下した。
リリィ・ソレイルの孤児院横領帳簿の写し、聖女試験の不正記録、王子への虚偽申告の内容。
ただそれだけをこの広場に置いた。
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【告発】聖女試験に不正あり。証拠あり
1: どこかの民 帳簿の写しを入手した。誰か見てくれないか?
11: どこかの民 ……先日の孤児院の件と関係があるのか
13: どこかの民 数字を確認した。合ってないな
24: どこかの民 孤児院の運営費、まるまる消えてないか?
25: どこかの民 でも聖女殿の署名がありますよ?
27: どこかの民 これは本物
31: どこかの民 院長に確認した人はいるか?
44: どこかの民 ここにいる。院長は「全て本当だ」と言っていたぞ
50: どこかの民 ……なんということだ
53: どこかの民 この広場ができてから三日。嘘を書いた者が罰せられたという話はないが…
61: どこかの民 確かめた者が複数いる証言なんだろう?じゃあ本当なんじゃないか?
70: どこかの民 じゃあ聖女様が横領してるってこと?
102: どこかの民 それはあり得ないだろう、聖女様だぞ
270: どこかの民 でもなんだか怪しいしな
310: どこかの民 聖女様は悪くない!悪いのは全部あの悪徳令嬢よ!
315: どこかの民 ご本人様登場か?w
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わたくしは何もしていない。証拠を置いただけだ。
あとは国民が自分で読んで、自分で考える。
それだけのことだが…その「それだけ」が本当に機能するのかどうか、わたくしには確信がなかった。
人間を信じる、ということの怖さを、この夜ほど思い知ったことはない。
深夜、シャルルが眠った後、わたくしは一人で手帳を開いた。
誰にも見せない言葉を、ただそこに記した。
「正しい情報を出せば、人は正しく動く。本当にそうでしょうか?
明日、まちがっていたら。誰も動かなかったら」
そして閉じた。明日、正しければそれでいい。ただそれだけだ。
翌朝には「聖女横領スレ」の閲覧数が止まらなくなっていた。
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【実況】聖女殿、今日も王子の前で泣いてるんだが
1: どこかの民 今週だけで三回目だぞ
21: どこかの民 毎回同じ顔をしてるな
24: どこかの民 横領の件はどうなった?
31: どこかの民 こういう女が一番タチが悪い
45: どこかの民 知ろうとしてないんじゃない?それか騙されてるか
56: どこかの民 それが一番まずいな
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「お嬢様」シャルルが震える声で言った。
「怒っていないのですか。明日処刑されるかもしれないのに」
わたくしはしばし考えた。怒っているか。
正直に言えば——少しは怒っている。
いや、三年間ずっと怒り続けてきた。
ただ、それを言葉にした瞬間に崩れそうで、ずっと飲み込んできただけだ。
「正しい情報は、ちゃんと残しておかないといけないでしょう」
それだけ言った。
シャルルは何も言わなかった。ただ、静かに深く頭を下げた。
「……ありがとうございます、お嬢様。私を、最後まで連れてきてくださって」
その言葉に胸が詰まった。
わたくしは返事をしなかった。できなかった。
そして夜が、明けた。
断罪式の朝。
第三の間には三十二名が揃っていた。
王子アルフレートが壇上に立つ。金髪碧眼の美貌は今日も絵になる。
だがその目は感情で曇っていて、証拠を見る気などさらさらないことは顔を見ればわかった。
「エリアーヌ・ヴォルテール。そなたの数々の悪行、今こそこの場で裁く!」
その瞬間、広間全員のマナストーンが光り、掲示板が更新される。
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【速報・国民全員必見】断罪式、ついに始まる
11: どこかの民 王子、怒鳴ってますね
60: どこかの民 令嬢殿は微動だにしていません
101: どこかの民 令嬢殿の悪行とやら、証拠は何があるのだ?
405: どこかの民 「聖女がそう言っていた」しか言わないな
610: どこかの民 それは証拠とは言えない!
819: どこかの民 横領帳簿の件はどうなった?
989: どこかの民 王子は何もわかってないんじゃないの?
1008: どこかの民 知らん顔してるな
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リリィが王子の隣で涙をにじませた。
いつもの顔だ。か弱く、傷ついた顔。三年間、何度も見た。
けれど、今日は少し違う何かが、その表情の奥に見えた。追い詰められた者の顔。
「ち、違います! わたし、なにも……!」
広間の端で老貴族が立ち上がった。ヴォルテール派の男爵。静かに、しかしよく通る声で言う。
「聖女殿。孤児院の帳簿の件について、議会として確認を求めております」
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1204: どこかの民 帳簿の話キタ!
1795: どこかの民 聖女殿の顔色めっちゃ悪くなってる
2026: どこかの民 王子は気付いてる?
3097: どこかの民 気づいていないぽい
4108: どこかの民 それが一番まずいな
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「黙れ! これはエリアーヌの罪を裁く場だ!」
王子が怒鳴った。
しかし、その後、広間が静まり返った時、アルフレートの目が一瞬だけ手元のマナストーンに落ちた。
数十万の文字が流れていく画面。
彼はすぐに目を逸らしたが、逸らした、ということ自体が、すでに答えだった。
わたくしは静かに口を開いた。
「証拠はありますか」
「なに?」
「わたくしの罪状の、証拠が。この場に三十二名、そして広場の向こうに国民がおります。ぜひ提示してください」
---
4601: どこかの民 令嬢殿が喋った
5002: どこかの民 証拠を出せ 当然だ
6987: どこかの民 王子殿、答えられるか
7001: どこかの民 黙っててワロタ
8219: どこかの民 だんまりですか
9111: どこかの民 これが次の王か…頼りない
9822: どこかの民 はよ辞任してもろて
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沈黙が広間を支配している。
王子の顔が歪んだ。怒りなのか焦りなのか、見分けもつかない色に。
「こ、これはエリアーヌが仕組んだ罠だ! この掲示板とやらも、全部エリアーヌが――」
「証拠はありますか」
わたくしはもう一度だけ、同じことを言った。静かに。穏やかに。
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100021: どこかの民 また「証拠はありますか」と言ったな
101092: どこかの民 二回目だ
111630: どこかの民 令嬢殿の言うことは筋が通っておる
148842: どこかの民 王子殿は一度も筋の通ったことを言っておらぬ
152250: どこかの民 次の王がこれでよいのか
170065: どこかの民 よくない
189076: どこかの民 俺が王になったほうがまだマシだ
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「緊急動議を提出いたします」
老男爵が立ち上がった。背後に貴族議員が続く。
「今回の断罪式の正当性、ならびにアルフレート第一王子殿下の判断能力について、議会として審議を要求いたします。国民四十万が見守るこの場にて」
「貴様ら、俺に逆らうのか!」
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200111: どこかの民 王子殿、また怒鳴った
221112: どこかの民 もう終わりでは
236132: どこかの民 令嬢殿は一度も怒鳴っておられないのに……
239164: どこかの民 だから令嬢殿のほうが正しいのだ。それだけの話だ
243185: どこかの民 感情的に怒鳴るとは…なんて恥ずかしい
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その時、リリィがその場に膝をついた。
涙が頬を伝う。しかしそれは、いつもの「被害者の涙」とは違う色をしていた。
「……わたし、は」
彼女は震える唇を開いた。
「怖かったの。この場所を失うのが。
聖女じゃなくなったら、わたしは何もない平民に逆戻りで……だから、だから……」
その声は細く、広間によく通った。
嘆願ではなかった。自白に近かった。
アルフレートが息を呑む気配がした。彼は、知らなかったのかもしれない。
リリィが何に怯えていたか、本当のことを。
守ろうとした相手が、そこまで追い詰められていたことを。
だが今日、この涙に動かされる者は誰もいなかった。
マナストーンを通して、四十万の目が見ていたから。
後日。
アルフレート第一王子は王位継承権を停止され謹慎処分。
リリィ・ソレイルは聖女の称号を剥奪、孤児院横領の件で審問を受けることとなった。
ヴォルテール伯爵家への断罪要求は全面撤回。
わたくしの爵位は完全に保全された。
書類の束が届いた夕方、わたくしは一人で執務室に座り、それらを眺めた。
勝った、と言えば勝った。生きた、と言えば生きた。
ただ、思ったよりも静かな気持ちだった。
でも、だからといって何も失わなかったわけではない。
三年分の疲労が、ようやく今になって体の芯に沈んでいくのを、私は感じていた。
「お嬢様」
シャルルが報告書を持ってきた。
「神託の広場、本日のアクティブ書き込みは五十万件を突破いたしました」
「そう」
「あの……最後に一つだけ聞いてもよいですか」
「なに」
「お嬢様は、最初から全部わかっておられたのですか」
わたくしは少し考えた。
正確に言えば、確信はなかった。賭けだった。
人間が正しい情報を前にして理性的に動くかどうか、それだけは計算できなかった。
でも……
「人間は、本音を言える場所を与えられれば、だいたい正しい方向に動くものよ」
そう言って、窓の外を見た。
どこかで新しいスレッドが生まれている。
---
【感謝】管理人殿に礼が言いたい
1: どこかの民 この広場がなければ今頃どうなっていたか
2: どこかの民 管理人が誰かは知らぬが
3: どこかの民 ありがとうと伝えたい
4: どこかの民 ありがとう
5: どこかの民 ありがとう
6: どこかの民 ありがとう
---
誰にも気づかれないように、わたくしはほんの少しだけ微笑んだ。
「シャルル」
「はい」
「明日から、この広場の運営規約を作りましょう。
匿名で嘘も書けるのだから、管理者がいないとすぐ荒れはててしまうわ。……長い仕事になりそうよ」
「……お嬢様」
「なに?」
「怒ってもいいんですよ」
シャルルの声が、静かに震えていた。
「ずっとずっと、理不尽な目に遭い続けて、ずっと一人で戦って……怒っていいんです。
泣いていいんです。私は…ずっとお嬢様のそばにいますから」
その言葉に、何かが溶けた。
三年間。処刑の恐怖も、孤立も、誰かに話したことがなかった。
その感情は話す必要はないと思っていたから。
「……うるさいわね」
声が震えてしまった。我ながら情けない。
シャルルは黙った。ただ、その場を離れず、私のそばにいてくれた。
マナストーンが、かすかに光った。
【完】




