ダンジョン攻略授業 最終日 その後3
学園の裏山。
人の気配もなく、風と木々の擦れる音だけが響く場所。
「なんだよ……こんなところに呼び出して……」
リオンがそう零した、その瞬間だった。
――視界が、歪んだ。
次の瞬間、喉元に、冷たい感触。
「――っ!?」
反射的に息を呑む。
短剣の刃が皮膚に、ほんのわずか、触れている。
リオンは即座に後ろへ跳んで距離を取り、体勢を立て直す。
「な、なにすんだ!突然!」
目の前に立っていたのは、いつの間にか距離を詰めていた老人。
――ハグロ・ジンザエモン。
「遅え」
容赦の欠片もない一言。
「俺が本気で殺す気だったら、お前、もう死んでたぞ」
「……!」
リオンは、言葉を失う。否定できない、事実だったからだ。
「魔導監視カメラってやつか」
ハグロは鼻を鳴らす。
「あれで撮った映像、見させてもらったぜ」
短剣を肩に担ぎ、吐き捨てる。
「なんだ、あの無様な戦い方は、黒淵の獣蛇ごときに、あそこまで手こずりやがって」
「“ごとき”って……」
リオンは思わず言い返した。
「アイツと僕とじゃ、相性が――」
「関係ねえ」
ハグロは即座に切り捨てた。
「魔契戦争の時の魔界から召喚された魔物や魔獣ならいざ知らず。相性が良かろうが悪かろうが、サシなら、この世のすべての生き物に勝つ。それが、シンエイリュウだ」
リオンの胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「お前には、その技術を叩き込んだはずだ。それがなんだ?ガキどもの力を借りて、辛勝だと?」
短剣の切っ先が、リオンを指した。
「……これは、いったいどういうことだ?」
「……」
何も、言い返せなかった。
ハグロの眼光が、さらに鋭くなる。
再会した時のおちゃらけた雰囲気は、影も形もない。
「お前、あの戦争が終わってから、鍛錬をサボってやがったな?」
「い、いや……」
リオンは視線を逸らす。
「たまに、見習騎士の鍛錬を見てやったりは……」
「けっ」
鼻で笑う。
「ひよっこ相手して、碌な鍛錬になるかよ。言い訳にもなってねえ」
ばっさりだった。
「覚えてるか?」
ハグロは、静かに言った。
「お前が、しつこく弟子にしてくれって食い下がってきた時に、俺が最初に何て言ったか」
リオンの脳裏に、嫌というほど蘇る。
「――シンエイリュウの心得、だ」
一つ。
「平時だろうが、戦時だろうが、常に、死線に立っているつもりで生きろ」
二つ。
「一日でも、腕を鈍らせたら、それは“弱体化”じゃねえ。“裏切り”だ」
三つ。
「もし、それを破ったなら、自害するか――」
短剣が、かすかに鳴った。
「師匠に殺されても、文句は言えねえ」
重い沈黙。
「……なんだよ、それ」
リオンは、苦笑混じりに言った。
「じゃあ、今日は僕を殺しに来たのか?」
「馬鹿言うな」
ハグロは即答した。
「お前は今、魔法学園の生徒だ。俺は、特別講師とはいえ、先生だぜ?そんなことしたら、即クビで、それどころかお尋ね者だ」
肩をすくめる。
「そうしたら給料は出ねえ、うまい酒も飲めねえ、うまい飯も食えねえ、娯楽も全部パーだ」
「おい!」
「なんだよ」
「俗世に毒されて、鍛錬を怠ってんのは、どう考えても、あんたのほうじゃねえか!」
一瞬。
ハグロの口角が、吊り上がった。
「……試してみるかよ」
そう言って、剣を構える。
対峙した瞬間、分かった。
気迫、間合い、隙のなさ。
――何一つ、変わっていない。
別れたあの日のままの、怪物。
「こうしてだな」
ハグロは楽しそうに言った。
「生き別れた、かわいい弟子に放課後、残業手当も出ねえのに、直々に稽古をつけてやろうってんだ。俺って、優しいだろ?なんて、いい師匠なんだ」
「……」
リオンは、全力で叫んだ。
「どの口が言うか!!」
叫ぶと同時に、リオンも短剣を抜いた。
地面を蹴り、一気に距離を詰める。
――次の瞬間。
視界が、反転した。
「ぐっ……!?」
気づいた時には、背中から地面に叩きつけられていた。
喉元に、短剣の冷たい感触。
「はい、死んだ」
ハグロは、淡々と言った。
それが、訓練の始まりだった。
結果から言えば――
その日は、一方的に、文字通り“ぼこぼこ”にされた。
斬りかかれば、かわされる。
踏み込めば、先を取られる。
受け流そうとすれば、逆に力を奪われ、地面に転がされる。
息が上がる。
腕が重い。
視界が滲む。
それでも、ハグロは――
「……はぁ?」
一切、息を切らしていなかった。
どころか、拍子抜けしたように肩をすくめる。
「おお、おお。情けねえな。ずっと若くいられる体してるくせによ。こんな老い先短いジジイの動きに、ついて来れねえとは、どういうことだ?」
「……っ、うるせえ!」
リオンは、歯を食いしばって立ち上がる。
「これはこれで、苦労も多いんだよ!」
「知るか」
ハグロは即答した。
「苦労してる暇があるなら、強くなれ」
再び、踏み込む。
だが、やはり届かない。
思い知らされる。
ハグロは、弟子入りした時ですら、すでに十分“高齢”だった。
そこから、十年以上の月日が流れている。
――なのに。
衰えが、ない。いや、むしろ。
動きは、洗練され。無駄は削ぎ落とされ。殺気は、研ぎ澄まされている。
(……強くなってる……?)
そんな馬鹿な、と思いながらも、身体は正直だった。
その日以来、陽翔の特訓が終わった後、リオンの“第二ラウンド”が始まる。
毎日、逃げ場はない。容赦もない。
斬られ、投げられ、転がされ。
だが、その分だけ。
感覚が、戻ってくる。
間合いが、研ぎ澄まされる。
身体が、かつての動きを思い出していく。
――全盛期。
痛みと引き換えに、失っていたものが、確かに戻ってきていた。




